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第117回 『安楽死で死なせて下さい』『〈ひとり死〉時代のお葬式とお墓』

「風」編集部

NEW 17/08/31

『安楽死で死なせて下さい』
(橋田壽賀子著、文春新書)

 死に方とその時期くらい自分で選びたい。日本でも、人生の一つの選択肢として「安楽死」が認められるように、法律を作ってもらえないだろうか。「渡る世間は鬼ばかり」や「おしん」など、数々のテレビ作品を生んだ脚本家の橋田壽賀子氏は、こうした思いを雑誌『文藝春秋』2016年12月号に寄稿した。「私は安楽死で逝きたい」という衝撃的なタイトルの記事には非常に多くの反響が寄せられ、その雑誌の1年間に載った記事のなかから読者投票で選ばれる賞を受賞するほどだったという。

「私は安楽死で逝きたい」の本心

 雑誌記事をもとに今月刊行された『安楽死で死なせて下さい』(橋田壽賀子著、文春新書)は、92歳を過ぎた橋田氏が、これまでの人生を振り返り、自分の人生の締めくくりについての理想を語っている。死がすぐ目の前にあり「命はお国のもの」だったという戦争体験を乗り越えた世代ならではの死生観も語られる。
 橋田氏は、認知症で何も分からなくなったら、あるいは意識がしっかりしていても身体が動かなくなっていたら、身の回りのことが何もできなくなって迷惑をかけるなら、そうなる前に「死なせてほしい」と思っているという。
 自身の夫を30年以上前にがんで亡くし、多くの友人の死を見届けてきた。治る見込みもない命を薬で生かし続けることがその人の尊厳を守ることにならず、本人も望んでいないときには、「上手に死なせる医療があるべき」ではないか、という持論をうったえる。
 法律では定められていないが、延命治療を拒否することで死期を早める、いわゆる「尊厳死」は日本でも認められている。しかし、認知症になった場合は、「人に迷惑をかける前に死にたいと思ったら、安楽死しかないのでは」と思い、あくまで「自分はこうしてほしい」という希望を記事に書いただけ。それが同じような希望を持っている人が予想以上に多かったことで、大きな反響を呼んだのではないか、としている。
 雑誌記事への反響の中には、安楽死の合法化は「役に立たない人間は死ぬべきだ」という考え方につながるのではないか。また、自殺を推奨することになりはしないか、という懸念や反対の声もあったという。橋田氏はこうした声に丁寧に答えていく。
 橋田氏は自身が「スマホで調べた」こととして、スイスやオランダなど安楽死が合法化されている国の例をあげ(厳密には、安楽死ではなく、自殺幇助が合法化されている例も多い)、それによると悪用されないように厳重に審査をする仕組みを作ることが最も重要であり、最終判断を下す医師や弁護士に対する教育も必要だということがわかる。安楽死と自殺についての違いについてもふれている。最終的な実行までには厳密な審査が必要となり、安楽死といっても「死にたい」と言っている人をただ死なせるというわけではないということを細かく説明している。

死ぬまでは元気でいたい

 実際、橋田氏は「もし病気になったらベッドに縛り付けられて生き続けたくはない」「認知症になってしまったら安楽死させてほしい」と言っているが、今の生活を投げ出したいわけではない。人間ドックを年に一度受け、定期的に医師の診察も受けて毎日十種類以上の薬も飲んでいる。「健康のために肉を食べなさい」という医師のアドバイスを守り毎日200グラムもの肉を食べ、専門家のサポートを受けながら日々の運動も欠かさない。自分の「死」をきちんと見つめているからこそ、生きている間は元気でいたいという欲があり、彼女ならではのバイタリティを感じる。
 すでに数十年前に夫を見送った橋田氏は、子どもももたず、身寄りはないという。遺産はすべて自ら理事長を務める「橋田文化財団」に託すことを遺言で示してある。「自分が死んでも葬式も偲ぶ会もしてほしくない。どうせ義理で来る人ばかりの葬式に自分のお金を使いたくない」とも書いている。一見、「渡鬼」の登場人物の辛辣なセリフのようにも聞こえるが、なかなか言えない本音をついているのではないだろうか。
 橋田氏のように、家族をもたず、自分で稼いで自分のために使えるお金を十分にもち、「生きている間はこうありたい」と「死んだらこうしてほしい」ということをはっきり決めて周囲に知らせることができる人は、相当恵まれているのではないだろうか。多くの(普通の)人が「死んだらこうしてほしい」で悩むのは、当然お金にまつわる問題であり、世間体も無視できない、家族も説得しなくてはいけない、さまざまなことを自分ひとりでは「決められない」という問題だからだ。

死後を誰に託すかを決めておきたい

 橋田氏は、スイスで外国人が合法的に安楽死(厳密には自殺幇助)ができる団体について、その方法から費用までかなり具体的に調べている。このような「最期は自分で決めたい」というのが究極の理想だとしても、金銭的なことをはじめとして一般の人にはまねできないことは多い。多くの人が実際に参考にできそうなのは、下記の一冊になるだろう。
〈ひとり死〉時代のお葬式とお墓』(小谷みどり著、岩波新書)は、死後のことを誰に託すかを考えなければいけなくなった世代のための一冊であり、もちろん、それに続くすべての世代のための本でもある。
 死ぬまでの時間をどう過ごすか、お葬式はどうするか、お墓はどうするか。本人たちに選択の余地がなかったこうしたことについて「選べる」時代になり、「自分で決める」ことも増えてきた。
 これまで長いあいだ、「死んだらどうするか」について死んでいく本人が考えるという発想は1990年代頃まではほとんどなかった。人間の終末期から死後までの手続き、つまり葬式や墓の問題は、残された家族や子孫が考え、担うべき問題とされていた。しかし、「家族の形や住まい方が多様化し、家族や子孫だけでは担えない状況が生まれている」と著者は指摘する。「子どもに迷惑をかけたくない」と考える親と、そういう親に育てられた人たちが増えているし、そもそも頼るべき家族がいない、という人もこれから増え続けることが分かっている。
 葬式のかたちでいえば、親族一同、地域の人たちが総出で葬儀一切を手伝う時代は過去のものになった。職場の人が手伝う風習も減って来ており、民間のサービスに頼らざるを得ず、当然費用はかかる。
 自分の死後について「家族や周囲に負担をかけたくない」というのはわかるが、負担をかけず、一方でお金もかけない、というのは現実的ではない、と著者は指摘する。どんな葬式やお墓にしたいかを考えておくことは重要かもしれないが、それを確認できる人はいない。
 家族に限らず、この人なら、自分の死後を託せるという人との信頼関係を作っておく。死後を託せる誰かがいるという安心感が、老いや死への不安をやわらげてくれるのではないか、と著者は信じているという。
 自分の「死」を見つめることで、生きている間はできるだけ元気でいたい。橋田氏のように、そう言い切ることができる人はそれほど多くないだろうが、「安楽死」という選択肢について、議論を始めることも必要かもしれない。

(編集部 湯原葉子)

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