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第122回 『英語教育の危機』

「風」編集部

NEW 18/01//31

30年ぶり 大学入試の「大改革」が目前

 毎年1月中旬、日本各地で最も寒さが厳しくなる時期に行われる大学入試センター試験。試験会場によっては降雪で交通機関が乱れた場合に、試験開始時間を遅らせるなどして、できる限りの対応をしている。出題内容に関しても、疑問点や瑕疵があれば得点調整などが必要となり、その結果も当然公表される。大学入試は公平性が厳しく問われるのは当然だが、加えてトラブルもゼロで当たり前で、どんな小さなミスも逐一報道されるため、試験を実施する側の負担も相当なものだ。
 ニュースとして世間の注目度が高いセンター試験だが、現行のセンター試験はあと2回で廃止となり、新しい別のテスト方式に変わることが決まっている。「共通一次」にかわり1989年度から導入された「大学入試センター試験」開始以来、約30年ぶりの大きな改革となる予定だが、関係者以外には周知されているとはいえなさそうだ。

日本の英語教育は「危機的状況」になる

 大学入試の改革は、文科省が2020年度から実施する教育改革の目玉の一つである。なかでも注目を集めるのが、国語、数学などで予定されている(マークシート選択式ではない)記述式問題の採用と、共通の試験だけではなく「民間の試験結果を採用する」ことになる英語試験の大きな変更である。
 新しく予定される大学入試の英語試験と、それを前提とした学校教育は「英語教育改悪」だ、と警告しているのが、『英語教育の危機』(鳥飼玖美子著、ちくま新書)である。著者は、自身が大学生時代から国際報道に携わってきた同時通訳の草分け的な存在であり、大学でも教えている。NHKテレビの語学番組の監修、講師も務め、英語教育の専門家として一般の人にとっても知名度は高い。
 著者は、改革目前となったこの時期になって反対の声を上げたわけではない。これまで何冊も英語教育に関する著書を出し、特に早期英語教育の弊害について専門家の立場からたびたび意見してきた。実際に、毎年入学してくる若者の英語力を見ているだけに、説得力は大きいはずである。しかし、「グローバル時代に英語力は必須」「日本人は英語の読み書きができるけど会話ができない」「学校英語は文法や訳読ばかりしているから役に立たない」という政界、財界、マスコミなど世間一般の人々の思い込みは岩盤のように固く、英語教育について語るのは無駄な努力だと考え始めるようになってしまったという。
 次世代を育てる英語教育の問題は、大げさではなく日本の将来にも関わることである。現状に対しての強い危機感から「なんとか気力を奮い立たせて」書いたのが本書だという。


学校英語教育は変化し続けてきた

 
著者がいう日本の英語教育の「危機的状況」とは、一般の人が思うような「ムダな学校教育のせいで日本人が英語を話せない」ということではない。
 これまでの学校英語教育の変遷と現状を熟知している著者は、これからの「改革」により、「小学校への(教科としての)英語教育の導入の弊害」、「英語を英語で教えることの弊害」、「コミュニケーション偏重、文法教育の軽視」などにより、結果的に「学校教育のせいで日本人の英語力はさらに悪くなる」のでは、と危惧しているのである。
 これまでも、「コミュニケーションに使える英語」「使える英語」をめざし、学校英語教育は改革を続けてきており、今の英語教育はディスカッションやディベートなどが授業で盛んに行われている。しかし、社会に影響力が大きい年配者は、自分が受けた英語授業、つまり「文法訳読法」と呼ばれる授業を覚えていて、「学校英語は使えない」と厳しく批判し続けてきた。実際に文法重視のやり方が「効果がない」のかどうかの検証は行われないまま、その「空気」が政財界を動かし、「コミュニケーション重視」の英語教育へと変わってきた、と著者は指摘する。
 現行の学習指導要領でも、すでに高校では「英語の授業は英語で行う」ことになっている。その結果、大学生の英語力は向上しているかというと、大学教員の共通認識として、昨今の入学者の英語力低下は深刻であり、国立大学の英文科でさえ、基礎的な文法の補習授業を余儀なくされている現状を報告している。「日本人は英語が話せない」だけではなく、読めない、語彙力がない、基本的な文法を知らない、という深刻な状況にある、と大学生と日々接する著者はいう。新学習指導要領では、この「英語は英語で授業」が、中学にもおりてくる。文科省のめざす理想は高いのだろうが、英語力の基礎を固めるべき中学校段階に、「英語は英語で授業」が本当に必要なのだろうか。

