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Report 街・国・人
第11回 革命のエジプトに行ってきました
10/03/28

ジャーナリスト 田嶌徳弘

BBCアメリカに取材されるも……

再オープンしたエジプト考古学博物館

 カイロ2日目の日曜日、エジプト考古学博物館がオープンした。閉鎖されていたのは、大規模デモの続いたタハリール広場に隣接していて、展示物が盗まれたりもしたからだ。博物館への入り口では軍の兵士が身元を確認し、戦車6両が並んだ。博物館の中も各コーナーに銃を構えた兵士が立っている。外国人観光客の姿は少なく、エジプトの国旗や広場で売っていたカードをぶら下げたエジプト人が大半だった。黄金のマスクで知られるツタンカーメンの像が置かれている2階の3号室は、普段なら順番待ちの列ができるほどだが、この日はガラガラだった。博物館ではBBCアメリカ(ラジオ)の取材を受けた。外国人が極端に少ないせいだろう。

黒く焼けただれたまま残されている国民民主党本部ビル

 歩き疲れて外に出ると、えっ何これ? 異様な風景が眼前に広がった。それは壁面が黒焦げに焼けただれたビルだった。ツタンカーメン王やネフェルティティ王妃、ハトシェプスト女王の世界に浸っていたのに、いきなり現実に戻された。ムバラク大統領の与党である国民民主党のビルだった。黒焦げになったのは反政府デモが盛り上がった1月28日夜。治安部隊は催涙ガスを撃ちまくり、デモ隊は投石や火炎瓶で対抗した。そしてビルは炎上したのだ。このビルは黒焦げのままムバラク政権の象徴として残るだろう。ツタンカーメンには及ばないだろうけど。

モロヘーヤ・スープとチキン、ライス、タヒーナが並んだテーブル。あれ?ここにもステラがあるけど……

 BBCアメリカの記者に博物館の中で取材された内容は、なぜこの時期にエジプトに来たのか、ということだった。で、ムバラク退陣を知って来た、革命を見たかったから、と答えると、観光客らしくないと思われ、マイクを下げられた。でも、宿泊しているホテルには新しい客が来た。しかも家族連れで、イギリスからやってきた。中年の夫婦と高校生くらいの長女、小学生くらいの男の子2人。僕もなぜ?と尋ねた。お母さんは、3ヵ月前に予約していたから、キャンセルしてもほとんど前金が戻らないから、思いきってきた。こんな答えだったらBBCも喜んだかも。その一家は到着した夜、街にでかけ、子供たちは戦車に乗って大はしゃぎだったと話してくれた。
 博物館の近くに「アラベスク」という「高級アラブ料理」のレストランがある。ランチなら、それほど高くないだろう、と踏んで、入ってみると、お客さんが全然いない。博物館と同じように閉店していて、その日が再オープンの日だった。エジプトなら、一度は食べてみたいのが粘り気たっぷりのモロヘーヤ・スープだ。半身のチキン、スープ、ライスだけで十分。これで55ポンド(770円)だから、「高級」にしてはまずまずだろう。

女性専用車両で叫ばれて

ラムセス駅で連結部に乗って移動する人たち

 カイロを離れて、地中海に面したエジプト第2の都市、アレキサンドリアを日帰りで訪ねた。古くからの知り合いで、アレキに住んでいる日本人の中東専門家と再会するためだ。カイロからは鉄道が早い。特急なら2時間半。料金は2等で490円、1等は700円。やっぱり交通機関は安い。エジプトに来るときの飛行機がエコノミーなのだから、せめてアレキへは1等車に乗ってもいいだろう。列車はラムセス駅から出る。東京でいえば、東京駅に当たる。9番線のホームで待っていると、隣のホームの列車の連結部に人の姿が。この光景は15年前と変わっていない。あと、隣のホームに行くのに、線路を横切る人は多い。これも15年前と変わっていない。

アレキサンドリアの美しい海岸通り

 アレキサンドリアは海岸が美しい。とはいえ、警察署や治安本部が焼き討ちにあい、そうとう荒れたはずだが、知人の車で回って見た限りでは、従来の生活を取り戻しているようだった。無論、重要と考えられるところには戦車や装甲車が配備されている。さあて、カイロに戻らなくちゃ。

地下鉄ムバラク駅のホームにあった時計

 カイロに戻ったのは午後10時前。ラムセス駅からは地下鉄でタハリール広場に行ける。ラムセス駅から乗り換える地下鉄の駅名はムバラク。おお、ここにその名があったか。今度はムバラクからサダトに向かう。地下鉄は均一料金の1ポンド(14円)。それでも自動改札をすり抜ける人がいるので、監視員が立っている。地下鉄のホームの時計はアラブで使われている数字だ。いわゆるアラビア数字(算用数字)はアラブ世界では使われていない。電車が来たので乗り込むと、スカーフ姿の女性が声を上げている。どうも抗議されているようなのだ。その女性の言葉は「レディー、レディー」と聞こえた。ふと、車両内を見渡すと、乗客は全員女性ではないか。女性専用車両だった。これは失礼しました。と隣の車両に写ろうとすると、閉まっている。女性たちは、いいのよ、そのままで、あなたいい男だから、とは言ってくれなかった。

