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Series コラム
石垣島に魅せられて ~移住者の南島ルポ 松村 由利子
11/05/31

第5回 島のパン屋は30軒

パンと帽子と雑貨

 美しい景観で知られる川平湾へ向かって車を走らせると、途中の道路際に「川平にパン屋あります」という小さな看板が立っている。スピードを出していると見落としそうな看板だが、それを頼りに川平の駐在所から少し行ったところに、「南国パン屋 ピナコラーダ」がある。

明るい看板が目印の「ピナコラーダ」

 島の友人から「川平にパン屋さん、できたねえ。買ってみたらおいしかったよ」と聞き、2011年の年明けに行ってみたところ、店のオープンは2008年12月とのことだった。そのころはちょうど家を建てる計画が進行中で、市内の建築事務所に行っては打ち合わせていたので、観光スポットである川平湾などへは足を延ばす余裕がなかったのだ。引っ越してきてからも、市街地と反対方向の川平へは行く機会がなく、小さな「パン屋あります」の看板を見過ごしていた。
 明るい店内には、おいしそうなメロンパンやバゲット、アップルパイなどが並ぶほか、なぜか帽子がたくさん飾られたコーナーがあって、「オーダー承ります」と書いてある。帽子のほかに、愛らしい子ども用のTシャツやトートバッグも置かれている。
「ピナコラーダ」の店主は、1978年生まれの新貝ひな子さんだ。東京出身だが、幼いころから家族でよく石垣島を訪れ、シュノーケリングなど海で遊んだ。帽子や小物は、3歳下の妹、佐藤ゆに子さんの手作り品である。
 新貝さんは都内の専門学校で学んだ後デザイン事務所に勤めたが、「自分は狭い室内にこもって働くのに向いていない」と感じて辞めた。何をして働こうかと考えた時、頭に浮かんだのが、学生時代にアルバイトした西表島の小さなパン屋さんだった。小さな店に住み込み、朝早くから働く日々は楽しくてならなかった。そこで、東京の大手ベーカリーに職することを決めた。
 パンの製造工程には、パン生地をこねる「ミキシング」、生地を同じ分量に分けてゆく「分割」、パンの種類ごとに形づくる「成型」、そして焼く「焼成」などそれぞれのプロセスがあり、セクションが分かれている。「分割・成型」セクションに配置された新貝さんは、そこでひたすら働いた。「あのころは、お客さんの喜ぶ顔なんて見たこともないし、機械みたいに作っていましたねえ。続けられたのは、仲間がいたこと。それからパン生地にさわっていると、何だか癒される感じがあったからかな」と振り返る。いつ違うセクションに移らせてもらえるだろうと思っているうちに3年が過ぎ、後輩を教える立場となった。他のセクションへ移る展望がなく、別の会社のベーカリー部門へ移ることにした。
 しかし、そこでも、デパートの催事前にサンドイッチを1つ1つ金属探知器に通したり、出来上がったパンを箱詰めしたり、という作業に追われ、肝心のパンづくりにはあまり携わることができなかった。

「楽しいお店にしたい」と話す新貝ひな子さん

 新貝さんの中で、いろいろな思いが渦巻いた。「1つの工程だけでなく、パンづくりの全工程を通して自分で作りたい」「パンを通して人とコミュニケーションしたい」――そんな時期に、母親が長年勤めた電子機器メーカーを早期退職し、大好きな石垣島への移住を果たした。ちょうど、結婚した妹一家も沖縄本島へ移り住んでいた。離島への憧れもあり、「私も石垣島へ行こうかな」と決心した。帽子メーカーに勤めたこともある妹に、「どうせなら、一緒にやれたらいいね」と話を持ちかけ、ごく自然に計画が進んだ。
「ピナコラーダ」は、ラムをベースにパイナップルの果汁とココナツミルクを混ぜたカクテルの名だが、その南国のイメージ、そして自分の名前である「ひな子」と「ピナ」を掛けて店名に選んだ。定番の食パンやバゲットのほか、豚のミンチを炒めた具だくさんの「豚パン」、島バナナを使った優しい甘みの「島バナナカスタード」などオリジナルのパンも加えた約30種類が並ぶ。
「島の人口は少ないので、新しいパンを時々加えないと飽きられてしまう。お客さんが来たとき、わーっと明るい気持ちになってほしいので、なるべく種類は多くしたい」と新貝さんは話す。バゲットなどフランスパンがあまり出ないことに悩んだ時期もある。「でも、暑い時期はのど越しのよいものが欲しくなる。南の島に住む人は、のどを通りやすい、やわらかいパンが好きなんじゃないでしょうか」
 手作りだと、量的にたくさん作れないのも悩みの1つだ。東京で働いているとき、手作業で作っていたマフィンが工場製品になると聞いて、反対したことがあった。「今やっと、多くの人に食べてもらおうとすれば、手作りでは限界があるんだな、と納得できるようになりました」
 とはいえ、自分の店でパンを焼く充実感は格別だ。以前は、同じパンづくりに携わっていても、「自分の代わりはいっぱいいる。私がいなくてもお店は回っていく」という気持ちだった。「1人で厨房にいるとき、すごく孤独を感じていました。でも今は、1人で何でもやっているサバイバルみたいな気分が好きですね」
 帽子や小物を買いに来たついでに、パンを買うお客さんも結構いる。「パンを焼きながら、旅の思い出の品になるような雑貨も扱っていきたいです」と新貝さんは話す。

