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[知ることの価値と楽しさを求める人のために 連想出版がつくるWEB マガジン
新書の「時の人」にきく
08 文化人類学的アプローチによる「手話・ろう文化」の理解とは
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3.先進国とはちがうアフリカのろう教育と出会う
4.引越してからは手話も東京方言に
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先進国とはちがうアフリカのろう教育と出会う
――
今は主にアフリカの研究をされているそうですが、学生時代からこうした分野をめざして勉強してきたのですか。
亀井
 大学の入学当初は、想定していなかったですね。数学や物理が好きで理系の学部に入ったのですが、何とも放任的な大学だったこともあり、しばらくは専門を狭めずに興味のおもむくままにいろいろな授業をとって学んでいました。それは、自分の性格にも合っていたと思います。最終的に人類学を選び、その後、アフリカの狩猟採集民の研究にたずさわります。狩猟採集民の子どもたちの生活や遊びについて長期調査をしまして、それが博士論文のテーマとなります。手話について本格的に調査を開始したのは、博士課程修了後のことです。
――
手話に出会ったきっかけについて教えてください。
亀井
 大学院生の頃、偶然見たドキュメンタリー映画で手話の世界のことを知り、自分が知らなかった世界に飛び込んでみたいという一心で手話(日本手話)を学び始めました。ただし、その後すぐに研究のためにアフリカに1年以上も滞在することになり、せっかく覚えた日本手話は、いちどすっかり忘れてしまったのです。
――
最初にアフリカへフィールドワークに出かけた時に、アフリカの手話との出会いがあったのですね。
亀井
亀井氏の画像  はい。狩猟採集民研究のためにカメルーンを訪れましたが、現地にはどんな手話のコミュニティがあるだろうと、本来の研究テーマと並行して調べていました。すると、先進国とは違った手話の歴史があったのです。植民地時代の旧宗主国だったフランスやイギリスの手話の影響が強いかもしれないと思っていたら、案外そうではなく、植民地支配に関わっていないアメリカの手話との関わりが強かったのです。ろう学校の教師や卒業生に話を聞くと、かならず名前が出てくるキーパーソンにたどりつきます。アンドリュー・フォスターというアメリカの黒人ろう者で、牧師さんですが、この人がカメルーンだけでなくアフリカ13ヵ国にろう学校を作ったのです。しかも、日本やヨーロッパのろう教育が手話の使用を制限していた時代に、アフリカではろう者たちが自ら手話で教える学校を31校も作っていたというから、本当に驚きました。アフリカのろう教育が、先進国とは違う歴史を歩んできたのはなぜか。これは新しく取り組むべきテーマであると直感し、その後一冊の本にまとめることもできました。

(注;アフリカのろう者と手話の歴史 : A・J・フォスターの「王国」を訪ねて 亀井伸孝著 -- 明石書店, 2006.12, 254p.)
――
「英検」(実用英語技能検定)の試験方法の改善を求める運動に関わったそうですね。
亀井
 アフリカから帰り、日本でふたたび日本手話の世界にのめっていた頃のことです。短大の英文科を卒業したろう者の知人が、英検を何度受けても2級に合格できないという不満を持っていることを偶然知りました。英検にはリスニング問題や口頭の面接試験があり、試験問題が聞きとれないために、英語の知識があっても試験では不合格とされてしまうのです。当時会社員だった彼女は、「悔しいから、聞こえなくても取れる他の試験を受けて、資格を集めまくっている」という経験談を、今でいうブログのような、インターネット上の日記に書いていました。その頃の私は、「聴者は手話さえ話せれば、ろう者と完全に対等になれる」と思い込んでいたのですが、一般社会の状況はどうやらそうでないらしい、その壁は厚いと知らされるきっかけとなりました。聞こえないというだけの理由でろう者が不利益をこうむり、制度や常識の無理解に阻まれて、人生の可能性をあきらめなければならないことも現実には起きています。そのようなことを身近に知るきっかけとなり、見過ごすことができなくて、英検の試験方法の改善を求める運動の支援を始めました。
――
その時の女性が、今の奥さまだとお聞きしました。
