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[知ることの価値と楽しさを求める人のために 連想出版がつくるWEB マガジン
「新書」編集長にきく

第10回

文春新書編集部長 細井 秀雄さん
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新書は「なんでもあり」。思いきりよくやって「名著を濫発」したい
最近の他社の新書で印象に強く残るものはありましたか?
細井
たいして読んでいないのに決めつけるのは天にツバする行為かもしれませんが、私なりの昨年のベスト1は中公新書の佐藤卓己さんの『言論統制』でした。単行本で出してもおかしくないような部厚い本です。単行本なら2500円以上の定価がつきそうですが、新書だと1000円ちょっとの定価でおさまります。もちろん、内容がよかったという意味でベスト1なのですが、こういうものも新書になるわけで、「なんでもあり」なのではないかと思います。枚数が多ければ、それをどういった形で新書に盛り込めるかを自分たちも考えていきたいですね。
新書は「なんでもあり」ということですが、その中でも今後、特に取り組んでいきたいジャンルはどういったものでしょう。
細井
文春が得意なのは近代史ですが、歴史物が最近は少なくなってきているので、もう少しやらなければと思っています。 未知の筆者や思いがけないテーマを発掘して書いてもらうことも、もちろん考えています。教養的なものがすべてだとは思っていませんし、売れ筋だけを狙うわけでもありません。緊急性のある新しいものもどんどん出していく予定です。
新書は、雑誌と単行本の中間形態だと思うので、ある程度タイムリーであることも踏まえ、それにプラスして、本としての生命が長く続くものを出したいと思っています。何年かたっても読まれる本を無造作に、惜しげもなく出し続けたい。「いい本」を出したいと思っています。「思いっきりよく、名著濫発」というコピーは図々しいのですが、もし出来ればという願望も込められています。
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文春新書から大ベストセラーは生まれない!?
編集部はどのような体制になっているのでしょうか。また、どういったプロセスを経て、制作が進められていくのでしょうか。
細井
編集部は、私も入れて8人です。男性4人、女性4人で30代、40代です。
企画は現場にまかされています。出版の決定は編集部内でやっていまして、基本的に上層部や営業がNOを言うことはありません。現在、月1回の連絡会議は行っていますが、企画会議は現在、実験的に休止しています。各編集部員がやりたいことを直接ペーパーにするか、口頭で伝えるかしてもらい、私が判断しています。
タイトルについては定期的に話し合って意見を出し、担当者と相談しながら決めますが、タイトル会議のようなものはありません。文春新書は今までオーソドックスなタイトルが多かったのですが、これからはどうなるかわからないですね。
これまでの文春新書の中で評判となった本には、どのようなものがありますか。
細井
『民族の世界地図』(21世紀研究会編)と高島俊男さんの『漢字と日本人』が二十数万部で最高です。
現在、出版界の大きな流れとして初版部数は減ってきています。それなのに、編集部で話していても、インタビューを受けても、つい『バカの壁』『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』『頭がいい人、悪い人の話し方』の話ばかりになってしまいます。これは少し違うのではないか。ミリオンセラーを基準に話すのは、かえって不毛なのではないかと、不遜にも考えることにしています。「文春新書から大ベストセラーは生まれない」(笑)という文句をポジティヴに繰り返し、「大ベストセラーは例外中の例外である」と観念して、例外ではないところで何とかすることを考えるべきなのではないでしょうか。どういうものを作るか、どう読者に訴えかけていくかにもっと知恵を絞っていきたいと思っています。大ベストセラーが出ればもちろんうれしいし、それに越したことはありません。しかし長く続けていくためには、ベストセラーを前提とするより、ある一定レベルの売れ筋がいくつもある方が健全だと思っています。
大ベストセラーになるものは、結局はテレビの影響が大きい。『バカの壁』は、日曜の朝のフジテレビ「報道2001」で養老孟司さんが石原慎太郎さんと対談して、そこから10万部単位の増刷になっていきました。
極言すると、みんな、ベストセラー以外の本のことを知らないのです。ずいぶん前から、すべての局面で一極(一冊)集中のマスセールとマイナー世界での通好みの評価はあっても、真ん中がすっぽり抜けている。映画などと非常によく似た状況ではないでしょうか。しかし、本は幅広い品揃えをしているのですから、いろいろな人にいろいろな書物が売れていく可能性が本来的にはあります。富士山ではなく八ヶ岳のように売れている本が並んでいる姿が健全だし、読者からすれば面白い本にも出会えるのではないかと思っています。
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ヒントは50年前の混沌とした新書の世界にある
学生時代は何がご専門で、入社されてからはどのような部署を経験されてきたのですか。
細井
大学は国文科で、漫然と本を読んでいるだけでした。卒業してからも、好きな本を読んでさえいられればいいと気楽に考えていたので、出版社だけを何社も受けました。筑摩書房の方が行きたかったのですが(笑)、内定が出て文藝春秋に呼び出された日がちょうど筑摩の二次試験とぶつかってしまい・・・拾ってくれるところがあればどこでもいいやと、文藝春秋に就職しました。
最初の1年は商品部、次の配属先の『週刊文春』では現場取材もやりました。本を読んでいればいいというのは甘い考えで、全然自分が考えていたのとは別の仕事ばかりさせられてきました(笑)。それから『文藝春秋』、出版部、創刊時の『CREA』、廃刊時の『ノーサイド』、『文学界』、『諸君!』といろいろなジャンルの編集部を渡り歩いてきました。文藝春秋は異動が多く、よほどの専門性がない限り3年くらいで代わっていきます。
新書は昔からよく読んでいらっしゃったのでしょうか。
細井
高校生くらいまでは読んでいませんでした。大学の時も講義のテキストとして読んだくらいで、積極的に読んだものは少ないのではないかと思います。そういうこともあり、新書のイメージとして浮かぶのは、岩波新書ではなく、むしろ創刊時の中公新書なのです。昭和37年創刊なのでリアルタイムでは知らないのですが、あの頃の中公新書のラインナップや見せ方が面白くて参考になると思っています。たぶん、宮脇俊三さんが中心になって編集していた時代です。
例えば、京都大学の宮崎市定の『科挙』は、本格的な研究書を一般向けに書いたものですが、サブタイトルに「中国の試験地獄」とあります。当時は「受験地獄」という言葉がはやっていた頃で、こういう見せ方が面白いと思いました。三田村泰助の『宦官』は、内容はオーソドックスですが、東洋史の大家の本を一般人にも興味がわくような形で出しています。会田雄次の『アーロン収容所』も西洋史家が捕虜収容所で見た西洋人の実像を伝えていて、どれも専門知識と一般人の好奇心のかけ橋をうまく果していると思います。
昭和29年、30年頃に各社が新書を出し始め、カッパ・ブックス、講談社ミリオンブックス、河出新書などがしのぎを削っていました。それが一段落した後は岩波新書だけが新書であるような感じを一般の人は持っていました。そこに、中公新書、講談社現代新書が出てきて、新書というと「教養新書」というイメージになりました。しかし昭和30年頃は、もう少し別のものだったのではないでしょうか。カッパ・ブックスがのしてくる時期でもあり、その混沌とした頃の新書の作り方は、いまヒントになると思っています。
(2005年9月20日、国立情報学研究所にて)
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『言論統制』
佐藤卓己著
中公新書
『民族の世界地図』
21世紀研究会編
文春新書
『漢字と日本人』
高島俊男著
文春新書
『科挙』
宮崎市定著
中公新書
『アーロン収容所』
会田雄次著
中公新書
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