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八ッ場ダムをどうすべきか
 計画中止か、続行かで揺れる群馬県八ツ場ダム。計画発表から57年、長年ダムに翻弄されてきた地元、群馬県長野原町の住民は、民主党政権の計画中止に反発と落胆を強めている。宙に浮いた計画のさなかの町はどうなっているのか。政府と地元が折り合う点は見いだせるだろうか。八ッ場ダムの現場に行き解決の糸口を考察してみた。
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1.地元に落とす暗い影
2.町なかは工事現場
3.湖畔の宿は希望か
4.ダムに浸かった生活
「どうしても中止にするというのなら、もとの町に戻してほしいですよ。ほんとここの自然は素晴らしかった。でも、もう元に戻りはしないんです。だから、いまとなってはダムを完成させてほしいんです」
長野原町で暮らすある女性は、やり場のないいらだちをそう表した。この言葉に、ダム建設に関わってきた、あるいはこれから関わる政治、行政はどう答えるべきなのだろうか。

 先の政権交代によって、公約通り建設の中止が発表された群馬県長野原町の八ッ場ダム。57年も前に建設計画が発表され、当初、地元の住民は大反対を唱え、必死でダム建設阻止の運動をしてきた。しかし、長引く折衝のなかで町は建設を受け入れ1994年には関連工事がはじまった。
 以来、町全体が工事現場のような環境のなかで、ダムに沈む町は遠い先の完成を前提に生活の再建計画を進めていた。それが、新政権が誕生するやいなや「八ッ場ダムは建設を中止します」と、国土交通省の新大臣、前原誠司氏が当然とばかりに言い放った。
「昔の建設省の役人と同じじゃないか。いきなりやってきてダムをつくるといって、今度はいきなり中止するという」。これは地元の温泉街で暮らす年配の男性の言葉だ。

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地元に落とす暗い影
町なかに掲示された水没予定図
 ダム問題に一度でも関わったことのあるものならわかる。いかにこれが複雑で長期にわたる問題かということを。現場で暮らす人は逃げることができない。生活を背負いながら悩み考え、行動する。一方事業を計画する側は遠くにいて、生活とは関係なく純粋に仕事として、事業を進める。国の力を背景に仕事をして、報酬を得ながらダムをつくる。
 仮に、地元で反対のないダムだとしても、完成まで地元が被る精神的な負担がにいかに大きいかは想像に難くない。まして目的は下流域の利水や治水であって、地元ではない。自然環境は姿を変えて、水没によってそれまでのコミュニティーは存続の危機にさえ陥る。用地買収ひとつめぐっても、個人によって差はある。それが、ときにコミュニティーのなかで亀裂を生む原因にもなる。
 金銭補償が行われれば、必ずといっていいほどこの種の問題が起こる。つまりこうした争いや反目を生む種を、ダム建設は地域に落とす。さらに、ときには住民エゴだという、もっともらしい批判を受けながら、ダム湖をはじめとした環境整備や、移転による生活再建への期待を抱いて地域住民は建設を受け入れる。
 20数年前、私は静岡県の大井川水系に建設中だった長島ダムを取材した経験から、ダム建設継続の是非は別にしても、今回の前原発言がいかに大きな衝撃を与えたかが想像できた。これから現地はどうなるのか。どうあるべきなのか、その答えを探る一端でもつかむことができればと、前原大臣が訪れる4日前に、まずは建設現場を抱える長野原町を訪れてみた。
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町なかは工事現場
川原湯温泉駅
 関越自動車道に乗って渋川・伊香保インターで降りてから西へ向かうこと約1時間。吾妻川が下を流れる渓谷が深まってしばらくすると、国道145号沿いにJR吾妻線の川原湯温泉駅が右手に現れる。ほぼその向かいに、川原湯温泉の入り口があり、この坂を登ってゆくと崖にへばりつくようにして温泉宿が数軒立ち並んでいる。小さなひっそりとした温泉街だ。
 そのほぼまんなかあたりに、王湯という共同浴場の風情のある切り妻屋根がある。シルバーウィーク初日のこの日は、温泉街沿いの道を行くハイキング客や宿泊客が目につく。国道に戻りさらに西へ進むと道路沿いや遠く山の斜面など、あちこちに進行中のダム関連工事が見える。その後も、町なかを走り回ってみてわかったことだが、工事現場のオンパレードだ。
 各工事の拠点となるプレハブの建物があちこちに建てられ、道路や橋梁建設、そして宅地整備などが同時進行で行われている。長い間住民は工事のなかで生活をしている。こうした工事もダムという公共事業のためであることを理解してもらおうと、国が現場に建てたのが、広報センターの役割を担う「やんば館」という建物だ。
共同浴場「王湯」
 反対運動も含めてダム建設の歴史や地域の自然などについて展示、これまでは訪れる人もそれほど多くなかったのが、建設中止で全国的な注目を集めてから、一日の入場者数も1日平均50~60人だったのが、100人から200人に激増したという。このやんば館の前から見上げるようにそびえ立っているのが、いまや有名になってしまった建設途中の橋(県道)の一部である。マイカーを道路脇にとめて写真におさめている観光客がいる。こうしたなかに、三重県からわざわざ現場を見に来たという建築関係の仕事をしているという若い男性グループもいた。ダム建設とともに現在の国道やJR吾妻線も水没するため、新たな道路を高いところにつくる必要があるが、これが川の両側のその道路を結ぶ橋の一つだ。まさに宙に浮いた形になっているが、こうした新設の道路整備については、のちに工事は継続して行われることを前原大臣は言明した。
