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新刊月並み寸評

毎月、約100冊もの新刊が登場する「新書」の世界。「教養」を中心に、「実用」、「娯楽」と、分野もさまざまなら、扱うテーマも学術的なものからジャーナリスティックなものまで多種多彩。時代の鏡ともいえる新刊新書を月ごとに概観し、その傾向と特徴をお伝えする。

2022年4月刊行から 編集部

NEW

2022/05/15

半世紀後の沖縄と本土

 政府と沖縄県が共同で開催する本土復帰50周年の記念式典が、5月15日、沖縄と東京の二つの会場で同時に開催された。50年前も、政府主催の記念式典は沖縄と東京での両会場での開催だったという。

「米留組」と沖縄/米軍統治下のアメリカ留学』(山里絹子著、集英社新書)のタイトル、「米留組」とは、米軍統治下の沖縄で、米国陸軍による留学制度によってアメリカ留学(米留)した「若者たち」のことを指す。熾烈な沖縄戦を生き延びた若者たちが、どのような思いでアメリカ留学を志したのか。留学中・留学後の生活はどのようなものだったのか。「米留二世」である著者は、自身の父親を含め40人近くの米留経験者への聞き取りを行ない、沖縄とアメリカの狭間に置かれた複雑な心境などを記録として残す取り組みを続けてきた。
 アメリカ陸軍省は、政府の軍事予算を用いて、沖縄の若者を対象にしてアメリカの大学で学ぶための奨学制度を実施していた。この奨学制度は1949年に始まり、1970年代まで1000人あまりの学生を送り出している。元沖縄県知事の大田昌秀氏も「米留」第六期生だった。
 当事者の証言のほか、アメリカ公文書館でも第一次史料を調査し、留学生の選抜方法や思想調査の実態、親米的指導者の養成を図った冷戦時代のアメリカの思惑を読み解いていく。

 沖縄返還にまつわる「通説」を検証し、半世紀後の「答え合わせ」を試みる、というのが『沖縄50年の憂鬱/新検証・対米返還交渉』(河原仁志著、光文社新書)である。通信社の記者出身である著者は、ここ数年相次いで解禁された日米の公文書を含めたさまざまな記録や証言を丹念に調べ、これまで「常識」とされていたものとは異なる、返還交渉の経緯や本土復帰の背景を探る。
「早期返還」を果たしたい佐藤栄作首相の思いを逆手に取った米政権は、さまざまな要求をふっかけ、最終的には日本側が大幅に譲歩する形となっていった。沖縄に「集約」され米軍の存在が不可視化されたことで、本土の世論は「日米同盟」を次第に支持するようになる。著者は、この返還交渉に、今日の「対米従属」「日米同盟」の原点がある、としている。
 米国との返還交渉では、「唯一の被爆国である日本人の核に対する特殊な感情」という文言がたびたび登場し、「核抜き」の重要性を強く主張している。一方で、「唯一の地上戦を経験した沖縄の人々の特殊な感情」について、当時の政権や外務省が言及した形跡はなかったという。地上戦で県民の4分の1が戦死し、戦争にひときわ敏感な地に基地を置き続けることを歴代政権が容認し続けてきた。半世紀を経ても依然として変わらない、沖縄に対するこの国の姿勢を再認識させられる。

辺野古入門』(熊本博之著、ちくま新書)は、20年にわたり「よそ者」としての視点から現地でフィールドワークを続けた社会学者による入門書。1996年4月から現在に至る、普天間基地移設問題の経緯を振り返る。
 なぜ、辺野古の海は埋めたてられ、新たな基地が建設されようとしているのか。辺野古には、普天間代替施設建設の是非を決める決定権がない。名護市にも、沖縄県にもその決定権はない。それなのに、辺野古区民も、名護市民も「賛成なのか反対なのか」を1996年からずっと問われ続けている。この問題の責任者はもちろん政府であり、政府を支えている「本土世論」にある。本土復帰50年を迎えても、基地がなくなるどころか、新たな基地の建設を権限がないまま「決定」させられる。沖縄をここまで追い詰めたのは誰なのか。「本土」の人間にとっても、辺野古の問題は他人事ではない、としている。

