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新刊月並み寸評

毎月、約100冊もの新刊が登場する「新書」の世界。「教養」を中心に、「実用」、「娯楽」と、分野もさまざまなら、扱うテーマも学術的なものからジャーナリスティックなものまで多種多彩。時代の鏡ともいえる新刊新書を月ごとに概観し、その傾向と特徴をお伝えする。

2021年5月刊行から 編集部

NEW

2021/06/15

自動車業界100年に一度の大変動期

 脱炭素社会をめざし、ガソリン車からEVへの移行が急速に進んでいる。EVの普及が疑問視されていたガソリン車大国アメリカでも、バイデン大統領の就任を機に、EV普及へと大きく舵を切った。自動車産業界は、100年に一度の大きな変動の時代を迎えようとしている。日本の自動車産業は生き残れるのか。そう問いただすのが『日本車は生き残れるか』(桑島浩彰著 ; 川端由美著、講談社現代新書)である。
 世界の自動車産業は、新しいルールによる熾烈な戦いがスタートしている。そのキーワードは「コネクテッド:C」、「自動化:A」、「シェアリング・サービス:S」「電動化:E」であり、その頭文字から「CASE」(またはACES)と呼ばれている。これから自動車は、「ネットに繋がったモノ」という位置づけの商品として、新たな市場、膨大なサービスが誕生することが予想されている。このCASEの流れは不可避である、と本書では断言する。
「モノづくり」という意味では今も世界でトップレベルの技術をもつ日本の自動車産業はE(電動化)、A(自動化)の開発が先行して話題になってきた。しかし、自社のモノづくり、自社の技術にこだわり続けたあまり、社会的な課題で需要性のある事業を構築していくという視点がやや足りていないのでは、と指摘する。本書では、日本の自動車産業の「弱み」として、「モノづくり信仰」「自前主義」「電気・材料・IT系エンジニアの軽視」「形のないものに対価を払う決断が遅れがち」などをあげている。
 モノづくりへのプライドが高すぎたあまり、サービスや情報、データ、ソフトウェアといった「形のないもの」へ的確な対価を払うことができないようでは、GAFAなどネットでつながる産業と対等なビジネスを行えず、激化する生存競争についていけなくなるだろう。自動車産業に限らず、日本の製造業全般にいえることかもしれない。

 アフターコロナの日本経済を活性化するためには、政府による「現金バラマキ」が必要だ、とうったえるのは『「現金給付」の経済学/反緊縮で日本はよみがえる』(井上智洋著、NHK出版新書)である。著者は、ベーシックインカム(BI)の必要性について以前から著書などで主張していた。
 著者は、2020年に行われた「10万円の一律現金給付」を、一時的なBIと位置づけることができる、としている。当初、収入が減少した世帯にのみ30万円を給付するという案が閣議決定されたが、取り下げられた。多くの国民が、全国民に一律10万円を給付する案のほうを支持したからだ。これまで日本では、BIの基本的な思想である、すべての人を救済するという「普遍主義」は受け入れられにくい傾向にあったが、一律に給付して、金持ちからは後から税金をとればいいという、BI的思考を、多くの人が無意識のうちに受け入れつつあるのでは、と解釈しているという。
 2030年ごろには、人工知能(AI)がもたらす失業や貧困が世に蔓延し始め、BIが不可欠だと認識される時代が来るのでは。コロナ以前、著者はそう予想していたという。コロナによりその予想が現実になるのが10年早まった、としている。
 BIは社会保障制度と租税をどう組み合わせるかによってさまざまなアレンジメントが可能であり、BIを一括りにして賛成とか反対とかいっても「雑な議論にしかならない」と断言する。

 日本の行政は、突発事態への臨機応変な対応を得意としていない。日本の今の状況はコロナ禍ではなく、コロナ対策自体が、民衆にとって禍いとなっている、コロナ対策禍である……。そううったえるのが、『コロナ対策禍の国と自治体/災害行政の迷走と閉塞』(ちくま新書)の著者・金井利之氏である。2019年の初期対応から現在(2021年4月時点)にわたる行政の対応を国際比較を含めて評価、分析し、COVID-19といういわば厄災禍に対する行政の対応が、いかに二次的な厄災禍を招いているかを論じている。
 震災や台風被害のような自然災害と比較して考えれば、災害そのものではなく、「災害行政対応」にリソースを割かれている閉塞状況が足かけ3年も続いていると考えれば、その異常な状況がわかる。
 ワクチン接種予約をめぐる混乱をみても、コロナ禍が収束し「新しい日常」を手に入れることができるのか、今後も先行きが見えない。感染症対策それ自体を「禍」としない、災害行政のあるべき姿を考察していく。

