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第163回 『超空気支配社会』

「風」編集部

NEW 2021/06/30

「空気」を読んでいるのは誰か

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五輪会場の酒類提供取りやめ アサヒビール「支持する」
東京五輪・パラリンピックの大会組織委員会は23日、会場内での酒の販売と提供を取りやめると発表した。酒の持ち込みも禁止する。観客向けの感染症対策ガイドラインを公表し、その中に盛り込んだ。組織委内では酒の販売を認めることも検討していたが、批判が集まっていた。
朝日新聞 デジタル 2021年6月23日 11時35分 より)
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『超空気支配社会』
(辻田真佐憲著、文春新書)

 緊急事態宣言中、休業を余儀なくされた飲食店が営業を再開し、明らかに人出が戻ってきている。高齢者層を中心としてワクチン接種が進み、「これで安心して人に会える」という声が聞こえてくる。ニュースでは、ワクチン接種が進む国で、マスクを外した人々が外出し、コロナ前のように談笑する姿を報じている。そして、「東京五輪・パラリンピックまであとひと月を切りました」と、事前合宿で海外から選手団が続々と入国する様子が繰り返し伝えられる。ワクチンも行き渡り、もう新型コロナウイルスはそんなに怖くないのではないか、そう錯覚させられるような「空気」にもなっている。

オリ・パラ特別扱いの「空気」

 五輪・パラリンピックを「安心・安全」に開催するならば、無観客が望ましい、という「専門家」の提言を無視して、観客を入れて開催することが決定事項となっていた。中止という案はいつの間にか消え、論点は観客の上限を何人にするかに移り、この期に及んでも観客数上限の検討が続いている。その「空気」を読んだのか、会場内での「酒類の販売」という話題が先日突如持ち上がった。しかし、この状況で、オリンピック会場だけ特別扱いなのか、と批判の声が高まった。「空気」を読んだスポンサーの意向も働いたのだろう、会場での酒類提供はなし、ということでこの件は決着した。

「われわれを動かしたのは科学ではなくやはり空気だった」……。そう記しているのが『超空気支配社会』(辻田真佐憲著、文春新書)の著者である。本書は、「あらゆる議論は最後には『空気』できめられる」と分析した山本七平の古典的名著『「空気」の研究』を繰り返し引用する。さまざまな話題からこの国を支配する「空気」の存在について、雑誌コラムなど各種媒体に発表してきた2014年から2021年までの時評をまとめたものである。
 著者の辻田氏は、近現代史の研究者として、特に政治と文化芸術との関係を主に扱い、軍歌など戦時下の音楽とナショナリズム、君が代・日の丸、プロパガンダの国際比較などについての著作が多い。いまの日本社会について、「SNSが加わったことで超空気支配社会となり、これまでにない新しい同調圧力、新しいプロパガンダを生み出しつつある」と、懸念する。

東京五輪を「手放せない」のは誰か

 本書に再掲された2020年3月付けのコラムには、「おそらく、東京オリンピックは、擦った揉んだの挙げ句、外圧(WHO、IOC、米国など)によって良くて延期、最悪で中止となるのではないか」とある。東京五輪はとんでもない難物になってしまった。進むも地獄、退くも地獄。とある。まるで予言のようだ。
 さらにさかのぼって2019年に書かれたものには、猛暑のなか断行されようとする東京五輪について、「総力戦」で暑さ対策に臨むと都知事が宣言するその内容が「木陰・打ち水」のような「竹槍精神」だと言っている。東京オリンピックは、精神論だけで乗り越えようとする「太平洋戦争化」する要素がもともとあったことを改めて思い出させる。
 2018年には既に、「猛暑の時期に、やらなくてもいい五輪をなぜ開催しなければならないのか」と批判し、精神力だ、ピンチはチャンスだ、と繰り返す東京五輪に関するおかしな状況には、「意義を唱え続けなければならない」と記している。
 戦時下、空虚な精神論がはびこったのは、不可能な状況であっても、無理矢理適応しようとしたからだ。コロナ禍という異常事態の中にあっても、オリンピック・パラリンピックの開催に突き進んでいこうとしている今の状況はその時とまさに同様だ。「もう開催するのだから、文句をいっても仕方がない」というようなあきらめにも似た「過剰適応」を社会が受け入れてしまえば、問題点は曖昧になり、関係者の責任も利権も問われなくなってしまう、と辻田氏は警告する。
 あとひと月、この非常事態でも、大会が始まってしまえば、「感動」と「応援」の同調圧力が強まっていくのだろうか。これまで、さんざん消費してきた五輪の「努力と涙と感動」を手放せないのは誰か。「空気」を作るのは、私たち一人ひとりであり、閉会式の後に待ち受ける結果の責任は私たち一人ひとりにもあるのだと覚えておきたい。
(編集部 湯原葉子)

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