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謎の絵師、写楽の"型破り"とは
11/05/31

編集部 中村 佳史

 東京国立博物館で「特別展・写楽」が、2011年5月1日から6月12日まで開催されている。本来この企画展は、4月から5月にかけて開催される予定だったが、3月11日の東日本大震災の影響で1ヵ月ずれての開催となった。
 18世紀末の江戸に、忽然と現れ、そして忽然と姿を消した浮世絵師、東洲斎写楽。本展覧会では、彼の筆と認められる錦絵(多色刷りの浮世絵)およそ140点が一堂に会する。錦絵は照明や空調の影響を受けやすく、作品保護の観点から言えば長期の展示に向かない。そうした性質をもつ作品が140点も世界中から集まり、実際に見ることができるのは大変貴重で、連日、多くの人が来館しているそうだ。私が訪れたのは台風が近づいていてあいにくの大雨の日曜日だったが、それでも会場内は人、人、人。おおいに賑わっていた。

 写楽と言えば、なんと言っても歌舞伎役者の上半身を大胆な構図で描いた大首絵が有名だ。中でも、今回の特別展のポスターでも使われている「三代目大谷鬼次の江戸兵衛」や、日本史の教科書にも取り上げられることの多い「市川鰕蔵の竹村定之進」などは、多くの人が知っている作品だろう。
 あまり知られていないことだが、こうした迫力ある大首絵を、写楽はわずか28枚しか描いていない。それも画壇にデビューしたての時だけだったという。また、彼の活躍期間はわずか10ヵ月ほどだった。

大首絵は最初の28枚のみ

特別展「写楽」公式図録より

 彼の作品は、題材とした歌舞伎興行によって4期に分けられる。第一期は、上記のような歌舞伎役者の大首絵28枚。この大首絵によって鮮烈にデビューした写楽だったが、同年7月の興業を題材にした第二期作品では、大首絵は一枚もなくなり全身像ばかりとなる。第三期には、大首絵11図もあるが「細判」といってサイズの小さめのものが中心となる。さらに、そこには今まで描かれていなかった舞台背景などが描かれ、説明的要素が増える。最後の第四期では第三期の画風がさらに顕著になってくる。
 写楽は「謎の絵師」と呼ばれている。その理由はいくつかあるが、一つは彼が活躍した期間は短いことである。彼は寛政6(1794)年5月から翌正月までの芝居を題材として役者絵を描いた。この期間に約140点ほどの錦絵を描いたと言われているが、およそ10ヵ月活躍しただけで、歴史からその姿を消す。
「謎の絵師」であるもう一つの理由は、わずか10ヵ月の制作期間であるにもかかわらず、時期によって画風が大きく違うことである。一人の絵師の画風変遷としてはとても急劇な変化のため、写楽は一人ではなく複数人いたという説もあるそうだ。写楽は何者か。同時代に活躍した浮世絵師、歌川豊国などが「写楽」という別名を名乗ったのではなかという説もあるほどだ。
 こうした写楽の正体探しは戦後に入ってからのことのようだ。戦後、芸術家は個性が重視された。そのような中、写楽の大首絵は、当時としてはとても個性的で雄々しく、有能な絵師であったことが認められる。だから、彼がいったい何者なのか、さぞ著名な画家だったのではないかと議論になった。
 しかし戦前には写楽は「江戸八丁堀にすんでいた阿波藩お抱えの能楽師、斎藤十郎兵衛」であったとする説が有力だった。江戸時代における浮世絵の基本文献をかいた斎藤月岑や、その本の祖本を記した大田南畝などによって既にそう述べられている。最近、写楽の肉筆画が新たに発見され、その筆から写楽が同時代のどの有名画家とも違う別の人間であること、また文献の分析が進み、写楽=斎藤十郎兵衛がほぼ定着しつつあるそうだ。

好まれなかった"写実"的な写楽絵

 では、なぜ写楽の画風は変わっていったのか。それについて大田南畝が書いた『浮世絵考証』には、
 「これまた歌舞伎役者の似顔をうつせしが、あまりに真を画かんとてあらぬさまにかきなせしかば、長く世に行われず、一両年にして止ム」
 とある。つまり、第一期の大首絵は、あまりに歌舞伎役者の特徴を捉え、そこを強調しすぎたがゆえに、描かれた役者自身も好まなかったようだ。当時の錦絵は現在のブロマイドのような存在だったことはよく知られているが、そう考えると役者を格好良く描くよりも、ありのままを描こうとした写楽の大首絵は、掟破り、型破りの画風だったということだろう。
 だからこそ、この第一期の作品は、迫力がある。その役者の人間的な特徴をとらえ、大首絵という上半身に限定した大胆な構図がその迫力をさらに増す。手の動きや目の表情など、専門家は決して技巧的にうまいわけではないと指摘するが、その荒々しさが魅力のひとつでもある。
 第三期にも大首絵はあるのだが、第一期の大首絵が現在のA4サイズほどの大きさに摺られているのに対して、第三期はその半分以下のサイズで、大きさとしても迫力が欠ける。さらに、そこに描かれる役者はどの顔を同じような表情で、いきいきとした感がない。率直に言って、描かされているようで、絵がつまらないのである。
 第一期以外の作品について、今回の展示には「装飾的」であるとか「華やかさがある」といった解説が付されていた。もちろん錦絵として大変綺麗で、江戸時代の風俗を伝える意味でも大変興味深い。だが、どの作品もスタンダードな錦絵として、同時代の他の有名絵師の筆を超えるものではないように私には思えた。第一期の大首絵には、他の絵師の作品には見られない荒々しさ、活き活きとした表情、こちらに迫ってくるような臨場感がある。だからこそこの時期の写楽の錦絵は、現代でも好まれるのではないか。少なくとも私にはそう伝わってくる。

「型」を身に付けなかった「型破り」

 一方で、はたして写楽と同時代の人には、写楽の錦絵はどううつったのだろうかと考えると、最初こそ、この型破りが新鮮にうつっただろう。しかしその画風が次第にスタンダードな商業的作品となったころには、魅力を感じるほどの画家ではなかったのかもしれないと感じた。
 型破りということについて、以前、演劇の世界にいる人から至言を聞いたことがある。まず古典的と言われる「型」をしっかりと身につけ、それを身につけた人がやってこその「型破り」であって、その古典的「型」を会得していない人が「型破り」をやっても、ただの流行りにしかならず、廃れてしまうのだ、と。
 写楽はまさにそういった意味での型破りな絵師ではなかっただろうか。スタンダードな画風で人を惹き付ける絵を描く事ができなかったのかもしれない。そこに写楽がわずか10ヵ月で姿を消した理由の一つがあったように、私には思えた。
 展示は、第一期から第四期にいたる写楽の作品140点を一同に見られる展示室と、その写楽の活躍した時代の浮世絵、版画、その出版にいたる背景が分かる解説的な展示室とに分かれる。とにかく会場が広く、展示品も多くボリューム満点。じっくり見るならば2時間はみておいた方がいい。だが、上記で述べてきたように、第一期の大首絵を見るだけでも価値はあると思う。
 写楽については、以下の新書が参考になる。展示を見る前の予習として、展示を見た後の復習としてお薦めだ。

なお、本記事は上記展示会の公式図録を参考にしました。

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