"宙に浮いた"橋脚の一部
 地元、JRバス関東で働くある年配の男性は、「いままで大雨が降れば、鉄道は通行止めになったり、道路も渋滞したりだったし、早く工事を完成させてほしい」と訴える。仮にダム本体ができなくても、JRや国道の付け替え工事は地元にとって懸案事項だったことがわかる。しかし、新しく設けられた生活の場所はどうだろう。ダム建設で水没する地域の住民は、土地や建物を買い上げられて、同じ町のなかに新たに国が造成した代替地を購入して家を建てるか、あるいは町内外の別の地に移る。すでに、代替地のなかには住宅も建ちはじめ、新しい環境で生活をはじめている人たちがいる。
代替地のひとつ
「水没するからといって、そんなにたくさんもらってないんです。家はローンですし」と、代替地で暮らすある主婦が話していた。国が分譲する代替地の価格についてもかなり高いという意見もある。
 こうした代替地は当然のことながら水没しない高度な地域にある。つまりダム湖ができて、その周辺以上が生活域となったことを前提に計画されている。しかし、ダムができなければ以前の暮らしていた地域もそのまま残ることになり、新たな住宅地との関係や、そもそも町全体の環境をどう再計画していくかという問題が出てくる。
長野原町立第一小学校
 例えば、町立の第一小学校もすでに移転した。高台に立派な建物として新設されたが、ここへ子供たちが通うのは一苦労のようだ。以前の小学校は国道から少し入ったところにあったが、30代のある女性は、「学校まで通うのは楽しかったですよ。まわりに自然はいっぱいあって、教室の窓からもカモシカが通ってゆくのが見えたくらいです」と、懐かしそうに話していた。
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湖畔の宿は希望か
 ダムの建設を継続するにしろ中止するにしろ、複雑な立場にあるのが川原湯温泉の旅館だろう。旅館も住宅と同様に代替地に移転する予定だが、現在造成中の現場は、ダム湖畔となることを予定した場所になる。当然かなりの高台で眺めがいいが、山間の町にあるちょっとした新興住宅地のような人工的な趣でもある。
温泉街入り口
 新たな温泉場は、温泉を下からこの高台に引き揚げて、ダム湖畔の宿という位置づけで計画されている。もちろん、ダムができなければ湖畔の宿にはならないし、となれば果たしてここへ移転してくる意味があるのかどうか。現在の計画を変更しないかぎりは難しいだろう。
 また、ダム湖についての評価もさまざまだ。ダム水源地環境整備センターという、国土交通省が所管する財団法人があり、ここでは「ダム湖百選」を選定したりして、ダムのピーアールに努めている。しかし、ダム湖が果たして観光に結びつくのかという意見もある。ダムはいつも水を湛えているわけではないし、一般的にダムの必要性が議論されるような状況下で、ダムに沈む渓流、渓谷などとダム湖のどちらを、観光資源としてとるかとなれば、自然環境豊かな前者に軍配があがるのは想像がつくが・・・。
 湖畔の宿を生活の再建案として目ざしてきた旅館の関係者たちは戸惑いを隠せない。最盛期には、芸者でにぎわい、近くにはストリップ劇場もあったという温泉街は、最盛期には22軒だった旅館がいまは7軒に。また、全国的に温泉旅館のビジネスが苦境に置かれているなかで川原湯も例外ではない。ダムの完成でいずれ建物は壊されて移転することを前提にしてきただけに、旅館を手直しするなど投資することもできなかった。代替地での再出発が果たしてうまくいくかどうかという心配はあっても、湖畔の宿にかけるしかないという旅館経営者の心境はもっともだろう。
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ダムに浸かった生活
長野原役場
 現在の長野原町の高山欣也町長は、以前は旅館を経営しており、旅館経営者から担ぎ出されて町長になったこともあって温泉街の将来を懸念している。この日、休日ではあったがおそらく役場は建設中止の対応に追われているだろうと役場を訪ねてみた。年代を感じさせる木造の二階には小さなバルコニーがあり、これが洋館風のたたずまいを感じさせる。
 反対側に建つ二階建てのプレハブの表にダム対策課の看板が見えた。二階を見上げると明かりがついている。この日は数人が仕事をしていた。訪ねてみると、「私たちはただ仕事をするだけです」と、険しい表情の職員。世間ではシルバーウィークという5連休の始まりだったが、ダム関係の職員にとっては休みも返上である。
 ダム計画がもちあがってから、この町では役場の関係職員をはじめ、ほとんどの人が長い間こうして、多くの時間を集会や交渉などに費やしてきたのだろう。仕事が終わった後、ときには仕事の時間も犠牲にして、家族との時間も割いてダムに関わってきたのは想像に難くない。
 ある中年の主婦はこう話していた。「うちの主人なんか、かわいそうです。毎日毎日ダムのことで会議ばかりで、体じゅうダムに浸かっているようなもんです」と、とくに今回の前原発言を受けて、地元で話し合いなどに追われている夫のことを気遣っていた。
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