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新刊月並み寸評

毎月、約100冊もの新刊が登場する「新書」の世界。「教養」を中心に、「実用」、「娯楽」と、分野もさまざまなら、扱うテーマも学術的なものからジャーナリスティックなものまで多種多彩。時代の鏡ともいえる新刊新書を月ごとに概観し、その傾向と特徴をお伝えする。

2021年6月刊行から 編集部

NEW

2021/07/15

コロナ後に効くか グリーン・ニューディール

 バイデン大統領の就任後、米国における気候変動問題の政治的優先順位は一気に上がった。従来、「環境よりも経済」という考え方が主流であったが、世界的な潮流も、「環境も経済も」という方向に変化しつつある。この潮流を解説し、日本の対応を分析するのが『グリーン・ニューディール/世界を動かすガバニング・アジェンダ』(明日香壽川著、岩波新書)である。グリーン・ニューディールとは、1929年の世界大恐慌を克服するために打ち出された「ニューディール政策」に由来する用語で、景気回復(雇用拡大)と温暖化防止策を二つの柱とする政策案である。
 2020年10月26日に菅首相は「2050年カーボンニュートラル(温室効果ガス排出実質ゼロ)」を表明し、「2030年には温室効果ガスの排出を46%削減する」という目標も表明した。しかし、著者は、日本の政治家も官僚も企業もその多くが、この問題に本気で取り組む気があるようには見えないという。再エネ・省エネに後ろ向きな日本では、様々な政策で意図的に「再エネ・省エネの導入を抑えている」と批判する。世界各国の事例も含め、気候変動をめぐる科学・政治・社会の現状を解説し、「2050年カーボンニュートラル」を「本気で」実現するには何が必要か、課題と解決案を提示している。

 現場の実情を把握していない安易な「再エネ:再生可能エネルギー」推進による深刻な問題もある。『森林で日本は蘇る/林業の瓦解を食い止めよ』(白井裕子著、新潮新書)の著者は建築や都市計画の研究者として、国内の森林資源の危機についてうったえ続けてきた。木材は、良いところから建築や家具に使い、見た目の悪いところは建築でも人目に触れないところ、曲がっていて必要な長さが取れない箇所は合板の材料にし、形がとれない残りを紙の材料やエネルギー源に使う、と適材適所に無駄なく使い分けることで価値を保ってきた。
 しかし、昨今、再エネ推進で、バイオマス発電の需要が急増し、国内外で製材業との争奪が激しくなっている。建築資材に使える貴重な丸太がそのままバイオマスプラントに運ばれていく様子が多数目撃されているという。植えるのにも育てるにも、伐り出すにも技能がいる建築用材と違い、バイオマスに使う木は粉々して燃やすのだから、質も問われず、どう伐りだそうと関係ない。木材価格全体が下がるだけでなく、緑林や伐採の技術は継承されず、将来の森林維持も危うくなる。「再生可能エネルギー」推進という名目で、日本の森林・林業の継続が危うくなるという本末転倒を厳しく批判している。

 GAFA(グーグル・アマゾン・フェイスブック・アップル)とよばれる巨大プラットフォームにデータと富が集中している。『膨張GAFAとの闘い/デジタル敗戦 霞が関は何をしたのか』(若江雅子著、中公新書ラクレ)の著者は、「なぜ日本はGAFAにここまでなめられてきたのか」と問う。電気通信事業法により、ヤフーなど国内の電気通信事業者へ及ぶサービスの規制が、グーグルなど外国企業には「適用されない」という事態が長く続いていた。2020年、電気通信事業法の改正により、国内企業に適用される規制がグーグルなどの外国法人にも法適用されることがようやく明確になるまで、総務省の「ダブルスタンダード」は続いた。
 強い姿勢でGAFAへ規制を打ち出そうとするEUと比べ、海外事業者には国内法を適用「できない」ものとして運用されてきた。日本政府は、GAFA各社に対するヒアリングへの参加にも「お願い」ベースで行い、相手から「非公開で」と希望されればその言いなりとなっている。
 巨大テック企業にはなめられ、激変する技術革新に伴うデータ利活用とプライバシー保護をどうするかという課題にも周回遅れ。著者は、大手新聞のIT問題担当記者として、「日本社会に十分な問題提起ができていなかった」と後悔しているという。この「失われた10年」、霞が関が何をしたのか、何をしなかったのか、取材してきた最前線を振り返る。

