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新書の「時の人」にきく
08 文化人類学的アプローチによる「手話・ろう文化」の理解とは
文化人類学者 亀井伸孝
手話は世界共通ではなく、文法もあり、国によって異なる言語である。「ろう者」を妻にもつ文化人類学者・亀井伸孝氏が、手話を話し、音を使わない人たちの社会を異文化としてとらえ、文化人類学の観点から考察した『手話の世界を訪ねよう』(岩波ジュニア新書)を出版した。アフリカでの体験からろう者の世界を研究するに至った過程や、手話が言語として社会にどのように位置づけられるべきかなどを聞いた。
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1.ろう者の世界は"お隣の異文化"
2.中・高校生に「ものの見方」を教えたい
手話の世界を訪ねよう
亀井伸孝著
(岩波ジュニア新書)
1
ろう者の世界は"お隣の異文化"
――
ジュニア新書ということで、若い読者向けの手話入門書と思ってページをめくってみますと、意外にも、手話の会話表現を学ぶといった内容ではありませんね。
亀井
 はい。手話の入門書ですが、これまでの手話の本とは違った切り口で書いています。手話の会話を学ぶ前にだれもが知っておいてほしい大切なこと、たとえば、手話は世界共通ではない、手話は身振りではなく独自の文法をもつ言語である、手話の会話には特有のマナーがあるなど、おもに文化の側面の基礎知識を紹介することを中心にした本です。手話を学ぶ一歩前の、「手話の世界の入り口までのガイドブック」に当たるでしょう。手話に興味を持った方は、ぜひ自分でその世界を訪れてみてほしいと思いますが、この本に書いてあるろう文化(ろう者の文化)の基本的なことを学んでからろう者に会いに行くと、きっと手話の学習もスムーズになるのではないかと思います。
――
一般的には「ろう者」という言葉はまだなじみがないと思うのですが、この言葉は「聴覚障害者」とは意味が違うのでしょうか。
亀井
 はい、違います。ろう者とは、「耳が聞こえない」「手話を話す」という特徴をあわせもつ人たちのことです。「聾者」と漢字で書くこともありますが、基本的に意味は同じととらえています。一方、「聴覚障害者」とは、耳が聞こえない、あるいは聞こえづらい人たち全体を指す、広い意味の言葉です。この中には、耳が聞こえづらい「難聴者」、音声言語を覚えた後に人生の途中で聴力を失った「中途失聴者」も含まれ、手話ではなく音声言語を話して生活する人たちも少なくありません。つまり、聴覚障害者すべてが手話を話すろう者だとは限らないのです。「ろう者」を「聴覚障害者」と言い換えてしまった場合、「手話を話す」という意味が抜け落ちてしまうことがあるので、注意が必要です。また、ろう者たちは、「ろう者」という自称を愛着とともに使っていることが多いので、聞こえる人たちも勝手に言い換えたりせず、その自称を尊重したいものですね。なお、耳が聞こえる人たちのことを、聴者(または健聴者)と呼んでいます。
――
先生のご専門である「文化人類学」と「手話」ですが、何かつながりはあるのでしょうか。
亀井
 あります!「文化人類学者」による「手話」の本、それがこの本の特色なのです。手話は音声言語と同じく、人類が生み出した多様な言語や文化の一部です。ですから、世界中の文化を相手にする文化人類学がこの課題に取り組むというのは、けっして特殊なことではありません、むしろ必要なことです。そこのところを、私は声を大にして、手話も大にして伝えたいと思います。社会福祉や教育分野で手話に取り組んでいる専門家はたくさんいらっしゃいますし、本も多く出されています。ですから、文化人類学者である私にこそ書けるような本を、と取り組んだのが、今回のジュニア新書です。
――
ろう者が話す手話が「音声の代わりに使われている身振り」ではなく、音声言語とは違う独立した「言語」だということが次第に認められるようになってきたのは、最近のことだそうですね。
亀井
 はい。例えば、『広辞苑』の「手話」の項目を見ると、手話が初めて「言語」と定義されるようになったのは、2008年に改訂された「第六版」のことで、ごく最近のことです。「手話は言語だ」という考えが広まる以前は、身振りやジェスチャーと同様のもの、抽象的な概念は表現できない音声言語より劣ったもの、という思いこみが一般にありました。今でもそうした誤解は根強くあります。ろう教育でも、ろうの子どもたちが聴者と声でコミュニケーションできるようになることが目標とされ、ろう者が自然に覚える手話を禁止し、唇の動きを読み取ったり自分で声を出したりするための訓練をする「口話法」を採用してきた歴史があります。この手話否定の教育は、長らくろう者たちを苦しめてきましたが、最近では世界中で見直しが進んでいて、手話の使用を認めるろう学校も次第に増えています。ただし、日本政府の見解としては、「手話という言語で教育する」という方針への転換にはまだ至っていません。
――
手話は世界各国で違っていて、日本で使われている「日本手話」とアメリカで使われる「アメリカ手話」は全く違うそうですね。そのようなことを聞くと、「世界共通にすれば便利なのに」ということを言う人もいますね。
亀井
 はい。しかし、音声言語が地域によって違うのと同じように、手話は各地のろう者たちが長い歴史のなかで育んできた言語ですから、違うのは当たり前のことです。まずは、その違いを尊重して学ぶことが大切でしょう。「手話は、聞こえる人たちがろう者のために作って与えたもの」のような誤解をしていると、このように、実態も歴史も文化的背景も知らないで「手話を統一すべきだ」と言うような発想になってしまうのでしょう。