亀井
 ええ。始まりは、ネットの日記を読んだ私が「こんな制度、おかしいよねえ」というメールを送ったという「おせっかい」だったんですけど。それが、結果的に二人の人生を変えてしまったと言いますか…。聞こえない人に対する試験制度の問題は、英検協会でも当時検討中だったようで、思ったよりも早く、半年ほどで、「音声を聞く代わりに字幕を読み取る」などの聞こえない受験者のための特別措置制度ができました。彼女の体験が新聞に取り上げられたことも大きかったようです。この制度を利用して彼女は英検1級まで合格、その後大学にも編入学することになります。音声で進められる大学の講義には、手話通訳やノートテイク(筆記通訳)などの支援が必要なのですが、当初大学は「自分で努力するように」と、冷淡な態度でした。彼女や大学内外の支援者とともに大学へ働きかけた結果、「通訳者を育成して雇い、授業に配置する」という制度ができました。教員免許を取得して卒業した彼女は、今では公立ろう学校の教諭になり、手話を使って聞こえない中学生たちに英語を教えています。人生、変われば変わるものです。なお、大学での通訳をめぐる取り組みについては、妻との共著のエッセイ集を刊行したことがあります(秋山なみ・亀井伸孝『手話でいこう : ろう者の言い分 聴者のホンネ』ミネルヴァ書房、2004年)。
――
ろう者を高等教育から遠ざけていた過去を反省し、ろうの学生に支援を提供するのは当たり前のこと、という社会認識が生まれるといいですね。通訳など専門家の養成も必要ですが、一般の学生でも手話の基礎知識が学べる場があれば、大学での支援スタッフ育成にも役立つのではないでしょうか。
亀井
 例えば関西学院大学の新しい学部では、2008年度から語学科目として「日本手話」を開講しました。学生が語学のひとつとして手話を勉強し、単位を取得することができるのです。いずれ、他の大学にもそうした動きが広がるといいなと思っています。専門家を養成するためだけではなく、一般の人の中に、教養として手話の基本やろう者についての基礎知識を身につけたことがある人が増えていくといいですね。
――
今ある語学科目、例えば英語、ドイツ語、フランス語、中国語、韓国語といった選択肢に「日本手話」が加わる、と言うことですね。より多くの大学で広めていくための課題はありますか。
亀井
 重要なのは、手話講師として大学がろう者を迎え入れることだと思います。手話を学ぶというのは、手の形や動きを覚えることだけではありません。ろう者ならではの日常的なマナーやふるまい、手話の歴史、ろう者の生活と価値観など、手話という言語の背景にある文化をあわせて学ぶためには、やはり、当事者であるろう者が中心になって教えることが重要だと思います。また、聞こえる学生たちが、声や耳に頼らずに聞こえない人ときちんとコミュニケーションする訓練を積むためには、ろう者が担当する授業のなかでそれらを体験してもらうのが一番だと思います。かつての私も、授業ではありませんが、ろう者たちの集まりの中にとびこんで、なんとか話せるようになりたいという思いとともに、ずいぶんと鍛えられました。それが、本当に生きた言語を学ぶということなのだと思います。
4
引越してからは手話も東京方言に
――
研究以外の日常生活では、どのような手話を話していますか。
亀井
 ろう者の妻と暮らしていますので、うちの中の公用語は手話です。妻は大阪出身で、私は京都で手話を仕込まれたので、「日本手話の関西方言」を使ってきました。ただ、関東に移ってきてからは、二人とも周囲から新しい手話表現を覚えてきて使うので、「日本手話の関東方言」がかなり入ってきて、最近ではまぜこぜになっていますね。
――
手話にも方言があるというのはおもしろいですね。どういう点に違いがあるのでしょうか。
亀井
 日本手話で言えば、文法はおおむね共通していると思いますが、関東と関西で単語によって手話表現が全く違うものがあります(例「名前」など)。だいたいは文脈で分かるのですが、ユニークな表現が出てくると印象に残りますね。特徴的な方言をいくつか知っていると、初めてお会いしたろう者の方と手話で話していて、この人はもしかして○○地方の出身かな、というのが分かることがあります。NHKが作った手話の番組が全国に放送されるので、地方の人は東京の手話をよく知っていますね。逆に、東京の人が地方の手話を知らないということはよくあるようです。
手話の画像
『手話の世界を訪ねよう』P77より
――