社会の理想と現実を映し出す「テレビ」

 ネット配信の普及で海外のドラマを自宅で気軽に視聴する人が増えてきた。『ジェンダーで見るヒットドラマ/韓国、アメリカ、欧州、日本』(治部れんげ著、光文社新書)は、国内外でヒットしたドラマ22本を取り上げ、「社会的・文化性差(ジェンダー)の視点から改めて楽しむという試み。大ヒットした韓国ドラマ、「愛の不時着」を見た著者は、文化的に近いところがある韓国と日本だが、その「違い」が気になるようになったという。
 欧米(ここではアメリカ、カナダ、デンマーク)のドラマで描かれるのは徹底した個人主義と核家族の世界観である。ストーリー上、重要な意思決定をする際最優先するのは自分の意思、親よりも、自分の家族を優先する。成人した男女の人生に親は関与しない。一方、韓国ドラマでは子どもは「良い学校、良い就職先、良い結婚」を期待され、期待に沿えないと親はどこまでも介入してくる、濃いつながりの世界である。それでも、韓国ドラマのヒロインたちは、根強い男尊女卑の価値観、美しさを過度に求めるルッキズムなど、女性に関する問題に苦しめられるが、正面から異議申し立てをする「強い」女性として描かれている。現実社会の韓国は、日本よりもさらに厳しい格差社会が進行するが、ドラマではその反動か、社会的テーマを正面から描いている。
 一方、日本のドラマで描かれるヒロイン像は、著者の価値観からは既存の社会に従順すぎ、かわいらしすぎだ、という。他にも、日本のドラマでは差別的言説を笑いに紛れさせてスルーしてしまうこと、既存のジェンダー規範から外れた人物を「変人」と扱ったり、自己主張する女性キャラを「ぶっ飛びキャラ」ですませてしまうところなどが根強く残り、日本社会を映し出しているようだと指摘する。
 2020年時点での日本社会のジェンダー描写を反映していたのが「半沢直樹」と、「私の家政夫ナギサさん」(中年男性の家政夫「ナギサさん」が、仕事が多忙で家事が全くできない独身女性を支えるストーリー)だという。女性の描かれ方だけではなく、仕事と私生活の両立が難しい、という日本の企業社会が抱える課題が、この二つの作品に浮き彫りになっていると指摘する。

さよならテレビ/ドキュメンタリーを撮るということ』(阿武野勝彦著、平凡社新書)は、地方テレビ局のプロデューサーが、自社の報道部にカメラを向けた同名のドキュメンタリー作品「さよならテレビ」などを中心に、ドキュメンタリー制作現場を振り返りつつ、テレビの「今」を考察する。一連のテレビドキュメンタリーシリーズは全国の劇場で上映もされている。
 著者が所属する東海テレビは、もともとドキュメンタリー制作で定評があった。2011年8月、情報生番組のプレゼントコーナーで、ダミーとして書かれていた「岩手のお米セシウムさん」という「不適切」なテロップが誤って放映されてしまうという不祥事を起こした。この「開局以来最悪」という事件を振り返り、テレビの役割、存在意義という原点を問うのが表題作。自社を「うち」と呼び、「そと」である外部スタッフの人間にシワ寄せがいくような現場の状況で「メディアリテラシー」などうたえるのか、とテレビマンは自身に問いかける。内容よりも、視聴率などわかりやすい「数字」や「情報」に支配され、魅力を失っているテレビへの強い危機感を表明する。

 歴史に特に興味をもたない市民にも、子どもにも「カワイイ」と人気が高い埴輪。なんとも言えないあの笑みは何を語るのだろうか。『埴輪は語る』(若狭 徹著、ちくま新書)は、古墳の調査研究に長年携わってきた考古学者が「カワイイ」からその先の歴史理解へと誘う。
「王」の権力を見せつけるために建造された巨大な古墳。埴輪は、古墳の周囲に王の業績を見せるために配置された、強い政治的メッセージをもつ立体絵巻のようなものだったのではないか。著者は、単なる遺物としての埴輪だけはなく、それがどのように配置されたのかに着目してきた。大量の埴輪づくりを支えた生産システム、それを許したゆとりある社会の仕組みなど、埴輪を通じて明らかになりつつある古墳時代社会について語る。

