風
 
 
 
 
 
 
[知ることの価値と楽しさを求める人のために 連想出版がつくるWEB マガジン
Series短歌でよむ日常
語りだすオブジェ 松村 由利子
06/01/31

第18回 バナナ

冷蔵庫、ネクタイ、フランスパン……。日々の暮らしの中、あまりにも近くにありすぎて、ふだんは目にとめることもないもの。歌人がそんな存在に光をあてると、日常のオブジェは生き生きと語りだす。「もの」を通して情感が立ちのぼる。なにげない存在を通して見た短歌の世界を歌人がつづる。

 バナナは哀しい果物である。
 子どもの頃、母親がよく戦争中のことを話してくれた。母がものごころついた頃は、第二次世界大戦の最中だった。甘いものなど手に入らない時代、乾燥バナナというものがあって、それがどんなに甘くておいしかったかという話は、特によく覚えている。黒ずんだバナナを齧る小さな女の子を想像し、小学生の私は悲しかった。黄色く美しいバナナの皮を剥く度に、後ろめたくなった。
 長じて、鶴見良行の著書『バナナと日本人』を読む。東南アジアのプランテーションで低賃金で働かされる人々、農薬漬けとなり大量生産されるバナナの実態を知り、「バナナを食べてはいけない! 搾取に関わってはいけない!」と固く決意する私であった。しかし、そういうふうに考えると、同様の農園で作られるコーヒーや紅茶も飲めないのである。そして、自分が知らないだけで、悲惨な状況で生産されている製品や生鮮物は他にいくらでもあるに違いない。「バナナだけ頑なに食べなくてもねえ」といつも複雑な思いで、安売りのバナナを眺めていた。
 少なくとも7、8年はバナナを口にしなかったと思うが、その頃になって、仲介業者を介さずに生産者から正当な価格で買い取る「フェアトレード」の考えが広がり始めた。豊作や凶作、レートの変動などに左右されず、生産者が安定した生活を送れるよう消費者が支えるという考えだ。「これだ!」と思い、今はできるだけそういったバナナを買おうと心がけている。それにしたって、一人でできることは限られているし、何だか自己満足のようで落ち着かない。私にとってバナナは、いつまでたっても無心に食べることができない果物なのである。

みどりのバナナぎつしりと詰め室(むろ)をしめガスを放つはおそろしき仕事

葛原 妙子

 バナナは、まだ青いうちに刈り取られ、熟成加工室に入れて熟成させられる。熟成には、温度と湿度の管理、そしてエチレンガスの投入が欠かせない。コンピュータで制御された熟成加工室では、室温はもちろん、バナナの中心部分の温度さえ計測されているという。エチレンガス投入のタイミングも含め、バナナ熟成のプロセスは、人の経験と勘に基づいて行われていた昔と同様、秘伝の技術とされている。
 この歌が収められた歌集『原牛』が出版されたのは、1959(昭和34)年。まだ第二次世界大戦の記憶が古びていない頃だ。この歌を読んで、アウシュビッツのガス室で亡くなった人たちのことを連想するのは、当時の読者にはさほど難しくはなかっただろう。今の読者には、注釈が必要かもしれない。しかし、読んですぐアウシュビッツを思わなくても、「みどりのバナナ」の鮮やかで豊かなイメージが、凄惨な下の句へと移り変わるのを読むとき、誰もが不吉な暗示に気づくに違いない。「何だろう、このバナナって・・・」。何か気になりつつ時間がたち、何かの機会に「あっ」とこの歌と「ガス室」が結びつく。そういう出会いがあってもよいと思う。
 バナナという何となくのんびりした形のものを熟成させる仕事と、歴史的な恐ろしい事実とを、鮮やかに重ねてみせたこの歌は、暗い色調で創られた見事なコラージュ作品のようだ。

アフリカのことわざひとつ呟きぬ「ゆっくりゆっくりバナナは熟れる」

中津 昌子

 この歌を作った当時、作者は商社に勤めていた。回線が悪くてなかなか海外へファクシミリ送信できない歌など、職場をリアルに詠った作品がある。そういう日々の中、アフリカのことわざを呟くというのは、どんな場面だろう。仕事が思い通りに捗らないときだろうか。上司の理解が得られなくて、気分が滅入るときだろうか。いずれにせよ、「ゆっくりゆっくりバナナは熟れる」という言葉には、そう呟くだけで心を落ち着かせてくれる作用がある。
 バナナに限らず果実の多くはゆっくりと熟すのだろうが、ここでは「バナナ」が効いている。黄色く長細いユーモラスな形が、「まあまあ、落ち着いて」と語りかけてくるようだ。アフリカのことばには、「ンゴロンゴロ」や「ポレポレ」など繰り返すものが多い。「ゆっくりゆっくり」にはその感じも出ていて、とてもいい。気の短い私は、相手の返事が待ち切れなかったり、何でも一人で片付けようとして焦ったりすることが多い。今度から私も、気がはやりそうになったらバナナのことわざを呟いてみなければ。

チンパンジーがバナナをもらふうれしさよ戦闘開始をキャスターは告ぐ

栗木 京子

 これはまた、何と痛烈な歌だろう。イラク戦争が始まったときの映像を材にとったものだが、開戦を伝えるTVキャスターの様子と共にさまざまなことを考えさせる。
 TVキャスターに限らず、メディアで働く人間には、ニュースになる出来事と遭遇すると心が躍ってしまうところがある。火事の現場に行けば、大抵の駆け出し記者は初めて見る炎と煙に興奮してしまう。カメラを持っていれば、もっと派手に燃えないかな、もっと迫力のある写真が撮りたいのに、と思う。私自身がそうだった。
 イラク戦争が始まったときは、海外ニュースを扱う外信部という部署で、応援要員として待機していた。開戦を伝えるCNNの画面にしばらく見入った後は、次から次に流れてくるAPやAFPなどの外電を翻訳したり、イラクの地図を描いたりする作業に追われた。現場から遠く離れたところでの仕事だったが、気分が昂揚していなかったと言えば嘘になる。本当のところ、それはかなりわくわくする仕事だった。
 そういうわけで、この歌を最初に読んだときは、すぐにCNNのキャスターを思い浮かべた。そして、米国批判の歌だと思い込んだ。だが、何度か読むうちに、それがNHKのアナウンサーであっても民放のキャスターであってもいいことに気づき、「いや、チンパンジーは私だ」と思うに至った。随分と、こたえた。

 バナナ−−幼稚園の頃、「バナナがいっぽんありました〜♪」と歌っていた頃、私とバナナの関係は、とてもシンプルで親しかったのだが。

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PROFILE

松村 由利子

歌人。
1960年生まれ。
94年、「白木蓮の卵」で短歌研究新人賞を受賞。
98年、『薄荷色の朝に』を出版。2005年11月、第二歌集『鳥女』出版。
新聞社勤務。

鳥女

新書マップ参考テーマ

『原牛』
葛原妙子著
白玉書房

風を残せり

『風を残せり』
中津昌子著
短歌新聞社

夏のうしろ

『夏のうしろ』
栗木京子著
短歌研究社