タハリール広場に掲げられた横断幕

 次の駅で隣の車両に移ったが、女性たちはさすがに止めはしなかった。後でエジプトの女性(30)に聞くと、「私の子どものころからある」という。ということはカイロに住んでいた15年前にもあったわけで、知らなかったという言い訳は通りそうもない。サダト駅を降りると目の前はタハリール広場だ。もう10時過ぎなのに、ざっと1000人くらいの人がいる。どうも集会があったらしい。張り出された横断幕には「革命後達成されていないことはまだこれだけある」と書かれていた。一つ、現在の内閣は承認できない。適格な人たちによる内閣を作れ。一つ、市民の代表2人と軍の代表からなる評議会を作れ。一つ、抑留者を直ちに釈放せよ。一つ、民衆を殺した者を裁判にかけよ。一つ、治安当局を解体せよ。一つ、非常事態令を解除せよ。以上。

 

オヤジたちは何してるんだ?

リビアの窮状を訴える2人の若者

 その集会では、リビアに対する抗議もあった。産油国のリビアには約150万人のエジプト人が出稼ぎで働いていて、死者も多数出ているとエジプトのテレビが伝えていた。リビアは隣国だし、決して他人事ではないのだ。
「若者たちの革命」と言われるが、考えてみるとカイロ到着後出会ったエジプト人は大半が20~30代ばかりだ。オヤジたちは何をしているのか。

深夜を過ぎてもドミノゲームを続けるオヤジたち

 喫茶店に仲間と一緒に行って、水タバコを注文すること、ああそれがオヤジ。ここは吉田拓郎の「青春の詩」を知っている人ならすぐ口ずさめるだろう。オヤジたちは本当に喫茶店が好きだ。夕方から深夜まで、水タバコをぷかぷかやりながら、紅茶を飲み、そしてゲームをする。ドミノあり、バックギャモンあり、トランプあり。そこに女性の姿はない。そして若者もいない。
 喫茶店といえば、タハリール広場に面している老舗ワーディ・アンニールという店が有名だ。今回カイロに行く前は、この喫茶店に行って、オヤジたちの話を聞こうと思っていた。この喫茶店にはいわくがあるのだ。

タハリール広場に面したワーディ・アンニール。雰囲気も明るくない

 2001年9月11日といえば、誰でも知っている。だが、1993年の2月26日は覚えてない人の方が多い。この日、ニューヨークの世界貿易センタービルが爆破され、1000人以上の死傷者が出た。同じ日、カイロのワーディ・アンニールも爆破され、4人が死亡した。どちらもイスラム原理主義過激派の犯行とされ、同時爆破と見られた。つまり、水タバコをやって、ゲームをするような喫茶店は、退廃的であり、攻撃の対象になったわけだ。もし今回のエジプトの民衆革命がイスラム革命だったら、おそらくオヤジたちも足を遠ざけるだろう。
 オヤジたちは相変わらず喫茶店に来ている。だが、今回の革命の話になると、歯切れがよくない。「すばらしいことだ」「若い連中はよくやってる」「私も支持している」とかで、どうも熱さが感じられない。そこで、オヤジたちが知っている、昔の話を聞いてみた。偉大なるナセルのことを。国民から圧倒的に支持されていたナセル大統領は1970年に心臓発作で急死した。そのときの国民の嘆きはすさまじく、葬儀のときにはエジプト中から人が集まったという。外国からの弔問客も通りを埋めた民衆のため、車が動かせず、葬儀に間に合わない賓客もいたという。そのナセルのときの集まり方と今回ではどっちがすごい?と聞いた。このときばかりは誰もが「話にならない。今回の方がすごい」と話す。そのときはちょっとだけ、目が輝いた気がした。ただあるオヤジは「あのときより今の方が人口が多いからな」と言う。食えないオヤジだ。