科学教育の重要性

こんなに変わった理科教科書』(左巻健男著、ちくま新書)は、戦後から今まで、大きく変化してきた小・中学校の理科教育の内容について教科書の記述を中心に紹介する。著者は、中学高校での理科教員経験もあり、検定教科書づくりにも携わってきた。近年は科学教育、科学コミュニケーションを専門とし、教育界にはびこる「ニセ科学」批判も積極的に行なっている。
 戦後、科学立国を目指した60年代、冷戦の影響を受けた70年代と、科学の発展に伴い難しくなっていった理科の学習内容だが、他教科と同様、80年代、90年代には「精選」「厳選」「ゆとり」と、学習内容の削減が続いた。ゆとり教育批判で再び「高度化」へと向かう現在の教科書は、祖父母世代、親世代とどう違うのか。「理科教科書」の「今」と、これからの理科教育の方向性に注目している。時代の流れにより「消えた」実験も多い。
 本書では、遺伝学用語で「優性、劣性」を「顕性、潜性」と言い換えることになった例、エネルギーの単位がカロリーからジュールへ変わった例のほか、高校理科用語の単位・定義・用語の変更にも着目している。
 学校で子どもたちに系統立てて理科(自然科学)を教えていかないと、「科学はわからないけど大切だと思っている」大人を増やすことにつながる。そうした大人が、「一見科学っぽい」ものにひかれ、ニセ科学を信じてしまう危険についても著者は再三伝えている。

『学問と政治/学術会議任命拒否問題とは何か』(芦名定道; 宇野重規; 岡田正則; 小沢隆一; 加藤陽子 松宮孝明著、岩波新書)は、学術会議任命拒否問題について、任命拒否の対象とされた6人の「当事者」がその背景と本質をそれぞれの専門的見解から問う。2020年10月1日に当時の菅義偉首相が日本学術会議の新会員の任命を拒否した際には、「学問の自由と独立が冒される」と多くの人が事態の深刻さをうったえていた。あれから1年半が経過したが、この問題は現在進行中である。にもかかわらずメディア等の議論も減り、「終わったこと」にされようとしている。
 この問題は、日本学術会議という組織だけに関わるものではない。「ポスト真実」と呼ばれる時代において、学問が果たすべき役割を改めて見直すべきではないか、と本書は危機感を持ってうったえかける。

オッサンの壁』(佐藤千矢子著、講談社現代新書)の著者は、男女雇用機会均等法施行の翌年に新聞記者としてのキャリアをスタートさせた。「平成」とほぼ重なる期間に政治記者生活を送り、2017年には全国紙で女性として始めて政治部長に就いたことで注目された。男性優位主義の新聞社の中でも、女性登用には特に分厚く高い「壁」があった政治部特有の事情を振り返りながら、女性記者としての経験を語る。永田町と政治メディアの男性社会に切り込んでいくには、男並みどころか「オッサン」並みにならざるを得ない過酷な競争があったことを記している。
 永田町の大物議員とのやりとりや、上司や同僚、他社の記者との競争まで、女性記者の経験談は今読むとほぼ「セクハラ」「パワハラ」のオンパレードである。セクハラ被害は日常的、被害をうったえても、相手が大物政治家の場合などでは関係悪化を恐れ、「騒ぎ立てず無難に処理して受け流せ」という周囲からの暗黙のプレッシャーが働くことも珍しくない。本書で語られるエピソードを「ありえない」と思うか、「こんなことはよくあること(だった)」と思うか。「ありえない」と思えるなら、令和の今、「セクハラ」「パワハラ」に対処する環境は大幅に改善してきた、ということだろうか。

「見たいものだけを見たい」Z世代

 動画共有サイトや定額制動画配信サイトは、ユーザーの視聴履歴に応じて「観るべき」作品を次々に薦めてくる。忙しい中、膨大な作品を視聴するには、映画も1.5倍速など「早送り」で観ていかないと追いつかない、という人も多いだろう。一方で作品をそんな方法で「鑑賞」するのはどうなのか?という意見ももちろんある。
映画を早送りで観る人たち/ファスト映画・ネタバレ コンテンツ消費の現在形』(稲田豊史著、光文社新書)は、「コンテンツ消費」をキーワードに、若者を中心とした現代日本人の思考・嗜好の変化を考察している。会話のないシーンは10秒スキップなどの機能で「飛ばす」、つまらないと感じたら1.5倍速で見る。映画を早送りで観る、というのは「忙しいから2時間も見ていられない」という理由だけではないようだ。
 コスパ(コストパフォーマンス)やタムパ(タイムパフォーマンス)至上主義。好きな情報やコンテンツしか見たくない。興味のないことは視界から外したい。偏っていてもいいから、好きなものだけに囲まれていたい。正解だけが知りたい。映像娯楽コンテンツに限らず、そうした指向や消費行動は、「Z世代」「ミレニアル世代」(一般的には1990年半ばから2010年代初頭に生まれた世代)に多く見受けられるという。
 本書で紹介されている、「めくるめく展開」「予想を裏切るどんでん返し」「複雑なストーリー」は不快、という若者たちの意見には、「気持ちを乱されたくない」「心を揺さぶられたくない」という最近の若者たちの傾向が見てとれるという。そもそも、若い世代は映画もドラマも、映像「作品」ではなく「コンテンツ」と総称するようになっている。映像作品に限らず、文学作品なども、これからの時代は、「コンテンツ」として消費されやすい、そうした傾向にフィットした作品が増えていくのかもしれない。

