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[知ることの価値と楽しさを求める人のために 連想出版がつくるWEB マガジン
Series 短歌でよむ日常
語りだすオブジェ 松村 由利子
06/04/30

第21回 木馬

冷蔵庫、ネクタイ、フランスパン……。日々の暮らしの中、あまりにも近くにありすぎて、ふだんは目にとめることもないもの。歌人がそんな存在に光をあてると、日常のオブジェは生き生きと語りだす。「もの」を通して情感が立ちのぼる。なにげない存在を通して見た短歌の世界を歌人がつづる。

 あれも木馬の一種だったのだろう。子どもの頃、家に馬のおもちゃがあった。馬の部分は普通の木馬と同じように木製だが、それが前と後ろ、2本ずつの太い頑丈なバネに引っぱられる形で、スチール製のパイプに吊るされている。子どもがまたがって体を上下に揺さぶると、バネがびよんびよんと撓(しな)って、木馬は本物の馬のように揺れるのだった。丸くて大きな馬の目がとても愛らしかったことを覚えている。
 それは私のおもちゃではなかった。6歳下の弟のために買われたものだった。母から「あなたはもう大きいから乗ってはダメ。壊れちゃう」と言われ、私はいじけた。3歳くらいだった弟は、そのおもちゃがいたく気に入っていた。木馬にまたがって勢いよく跳びはねる様子は得意げで、本当にどこかへ行ってしまいそうに思えた。実際、あの時の小さな弟は、木馬によってどこか別のところへ連れて行かれていたのかもしれない。小学生になった彼は自転車を乗り回すようになり、知らない町まで遠出しては親を心配させた。やがて対象はバイクとなり、車となったが、どうも弟の奥底には「馬を駆る快感」というものが潜んでいるような気がする。

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PROFILE

松村 由利子

歌人。
1960年生まれ。
94年、「白木蓮の卵」で短歌研究新人賞を受賞。
98年、『薄荷色の朝に』を出版。2005年11月、第二歌集『鳥女』出版。

鳥女

夢に来し木馬やさしくわれを嘗め木馬になれとはつひに言はざり

山田 富士郎

 夢の中の出来事である。木馬が近づいてきて、自分をそっと嘗める。くすぐったくて、あたたかい。嬉しくてたまらず、静かな幸福感があふれてくる。何の疑念も不安もない。ただ、その木馬が自分を大事に思っていることだけが確かなものと感じられる。と、目が覚める。ああ、あの木馬が「あなたも木馬になりなさいよ」と言ってくれたなら、自分は迷わず木馬になることを選んだのに。そうしたら、もう夢から覚めずに、あちらの世界でいつまでも幸せに暮らせただろうに。
 何度読んでも、うっとりさせられる。ことばの響きがやわらかく、幻想的なイメージが美しい。そして、読むたびに悲しみが込み上げる。「つひに」には、「木馬になれ」と言ってほしかった作者の切実な気持ちが滲む。
 しかし、よく考えてみると、どうして木馬なのだろう。試しに「木馬」を「白馬」に置き換えてみると、この歌の幻想的な美しさや哀切さは半減してしまう。木馬という、血の通わぬものだからこそいいのだ。木で出来ていて、あくまでも硬い。愛らしい表情は変わることがない。その木馬に愛されること、そして、自分も木馬になってしまいたいこと--。繰り返される日々の中、誰しも「毎日がつまらない」「会社を辞めたい」といった思いを漠然と抱くことがある。しかし、そうした表層の思いを深め、詩に結晶させられる人は多くない。優れた詩歌を読む喜びは、自分の日常的な思いが、こういう別世界につながっていると知ることである。

アビ―・ロードを夢みて

『アビ―・ロードを夢みて』
山田富士郎著
雁書館

揺れながら前へ進まず子育てはおまえがくれた木馬の時間

俵 万智

 小さな子どもを育てるには忍耐が要る。大人はいつの間にか、“大人の時間”で生きることに慣れてしまっているからだ。女は概して、男よりはゆったりした時間を生きているが、それでも赤ん坊や幼児の時間に合わせるのは容易ではない。
  赤ん坊の成長はゆっくりとしていて、毎日が同じことの繰り返しのように感じられる。木馬は揺れるだけで、前には進まない。「木馬の時間」は、ちっとも進まないように思える子育ての時間なのだ。作者は、その時間の豊かさを存分に味わっている。これまで、前へ前へと急きたてられてきたのだろうか。子どもを産まなければ、こんなにゆったりと流れる別の時間があることに気がつかないまま、人生を終わってしまったかもしれない・・・と、自分の子どもに感謝したいような気持ちでいっぱいになっている。
  これは、ある程度、年齢を重ねてから子どもを産んだ人の歌だと思う。若いうちは、まだまだ自分も前に進みたくてたまらないからだ。比較的若いうちに子どもを産んだ私の母なぞ、「一日も早く大きくなってほしい」と思いながら子育てしていたという。遅めに産んだ私は、子どもが小さい時期を少しでも長く楽しみたかったから、最初の歯が生えてきたのを発見したときは、「ああ、もうこんなに大きくなってしまったんだ」と心底さびしかった。本当に、子どもはすぐに成長してしまう。子育ての時間は「揺れながら前へ進まず」というように見えても、確実に前に進むものだ。この歌の作者も、それを重々わかっていて、その時間を慈しんでいるに違いない。

プーさんの鼻

プーさんの鼻
俵万智著
文藝春秋

バビロンの虜囚となって電飾の石臼を曳く回転木馬

植松 大雄

「バビロンの虜囚」とは、紀元前にユダヤ人がバビロニア軍に捕えられ、バビロンに強制移住させられたことを指す。その当時、「電飾」なんてあったはずはなく、石臼を曳かされている回転木馬が現代人の比喩であることは明らかだ。
  きらきらと電飾を付けて回る回転木馬は、眩しいほど明るい。けれども、木馬は同じところをいつまでもぐるぐると回っているばかりである。回転木馬の台座を離れて木馬が野原へ駆け出すなんて、ディズニー映画の「メアリー・ポピンズ」の中くらいでしか起こらない。どこへも逃げ出せない木馬の絶望は、かわりばえのしない日々を送っている作者自身のものだ。木馬の電飾が明るければ明るいほど、後ろに控えている石臼の闇が際立つ。
  この歌は、「バビロンの虜囚」「電飾」「石臼」「回転木馬」と、イメージ豊かな言葉をいくつも持ってきて賑々しい。その過剰な表現に、作者の若さを見ることができる。木馬の電飾と同様、表現が賑々しいほど、作者のやりきれなさがひりひりと伝わってくる。

鳥のない鳥籠

『鳥のない鳥籠』
植松大雄著
本阿弥書店

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