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新書の「時の人」にきく
01 イラク問題をどうとらえたらよいか。
アジア経済研究所 酒井 啓子
イラクについての数少ない専門家の立場から、メディアを通してイラクの置かれた現状を解説する一方、『イラクとアメリカ』(岩波新書)などの著書でイラクという国家とイラク人の視点を尊重し、発言する酒井さんに今日のイラク問題のとらえかたをきいてみた。

きき手 編集部・川井 龍介

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1.少ない現地からの言葉、イラクの言論界の情報
2.国際社会がフセイン体制を強固にしてきた矛盾
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少ない現地からの言葉、イラクの言論界の情報
――
いまイラクについて、さまざまな情報が伝えられていますが、その内容のとらえ方で注意すべき点はありますか。
酒井
 自衛隊の活動をはじめいろいろ情報が入ってきていますが、テレビについていえば、映像に引きずられているところがあります。一方、活字での情報の処理が遅れているようです。どうしても報道は聞き書きや映像で語らせている。しかし、現地で発行されている新聞もあり、そこからの情報もたくさんあります。その意味で、現地での言論界がどうなっているのか、という情報が少ない気がします。
――
インターネットなど現地からの英語の情報はたくさんあるのでしょうか。
酒井
『サラーム・パックス バグダッドからの日記』(注1)という本が昨年の終わりに翻訳で出版されました。そこで私が解説を書きました。これは、イラク戦争前から一年間ほどのイラク人の日記を公開したものです。戦前では大変珍しい、検閲の網をくぐり抜けて発信したものです。本という形では貴重なものです。サラーム・パックスという仮名で20代後半の男性が発信した日記がもとになっています。
――
イラク人の生活をとらえた情報も断片的には入ってきていますが、いったい社会全体がどうなっているのかというと、判断しにくい点があります。
酒井
 日本人の反応のなかで多いのは、「実態が見えない」という意見です。メディアを通してみると、路上生活者がいる一方で、インターネットを駆使した人々や海外から車を輸入したりしている人もいる。部族的な社会が紹介されるかと思えば、近代的な個人の生活の様子も知らされる。
 つまり、なんでもありの世界であり、部族が台頭していることも事実だし、都市部における市民社会の成立もすすんでいる。そういった流れが、とりわけイラク戦争後、全部噴出している。どれが主流というのがわからないというのが現実でしょう。
 とりわけ大きな台頭を示しているのが部族のネットワークだったり、宗教的なネットワークだったりする。でも、それが特質として消しがたいものとして浮かび上がってきたのかというとそうでなく、中央の行政機構が崩壊しているから、それを代替するものが必要となって部族や宗教を使わざるを得ないということではないでしょうか。
――
イラクにおける部族社会の役割というものは、どういったものでしょうか。社会を統治、安定させる役割があるのでしょうか。
酒井
 部族集団というのが、近代国家の確立以前には、唯一の軍事集団で住民を庇護するという役割があった。しかし、地域の自警団的なものがそがれて中央統合の軍、警察が治安を維持してきた。それがイラク戦争で解体されたので、地域の部族的な力に頼らざるを得ない。フセイン政権末期、特に湾岸戦争以降は強大な軍事力を持ち得なくなり、地方を統括できなくなってしまった。それゆえ地方は部族の力に、より一層依存したという形になったのでしょう。
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2
国際社会がフセイン体制を強固にしてきた矛盾
――
もし、アメリカが戦争をしかけなかったら、フセイン政権をかえること、倒すことはできなかったでしょうか。ほかに方法はなかったのでしょうか。
酒井
 それは、国際社会がどういう手段をとったかによるでしょう。戦争という手段をとらなくても、そのほかに何もしない、経済制裁をしない、ということではフセイン政権が倒れることはなかったと思います。ただ、国連による「オイル・フォー・フード」(食料輸入の目的に限って石油の輸出を認める)などがはじまる前の段階で反政府的な動きがあったときに、アメリカなどが後方支援をすればイラク国内での政権転覆はありえたでしょう。
 逆に、国連の経済制裁でもアメリカの動きでも結果的には、フセイン政権を助けてきたわけです。その辺はとてもむずかしいですね。途中まではむしろ国際社会がフセイン政権を強固にしてきたのですから。
――
第二次大戦では、日本は戦後官僚機構が残存して統治の要になったと思いますが、今回の戦後処理については、酒井さんご自身どんな方法をとるべきか、あるいはとるべきだったと思いますか。
酒井
 イラク人自身がどういうことを望んでいるのかわからないですが、戦後の処置でこれだけはすべきではなかったというのは、バアス党を解体したことです。彼らが行政の中枢からパージされてしまった。また、軍を解体するにしても慎重なやり方で再編すべきだったのが、かなりざっくりした形で旧体制を排除したのはマイナスでした。
 これまでイラクは社会主義的な経済構造だったのが、復興する前にその構造自体を変えようという、民営化改革にいっきに乗り出してしまった。それゆえ経済復興のプライオリティーで混乱してしまった。また、イスラム系のさまざまな勢力の自治能力に対してアメリカは信頼を置いていなかった。自発的に選ばれた知事などに対して抑制するような態度をとってしまった。ベターな方法はあったと思います。
――
日本とイラクとのつきあい方ですが、酒井さんは、もっとビジネスの世界でつきあっていけばいいと言われてますね。
酒井
 基本は民間主導でやるべきでしょう。これまでも日本とイラクとの関係は民間以外にはほとんどなかった。政府のODAも一時期ついていましたが、70年代初めにつけたものが未だに3分の2も残っているという。まして、政府が対イラク関係を主導していったということはありませんから。
――
日本政府はイラク問題への対応に関して、もっと酒井さんのような研究者からアドバイスを求めた方がいいという意見もあります。
酒井
 私ども研究者も政治に入れば、アメリカにおけるCIAと同じになります。退官して外にいる人は、専門家として発言できますが。だから不用意に学者を政策提言のなかにいれるべきだというのは問題でしょう。
 アメリカの問題は独自の学者が、中立の学者がいない。アメリカ人の学者でイラクの研究を専門としているのは一人か二人です。アメリカは調査能力はありますが、研究能力はあまりありません。例えば、英語で出されているこの種の研究書は、イギリス在住の学者からのものです。アメリカの中東研究は、どちらかというと湾岸は薄いんじゃないかと思います。
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PROFILE

酒井 啓子

アジア経済研究所参事
専門は、イラク政治研究

1982年 東京大学教養学部卒業、アジア経済研究所入所 イギリス ダーラム大学(中東イスラームセンター研究)修士
在イラク日本国大使館専門調査員、在カイロ海外調査員(カイロ・アメリカン大学)などを経て現職。
主な著作:
『イラクとアメリカ』
2003年アジア太平洋大賞
受賞 (岩波新書)
イラク戦争と占領 イラクとアメリカ
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(注1)

フセイン体制、アメリカの占領、どちらへも嫌悪を示し、戦時下、占領下で暮らす若者の生の声がつづられている。

サラーム・パックス バグダッドからの日記
『サラーム・パックス』
サラーム・パックス著
谷崎ケイ訳、酒井啓子解説
ソニ・ーマガジンズ

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