テレビの影響力もまだまだ大きいと思いますが、インターネットが登場したことによって、手話にそれまでになかったような変化はありましたか。
亀井
 動画があつかえるようになり、文字ではなく手話で直接伝達ができるようになったのは大きな変化ですね。オバマさんが大統領選挙で当選したとき、アメリカのろう者たちが「私たちはオバマ大統領の名前を手話でこう表現することにしました」とYouTube(動画投稿サイト)で発表し、その情報が世界のろう者たちの間のメールで次々に転送されて、私も地球の裏側でできた新しい手話をネットで見ることができました。また、ウェブカメラを使って、外国のろう者と延々と手話でおしゃべりすることなども、珍しくなくなりました。
――
携帯電話も、ろう者の生活を変えたのではないでしょうか。
亀井
 ケータイは、ろう者の生活を大きく変えたかもしれませんね。連絡手段が少なかったかつては、ろう者の慣習として、「知人が突然自宅を訪ねてきても許容する」というのがあったそうですが、ケータイが普及して、最近では事前にメールで連絡をすることがふつうになっているようです。ケータイのカメラで自分を撮りながら、片手で手話を話している人もいます。ただし、このような技術革新やそれに伴う新しい変化は、世代間でも違うかもしれません。
――
この本は手話の入り口までのガイドブックということですが、実際に「手話を覚えてみたい」と思った読者は次にどうすればよいでしょうか。手話の教科書や入門書が必要でしょうか。
亀井
 まずは、ろう者に会うのが一番いいと思います。ろう者の行事に行ってみたり、あるいは自治体などが主催する初心者用の手話講座、サークルなどに参加したりするのもいいかもしれません。私は、本で手話の学習を進めるのはおすすめしません。手話のテキストは、覚えた手話を思い出したり忘れないようにしたりするためには役立ちますが、手話の絵や説明だけを見て一から学ぶことは難しいと思います。手話を勉強しているけどろう者に会ったことがない、というのでは、そもそも何のために手話を学ぶのかよく分かりませんし、上達も難しいでしょう。
――
この本をどんな方に読んでほしいですか。
亀井
 手話に素朴な興味がある生徒・学生のみなさんや、大人のみなさん。なるべくやさしめに書いてありますので、中学生以上のすべてのみなさまにおすすめです。また、手話の勉強はしていないけれど一通りの知識を学んでみたいという、一般教養の本としても手に取っていただければと思います。ろう者の方がたには、聴者たちの誤解や偏見に直面したときに、一から説明する手間を省くための小冊子として活用いただけたら、著者としてはうれしく思います。

 それから、政治家のみなさんには、ぜひ読んでいただきたいですね。手話は言語である、しかも法制化によって積極的な権利擁護が求められている少数言語であるという点を理解していただき、手話を公用語に制定する道を検討してほしいと思います。諸外国の例、たとえば憲法で手話を公用語と定めた国や、ろう者の国会議員が活躍している国のことなども、いろいろと書いてあります。
――
本が出てからの反響はいかがでしょうか。
亀井
 専門書と比べて新書は手に入れやすく、分量も少な目なので、「読みましたよ!」という反応がとても早かったですね。特に、手話講師をしているろう者たちから、「手話の初学者のためのテキストに使いたい」という意見などをもらえたのがうれしかったです。実際にテキストとして使ってみてどうだったか、感想が届くのを楽しみにしています。聞こえる人たちからは、「こんな世界もあったとは!」という驚きの声などもあって、異文化を紹介する文化人類学者の役割をきちんと果たせた!という感じです。
――
これからの研究活動はどのようなことが中心になりそうですか。
亀井
 これからも、アフリカの文化人類学を続けることと並んで、論文や本を書くなど、大学の研究者という立場を生かした活動を中心に、ろう者と聴者の間の橋渡しのようなことをしていきたいですね。もちろん、手話についての主役はろう者なので、手話に関わりをもつ聴者の私は、あくまでも先回って道の掃除をしておく「露払い」のような役割だと思っています。大学に、会社に、国会に、ろう者がいて、手話があって当たり前、それが常識になるような社会が実現するといいですね。

(2009年7月28日、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所にて)
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