高校生くらいまでは読んでいませんでした。大学の時も講義のテキストとして読んだくらいで、積極的に読んだものは少ないのではないかと思います。そういうこともあり、新書のイメージとして浮かぶのは、岩波新書ではなく、むしろ創刊時の中公新書なのです。昭和37年創刊なのでリアルタイムでは知らないのですが、あの頃の中公新書のラインナップや見せ方が面白くて参考になると思っています。たぶん、宮脇俊三さんが中心になって編集していた時代です。
例えば、京都大学の宮崎市定の
『科挙』は、本格的な研究書を一般向けに書いたものですが、サブタイトルに「中国の試験地獄」とあります。当時は「受験地獄」という言葉がはやっていた頃で、こういう見せ方が面白いと思いました。三田村泰助の
『宦官』は、内容はオーソドックスですが、東洋史の大家の本を一般人にも興味がわくような形で出しています。会田雄次の
『アーロン収容所』も西洋史家が捕虜収容所で見た西洋人の実像を伝えていて、どれも専門知識と一般人の好奇心のかけ橋をうまく果していると思います。
昭和29年、30年頃に各社が新書を出し始め、カッパ・ブックス、講談社ミリオンブックス、河出新書などがしのぎを削っていました。それが一段落した後は岩波新書だけが新書であるような感じを一般の人は持っていました。そこに、中公新書、講談社現代新書が出てきて、新書というと「教養新書」というイメージになりました。しかし昭和30年頃は、もう少し別のものだったのではないでしょうか。カッパ・ブックスがのしてくる時期でもあり、その混沌とした頃の新書の作り方は、いまヒントになると思っています。