写真はわからない/撮る・読む・伝える「体験的」写真論』(小林紀晴著、光文社新書)は、キャリア30年、写真家としても、写真教育者としても著名な著者だが、経験を重ねるにつれ「写真が、いよいよわからなくなってきた」と繰り返しいう。写真の技術とは何か、写真を撮る、写真を見るとはどういうことなのか。プロのならではの視点と豊富な体験談をもとに「いい写真」とは何か、いい写真を撮るためにプロは何をしているのかをていねいに論じている。
 自作の撮影時エピソードから、人物でも風景でも、ロケハンなど周到な準備と綿密な計算を重ねた上での「1枚」であることを細かく解説している。さまざまな制約で思うような撮影ができない時に何を撮るかについても、著者独自の哲学を伝えていく。

 国産初のアニメーションが制作されてから100年あまり。『日本アニメ史/手塚治虫、宮崎駿、庵野秀明、新海誠らの100年』(津堅信之著、中公新書)は、日本アニメを牽引してきたビッグネームの作品を中心に、日本アニメの歴史を振り返る。
 長年、アニメーションはいかにして実写に迫るリアリティを獲得するかが追求されてきた。戦争や災害など、実写では再現不可能な場面を描くことも得意である。一方、アニメーションは、実写のように「余計なもの(時代設定に合わないものなど)が映り込む」ということは、当然ながら心配する必要がない。本書では、近年のアニメ界の傾向として、かつて記録映画と呼ばれたドキュメンタリー作品が多く作られていることに注目している。歴史上の災害、事件、また戦争などをアニメーションで描く作品を「アニメーション・ドキュメンタリー」といい、国内外で一つのジャンルとして成立しているのだという。再現不可能なシーンをリアルに描写するだけでなく、描写したいもの以外を描く必要がない、というアニメならではの手法が、今改めて注目されている。

 ロシアによるウクライナ軍事侵攻を機に急遽企画されたと思われる新書もいくつか出始めている。
プーチンと習近平 独裁者のサイバー戦争』(山田敏弘著、文春新書)と『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略/世界はどう変わるのか』(遠藤 誉著、PHP新書)は、いずれも、今重要視されている情報戦争や、今後のカギを握る中国の存在に着目している。習近平はプーチンにどのような姿勢で接し、ウクライナ戦争にどう対処するのか。世界中が注視する米中露の覇権戦争を解説する。

(編集部 湯原葉子)

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『「米留組」と沖縄/米軍統治下のアメリカ留学』
山里絹子著
(集英社新書)

『沖縄50年の憂鬱/新検証・対米返還交渉』
河原仁志著
(光文社新書)

『辺野古入門』
熊本博之著
(ちくま新書)

『こんなに変わった理科教科書』
左巻健男著
(ちくま新書)

『学問と政治/学術会議任命拒否問題とは何か』
芦名定道; 宇野重規; 岡田正則; 小沢隆一; 加藤陽子 松宮孝明著
(岩波新書)

『オッサンの壁』
佐藤千矢子著
(講談社現代新書)

『映画を早送りで観る人たち/ファスト映画・ネタバレ コンテンツ消費の現在形』
稲田豊史著
(光文社新書)

『写真はわからない/撮る・読む・伝える「体験的」写真論』
小林紀晴著
(光文社新書)

『日本アニメ史/手塚治虫、宮崎駿、庵野秀明、新海誠らの100年』
津堅信之著
(中公新書)

『プーチンと習近平 独裁者のサイバー戦争』
山田敏弘著
(文春新書)

『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略/世界はどう変わるのか』
遠藤 誉著
(PHP新書)

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