はい。狩猟採集民研究のためにカメルーンを訪れましたが、現地にはどんな手話のコミュニティがあるだろうと、本来の研究テーマと並行して調べていました。すると、先進国とは違った手話の歴史があったのです。植民地時代の旧宗主国だったフランスやイギリスの手話の影響が強いかもしれないと思っていたら、案外そうではなく、植民地支配に関わっていないアメリカの手話との関わりが強かったのです。ろう学校の教師や卒業生に話を聞くと、かならず名前が出てくるキーパーソンにたどりつきます。アンドリュー・フォスターというアメリカの黒人ろう者で、牧師さんですが、この人がカメルーンだけでなくアフリカ13ヵ国にろう学校を作ったのです。しかも、日本やヨーロッパのろう教育が手話の使用を制限していた時代に、アフリカではろう者たちが自ら手話で教える学校を31校も作っていたというから、本当に驚きました。アフリカのろう教育が、先進国とは違う歴史を歩んできたのはなぜか。これは新しく取り組むべきテーマであると直感し、その後一冊の本にまとめることもできました。
(注;アフリカのろう者と手話の歴史 : A・J・フォスターの「王国」を訪ねて
亀井伸孝著 -- 明石書店, 2006.12, 254p.)