学校のデジタル化が遅れている理由

 公立の小中学校では、入学時はもちろん、新年度になるたび、家庭や子どもの情報について、さまざまな情報を、何枚ものプリントに手書き記入させられる。不満を持ちながらも、「年に一度のことだから」とたいした問題ではないと思う人が大部分かもしれない。
 しかし、『教師と学校の失敗学/なぜ変化に対応できないのか』(妹尾昌俊著、PHP新書)の妹尾氏は、こうしたことを、「小さなこと」とは考えていない。このような「小さなこと」にみえる一つひとつのムダの積み重ねが、「デジタル化が進む世の中から学校が取り残されている現実」を映すものである、と指摘する。
 2020年2月27日、全国一斉休校が突如決定された。当時、小中学校で、オンラインで双方向性のある授業などができる環境にあった自治体はごく少数、多くは大量の宿題プリント、紙のドリルを配布するだけで家庭に「丸投げ」状態となった。国の政策である「GIGAスクール構想」で、一人一台のタブレット端末などが急速に整備されているが、授業でICTの活用が進んでいるという学校はまだ一部にすぎない。コロナ禍を機に学校のデジタル化に向け主体的に動いた学校と、「受け身で指示待ち」に終わって現状維持となった学校とで、子どもたちの学びには大きな差が生じ、その状態は、実は現在もほとんど解消していない。
 著者は、コロナ禍で社会が大きく変化するなか、学校が取り残されている状況を分析するうちに、その理由に「学校・家庭・社会」の相互不信と分断があるのでは、と気づいた。学校の消極的な対応で、学校への信頼感が落ちる、クレームが来ては困るという学校は、情報を出さず、保護者や地域と積極的に関係をもとうとしなくなる。その結果、保護者たちからの不信がさらに高まる、という悪循環が生じる。
 日本の学校教育では、「子どもたちになるべく失敗させないように」「子どもたちが正解になるべく速く到達するように」「学校にクレームが来ないように」という点に大人たちが(学校の内外から)手を出しすぎてきた側面があるのではないか、と指摘する。失敗を恐れ、「できない理由」ばかり列挙して、変化に対応できずに「フリーズ」してしまった学校は、この失敗から何を学んで変わっていくべきか、未来に向け提案する。

 本は、デジタルと紙、どちらで読む方がいいか。大人たちがそんな議論をしている傍で、既に子どもや若者たちは、乳幼児のころからさまざまな機器に囲まれてデジタル環境の中で過ごしてきている。『デジタルで変わる子どもたち/学習・言語能力の現在と未来』(バトラー後藤裕子著、ちくま新書)では、2000年前後以降に生まれた子どもたち・若者たちのテクノロジーと言語発達・言語能力との関係を考察している。乳幼児のテレビ・動画などの視聴と言語習得の関係、デジタルの教育プログラムの活用についてなどを検討する。
 本書でも、日本のICT教育の遅れについて警告している。国際学習到達度調査(PISA)で2015年に日本の読解リテラシーのランクが下がった際に、文科省は「コンピュータ上で行う形式に変わったため日本の生徒が慣れていなかった」という見解を示している。ICTを使った教育がアナログよりいいとは言い切れないが、デジタル・テクノロジーがこれほど生活に浸透したなか、これを無視した教育も現実的ではない。ポストコロナの時代、ICTを使わない、という選択肢はもうないだろう、と著者は指摘する。
 PISAの中で、科目別にICTの学校教育における利用状況を聞いた項目で、日本の順位は先進国の中でどの科目でもほとんど最低だった。毎回公表される学習到達度ランキングで、上がった下がった、と教育界は大騒ぎになるが、むしろこの順位を憂慮すべきだ、としている。
 そして、教師が適切なデジタル・リテラシーを身につけることの大切さを強調している。ICT研修ももちろん必要だが、教師自身が、デジタル・リテラシーを高めていくたゆまぬ努力が必要だ。諸刃の剣であるテクノロジーを適切に使用できるよう、社会全体で考えていく必要がある、としている。