 このように、手話については、ふつうの理解以前のごく基本的なことが聴者に共有されていません。「手話は世界共通ではないの?」「ジェスチャーとどう違うの?」など、聴者たちが素朴な誤解や無理解に基づいて、ろう者を質問攻めにします。聞く方に悪意はないと思いますが、そのことでろう者が多大な時間と労力をかけなければならない現実は、フェアではありません。「当事者であるろう者が説明するのがよい」という言い方で本人たちに負担を丸投げしてしまうのではなく、聞こえる人たちが学んだ知識を広く共有し、初学者をろう者の世界の入り口まで案内する役割を分担することも必要ではないかと考えています。この本は、そのような試みのひとつです。
2
中・高校生に「ものの見方」を教えたい
――
岩波ジュニア新書といえば主に中・高校生向けのシリーズですが、大人の入門書としても定評があります。こちらに書くことになったきっかけについて教えてください。
亀井
 以前、同じ岩波ジュニア新書の『アフリカのいまを知ろう』(山田肖子編、2008年)のなかのインタビュー記事として「ろう者と手話」という章を担当し、アフリカのろう文化について書く機会をいただきました。その後、編集担当の方から「今度は異文化理解の観点で、手話について一冊書きませんか」というご提案をいただきました。聴者に手話とろう者の基本的な知識を提供し、ろう者がいちいちすべてを説明しなければならない負担を軽減する手伝いができないだろうかと思っていたところだったので、編集部からお話を頂いた翌日には、もう企画書と目次を書き上げてメールで送りました。
――
異文化理解の観点とは具体的にどういうことでしょうか。
亀井
 基本は、フィールドワーク、つまり、自分の知らない文化の現場に行き、直接見て学ぼうという発想に立ちます。また、相手の文化について善し悪しを言ったり、相手をいきなり変えようとしたりするのではなく、まずは謙虚に相手のことを教えてもらおうという姿勢を大事にします。文化人類学という学問は、そのための最適の道具(ツール)をそろえています。
――
ジュニア向けに「文化人類学」は少し難しいような気がしますが?
亀井
「学」というと難しそうですが、つまり「自分とは違う人たちと分かり合えるためのコツを学びましょう」ということです。
 文化人類学は、知識だけでなく、むしろ「ものの見方」を提案する学問です。異文化をどのように見つめ、受け止め、自分と異なる人たちの世界をどう学んでいったらいいかということについて、方法や姿勢を具体的に提案しています。「参与観察」「文化相対主義」「ラポール」などの、文化人類学の基本的な用語を、中学生に分かるようにコラムで解説しています。このような古典的な概念こそ、いま、ろう者と聴者の間の理解の現場で必要とされているからです。
――
大人でも、文化人類学とは何か、知っているようであまり知らないかもしれません。
亀井
 文化人類学は、植民地主義が世界を覆い尽くしていた時代の、支配する側の学問として成立しました。ですから、当初はまさに「上から目線」というか、支配する側の価値観とまなざしで他民族を理解するなど、過去にあやまちもおかしてきました。しかし、このような対等でない関係を乗り越えるために、先人たちが努力を重ね、対等に近づくための異文化理解の技法をいくつも生み出してきました。それらが、いま、ろう者と聴者の間に起こっているさまざまな問題の解決に、そのまま使えることに気づいたのです。「文化人類学って、けっこう使えるじゃん!」というのが、書き終えたときの率直な印象です。
――
ところで、表紙および本文のイラストは亀井さん自らによるものです。著者が表紙画まで担当するというのは、新書では珍しいですよね。
亀井
 はい。芸術的なセンスはないのですが、線画を細かく描くのは好きです。大学時代、生物学実習で、対象を細かく正確にスケッチする訓練を徹底的にしました。その後、アフリカでフィールドワークを始めたときも、言葉が通じない相手でも絵を描けば物の名前を教えてもらえたり、子どもたちに喜ばれたり、意外なところで重宝しました。新書のイラストについては、ほかの方に依頼するよりも、手話とろう文化を見慣れている著者が自分で描いた方が、本文にもっとも適したイラストになるだろうという編集者の方との相談もあって、すべての絵を描きました。編集者の方にのせられて、勢いで表紙まで描いてしまいました(笑)。中には、手話のマンガにあえて日本語訳を付けていないものがいくつかあります。手話を学んでからもう一度見ていただくと、絵の中のろう者たちが何を話しているのか分かるものがあると思います。
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PROFILE

亀井 伸孝

東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所研究員
専門は、文化人類学、アフリカ地域研究

1971年生まれ。東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所研究員。
日本手話研究所外国手話研究部研究員。京都大学大学院理学研究科博士後期課程修了。理学博士。手話通訳士。

主な著作:
手話でいこう:ろう者の言い分 聴者のホンネ』(秋山 なみとの共著、ミネルヴァ書房 )
『アフリカのろう者と手話の歴史ーA・J・フォスターの「王国」を訪ねて』(明石書店)
『遊びの人類学ことはじめ : フィールドで出会った〈子ども〉たち』(編著、昭和堂)
亀井 伸孝さんのHP:
http://kamei.aacore.jp/
 

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