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『キノコの教え』
(小川眞著、岩波新書) |
『キノコの教え』(小川眞著、岩波新書)の著者は、マツタケの栽培を研究していたこともあるという、菌類の専門家。キノコは「木の子」、つまり植物の一種だと誤解している人が多くいるというが、キノコは菌類・カビの一種で、動物でも植物でもない。光合成もしない。菌類の体は太さ数ミクロンという、細くて長い糸のような菌糸でできている。菌糸は、土や落ち葉、木の中に潜り込み、縦横無尽に枝分かれしながら栄養をとって成長していく。ふだん私たちが「キノコ」と呼んでいるのは、胞子を飛ばすために地上へ出てきた花芽、子実体(しじったい)という部分をさすらしい。
「マツタケ」で地味な研究に理解を
キノコには、落ち葉などを分解して栄養をとるものの他に、樹木との間で「菌根」という構造をつくって、お互いに共生関係をつくっているものがある。菌根菌のうち、よく知られているのが、マツに共生するマツタケだという。
著者が大学生のころ、菌類研究のなかでも菌根の研究は特にマイナーな分野だったが、「菌根共生の研究といっても世間に理解されないが、マツタケといえばわかってもらえる」と先生にそそのかされ、マツタケの研究も始めたという。
多くの人が夢見たマツタケの栽培は成功しなかったが、その過程で菌根菌やキノコの生態、森とキノコの関わりなど、研究の糸口をつかんだという。マツタケ栽培を別にすれば、動物でも植物でもないキノコは「まともに研究対象として取り上げられてこなかった」とこぼしている。キノコについての新書を、という構想は20年前からあったというが、本書はなぜ、「今」刊行されることになったのだろう。
野生キノコが放射性物質を吸い上げるという「常識」
今、キノコといえばなんと言っても注目されるのが、放射能汚染の影響だろう。キノコが土壌中の放射性物質や、重金属などをよく吸収するという性質をもつことは以前からよく知られていたのだという。
本書によれば、既に1960年代、米ソを始めとする核保有国が核実験を盛んに行っていたころから、旧西ドイツやオーストリアでは核実験による土壌や作物、家畜、食品などへの影響を調査し、公表していたという。そして1986年、チェルノブイリ事故が確認されると、各種のキノコを集めて放射線量を測定するという調査がヨーロッパ各国でただちに行われ、1987年以降、キノコへの集積についての調査報告が相次いだ。
当然ながら、福島第一原発事故による放射能汚染の影響もキノコに出ている。2011年9月、福島県が野生キノコを検査した結果、環境放射線量が毎時0.3マイクロシーベルトと、それほど高くない場所から採取されたキノコに、1キログラムあたり28000ベクレルという高濃度の放射性セシウムが検出されたと報道されている。
著者は放射能汚染地域に近い人へ向けて、「たいへん気の毒なことだが、かなりの期間、野生のキノコに手を出さないでもらいたい」と注意を呼びかけている。野生キノコを食べる小動物への影響も懸念されるが、まだ分かっていないという。
野生キノコ以外でも、栽培シイタケの原木や菌床が汚染地域から全国に流通した結果、シイタケから基準値を超えた放射性セシウムが検出された例が、各地で相次いで報告されている。「野菜に比べてキノコは放射性セシウムを高濃度に吸収する」というヨーロッパでは既に常識だったことが、事故直後に周知徹底されていれば、少なくとも汚染地域の原木や菌床の流通は禁止され、汚染されたキノコの流通も防げたはずではないかと素人の私でも考えるが、なぜそれができなかったのだろうか。
世界唯一の被爆国である日本では、放射能汚染に関して医学的な研究はすすんでいたが、ほかの生物や食品についての調査研究は不十分か、公表されていなかったと指摘する。「今にして思えば、この差は大きい」と著者は記している。
松原の再生に欠かせない菌のはたらき
著者がマツタケ栽培の研究をしていた時期、45年ほど前に海岸のマツ林にマツタケが出るという話を聞いて、宮城県名取市の閖上浜を訪れたことがあるという。閖上といえば、東日本大震災で、大津波によって壊滅的な被害を受けた場所である。当時、海岸沿いは見事なマツ林が広がり、近くの住民がマツ葉や枯れ枝を燃料にしていたので、林のなかは「ほうきではいたようにきれいだった」という。それが、70年代を過ぎる頃から、内陸から開発が進み、マツ林は住宅や農地に変わっていった。その上、防災林に指定されたためマツ林の手入れが禁じられてしまった。数十年の間に落ち葉が厚く積もり、キノコも少なくなっていた。「根は地表をはって深く入らず、砂を止める力も弱くなっていたのだろう」と指摘している。
