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第142回 『スポーツビジネス15兆円時代の到来』

「風」編集部

NEW 19/09/30

日本のスポーツ これまでとこれから

 ラグビーワールドカップ日本大会が開幕した。開会式直後に行われたロシア戦に続きアイルランド戦も勝利し、日本代表チームもサポーターも、「決勝進出へ」と勢いづいている。今大会の試合会場は、メインとなる東京スタジアムだけではなく、北海道から九州まで、全国12の開催都市が選ばれた。
 そのうち東北地方で唯一選ばれたのが、東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた岩手県釜石市である。もちろん、ラグビーファンでなくても、「釜石」といえば、かつて新日鉄釜石という名門チームが活躍していた「ラグビーの街」であることはよく知っているだろう。その釜石の地に、復興のシンボルとして「釜石鵜住居復興スタジアム」が新設された。9月25日、ウルグアイ対フィジ ー 戦が行われた釜石には、1万人を超える観衆が世界中から集まり、大歓声が響いた。8年前には、とても想像できなかった光景だ。
 ラグビーワールドカップの次には、2020年の東京オリンピック・パラリンピック、2021年に関西全域で開かれる「ワールドマスターズゲームズ」(世界最大の参加型スポーツイベント)と、世界最大規模のスポーツの巨大イベントが3年連続日本で開催される。
 スポーツの国際大会が行われるとさまざまな経済効果を生む。『スポーツビジネス15兆円時代の到来 』(森 貴信著、平凡社新書)は、「スポーツはビジネスとして成り立つのかどうか」「スポーツ業界の市場規模はどれくらいなのか」「将来性はあるのか」という、日本ではこれまであまり正面から語られてこなかった側面に切り込んでいく。

スポーツ産業は国が認める成長産業に

 これから人口減少に向かう日本の産業のうちほとんどは確実に縮小していく運命にあると見られるが、唯一スポーツ業界だけは「有望」と、本書の著者は予見している。社会が成熟し、「モノ消費からコト消費」といわれるように、商品を所有することで欲求を満たすよりも、旅行やレジャーなど思い出や体験を楽しむ方向に、消費者の関心が集まってきている。この「コト消費」のなかでも有望なスポーツビジネスに、スポーツ関連産業だけではなく、政府が主導して、国家プロジェクトといえる規模で力を入れようとしているという。
 スポーツ産業はいま、「ビッグデータ」「AI」とならび、成長産業だと国が認定している。その裏付けとなるのが、政府が2016年にまとめた『日本再興戦略改訂2016 第4次産業革命に向けて』だという。その中には戦後最大となる「名目GDP600兆円」の実現をめざすという壮大な目標に加え、スポーツ市場の規模を5.5兆円(2015年)から15兆円(2025年)に、という具体的な数値目標が掲げられている。本書のタイトル「15兆円」はこの数値目標から導かれたものだ。

これまでの日本のスポーツとお金

 日本はさまざまなスポーツが盛んだが、これまでの歴史を振り返ると、スポーツの大部分を支えてきたのが、「体育」「ボランティア」「アマチュアリズム」である、と著者は指摘している。
 日本では、スポーツを「文部科学省」が管轄し、その原点は産業というよりも学校教育という側面が強かった。戦前を振り返ると、心身ともに健康な兵隊予備軍を育成するための「体育」が、日本のスポーツの基礎となってきた。その延長線上にある学校の「体育」では、もともとのスポーツの語義の由来でもある「楽しみ」「遊び」といった概念が根付かず、理解されにくい原因となっている。
 そのうえ、「教育的」側面を重視してきたため、ビジネス、つまり「お金を稼ぐということは悪いこと」という前提が無意識のうちに、日本の国民全体に浸透してきてしまった。そのためか、プロ野球選手でさえ、「お金の話は避けたい」という態度をとる人が多いという。
「お金目当てにスポーツをするべきではない」「お金の話は汚い(から人前ですべきではない)」という教育、思い込みをまず払拭することが、スポーツの産業化を考える際にまず必要ではないか、とうったえる。

日本のアマチュアスポーツの構造的限界

 著者は、スポーツの産業化がまだうまくいっていない理由のもう一つに、学校の部活動や地域スポーツが抱える課題についても指摘する。日本の部活動の指導者は学校の先生であり、一部の人を除けば、その種目に関しては素人である。学校の部活動は課外活動のため、指導に関しての報酬はほとんどない。休日に大会や試合の引率もボランティアであり、報酬が発生することはほぼない。小中学生を対象とした地域の野球チームやサッカーチームでも、監督やコーチは「選手の親」たちが務めるなど、無報酬の場合がたいへん多い。学校の部活動でも、地域のスポーツチームでも、ボランティア精神やアマチュアリズムが重要視され、そのような精神がなければ、日本のスポーツは成り立たなかったことは事実だという。
 しかし、学校の先生たちの働き方が過酷で「ブラックだ」と明らかになり、教員のなり手が激減してきている中、これまでのような「無報酬による部活動の指導」「専門ではない競技を指導しなくてはいけない負担」をボランティア精神だけで求めるには限界がある。選手の立場からしても、専門的知識の裏付けがない「素人」から、高圧的な指導を受け続けることは、たとえ無料でもデメリットでしかない。
 国として「スポーツの産業化(プロフェッショナリズム)」に大きく方向転換をするということは、これまで日本の多くのスポーツ愛好家が当たり前のように受け入れていた「体育としてのスポーツ(アマチュアリズム)」を手放すということでもある。アスリートを含め、さまざまな業界の人が「スポーツで堂々と稼げるようになる」ということは、これまで無償で行われていた指導、無償で得られていた感動に、きちんと対価を払うということでもある。
 スポーツビジネスの話題となると、ワールドカップで観光客は呼べるか、オリンピックは儲かるのかどうかというようなレベルになりがちだが、本書では、もう少し成熟した日本社会の未来を考えている。

(編集部 湯原葉子)

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