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[知ることの価値と楽しさを求める人のために 連想出版がつくるWEB マガジン
SERIES 01 遠いパラダイス
藤原 章生
第6回 スピリッツを失ったアフリカ人

 冷戦が終わり、諍いも隔たりもない世界が広がる。そんな風に考えたのもつかの間、人々は以前よりも内向きに、自らの殻、国家や民族に閉じこもり始めた。これは一時的な反動なのだろうか。それとも、こうした息苦しさはこれからも続くのか。人々が国家や民族、人種という鎧を剥ぎ取り、自分自身になれる時代はやってくるのか。ジャーナリスト藤原章生氏が、世界各地の現場から、さまざまな人間との出会い、対話を通して考察する。

2003年、コロンビア・チョコ州

 年中雨の降る町でのこと。雨宿りをしていた小さなホテルで先住民族の男と知り合った。不思議なのは、彼がはじめから自分の部族のことを抑揚もなしに一気に語り続けたことだ。この感じはアフリカに似ている。
 主に使う言語が英語、スペイン語ということもあるのか、私は人と初めて話すとき、キャッチボールのように、こちらが投げ、あちらが返しというスタイルをとることが多い。しかし、この男の場合、「あなたの民族のことを知りたい」と私が言うや、彼はスペイン語でひとり朗々と、部族エムベラの歴史を語った。こちらをじっと見据えているが、「わかるかい?」といった問いかけをはさむことはない。ひとりで語るのがマナーであるかのように、言葉を吐き続けた。
 コロンビアの太平洋岸にあるチョコ州の州都、キブドという町だった。年間の降雨量が「世界一位か二位」というだけあって、常に雨が降っている。それも夕立のようにぱらぱらと音を立てて降るのではなく、霧のように細い雨が密林に一日中、一年中降っている。
 雨の町に来たのは、陸路のない広大なチョコ州の人口40万のうち85%がアフリカ系と聞いたからだ。左翼ゲリラがあちこちに出没するため、思うように動けないが、いくつかの村を回り、大体の様子をつかむことができた。そして、その時点で、私はむしろ人口のわずか4%に過ぎない先住民族に興味が向いていた。なぜなら、彼らの方がはるかに活力があり、自らの歴史を語る術を身につけているからだ。

2003年、コロンビア・チョコ州

 アフリカ系の住民たちにそれがないのは、当たり前なのかもしれない。なぜなら、彼らは16世紀からの奴隷貿易で、アフリカ各地からひとまとめで船に乗せられ、どこに行くとも告げられないまま港に下ろされ、砂糖やコーヒーのプランテーションへと送り込まれたからだ。
 アフリカ大陸にはスワヒリ、リンガラなど部族を越えて話される地域言語がある。だが、奴隷として送り込まれた人々が、アフリカの貴族階級が主に使っていたその言語で交流していたとは思えない。奴隷船や港、プランテーションで語られる言葉はカリブなどで後にクレオールと呼ばれる、比較的単純な混声語だった。
 アフリカと新大陸ははるか彼方、途方もなく遠い世界と思いこんでいた。だが、あるとき、地球儀を見て気づいた。西アフリカの西端、ダカールと南米ブラジルの突端、レシフェを結んでみるとその距離は、ダカールから西アフリカの付け根、ナイジェリアに行くのとさして変わらない。西アフリカ、ギニアやガーナから見ると、やはり多くの奴隷が連れてこられた南部アフリカ、アンゴラへ行く方が、距離だけを見れば、南米よりも遠いのだ。

