戦時中の大統領が「ヒロシマ」へ
広島で初の開催となったG7サミットは、ロシアとの戦争真っ只中のウクライナのゼレンスキー大統領が急遽合流したことで、世界的に大きな注目を集めた。今まさに核兵器の脅威に直面する大統領が、被爆地から世界にメッセージを発信する、そのインパクトはかなり大きかったに違いない。
広島でのサミット開催は、被爆地選出の岸田首相が、就任当初からこだわってきたことだという。地元出身というだけではなく、世界情勢が不安定な中、日本が「核軍縮・不拡散」に向けた強いメッセージを発信するためには、広島という舞台装置が欠かせないものだったのだろう。
招待された各国首脳らが、慰霊碑の花輪の前で一列に並んだ写真がとりわけ印象に残った。全世界に発信するため、また後世に残すための写真として、構図など周到に準備されたことが感じられた。
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原爆資料館、外国人客が増加 G7で注目度アップ
先進7ヵ国首脳会議(G7広島サミット)の開催地、広島市には戦争や原爆投下による悲惨な歴史を学ぼうと訪れる外国人観光客の増加が顕著だ。広島平和記念資料館(原爆資料館)の先月の来館者のうち外国人は過半数を占めた。G7首脳らが平和記念公園で献花をする姿が世界に発信され、平和都市としての注目度が今後さらに高まりそうだ。
産経新聞 web版2023/5/21更新版より
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G7サミット首脳は初日の5月19日に、ゼレンスキー大統領は22日に、広島平和記念資料館を訪問した。「原爆資料館」と呼ばれているように、資料館は、原爆の被害を記録し、後世に伝えていくため、被爆資料や遺品を多数展示し、保存している。今回の訪問では、原爆資料館の見学の様子は非公開となっている。核保有国である米・英・仏の立場では、「非公開での訪問」が最大の譲歩といったところだろうか。
原爆被害の悲惨さを伝えるだけでなく、そこから「核兵器の廃絶」へというメッセージにどう結びつけていくかは難しい。原爆投下がどういう意味を持つか、アメリカと日本では当然ながら見解が大きく異なるからだ。被爆75年を経た現代、資料館に求められる役割とは何か。
『広島平和記念資料館は問いかける』(志賀賢治著、岩波新書、2020年12月刊)は、資料館の志賀前館長が、館長職を退いた後に、資料館のこれまでの歩みと未来について記したものである。志賀氏は、2016年オバマ大統領が、当時現職のアメリカ大統領として初めて広島を訪問した際に館長として応対している。
残されていない「資料館」自体の資料
資料館は、原爆投下75年の節目を前にした2019年、開館以来の大規模な展示更新を終えている。本書では、開館以降、数回にわたる展示更新について、時代の変化に伴い、記憶をどのようにとどめておきべきか、「わかりやすい」展示とは何かなど、模索してきた様子も振り返る。
開館間もない頃、一時的にではあるが、「原子力平和利用博覧会」という全く別の用途に転用されていたとことや、あまりに悲惨な展示で被爆体験者や遺族から「近寄り難い」という声が多く、移転の話も出ていたことなどを語る。
意外なことに、「資料館自体の歴史」を紐解く作業は、新聞報道に頼るなど文字通りの手探りだったという。なぜなら、「原爆投下のあの日」を記録し、記憶すべき資料館でありながら、資料館自体の変遷を辿るための歴史的な記録・文書・資料がほとんど残されていなかったからだという。「(資料館の関係者は)自分たちが歴史と向き合っているという認識が希薄だったのではないだろうか」と厳しい目で振り返る。
G7効果で、広島を訪れる外国人観光客はぐっと増えることが期待される。世界各国から訪れる外国人観光客に、「ヒロシマ」をその目で見て、感じてもらうためにどのような工夫が必要か、次世代を含めた幅広い年齢層に「伝わる/届く」展示とはどんなものなのか、資料館の使命と課題を考える続けることも、「平和への取り組み」の大切な一歩となるだろう。
(編集部 湯原葉子)