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第111回 『フランスはどう少子化を克服したか』

「風」編集部

NEW 17/02/28

「#保育園落ちた2017」

 昨年2月、新年度からの子どもの預け先が見つからない母親たちの叫び「保育園落ちた日本死ね!!!」が話題になり、国会でも取り上げられた件は本欄でも紹介した。(第101回 『「子育て」という政治』『ルポ 保育崩壊』
 子どもの預け先を確保するためには、早いうちから情報収集を始め、希望する保育園への見学や役所への問い合わせ等の対策をとる、いわゆる「保活」をすることは、特に競争率の高い都市部の親たちの間ではもはや常識となっている。そうした「保活」の結果は、毎年1月末から2月にかけて各家庭に知らされる。今年「保育園に落ちた」親たちは、仕事を続けられるか、生活はどうなるかという不安の声が少しでも世間に届くよう「#保育園落ちた2017」などのハッシュタグをつけてツイッターに投稿している。
 共働き家庭やひとり親家庭が増え、ニーズは増える一方だが、保育園の増設はそれに追いつかないうえ、保育士不足もあり「保育園落ちた」という声は、昨年よりさらに大きくなっているのではないかと感じる。女性が子どもを産み、子育てをしながら仕事を続ける、ということのハードルが、年々高くなり続けている気がするのはなぜなのだろうか。
フランスはどう少子化を克服したか』(高崎順子著、新潮新書)は、少子化の危機を脱した数少ない先進国、フランスの子育て事情について、パリ郊外で二人の子どもを育てるライターによるレポートである。妊娠・出産の現状、保育事情、父親や周囲のサポートなど、育児にまつわる「フランス式」のさまざまな工夫や制度の背景もふまえ、国や社会全体で子育てを援助しようという姿勢を紹介している。
 本書は、フランス人の夫をもつ著者の周りの「生の声」を中心に拾って現状を報告しているため、ここで紹介されている事例は階級社会・多文化社会であるフランスのすべてではない、と断りを入れているが、基本的にはフランスに正式に居住していれば受けられるものだという。

妊娠・出産に対する医療ケアをどう考えるか

 まず、出産のスタートからして日仏の環境は違う。日本では「妊娠は病気ではない」とみなすため通常健康保険が使えず、自治体などから各種の補助があっても、毎月の妊婦検診から出産までまずは自己負担する必要がある。一方、妊婦を社会的に一種の弱者、リスクを負った存在とみるフランスでは、「妊婦は医療費ゼロ負担」が基本。妊婦健診、分娩、出産前後の入院など、すべて無料の医療ケアを受けることができる。
 さらに「母親の精神的、肉体的消耗をなるべくさけるべき」と考え、麻酔により出産時の痛みを和らげる「無痛分娩」で出産する人が80%を超え、麻酔費用も出産費用と同様に出産支援の一環として考えられ無償だ。一方、「お腹を痛めて我が子を産む」ことが母親になるための「通過儀礼」とみなされ、麻酔を使ったお産に対する容認度・認知度が低いままの日本では、無痛分娩を選択する人は、全体の3%にも満たないと言われている。

3歳から「学校」に入るフランスの子どもたち

 そして、フランス式の育児制度で日本と大きく異なるのは、義務教育に先だち、3歳から5歳児のほぼ全員が入る「学校」がある、という点だろう。教育費は無料、週4日24時間をすごす「保育学校」に、3歳になれば必ず入ることができる。フランスでも、0歳児から3歳未満児が「保育園」に入れる子どもの数は限られている。フランスでは「保育園」に入らなかった場合、資格を持った「母親アシスタント」が自宅で数名の子どもを預かる少人数保育という選択肢があり、保育園よりも多数派になっているという。3歳になれば学校があり、「母親アシスタント」など受け皿も十分ある。こうしたことからフランスでは保育園に「落ちた」としても、親たちが悲観的になる事は少ないのだという。
 保育園に入ったあとの生活も違いがある。著者の子どもが保育学校に入るまで通っていたフランスの保育園は、保護者の負担になるような行事への参加はほとんどなく、毎日ほぼ手ぶらで通っていたという。食事の際のエプロン・タオル・コップ類は園で支給されたものを使い、園でまとめて洗い、管理される。オムツも園で支給されるため品質も選べないが、手間はかからない。洋服を着替えるときはひどく汚したときのみ、ビニール袋に入れて返される。子どもの昼寝時間、排泄、食事についての日誌はあくまで園内用に記録するのみ。保護者の参加が必須となる行事もほとんどなく、保育スタッフの限られた労働時間を滞りなく子どもの世話にあてられるよう工夫されている。
 著者の友人談として比較される日本の保育園の毎日の仕度は、年齢にもよるが、私の経験上からみても一般的なものだと思う。着替え(上・下)、食事の際のエプロン・タオル・コップ類、暑い時期にはシャワー用のタオルなど、オムツが必要な場合は記名して持参。ひどく汚したときはもちろん、とくに汚れていなくても着替える決まりなので、毎日数セットの洋服を持ち帰る。昼寝用の布団やシーツは定期的にそれぞれの親が交換、洗濯するのも一般的。例えば、週末帰る際にシーツを外し、月曜の朝出勤前、洗ったものをセットしに行くのである。
 さまざまな事情から「使用済み」オムツの持ち帰りをルールにしている園もあるという話をフランス人にすると、皆「絶句」したと本書にある。私自身も、「保育園の使用済みオムツ持ち帰り」をさせられるのは耐えられないので、今すぐにでも改善すべきだと思うが、そうした不満をうったえる声はあまり聞いたことがない。保育園に入るために大変な思いをしてきたので、オムツが外れるまでの数年間は仕方ない、と我慢してしまうのかもしれない。

「日本式」の手厚さを手放せるか

 親の負担が大きいのだから、保育士の負担は軽くなっているのかというと、そうではなく、毎日の様子を親に知らせるための連絡帳を休憩時間に書いたり、行事の準備でサービス残業続き、という話はよく聞く。
 子どもそれぞれがお気に入りのコップを使い、親が選んだオムツを使う。ひどく汚れていなくても常に清潔に、と一日数回の着替え。年間を通じてイベント・行事が目白押し。きめ細かな保育というと聞こえがよいが、その結果、保育者も親たちも疲弊している。一方で、保育園に入れなかった場合の受け皿として、違法ギリギリの保育施設に頼らざるを得ない人も多く、そうした施設の劣悪な環境により起きる保育事故もなくならない。このアンバランスは何なのだろう。
 本書を読むと、決して「フランス式」を礼讃するわけではないが、消費者に対する「日本式」の過剰(とはわれわれは思っていないが)品質、手厚すぎる対応が、保育に限らずあらゆる場所で破綻を起こし始め、サービスの担い手不足を招いているのではと考えさせられる。より多くの子どもに、最低限定められた環境での保育を提供するためには、これまでのサービスを「過剰」なものとして、親たちもそれらを手放す必要があるのではないか。
 子どもを産み、育てるのは損。そう親たちに感じさせないよう、社会がさまざまな手をさしのべる。親にすべてを期待せず、合理的にできるところは合理化する。「きめ細かい」サービスに慣れた日本人が、そうした工夫を選択できるか。さまざまな分野でも同じ事が問われ始めている。

(編集部 湯原葉子)

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