2003年、コロンビア・チョコ州

 こんな事から、少なくとも2つのことが類推できる。新大陸に集められたアフリカ人同士に片言でもわかる言語という伝達手段はなかった。アンゴラ人とギニア人ではいまもほとんど何も通じない。
 そして「ここは新大陸です」という説明もないままプランテーションに送り込まれたアフリカ人の中には、自分たちが同じ大陸にいると錯覚した者も多い。
 逃亡奴隷が築いたブラジルの村々も、金鉱掘りのためアフリカ人が無理やりカヌーで運ばれたこのコロンビアのチョコ州も、見たところ風景は西アフリカとさして変わらない。逃亡を繰り返したアフリカ人の中には、新天地で自由を求めるというより、密林を走り続ければ故郷に戻れると考えた者もいたのではないか。
 残念に思ったのは、州都キブド周辺のアフリカ系の村々をたずねても、老人たちでさえ先祖のことを知らないことだ。アフリカ人であれば、何よりも大事なのは家の、部族の歴史である。
 例えば、南アフリカの北部、モザンビークの国境に暮らす部族ベンダをたずねたとき、まだ30代の男は、15代にわたる部族長の名を呪文のようにそらんじ、その長の性格や特徴、それぞれの時代の出来事をつらつらと語った。南アフリカや欧州の歴史には疎いものの、彼らはこうした狭い範囲の歴史を家族との語りで吸収する。世界の出来事などお構いなし。地中へ一気に掘り下げるボーリングのように、自分たちの歴史だけは真っ直ぐ貫く。
 祖先の霊のそばにいるためには、こうした知識が必要なのだろう。現在、自衛隊が駐留しているイラク南部のムサンナ県で今年、部族について調べたときも、自らの歴史に対する詳しさ、その思い入れはアフリカに匹敵するものだった。

2003年、コロンビア・チョコ州

 コロンビアのチョコ州でも長老に聞けば、19世紀末まで続いた奴隷貿易の時代の空気や、そこから逃げ出した先祖のことを知ることができると思ったが、甘かった。「魚が主食の長寿村」といわれるトゥトゥネンドで会った106歳の老婆はこう語った。
「本当に残念ですけど、私の父母は昔の話を一切しませんでした。父は寡黙な人で、娘と話すことなどほとんどありませんでした。何か言うとしたら、怒鳴るだけでした」
 別の99歳のにこやかな女性も
「両親は何も話さなかった。先祖がこの町にいつ来たのか、どこから来たのか。そんなことを話すことはありませんでした」
 と語った。

2003年、コロンビア・チョコ州

 考えてみれば、彼女たちの両親の態度はごく自然とも言える。「奴隷だったあんたのお祖父さんは昔、カルタヘナの港からマグダレーナ川を通って、ここの金鉱に連れてこられたんだよ」などとは言わないのかもしれない。
 嫌な思いや、尊厳を傷つけられる経験を、人は子供に語りつぐものだろうか。仮に語るとしても、戦争を経験した者がそれをやや戯画化して語るように、現実の苦しさをそのまま伝えるようなことは意外に少ないのではないだろうか。もちろん、例外はいくらでもある。ただ、大虐殺のあったルワンダに見られるように、アフリカ人の場合、消し去りたい過去や嫌な思いをあえて「民族の記憶」としてとどめようとはしない。
 16世紀から19世紀にこの大陸に渡った何千万というアフリカ人ひとりひとりが、その体験をどう子孫に語ったかは明らかでない。ただ、少なくともユダヤ人のように「離散(ディアスポラ)を強いられた民族の記憶」として未来に伝えようという集団としての意図はなかったろう。
 だとすれば、嫌な記憶を脳裏に隠すように、ひとりひとりがそれを口に出すことはなかったのかもしれない。少なくともコロンビアのトゥトゥネンドにはなかった。

2003年、コロンビア・チョコ州
-バルタサル・メチャ氏

 そんな風なことを考えていたとき出会ったのが先住民族、エムベラの男だ。彼の名はバルタサル・メチャ。まだ30代だが、細部にわたり実にうまく部族がたどった運命、不幸を語る。そのさまは同じチョコ州に暮らすアフリカ系の人々と対照的だ。
 彼の言葉にいつまでも私の心に残る一言があった。
「言語(lengua)は魂なんだよ」
 ここでいう魂とは、スペイン語のespirituの訳である。espirituを『西和中辞典』(小学館)で引くと、精神、霊、魂、気質、才気などに続き、帰属意識、身内意識という意味が出てくる。
 これはいわゆるアイデンティティ、つまり自分がどこから来て、どこに属しているのか、自分が何者なのかという考えを指している。だとすれば、この先住民族の言葉を「言語はアイデンティティそのもの」と置き換えることもできそうだ。