自家製酵母にこだわる

 島のパン屋さんの誰もが抱えている悩みは、高温多湿な気候である。寒冷で湿度の低いヨーロッパの製法どおり作ろうとしても、生地の発酵や焼き上がりがうまく行かない。特に市販の酵母(イースト)でなく、自家製の酵母を用いる場合、安定したパンづくりがなかなかできないのが難点である。
 酵母にはいろいろな種類があるが、市販のドライイーストは発酵力が強く、パン生地を作るのに適したものを乾燥させた製品だ。「天然酵母使用」をうたうパン屋さんが、市販の酵母でなく自家製の酵母にこだわるのは、微妙な味わいや風味の違いを大切にしたいからである。

自家製酵母を育てている
大久保由紀子さん

「やきむぎや」を1人で経営している大久保由紀子さんは、九州出身だ。父の実家は、イグサや米を作る農家だった。「小さいころから、おにぎりとサンドイッチを一緒に食べていたくらい、お米もパンも好きだったんですよぉ」と笑う。パンを焼く香りに魅せられ、試行錯誤を重ねて今に至る。
「大昔、まだパンがなかったころのことをよく想像するんです。いつものように小麦粉の塊を焼こうとしたときに何か獲物が通りかかり、みんなで狩りに出かけちゃったんじゃないでしょうか。そして帰ってきたとき、偶然、発酵が進んで生地がふくらんでいた。ああ、これはダメだ、なんて思いながら焼いたら、今までよりもやわらかくておいしいものが出来あがったんでしょう。そのときの人々の驚きと感激を思うと、わくわくします」
 大久保さんの原点も、その偶然性にある。「市販のイーストと機械にまかせて1年中同じように発酵させることはできるけれど、パンは生きもの。酵母の発酵を自然にまかせることによって、季節に合った味や食感が得られるのではないかと思います。人間だって季節によって欲するものは変わるんですから」
 2005年夏から石垣市内でパンを焼き始めた。南島と高温多湿なヨーロッパでは気温も湿度も違い、苦労の連続だ。「冬でも氷水で生地をこねるなど、生地の様子を見ながら作っています。同じ材料でも、手の温度や扱い方によって、びっくりするほど出来上がりが変わるんです」
 レーズンを水に漬け、レーズン表面に付着していた酵母菌が発酵し始める。そして、培養環境によってさまざまな有用な菌の働きが加わり、複雑な風味が生まれる。雑菌の繁殖を抑え、おいしいパン種を育て続けるには、温度管理や栄養分の補給などきめ細かなケアが欠かせない。大久保さんは6年前から育てている種を「酵母ちゃん」と呼び、なるべく留守をしないように心がけている。「犬や猫なら預けられるが、酵母ちゃんを預かってもらうことはできないので、1泊か2泊しかできないですね」と笑う。
 季節に合わせ、バナナの時期には島バナナと黒糖を使ったパン、冬至にはかぼちゃあんのあんパンなど、少量ながらいろいろな種類のパンを手がける。もちもちしたベーグルもファンが多い。大久保さんにとって、パンは人に幸せを感じてもらうものだ。「パンは愛でふくらむ」――パンづくりを教えてくれた人から聞いた言葉だ。パンを買ってくれた人との交流が、作り手にとっても活力になる。店の名前は「一つ一つのパンを、麦で作った料理として手渡したい」という思いで付けたという。
 今日も「酵母ちゃん」の様子を見ながら、喜んでくれるお客さんの笑顔を思い浮かべてパン生地をこねる。

さまざまなパンと人生

「天然酵母のパン たなかさんとこ」は、島の北東部、野底というところの県道79号線沿いにあり、市街地から車で40分ほどかかる。レーズンパンや木の実パンなど平均20種類のパンが並ぶ。パンの種類によって、レーズン酵母、ヨーグルト酵母、市販の天然酵母などと使い分けているのが特徴だ。

