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新書の「時の人」にきく
03 教養主義の変遷と教養の行方
京都大学教授 竹内 洋
「教養」という言葉が正面切って使われるのをきくことがなくなった。かつて若者の間で教養が人格修養の意味を含めて尊ばれた時代があった。教養主義である。しかし、それはいつしか影を潜めた。日本社会で教養の持つ意味はどう変わっていったのか、教養主義の核を成す「読書」の意味はどう変わったのか。『教養主義の没落』(中公新書)の著者、竹内洋氏にきいてみた。
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1.「知識人」か「スペシャリスト」か「オタク」か
2.高校時代の読書体験が大事
3.インテリが地方へ逆移民
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「知識人」か「スペシャリスト」か「オタク」か
――
『教養主義の没落』を含めて竹内さんの著作を見ると、いわゆる知識人がもっている価値観の変遷、社会の価値観の変遷という大きなテーマが根底にあるような気がします。
竹内
 たぶんそうだと思います。しかし、その前に、知識人という言葉ですが。最近あるところで、多くの理系の人を前に「知識人」という言葉を使ったら、それがすごくいやみたいでしたね。自分たちはスペシャリストだという。でも、例えば物理学の教授でも、なんらかの啓蒙的なことを行っていると思うんです。その意味では知識人だと思うのですが。本を書くこと自体もそうした行為の表れです。新書などはまさにその一例です。
 ぼくが今回書いたものも、知識人についてといえばそうですが、いわゆる知的大衆についてのことです。いまは、片方に知識人がいて、片方に大衆がいるというわけではない。みんなが知識人っぽい、だから成熟した大衆社会でもある。普通の人も新書読んだり、考えたりする。生涯教育などをみると、普通の人でもすごく知的好奇心が強いですね。
――
ただ読書の担い手という点では、“知的オタク”のような傾向が強まっているように思えますが。
竹内
 でも、もともと教養主義の担い手には、オタクっぽい要素がありました。ただし昔は共通するものがありました。読まなければいけない本があったというか、共通科目があったから、それほどオタク的にならない。例えば、文学やっている人もマルクス主義への理解があった。
――
大学にいられて、最近の学生をどうごらんになりますか。
竹内
 ぼくは教育社会学が専門で、主に大学院の学生を教えていますが、最近は大学院生ならば、短期間で論文を書かなくてはいけませんから、教養なき専門主義になっています。昔は大学院なんていうのは、腰掛け的で余裕があったけれどいまはないですから、極端に言ったら論文しか読まない。新書も読んでいるのかな?
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高校時代の読書体験が大事
――
竹内さんの学生時代はいかがでしたか。
竹内
 ぼくは1960年代前半に大学生活を送りましたが、新書は中公と岩波と講談社くらいしかなかったです。岩波は毎月新刊は1冊だったと思うんですが、それを読みました。新書の質もよかったですね。いまは、他人のことはいいにくいけれど、非常に短期間で書いているようなものがありますね。
 昔で言えば、大塚久雄の『社会科学の方法:ヴェーバーとマルクス』というのは非常にいい本でした。例えば、個人との関係で社会の法則を説明するのに、群衆がなだれを打って動くと個人ではどうしようもなくなる、群衆の力は個人の総和であるのに、個人と対立したものになる、ということを言ってましたが、ぼくはいまでも学生にそうした説明をします。丸山真男の『日本の思想』などもいい本でした。よく学生が「教育社会学やるのに、先生どんな本を読んだらいいですか」なんてきいてくるけれど、社会や人間の土台を知ることが大事なのだから、新書や小説を読んだらいいといってきました。
――
かつては「知」を象徴するという意味での本というものへの尊敬の気持ちがあったと思いますが、最近ではそうしたことは感じられません。
竹内
 そう、だからそれが教養主義の没落とも関係してくるんですが、いつごろからか本を枕にしても動じないというか。うちの女房でも本がどんどん増えてくると嫌がりますよ。ゴミ扱いというか。(笑)
――
御著書のなかで最近の学生の反応として「読書によって人格をつくるということが理解できない」といったくだりがありましたが、これはどういうことでしょう。
竹内
 人間形成していく、生きていく力をつけたいという気持ちはあるのですがそれが本からばかりというのが解せないということでしょう。昔は本しかなかったが、いまはビデオとか映画もある、それにアルバイトで人に接したりして学ぶ。ある意味では健全です。でも、本の役割も認めてほしいと思いますね。
 本を読むことは想像力を養うことだから、同じアルバイトをしても、そこでおきた問題は、本を読むことでさらに深く考えることができます。特に高校時代は重要でしょう。大学では遅すぎると思う。だって、漱石の「こころ」や太宰の作品は、高校時代に読んだら感動するけれど、大学時代になったらだめでしょう。ぼくが京大の学生を調査した結果では、高校のころ本を読んでいた学生は大学でも読んでいて、そうでない学生は読みませんね。読書の高校時代の効果が大きいでしょうね。
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インテリが地方へ逆移民
――
ご出身は新潟とお聞きしましたが、どんな青春時代を送られましたか。
竹内
 生まれは東京ですが、四歳の時に佐渡島に行きました。私の家は特別文化的な家庭ではなかったですが、小さい頃は伝記物語を読みましたよ。あれ、いまでも結構いいんじゃないかと思うんですけれど。渡辺崋山とか、あのころ家庭の中で子どもに読ませる定番は偉人伝ですね。それと雑誌では少年倶楽部とかありましたね。
 ぼくの高校には、旧制高校出身の先生が結構いたんです。その影響が大きかったですね。戦後の日本は都会から逆移民したんですよ。都会にいたとか、外地にいた人がみんな帰ってきたんですよ。膨大な数です。インテリも帰ってきたんです。だから、ぼくのいた高校は新設校で底辺高校なのに、なんと校長先生は旧制富山高校の教授ですよ。東大出た先生も二人いましたし、数学の先生は都立一〇中の先生でした。いまでもちくま新書に日本史のことを書いている先生もいました。大学の先生に習ったような感じですね。そういう意味では、逆移民は戦後日本社会の文化的な格差というものをなくしたと思います。
――
それは、いま考えると特殊な時代だった?
竹内
 希望がありましたね。日本がだんだん豊かになっていく時代だったし、それから学校というもの、教育というものが輝いていた。上の学校にいくことが単に立身出世だけでなく、なんか文化的なものに接していくという意味があった。教える側も田舎の子どもの学力を上げるとか、いい大学に上げることが幸せになるという信念があったんじゃないですか。
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PROFILE

竹内 洋

京都大学大学院教育学研究科教授
専門は教育社会学

1942年生まれ。京都大学教育学部卒業。同大学院教育学研究科博士課程修了。
関西大学社会学部教授、京都大学教育学部教授を経て、現職。
主な著作:
『立志・苦学・出世』
(講談社現代新書)
『日本のメリトクラシー』
(東京大学出版会)
『学歴貴族の栄光と挫折』
(中央公論新社)
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社会科学の方法
『社会科学の方法』
大塚久雄著
岩波新書
日本の思想
『日本の思想』
丸山真男著
岩波新書
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