2003年、コロンビア・チョコ州

 彼にespirituの意味を問うと、さらっとこんな風に答えた。
「それは存在(ser)の本質(esencia)であり、我々インディオだけが感じることのできる何か、自然すべての中にあるものなんだ。もちろんこうした私の考えそのものが一つの本質でもあるんだ。先住民族の中には心を木の中に蓄えておける者がいる。彼らはそれを通じて、別の形の生をみられるんだ。輪廻とは違う。例えばある先住民は魚に変わることができ、魚の中にはやはり魂がある」
 すべての物に魂、神が宿るという考えは日本にある宗教観に近い。ただ、メチャさんらエムベラが面白いのは、そこにさっと入り込めるところだ。自分という魂はいま一個の人間の体の中にいるが、それが瞬時にして石や木、川、魚の魂になる、あるいはそこに出入りすることができる。
 この辺りのことは未経験なのでなんとも言えないが、もしそんなことができるのなら、きっと面白いだろう。
 ただ、ここで言えるのは、メチャさんは言語とアイデンティティを直接つないではいないということだ。文字通り「言語は魂だ」と言っているに過ぎない。
 南アフリカの作家、ナディン・ゴーディマは「米大陸の黒人は不幸だ」と言った。その理由として「アフリカの、自分たちの言葉を失ってしまった」という、アイデンティティの危機をあげていた。(本連載第4回参照
 アフリカにいたとき、私はその言葉にかすかな疑問を抱いた。ずい分手前味噌ではないかと思ったりもした。アフリカ人がさほど幸福とは思えなかったからだ。でも、いまこのコロンビアでこれほど際立った例を見ると、やはり彼女の言葉を認めざるを得ない。
 このチョコ州でいま、国政の舞台に代表を送り込むのをはじめ、先住民やアフリカ系移民の権利回復運動を率いるのは、少数派の先住民族、エムベラたちだ。数で圧倒的に多いアフリカ系はエムベラたちに促され、何とかまとまっている。

2003年、コロンビア・チョコ州
-ネストル・エミリオ・モスケラ氏

「どうしてだか、我々はまとまることができない。汚職も不正もひどい。何をやってもうまくいかないんだ。先住民に頼りっぱなしだ」とチョコにいるアフリカ系の歴史学者、ネストル・エミリオ・モスケラ氏は言う。

 彼らはアフリカ系であってもアフリカ人ではない。言語を失い、先祖の体験を自分たちの言葉で語りつぐことのできない彼らには何かが欠けている。それは、言語と呼ばれる魂だろうか。

(敬称略、つづく)

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PROFILE

藤原 章生

1961年、福島県常磐市(現いわき市)生まれ。 北海道大学工学部資源開発工学科卒業。住友金属鉱山で鉱山技師を経て89年に毎日新聞社入社。長野支局、大町駐在を経て92年より外信部。93から94年、メキシコ、グアダラハラ大学留学(メキシコ文化研究)、95年10月から01年3月までヨハネスブルク支局、アフリカ特派員、02年4月からメキシコ市支局、ラテンアメリカ特派員。03年から04年にかけ、米国、イラクにて、イラク情勢、米大統領選を取材。

主な著作:
『世界はいま
どう動いているか』

(共著、岩波ジュニア新書)

世界はいまどう動いているか

(注)

エムベラ族らチョコ州の先住民族はスペイン人が来た1512年に5万人、現在は10万人を数える。アジアから太平洋の島々を渡って来たという説からか「日本人は我々の、従兄弟または弟」という言い伝えもある。人口2万7000のエムベラ族(考える人の意)をはじめ現存する5部族は固有の言語、文化をほぼ原形のまま維持している。
「神は川に棲み、死霊、生霊は木々や石に宿る」と信じる彼らは16世紀から、言語、文化を守るため「鎖国」のような防衛策をとってきた。「超自然の力で森を支配する先祖はスペイン人の侵入を防ぐため“密林の門”を閉じた」といわれる。スペイン人に敗れ、集団自殺をはかったモンゲデラ、アムカランという部族もおり、先住民族の間で「石になった人々」と語り継がれている。

 チョコ州選出の上院議員、エムベラの出身のフランシスコ・ロハス・ビリー氏のことば。「93年憲法で国が初めて多民族の権利を認めたのを機に、我々は初めて外に出る決意をした。現在、国内の先住民は上下両院計10議員をはじめ地方議員や市長も多数輩出している。たが孤立策を採っていた80年代の方が良かった。教育、衛生面は改善されず、我々が国に取り込まれたとみる左翼ゲリラと密林に出没する右派民兵の両者の標的にされているからだ」

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