天然酵母の味わいが楽しい「田中さんとこ」のパン

 店主の田中辰哉さんは「どの酵母でもパンはできますよ。クワの実でも、バナナでもリンゴでも。マニュアルがなく、いろいろなやり方があるのが面白いところでしょうか」と話す。
 東京都出身の田中さんは1964年生まれ。10代のころから石垣島をよく訪れていた。どこか静かなところに家を建てたいと願い、パンを焼く技術を身につけた後、昔からの知人がいて、なじみのある土地ということで石垣島へ2002年に引っ越した。店のオープンは2006年だ。確か私もそのころ、ドライブの途中で買った覚えがある。
 理想のパンは「100年前のヨーロッパの菓子パン」という。膨張剤などを人工的な材料を使わず、砂糖や塩も精製しないものを使っている。「島は、パンを焼くには全く向かないですね」と苦笑する。ともかく暑さが一番の難敵という。小麦粉は冷凍して保管し、生地も氷で冷やしつつこねなければならない。
 オリジナルの「うーじパン」は、サトウキビのジュースを使ったパンで、何ともいえない上品な甘みが特徴だ(「うーじ」はサトウキビのこと)。はちみつバター、木の実、クランベリーなど、大ぶりの丸いパンが並んだ様子を見ているだけで、何だかほっとする。
 ここ数年で急にパン屋さんが増えたことについて、田中さんは「初期投資が比較的少なくて済むということが大きいのかもしれません」と見る。「中古のオーブンを使えば出費も抑えられるし、生ものを扱う寿司屋などと違って、あまり食中毒の心配をしなくてよいのも安心。脱サラした人や、趣味でパンを焼いていた主婦が起業するには、ちょうどいいんじゃないでしょうか」
 同じ意見を持つのが、石垣島で最も古いパン屋さんの1つ「メルヘン」の2代目、森田一史さんだ。「メルヘン」は創業から30年以上続く老舗で、市役所に近い町の中心部にある。石垣島出身の父と沖縄本島出身の母が創業した店を手伝っている。

「メルヘン」のパンはやさしい軟らかさ

「この10年でパン屋がどっと増えたのは、あまり大きな設備が要らないからかもしれません。そして、小さなベーカリーがたくさんあっても、お客さんはそれぞれの好みに合わせて買いに来るので、案外競合しないんです」
「メルヘン」の店頭には、クリームパン、カレーパン、メロンパンなど、定番の菓子パンや総菜パンがずらりと並ぶ。流行に合わせて開発した「ラー油チーズパン」などもあるが、基本的には昔ながらのパンが中心だ。店に入ってくるなり、『わぁ、あんドーナツ、超ひさしぶり!』と喜ぶ旅行者もいるという。
 森田さんは「天然酵母にこだわる店、本格的なヨーロッパ風のパンにこだわる店、いろいろなパン屋が出来てもうちはうち。それよりも大型スーパーの進出の方が脅威です」という。
 島内には、「サンエー」、イオングループの「マックスバリュ」などのチェーンストアが4店舗ある。「サンエー」の石垣店が1998年、「マックスバリュ」の1号店が2000年にオープンしている。店内にベーカリーを備えたところもいくつかある。「パンは毎日買うものだから、これは大きな痛手でした。でも、うちの場合は、昔から住んでいる近所の人たちが朝夕買ってくれるのがうれしいですね」
 お年寄りや子どもに好まれるやわらかさも、根強い人気の秘密かもしれない。「ものすごく高齢で、パンを買いに来る途中で倒れやしないか、と心配になるくらいのおばあちゃんもいますよ。うちの孫はここのパンしか食べない、なんて言ってもらえると、世代を越えて愛される店である幸せを感じます」
 固定客をつかみ、独自の味わいを大事にすること――。それは、2010年2月に「スマイルサンド」をオープンした戸塚勝敏さん、泰子さんたちにとっても鉄則だ。2人が石垣島で出会ったとき、勝敏さんはホテルのシェフを経てレストランに勤務し、泰子さんはホテルの従業員だった。メロンパンの好きだった泰子さんがホテルを辞めて、市内にパン屋を開いた後、いずれ自分の店を持ちたいと考えていた勝敏さんも一緒に働くことを決めた。現在の店は、新たなコンセプトに基づき2人でリニューアルしたものだ。

「スマイルサンド」の戸塚泰子さん、勝敏さん

 泰子さんは「石垣島はパン屋にとって激戦地。でもサンドイッチ専門店はまだなかったので、夫の腕を生かし、低価格でレストランのおいしさを味わってもらおうと考えました」と話す。注文を受けて作る熱々の「ホットサンド」は、ベーコンやチーズがたっぷり入っている。テイクアウトできるミネストローネやクラムチャウダーなどは「スマイルサンド」ならではの本格的な味だ。小さな子どものいる家庭から、お誕生会のためのパーティーセットの注文を受けることも多い。
 メロンパンは出発点となった大事なアイテムだが、戸塚さん夫婦はお客さんの好みや提案を生かした新しいパンづくりに取り組む。「卵サラダが入っているといいな」「和風のサンドイッチはないの?」といった声を参考に、卵サラダと鶏のから揚げが入った「親子サンド」や、きんぴらごぼうと「きんぴら和牛サンド」といったサンドイッチが考案された。
「各々のパン屋さんに得意なパンがあり、それを目当てに来るお客さんがいる。自分たちの作りたいパンだけでなく、島の人たちの求めるパンをお客さんと一緒に作っていきたいです」と2人は話している。
 新しいパン屋さんが次々にオープンした背景には、石垣島が開かれた環境だということもあるだろう。パン屋に限らず「島の人が寛大で新規開業がやりやすい」という声を何度か聞いた。多様なパンは、石垣島の文化の1つとなりつつあるのかもしれない。

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