また、震災の直前の2月には、岩手県の陸前高田市の高田松原を訪れ、弱っている老齢木の回復作業を始めていたところだったという。高田松原では「希望の一本松」で有名になった1本を残して、7万本のマツがすべて根こそぎ流されてしまった。閖上と陸前高田で、マツ林の再生のために、地元の人々とともに植林の準備を始めているそうだ。
失われたマツを再び植えて、防災効果を発揮するのは数十年先のこと、元のように美しい姿に戻るのは100年はかかるという。そして、災害に強いマツ林にするには、できるだけ小さな苗を植えて、菌根を保ち続け自力で根を張るようにすることが重要だとしている。
大きなものを植えたら見た目はいいだろうが、すぐに枯れるだろう、と著者は断言する。砂浜のように栄養分が少ない場所でも根がしっかりと育つために不可欠な、樹木と共生する「菌根菌」のはたらきについて、特に詳しく解説している。
キノコからの便り
衰弱が進んだ林で、キノコが大発生する例が増えているという。樹木と共生する菌根菌は、相手から受け取る栄養が乏しくなるとそれを察知して、胞子を飛ばすための子実体、つまりキノコを大量生産しているのではないか、と考えられている。キノコがたくさん出る、というのは生命の危機が迫っているしるしなのではと著者は言う。
自然破壊が進み、環境汚染が広がり、気候変動が激しい現代、大きな変化に対応するには、菌類、キノコのことをもっと知っておく必要があるのではないか、人の目に触れにくいというだけで、菌類の力は過小評価されているのではないかと、著者は「日陰者のキノコに成り代わり」キノコの重要性をうったえている。環境の異変をいち早く察知してキノコが出すメッセージを、わたしたちは正しく受け止めることができるだろうか。
キノコの専門家だというと、「これは食べられますか」という質問ばかりされるという。著者は、「食べたことのないモノはわからない」と、はっきり答えるそうだ。古今東西、人体実験によって人々は食べられるキノコとそうでないキノコを見分け、伝えてきた。どれほど多くの犠牲があっただろう。さまざまな毒キノコの見分け方や毒消しの方法が伝えられてきたというが、そのほとんどは根拠がなく、あてにならないらしい。
これだけ知識が普及しても、キノコ中毒は後を絶たない。いかにも毒々しい色で食べられるキノコもあり、いかにもおいしそうに見えて猛毒のキノコもある。また、キノコの毒に対する感受性は人によって個体差も大きい。毒かどうかの判別に関する限り、「ルールのないのが唯一のルール」だという。
目に見える部分だけがきのこじゃない
もう一冊、別の視点からキノコ本を紹介したい。『きのこの話』(新井文彦著、ちくまプリマー新書)は、主に北海道の阿寒湖周辺で「きのこや粘菌の写真を撮ること」が仕事のひとつという著者によるきのこの写真集。きのこ(著者はこう表記している)や粘菌の専門家ではないのだが、やはり「これは食べられますか」とよく聞かれるそうだ。「わかりません」と正直に答えることが多い、という。
本書には絵本に出てきそうな、カラフルでかわいらしい「きのこらしいきのこ」から、「これもきのこ?」というような不思議な形のものまで、魅力的な写真とエッセイで構成されている。
「多くの人がきのこの「花」にあたる子実体をきのこだと認識しているが、実はその子実体の下の土の中に、きのこの本体である菌糸が縦横無尽に伸びている。地中ではたくさんのきのこと、たくさんの木々が菌根を通じて関わりあって共に生きている」と、目に見えない部分も想像しながら、きのこ観察を楽しんでいる。
森ときのこの幻想的な写真を見ていると、「都会から離れて癒やされたい」という理由で森へ行きたくなる人も多いだろう。著者は写真撮影のほかにも、夏から秋にかけてはネイチャーガイドとして森に入るというが、森は美しいだけ、気持ちいいだけではありませんよ、とやんわりクギを刺している。
北海道でも夏の森はものすごく暑く、びっくりするぐらい大きい虫もたくさんいる。スズメバチやクマに襲われる危険もあるそうだ。それでも「きのこだけでなく、森の雰囲気を一緒に楽しみたいものです」と、きのこを見に森にでかけてほしい、と誘っている。
2冊を読んでいるうちに、キノコといえば、食材、それもスーパーの野菜売り場にある、土もほとんどついていない清潔なキノコだけしか知らないのはもったいないような気がしてくる。森まで出かけなくても、ちょっと視線を低くしてみれば、すぐ近くでもキノコは見つかるかもしれない。目に見えるキノコの下に隠れた、目には見えない菌のパワーを想像してみたい。
(湯原 葉子)
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