若者たちと一緒に戦った作家

アスワニさんの著書。左端が『On the state of Egypt(エジプトの状況について)』

 エジプトに関する英語の新しい本を探しにカイロ・アメリカン大学に行ったときのこと。実はこの大学はタハリール広場のすぐ南側にあって、ずっと封鎖されていて、考古学博物館と同じ20日に入れるようになった。この英語の本を探すなら、この大学内の書店が一番なのだ。15年前にもよく利用した。一番多く平積みされていたのが、アラア・アル・アスワニというエジプトの作家のコラム集『On the state of Egypt(エジプトの状況について)』という本だった。その書店には司書というか本を探すとき手伝ってくれるアドバイザーがいる。その司書のおじさんにこう尋ねた。今回のエジプトの革命を予期したというか、予告していた本で、最近出版されたものは、ないかと。おじさんは、ない、と即答した。「今回の出来事は偶発的だ。だが、あなたの要望に一番近いのがこれだ」と言ったのがその本だった。
 その本にはA4の紙4枚の印刷物が追加されていた。ムバラク退陣後に書かれたものだ。そこには、今回の革命について知りたいことがいっぱい書かれていた。しかも文章がうまい(ちょっとおこがましいか)。アスワニという作家に会いたくなった。その本の一部はサイン本だった。即買った。後日、アラアの小説も買った。エジプト、いやアラブ世界を代表するベストセラー作家であることも調べてわかった。あのタハリール広場に18日間居続けて、若者たちと一緒に戦った人でもある。アスワニさんは毎週木曜夜に「文学サロン」を開いていて、誰でも参加できるという。こういう話は、ラドワと出会ったあのバーで知った。アスワニさんの携帯電話の番号までラドワの友だちが教えてくれた。

インタビューに答えるアスワニさん

 参加できるといっても、アラビア語である。通訳はとても雇えない。それでも雰囲気だけは味わえるだろうと思って行くと、入り口でエジプト人のカップルから「日本の方ですか」と日本語で聞かれた。普段は日本人のガイドをしているという。「おおまかな内容でいいから訳してくれない?」と頼むと、「がんばります」。おかげで、だいたいのところは理解できた。何でもまずは出かけてみるものである。アスワニさんにはそのサロンが終了後、ほんの短い時間だが、英語で話を聞くことができた。今回、会った人すべてに聞いた同じ質問だ。「ムバラク大統領を追放させられると確信したのはいつか」。アスワニさんは言った。「デモの最初から(追放させられる)可能性はあった。しかし、私が確信したのは、国民が死んだときだ。1月28日の金曜日のあの瞬間、私のすぐ近くにいた2人が銃で撃たれて死んだ。内務省は狙撃手を使って、国民を狙撃したのだ。レーザー照準装置の付いた銃だ。私は自問した。そこまでやるのか、と。自分の国民に対して、それほどの犯罪を犯すのか、と。これで彼は終わりだと思った。そしてその通りになった」。

心から国歌を歌えるよろこびに満ちて

 街を歩いていて、ムバラク大統領の写真を一度も見なかった、と書いた。もうひとつ、本来ならあるのに、ないものがあることに気づいた。それは「イスラムのにおい」だ。あごひげの男たちの姿が非常に少ない。
 エジプトには昔から「ムスリム同胞団」という非常に強力なイスラム組織がある。90年代には、もし民主的で公平な選挙が行われたなら、ムスリム同胞団が過半数を制することは確実だった。アルジェリアで実に公正な選挙が行われた91年、開票が進むとイスラム組織が議席の7割を占めることがわかった。それを恐れた軍部はクーデターを起こし、選挙結果を無視した。アラブ各国に民主化を呼びかけていたはずの欧米諸国はこの暴挙をさすがに支持はしなかったが、目をつぶった。その結果がその後何万人もの死者を出す混乱状態をもたらせた。

タハリール広場のステージではコンサートが

 欧米諸国は、エジプトでも同じことが起きると思っているのだろうか。だが、今回のデモを呼びかけたのは同胞団ではなかった。チュニジアでの成功を知った、大学を出ても就職先がない若者たちだった。その呼びかけに、フツーの人々が応じたのだ。だから「反米」のスローガンも「反イスラエル」の声もなかった。みな、よい暮らしを求め、賄賂のない公平な社会を求めた。次に民主的に行われるであろう選挙で、ムスリム同胞団が勝つことはありえない。

パンも売っている

 あっと言う間の1週間だった。タハリール広場の大規模集会は休日の金曜日に行われてきた。着いたときは1日遅れで見逃したが、その1週間後の集会には行くことができた。広場に通じる道路はすべて軍の戦車と装甲車が早朝に封鎖し、身分証を見せないと広場には入れなかった。これは逆に治安がしっかりしているということだ。広場は政治集会の場というより、フェスティバル会場のようだった。エジプト国歌のメロディーがスピーカーから控えめの音量で流れていた。かつてはこの歌を聞くと、耳をふさぎたくなった。独裁政権が国民に愛国心を強制しているとしか思えなかったからだ。だが、今、広場では、親子連れが、三色旗を振りながら、「ビラーディ、ビラーディ、ビラーアディ(我が祖国、我が祖国、我が祖国)」と楽しそうに歌っている。この最初のフレーズは曲名そのものでもある。次のフレーズは「私の愛と心はあなたのためにある」。エジプトの人たちは自分たちの力で政権を倒し、革命を成し遂げた。だから、心からこの歌を歌えるようになったと思う。外国からの旅行者だって、なんて美しい歌なんだと思うほどだから。

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