風
 
 
 
 
 
 
[知ることの価値と楽しさを求める人のために 連想出版がつくるWEB マガジン
八ッ場ダムをどうすべきか (2)
2
5.信用できますか、国を
6.成田に学んだ反対運動
7.「ざんぶり水につかりますな」
8.正しいことと理解されること
5
信用できますか、国を
高山欣也町長
 役場の建物は、入り口が開いていたので、中に入るとなにやら大きな声で議論するような男性の声が聞こえてきた。そのうちの一人が高山欣也町長だった。突然訪れた私に今回の中止問題について、淡々とした口調ながら厳しい表情で見解を話してくれた。すでに中止については断固反対するという姿勢を示しながらも、「前のことをご破算にするつもりなんですからね。革命ですね」と、大臣発言に落胆していた。
「訪れる人が車で来て、トンネルを出たときに、水がたまっていれば、あ、湖だという町になる。それが、ダムができずにいままでどおりだったら、渓谷がずっと下にあってただ道路ができて車が通過するだけです。・・・今後生活再建は十分にしますからわれわれを信用してくださいっていうけれど、信用できますか」と、投げかけた。
 中止すること自体認められないが、中止した場合について前原大臣が、地元に対して何の具体的な補償の話をするまでもなく、いきなり「中止します」と断言したことに町民は大反発を感じている。この点については、「ダムをつくらないのであれば、これを代わりにする、というおみやげをもってくるはずなんだけれど、そうではないらしいじゃないですか」とも話す。
 つまり、国として結論を表明する前に、地元としっかり話し合いをして、補償の青写真を提示したら、もっと話は円滑に進む可能性があったということが、町長の言葉から推察できた。長年ダム反対闘争をしたのち受け入れを認めた旅館関係者からも、表面上の絶対反対とは別に「ダム本体をやめることはしょうがないかな」という言葉も聞いた。
6
成田に学んだ反対運動
水没予定の吾妻渓谷
 町のなかでダム建設中止について意見を求めれば、たいていの人は建設の継続を訴える。しかし、もちろんなかには建設反対を訴える人もいる。生まれた年がダム建設が発表された年だという豊田武夫さん(58歳)はその一人で、「計画自体がそもそもずさんで、2015年に完成といっているが、絶対にできない。共同浴場の王湯をどかすだけでも、それにともなう神社の移転が必要で、そのためには保安林を解除しなくてはいけない。それには上流へ砂防ダムをつくる必要があるし、さらに工事用道路もつくらなくてはいけない。長引く工事の負担は地元にかかってくる」と、説明する。
 このほか豊田武夫さんは、ダム湖に水がたまり地下に浸透し地盤に影響を与えるなど、ダムの安全性に疑問をなげかける。確かに予算の増額や工期の延長など、事業のための事業といった感があることは否めない。
 建設中止には反対だが、国の工事の進め方や一貫性のなさにも町民は不満を持っている。柏屋旅館の経営者で長年にわたって反対運動にもかかわってきた豊田治明さん(74歳)は、憤りをあらわにする。
山肌が削りとられた工事現場
「工期が延びたのは国の責任だ。うちはテニスコートだったところをずっと工事のためにただで貸してきた。代替地だってできるのが遅すぎた。だから人が抜けてしまったんだ」と、これまでの国の対応に不満を示す。
 それと同時に民主党のやり方に憤る。建設中止発表については「これじゃ軍隊の徴兵時の赤紙1枚と同じじゃないか。民主党は民衆の意見をきちんと聞いていない」。こう表現するには、激しく反対してきた思いを曲げてここまできたからだ。
「最初は、どうやってダムに反対するか、よくわからなかったからバスを仕立てて成田まで反対運動の仕方を教わりに行ったんだよ」とも言う。成田空港の建設反対運動のことだ。旅館経営をめぐる環境は厳しく、豊田治明さんの表情にはやるせなさが滲んでいた。

 この話を聞いてから4日後、現地を訪れた前原大臣は、地元住民に対してこれまでの国の対応に対して、陳謝した。その様子は多くのメディアが伝えたが、最初の建設中止発表がいかに地元感情を逆撫でてしまったか、という反省の色が表れていた。しかし、白紙に戻すとは言わなかった。公約である限り言えなかったのかもしれない。
7
「ざんぶり水につかりますな」
『八ッ場ダムの闘い』
 八ッ場ダムの建設をめぐっていかに地元が長年にわたって苦闘してきたかは、『八ッ場ダムの闘い』(萩原好夫著、岩波書店、1996年2月刊)に詳しい。著者は地元の旅館経営者であり、リベラルな立場で行政に立ち向かうと同時に自主的な町づくり案を模索してきた。
 本書によれば、昭和27(1952)年初夏、建設省の役人がダム建設の計画を地元に告げにきた時の様子を書き出しで、こう記している。
この下にダム本体ができる
 川原湯村民は、何の話かの説明もなく集会所に集合させられた。町民の先導で話をはじめた建設省の役人、坂西徳太郎は村民の頭越しに「ここにダムを造る」と言い放ち、「この村は、ざんぶり水につかりますな」と横柄にもそう苦笑して、その場を立ち去った。

 町民の一生を左右するこれほど重大なことがこれ以後ふりかかる。おそらく全国でダムをはじめ高速道路や巨大公共事業が、国益(公共性ではない)の名の元に、政・官・業の権益を維持するためにも進められた。地元住民の利益など二の次であったといっても過言ではない。ダムについていえば、ほんとうに必要なのかという疑問は古くからあった。
 ダムサイトに堆積する土砂の問題、流下土砂量の減少による海岸浸食、そしてダム上流で河床が上昇し起こる洪水。計画当初の需要の見直しや森林の保水能力を高めることなど、これらは、私がダムを取材した80年代から言われていた。だが、ダム建設は見直されなかった。それが、民主党政権になったとたんに見直されることになった。180度の転換である。
8
正しいことと理解されること
 それなのに不思議なのは、建設中止か継続かの経済的な損得勘定での議論はでるものの、「やはりダムはその本来の目的として必要なのだ」ということを、しっかり主張する意見をほとんど聞かないことだ。つまりほんとうに必要のないものを国家の力で延々とつくり続けてしまったということなのだろうか。だとすればそれは何のため、誰の利益のためだったのか。自民党政治とはだれの利益を代弁していたのだろうか(その自民党の中に鳩山首相はじめ、現在の民主党政治家もいた)。
 少なくとも公共の利益が第一ではないとすれば、そのために翻弄されてきた地域の住民はなんのために苦労したのであろうか。八ッ場ダムに象徴される問題は、日本で暮らしている限り、どこでも誰にでも起こりえたことだったろう。その意味では、われわれは想像をたくましくして、八ッ場でも川辺川でも他のダムでも、まずは現地の人びとがどんな思いをしてきたかを細かく知り、その苦労・不利益に対していかに償うかを第一に考えるべきではないだろうか。
 幸い前原大臣はダム計画中止にともなう水没予定地への補償をするための新法をつくるという。民主党政権はマニフェストに従うことを正しい道だと確信しているようだ。しかし、正しいことと理解されることとは違う。理解されてこそ正しさは意味をもつ。繰り返すが、地域の住民を納得させることなしに、新政権の政策に正当性はない。
<< PAGE TOP
2 2
<< PAGE TOP
Copyright(C) Association Press. All Rights Reserved.
著作権及びリンクについて