 社会が変わることでことばがどのように変わるのか、ことばが変わることで社会がどのように変わるのか。『「自分らしさ」と日本語』(中村桃子著、ちくまプリマー新書)では、ことばの変化、特に「アイデンティティ」を表現する方法が変わることで、ことばにどのように変化が起こっているのかを考える。
 英語には「I」一つしかないが、日本語には、「わたし・あたし・うち・ぼく・おれ」などたくさんの自称詞がある。自称詞をどう選び、どう使うか、どれもしっくりこない場合はどうしているのか。今の女性は実際には話さない、とされている「女ことば」はどう変遷してきたか。若い人は新しい言葉づかいによってどんなアイデンティティを表現しようとしているのか。身近な話題を入口に、社会の変化と切り離せない「ことば」の変化がもたらす創造性を語る。

新しい視点での「ツーリズム」

悲劇の世界遺産/ダークツーリズムから見た世界』(井出 明著、文春新書)の著者は、日本で「ダークツーリズム」という言葉を広めたこの分野の第一人者。日本では誇らしく輝かしい文化遺産や美しい自然など「観光ブランド」のように目されている世界遺産について、「人類普遍の価値」という原点に立ち戻る。世界遺産を観る視点として、「ダークツーリズム:戦争や災害など悲劇の記憶を巡る旅」を紹介し、人類の普遍的な価値として目をそらしてはならない「負の遺産」に着目する。
 ダークツーリズムといえばまず筆頭に挙げられる「アウシュビッツとその近隣の都市」や、2015年に登録された長崎の軍艦島などを含む「明治日本の産業革命遺産」、世界各地の刑務所として使われていた「島」を巡る旅などを紹介する。アウシュビッツ・ビルケナウ博物館での展示では、戦争の被害者を「悲劇」として清く美しく描いてしまう日本型の戦争展示とは異なり、ユダヤ人でありながらナチスへの協力者となった一種裏切り者的な存在も隠さず紹介している。
 世界遺産というと、日本人の多くは「地域にとって誇らしい」、ポジティブなイメージのみを持つ人が多いが、「遺産」という言葉にも、「負」の側面が含まれているものである。人類の歴史は必ずしも「光」の部分のみだけで語れるものではないということを、世界遺産からも学ぶことができる。

スペース・コロニー 宇宙で暮らす方法』(向井千秋著・監修 ; 東京理科大学スペース・コロニー研究センター編著、ブルーバックス)は、究極の「観光地」としても現実味が帯びてきた「宇宙」での生活環境を、最新の研究から紹介している。スペース・コロニーとは、宇宙空間に建設された人口の居住地のこと。現在では、月や惑星上の居住施設もその定義に含まれているという。宇宙空間、あるいは月面で「生活」するSFのようなことが、技術的に可能になりつつある。
 スペース・コロニー研究の主な目的は、人類のフロンティアである月や火星といった極限的な閉鎖空間で、人間が長期滞在するために必要な技術を開発することである。低重力、低気圧という特殊な環境下での健康維持、ウェアラブル・デバイスによる健康状態のモニタリング、精神安定を保つための適切な支援などさまざまな研究開発が進んでいる。汚染された水や空気の浄化、クリーンエネルギーの供給、食料の栽培、廃棄物の再資源化という課題もさまざまな技術を利用して検証されている。
 スペース・コロニー研究は、宇宙での「暮らし」を実現するための研究だが、当然ながら、そこで得られた成果は、地球上で「持続可能な循環型社会」を実現するために役立てていくこともできる。
 著者は、「月や火星に行けるようになった暁には、そこで何がしたいか、考えてみてほしい」と若者に向けてメッセージを投げかける。

(編集部 湯原葉子)

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『日本車は生き残れるか』
桑島浩彰著 ; 川端由美著
(講談社現代新書)

『「現金給付」の経済学/反緊縮で日本はよみがえる』
井上智洋著
(NHK出版新書)

『コロナ対策禍の国と自治体/災害行政の迷走と閉塞』
金井利之著
(ちくま新書)

『教師と学校の失敗学/なぜ変化に対応できないのか』
妹尾昌俊著
(PHP新書)

『デジタルで変わる子どもたち/学習・言語能力の現在と未来』
バトラー後藤裕子著
(ちくま新書)

『「自分らしさ」と日本語』
中村桃子著
(ちくまプリマー新書) (東中竜一郎著、角川新書))

『悲劇の世界遺産/ダークツーリズムから見た世界』
井出 明著
(文春新書)

『スペース・コロニー 宇宙で暮らす方法』
向井千秋著・監修 ; 東京理科大学スペース・コロニー研究センター編著
(ブルーバックス)

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