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第141回 『ルポ 教育困難校』

「風」編集部

NEW 19/08/31

日本社会を映し出す「教育困難校」の実態

 名門校と呼ばれる高校がある。在学中の教育環境に魅力があり、卒業生は難関・有名大学に進学し、卒業後もその名が誇れる「ブランド」としての魅力がある学校のことだ。卒業生の中には社会人として成功し、母校へ寄付を送ることで恩返しをする人も多いため、教育環境が向上していく。質の高い教育を支えるため、優秀な人材が教員として集められることが多い。人気が集まって競争率が高まり、さらに学校としての「ブランド」力が高まる、という好循環が起きている。
 一方で、日本全国どの地域でも、高校入試偏差値の序列で下位に位置づけられる高校は歴然として存在する。名門校の好循環とは対極の環境に、いわゆる「底辺校」と呼ばれる学校がおかれている。落ち着いた学習環境が維持できず、高校教育本来の活動に困難をきたしている学校は昔から存在していた。しかし昨今では、学力が低いというだけではなく、さまざまな問題を抱えた生徒たちが入学してくるため、また違った困難が生じている。
 そうした学校の実態を紹介するのが『ルポ 教育困難校』(朝比奈なを著、朝日新書)である。本書の著者は、長く公立高校で教員をしていた体験から、1990年代頃からの生徒たちを取り巻く環境の変化に、日本社会の変容が映し出されていると指摘する。一般的に使われる「底辺校」という呼称は、通っている生徒たちの自尊心を酷く傷つけるとして、著者は新たに「教育困難校」という語を使っている。
 著者の実感では、偏差値40台前以下、入試では表向きの合格ラインよりも大幅に低い点数でも多数が入学している高校の中に、「教育困難校」が目立つという。つまり「義務教育で学んだ内容の半分以上がわかっていない生徒が確実に入学できる高校」だという。商業高校や工業高校等、専門性の高い高校では、たとえ受験偏差値が高くなくても、生徒たちには専門的技術や資格取得というはっきりした目標があり、授業崩壊など「教育困難」な状態は起きないていないことが多いという。

「人とお金が足りない」

「教育困難校」には、授業を妨害するなど「勉強が嫌い、学びたくない」生徒がいる。その他には、学習障害などが見過ごされ適切な教育支援を受けられなかった生徒、中学までに不登校を経験し「教育困難校」にしか入学できない生徒、家族関係や家庭の経済状況が不安定で落ち着いた学習環境が得られない生徒、外国にルーツがあり日本語能力に問題がある生徒などがいる。そうしたさまざまなタイプの「学びたいけど学べない」生徒たちと、「学びたくない」生徒たちが混在する。そこに「教育困難校」の難しさがあるという。
「教育困難校」の最大の存在意義は生徒に「高卒」という資格を与えることである、そう著者は言い切っている。現代日本では、社会に出るためには、「高卒」という学歴は社会に出る際の最低限のパスポートのようになっている。しかし、世間が要求する「高卒」のレベルに、学力以前の面で達しない生徒も多い。
 挨拶や会話など、家庭で「しつけ」として身につけておくはずの常識が教えられてこなかった生徒がいる。小学生レベルの漢字の読み書き・計算やアルファベットの読み書きなどが定着していない場合も相当多い。外国にルーツがあり、日本語能力が不足している生徒には日本語指導が必要だ。学習障害や発達障害を持った生徒に対しての特別支援の視点をふまえた指導も増えている。「教育困難校」の教員は、本来の自分たちの「高校教師」としての仕事ではない多種多様な指導に明け暮れ、本当に余裕がないという。
 名門校では同窓会やPTAからの援助で学習環境を充実させることができるが、「教育困難校」にはそれが期待できないため、学習環境の整備にお金が掛けられない。「人が足りない」「お金が足りない」。異口同音にうったえかける現場の声を著者は伝えている。

「教育困難校」に公的支援を

 これまで、公立高校では学校間の公平性を重視してきたが、文科省は近年、日本の将来を担うリーダー層を育てるような教育施策、「スーパーサイエンスハイスクール(SSH)や「スーパーグローバルハイスクール」(SGH)など、指定校に集中的に資金を投入する事業を進めてきた。
 著者は以前から、社会に出るための基礎的な学力や能力が身に付いていない生徒たちの個別支援の必要性をうったえてきた。「教育困難校」にこそ、他の学校より多めの予算配分を認める、というやりかたも必要ではないか、と求めてきたという。
 文科省でも、2015年からようやく、「進学校」ではない高校向けに、基礎学力の定着や、多様な学習支援するための事業を始めているという。
「アクティブ・ラーニング」「協働学習」などはなやかにうたわれる「教育改革」の影に見棄てられがちな「教育困難校」の現実を多くの人に知ってほしいと著者はうったえかける。

「教育困難校」で学ぶ生徒の一部が、将来的に経済的自立が果たせないようであれば、彼らはいずれ社会保障の対象となる。日本の教育をドロップアウトしかけている人々を「自己責任」で切り捨ててはならない。「教育困難校」の実情に目を向け、早めに適切な支援を投じた方が、社会保障費の削減にもつながる。
 教育格差の拡大は経済格差を生み、経済格差が教育の格差につながるという悪循環が既に生まれている、という現実も『教育格差/階層・地域・学歴』(松岡亮二著、ちくま新書)で明らかにされている。教育格差の問題は、教育問題に限らず、日本社会の将来に関わる重要な問題になっていると意識すべきだろう。

(編集部 湯原葉子)

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