風
 
 
 
 
 
 
[知ることの価値と楽しさを求める人のために 連想出版がつくるWEB マガジン
Series 短歌でよむ日常
語りだすオブジェ 松村 由利子
06/05/31

第22回 サンダル

冷蔵庫、ネクタイ、フランスパン……。日々の暮らしの中、あまりにも近くにありすぎて、ふだんは目にとめることもないもの。歌人がそんな存在に光をあてると、日常のオブジェは生き生きと語りだす。「もの」を通して情感が立ちのぼる。なにげない存在を通して見た短歌の世界を歌人がつづる。

 素足にサンダル、というのがずっと苦手だった。サンダルが苦手というよりも、裸足を見られるのが恥ずかしかったのだ。誰も私の足など眺めることはないと思っても、何だか妙に気になって、さわやかなおしゃれができずにいた。
  そういうわけで、サリンジャーの短編集『ナイン・ストーリーズ』(野崎孝訳)の中では、「バナナフィッシュにうってつけの日」が一番好きだった。主人公、シーモア・グラースは海辺で小さな女の子と会った後、ホテルのエレベーターで一緒になった女性に「あなた、ぼくの足を見てますね」と言い、「何ですって?」と訊き返される。シーモアは「ぼくの足が見たかったらそう言いたまえ」「しかし、コソコソ盗み見するのはごめんだな」と告げた後、部屋に戻ってピストル自殺する。その唐突なラストには、いつ読んでも心を揺さぶられる。見られることの痛み、存在の痛みが素足に象徴されているようで、シーモアの気持ちが少しだけ分かるような気がする。
  サンダルが好きになったのは、海に潜るようになってからだ。ぺたぺたとビーチサンダルをつっかけて浜辺に歩いていくときの開放感に、「なぁんだ、こんなに気持ちのいいものだったのか」と、うっとりした。

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PROFILE

松村 由利子

歌人。
1960年生まれ。
94年、「白木蓮の卵」で短歌研究新人賞を受賞。
98年、『薄荷色の朝に』を出版。2005年11月、第二歌集『鳥女』出版。

鳥女

思いきり愛されたくて駆けてゆく六月、サンダル、あじさいの花

俵 万智

 実に伸びやかな恋ごころが詠われている。「素足にサンダル」が苦手だった私と違い、この作者は、六月になるのを待ちかねたようにサンダル履きとなり、恋人のもとへと駆けてゆく。この歌が発表された当時20代だった作者の若さが、弾むような歌全体のリズムにあふれている。また、「六月」「サンダル」「あじさいの花」という、絶妙の組み合わせに注目したい。それぞれは「夏」という共通項で括れるのだが、月の名称と日用品、花の名というバランスがうまい。若い女性が走ってゆく映像に、サンダルを履いた足元や大輪の紫陽花の大写しがカットバックで挿入されるような、視覚的な効果が楽しめる。
「サンダル」は素足で履くものと決まっている。だから、この歌のさわやかさは、隠れた「素足」によるところも大きい。足元がサンダルであれば、化粧もほんのりとしたナチュラルメイクであろう。「思いきり愛され」ている自信や素直さ、また恋人に対する信頼があるからこそ、サンダルが履けるのだと思う。

サラダ記念日

『サラダ記念日』
俵万智著
(河出書房新社)

ぽつくりサンダルぼつてり重くたどきなくはかなく歩く少女らの脚

馬場あき子

 靴底がとてつもなく厚いサンダルが流行ったことがあった。見るからに歩きにくそうな代物だった。「木履(ぼっくり、ぽっくり)」というのは下駄の底をえぐって後ろを円くしたものだ。前のめりになって歩くしかない履物なので、作者は厚底サンダルをみて「ぽっくり」のようだと思ったのだろう。
 厚底サンダルを履いた中年女性というものは、ついぞ見たことがない。ほっそりとした少女らが履くので、サンダルはなおのこと重たそうに見える。「ぽっくり」という音はかわいらしいが、「ぼつてり重くたどきなく」という表現からは、引きずるように重たげな様子を作者が少し痛ましくも感じていることが窺える。その歩きにくさは何となく纏足を思い出させる。すたすたと大股で歩かず、ゆらゆらと揺れるように頼りなく歩く姿を、男性たちは「かわいい」と思うのだろうか。「サンダル」よりもむしろ「少女らの脚」に着目している作者は、多くを語らない。「はかなく」に青春のはかなさを感じる人もいるだろうが、私は「頼りなく」という意味に重きを置きたい。

世紀

『世紀』
馬場あき子著
(梧葉出版)

サンダルの青踏みしめて立つわたし銀河を産んだように涼しい

大滝 和子

 お気に入りの青いサンダルを履いて立つ。しっかりと立つ。頭上には夏の夜空が広がっているのだろうか。場面は必ずしも夜でなくてもよいだろう。あたりにはさわやかな風が吹いている。「ああ、涼しい」と思う瞬間に、風や空や周囲のすべてと自分が溶け合ったような気持ちよさを感じる作者である。
 この歌の魅力は、何と言っても下の句の「銀河を産んだように」というスケールの大きな比喩にある。その思いがけない表現には全く驚かされる。そしてまた、それが「涼しい」を形容している意外さ。「銀河を産んだように大きい」では、却って尻すぼみになってしまう。「銀河を産んだような充足」でもつまらない。「涼しい」という語をもってきたところで、大きさも充足感も自ずと表れ、「サンダルの青」と響きあう結果となった。
「踏みしめて」という言葉から、裸足でしっかりと立つ姿が見える。ダンスを始めて知ったのだが、速いステップを踏んだり体を素早く回転させたりするには、足指を開くような意識で踏みしめなければならない。日ごろ窮屈なパンプスに押し込めている足は思うように動いてくれず、裸足で生活することの大切さを痛感する。この歌を読んだときの涼やかな幸福感は、「サンダル」から導かれる裸足によるところもあるだろう。飾ることなく、あるがままの自分を受容し、充足している--。文句なしの名歌である。

銀河を産んだように

銀河を産んだように
大滝和子著
(砂子屋書房)

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