そうでもありません。鴨下信一さんの
『誰も「戦後」を覚えていない』、草薙厚子さんの
『子どもが壊れる家』、京須偕充さんの
『落語名人会 夢の勢揃い』、黒岩比佐子さんの
『日露戦争 勝利のあとの誤算』は書き下ろしですが、草森紳一さんの
『随筆 本が崩れる』、最相葉月さんの
『いのち/生命科学に言葉はあるか』は、もとは雑誌に載ったものです。
ついでに1冊1冊宣伝させてもらうと(笑)、鴨下さんの
『誰も「戦後」を覚えていない』は、敗戦直後から昭和25年くらいまでの日本人の生活や感情がどんなだったかを、映像に再現するような心持ちで描き出していきます。鴨下さんはもともとは「岸辺のアルバム」「ふぞろいの林檎たち」などテレビドラマの名演出家ですが、五感をフルに働かせて60年前の日本を描いていて、戦後という時代の空気がよくわかります。読んでいて、途中ジワリと涙が出てくる箇所もあり、戦時下を「生き延びた者の罪悪感」を日本人みんなが共有していた時代というものが伝わってきます。
京須さんの
『落語名人会 夢の勢揃い』は神田明神下で生まれ育って、小学生時代から寄席や名人会に通いつめ、黒門町の桂文楽の家まで探検した少年が、長じて落語のレコードプロデューサーになるまでの半世紀にわたる記録です。高度成長以前の東京の街並みや志ん生、圓生、金馬、志ん朝、小三治など名人たちの生き方、息づかいがみごとに再現されていて、落語本でもあり同時に東京本でもあります。
少年鑑別所の法務教官をつとめたこともある草薙さんの
『子どもが壊れる家』は、神戸の少年Aや佐世保の女子小学生の同級生殺人事件を徹底取材したうえで、なぜふつうの家の子が残虐な犯行へと駆り立てられていったかを、いくつかの要因からさぐっていっています。ゲームの影響など、子育てに再考を迫る本です。
黒岩さんの
『日露戦争 勝利のあとの誤算』は「日露戦争100年」が話題になりましたが、その100年前の事件を手がかりに近代日本を、昭和20年からでなく、明治38年から見ようとしたものです。司馬遼太郎さんが
『この国のかたち』で「日本国と日本人を調子狂いにさせた」と書いた日比谷焼打ち事件がそれです。膨大な資料にあたっているので、あっと驚くエピソードが満載です。たとえば、事件当日でいえば、演説会場の新富座で大乱闘が起き、警察に捕縛されて柱につながれていたのが小泉首相のお祖父さんだったり、夜の銀座で、騒動を見物していて危うく警官に斬り殺されそうになるのが丸山真男のお父さんだったり。もしもその時、父・丸山幹治が斬り殺されていたら、丸山真男は生まれなかったわけですから、“戦後民主主義”もなかったかもしれません(笑)。
『いのち』は最先端の生命科学について、科学、医学のみならず、哲学、宗教学とさまざまなジャンルの専門家と最相さんが対話しながら、生命と科学のあわいをさぐっていったものです。人間の“いのち”を考えるうえで重要な言葉がたくさん散りばめられている本です。
草森さんの
『本が崩れる』は狭いマンションに蔵書数万冊と暮らし、本に占拠された人生を余儀なくされている草森さんが、ある日崩れてきた本で風呂場に閉じこめられるという事件が起こる。そこから脱出へいたる抱腹、超絶、悪夢の本との格闘技で、本好き、とくに積ん読派にはこわいもの見たさもあって、たまらない本です。
なんだか本の宣伝に熱が入りすぎてしまいました(笑)。