まわりのみんなと「違う」という悩み

 性的少数者を表す言葉としてLGBTという用語が一般的になってきた。『みんな自分らしくいるための はじめてのLGBT』(遠藤まめた著、ちくまプリマー新書)の著者は、トランスジェンダーの当時者として、セクシャル・マイノリティの子どもや若者支援の活動に携わっている。本書は、「多数派」である人でも抱える「まわりのみんなと違う」という悩み、友だちに秘密を言えないという葛藤、恋愛や性の当たり前って何なのかという疑問などを考える。本書は性の多様性についての入門書であるが、それは「少数派のだれか他の人」のことではなく、まず世間の「普通」や「当たり前」って何なのだろうか?と問うことから始めている。

壊れた脳と生きる/高次脳機能障害「名もなき苦しみ」の理解と支援』(鈴木大介著 ; 鈴木匡子著、ちくまプリマー新書)は、高次脳機能障害という、どんなことが不自由なのかは一見してはわかりづらい障害の実情を当時者と専門医が語る。鈴木大介氏は、2015年に41歳で脳梗塞を発症したことで高次脳機能障害が残った。脳の情報処理が難しくなり、社会生活がそれまで通り行えない。傷を負った自分の脳に何が起きているのか、何に困っているのか、どう解決していくのか、家族とともに模索する日々を書籍に残してきた。高次脳機能障害の「程度が軽い」人ほど、病気であるという診断もつきづらく、失った能力は本人にしかわからないため困難も周囲に伝わりづらく、「うまくいかないのは自分のせい」と苦しむ当時者が多いという。
 障害のもつ特性として、「作業記憶の低下」というものがあり、今聞いたばかり、見たばかりのことを脳にとどめておくことができないということがある。目の前で話している人の言葉がどんどん脳内から消えてしまい、何を言っているのかがわからなくなり、混乱してしまうということがある。日本語の意味は理解し、声も聞こえているようなのに「話がわからない」というのが、相手にも理解されにくく、どんな感覚なのか、何に困っているのかが言語化されることが少ない。
 もともと文筆業だった大介氏は、自分の状態をできる限り言語化することを意識し、記録している。「話し始めの言葉を忘れてしまうので理解が追いつかない。ゆっくり単純に話すか文字に書いて記憶が消えないようにしてほしい」と詳しく言語化できる場合は少ない。当時者からすると、できることがあるのにまるっきりできないことにされているのと、できないことを「こんなことできないはずない」と決めつけられるのは、両方とも地獄のような対応だ、という。

バイアスとは何か』(藤田政博著、ちくま新書)は、最近よく目にすることが増えてきた、「バイアス」という長く心理学の領域で研究されてきた現象について詳しく解説する。
 人間が持っている認知のゆがみのことを「バイアス」という。人間はなぜバイアスを持っているのか。様々な実験例などから、人間はどのようなバイアスに陥りがちなのかを紹介する。周囲の物や人を認知し、現実を自分にとって都合よく理解したり意味づけをしようとする。合理的な判断を邪魔するバイアスは、ないほうが良さそうだが、バイアスを完全になくすことはできないという。自己についての認知がゆがんでいる(自分自身を実際よりいいものだと考える)ことで、精神的にポジティブでいられるという「心理的なメリット」もある。無意識に生じるバイアスは、意識的に修正するのは難しいという。しかし、知識としてさまざまなバイアスの例を理解しておけば、致命的な失敗を回避したり、思い込みや先入観で差別することを防いだり、重大な意思決定の際に「バイアスがないか」思い返す時間をとることができるかもしれない。バイアスとのうまい付き合い方を指南する。

(編集部 湯原葉子)

BACK NUMBER

『グリーン・ニューディール/世界を動かすガバニング・アジェンダ』
明日香壽川著
(岩波新書)

『森林で日本は蘇る/林業の瓦解を食い止めよ』
白井裕子著
(新潮新書)

『膨張GAFAとの闘い/デジタル敗戦 霞が関は何をしたのか』
若江雅子著
(中公新書ラクレ)

『ジェンダーで見るヒットドラマ/韓国、アメリカ、欧州、日本』
治部れんげ著
(光文社新書)

『さよならテレビ/ドキュメンタリーを撮るということ』
阿武野勝彦著
(平凡社新書)

『埴輪は語る』
若狭 徹著
(ちくま新書)

『みんな自分らしくいるための はじめてのLGBT』
遠藤まめた著
(ちくまプリマー新書)

『壊れた脳と生きる/高次脳機能障害「名もなき苦しみ」の理解と支援』
鈴木大介著 ; 鈴木匡子著
(ちくまプリマー新書)

『バイアスとは何か』
藤田政博著
(ちくま新書)

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