 中・高と教育改革を続けても、大学生の英語力が低いまま。ならば「もっと早くから英語を学ばせるべき」という政財界の主張や世論からの発想で生まれたのが、小学校から英語を学ばせる方針である。これまでは、小学校5・6年生を対象に週に1回、「外国語活動」として主に英語に親しむためのゲームや歌の活動をすることを始めた。文字も文法も教えず、中学校英語の前倒しではない、ということが強調されてきた。
 ところが「このような遊びでは効果がない」という世間の批判に応え、2020年からの新学習指導要領では、これまでの「英語活動」を3・4年生から始め、5・6年生からは「教科」としての英語が始まることになった。教科になれば、検定教科書も作成し、文法も学び、成績もつけることになる。ところが、現在教壇に立つ小学校の先生のほとんどは、自身が英語を学んだ経験はあっても、小学生に英語を教えるための教育は受けてきていない。小学校の教員で大学の教職課程で短期研修を受けた人、小学校の教員免許を持っていないが英語を教えることができる人に特別に免許を出す、などの「見切り発車」で始まることになるという。
 著者は、このような場当たり的な教育による被害者は、ほとんど素人といってもいい教員による英語授業を受け、成績評価されることで「英語嫌い」になってしまう生徒や子どもたちである、と批判する。


英語「4技能」を測定する試験は可能か

 
また、新学習指導要領では、英語は「読む・書く・話す・聞く」という「4技能」が重要である、と強調されており、大学入試でも英語の4技能を測定するべきだということになった。しかし、各大学が独自に多数の受験生を面接して「話す力」を測定するのは困難なので、民間業者による試験の活用が各大学の選択で認められることになっている。各大学が今後の入試で新共通試験と民間試験を併用するのか、どの民間試験を活用するのか、当面は情報が錯綜して受験生や学校現場は相当混乱するだろう。一発勝負の入試と違い、「年に複数回受けられる」というのが民間テストのメリットという印象を与えるかもしれないが、受験料負担も大きく、経済的格差により「何回か受けていい成績を取る」ことができる生徒とできない生徒との差も懸念される。
 そもそも新しい共通テスト(マークシート式)と、従来からある民間業者による英検、TOEFL、TOEICなど、難易度も趣旨も異なる検定試験の成績で、受験生の合否を公平に評価できるのか、著者は疑問を呈している。高校英語教育の内容が、民間試験受験対策に変わってしまい、高得点を得やすい答えを考える「傾向と対策」が中心となってしまうだろうことは容易に予想がつく。
 学習指導要領が前提とされていない民間試験のスコアを上げること自体が目的になっていく。それが果たして教育と呼べるのだろうか。著者は、大学の入学試験では英語力の基礎になる読解力を測定し、話す力は入学後に育成することのほうが合理的だ、と提案している。
 検定試験はどれほど優れたものであっても英語運用能力の一部を図るに過ぎない。英語コミュニケーション能力というものが求められてるとして、その優劣を数値で表すことも困難である。検定試験を受けたことがある人ならば誰もが実感することだと思う。
「授業や試験を改革すれば英語力がつくはず」という幻想が、数十年間の英語教育改革の変遷であり、迷走を生んできたともいえる。英語が使えないのは果たして「教科書のせい、教師のせい、入試のせい」、つまり学校教育が悪いだけだろうか。

(編集部 湯原葉子)

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