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Series ノンフィクション
ある家族の肖像 渥美 京子
06/01/31

第17回 示された「和解」という道

仕事熱心な若者が、ある日突然この世を去った。最愛の息子を亡くした母は、なぜ息子は命を落とさなければならなかったのかと問い、裁判をはじめる。互いを思いやる家族の絆は、彼の死によって途切れてしまうのか。

偉の裁判の経緯を伝えてきた
ニュースレター

 くも膜下出血で死亡した息子の死は過重労働が原因だったとして、石井偉(いさむ)の母、淳子がリクルート社を相手に約8900万円の損害賠償を求める民事訴訟を起こしてから4年後の2003年3月、東京地裁から和解案が示された。裁判所は、判決という形で決着をつけるのではなく、リクルート社が原告に1200万円を支払うことなどで両者が和解する道を提案した。
 和解案の中では、過労死か否かという白黒はっきりとした決着はつかないままであったが、淳子はこの和解案を受け入れた。その内容に踏み込む前に、過労死の認定や補償のあり方などについて触れておきたい。

「過労死」か否かの判断基準

 社員の死が、「過労死」だったとして労働災害と認められ、労災保険が給付されるためには、業務が過重であったこと、そして、その結果として死に至ったことの2つが立証されなくてはならない(「業務の過重性」および「業務と死亡との相当因果関係」)。
 厚生労働省は「過労死」を認定するにあたって、認定基準
(注)を定めており、それに合致すれば、労災(業務上災害)として、保険金が給付される。労災かどうかの判断は、原則として、会社など事業所の所在地を管轄する労働基準監督署が行う。
 だが、この種の事例が労災として認定される件数はきわめて少ない。認定基準は、亡くなるまでの過去6ヵ月間の労働時間の長さを重視しているため、それ以前に蓄積された疲労が引き金になっていたとしてもそれが勘案されない。また、サービス残業分がタイムカードなどに記録されておらず、実際の労働時間が把握できなかったり、偉のケースがそうであったように、会社や同僚の協力が得られず、労働実態が明らかにならなかったりするケースも多い。こうした実情から、最初から、労災申請そのものをあきらめてしまう遺族も少なくない。
 夫や子どもを「過労死で亡くした」と訴える遺族が、民事訴訟という形で裁判所に判断を求めるのは、会社の社会的責任を追及したいという思いに加え、過労死としての労災認定が狭き門となっていることがあげられる。

 裁判における「過労死」の判断には、国を被告として労災保険の適用を求める行政訴訟と、会社を被告として損害賠償を請求する民事訴訟の2つがある。いずれの裁判も厚労省の認定基準を参考にはするが、判断は、その認定基準とイコールではない。労基署が問題の死を「業務外」、つまり「労災とは認められない」とした事案でも、裁判所が独自に「過労死」(労災)と認めることもある。
 なぜなら裁判になると、会社側はそれまで公にしてこなかったタイムカードなど労働実態を示す証拠を出すことを求められたり、また、原告側が同僚からの有利な証言を引き出したりすることによって、新事実が明らかになることがあるからだ。偉の母、淳子は労災申請をした後に、会社を被告とする損害賠償訴訟の提訴に踏み切ったが、「裁判によって、初めて息子がどんな仕事をしていたか、どのように働いていたかわかった」と語っている。
 また最近は、「電通過労自殺裁判」のように労災申請に先立ち、裁判所に提訴し、そこで過労死と認定され、結果として労基署での労災認定が下りるケースも増えている。

 裁判所が過労死か否かを判断する際の法的な根拠は、労働契約(労働基準法)や労働安全衛生法などの法律の内容に含まれる安全配慮義務である。会社は社員がケガや病気をすることなく、安全かつ健康的に働くことができるように職場環境に配慮することが、これらの法律で義務づけられている。「職場環境への配慮」には、長時間労働をさせないことや、深夜まで及ぶ不規則労働を減らすことなども含まれる。ちなみに、残業は当たり前といった風潮が日本社会には蔓延しているが、「一日8時間、週40時間制」が労働基準法で原則として決められている。
 会社が故意または過失で過重な業務に従事させ、その業務と死亡との相当因果関係が認められると判断された場合、会社は安全配慮義務に違反したものとして、損害賠償責任を問われる。会社に過失があったとして、損害賠償責任を課すには、「予見可能性」があることが前提となる。たとえば、高血圧や心臓疾患などを持つ社員に、長期にわたって長時間労働をさせれば、脳出血や心臓発作などの引き金になることは予見できる。それを知りつつ、過重に働かせていたとすれば、会社は安全配慮義務違反として損害賠償責任を負う。社員の健康状態を会社が知ることができなかったときは責任を負わないこともあるが、健康な社員でも脳出血や心臓疾患を引き起こすほどの過重な仕事をさせた場合には、社員の健康状態について知ることができたか否かは特に問題とならず、損害賠償責任が認められる。

カギを握る時間外労働時間の値

 では、偉の死について、和解案を示すに至った裁判所の判断はどのようなものだったのか。第一のポイントは、「業務の過重性」であり、その目安となるのが労働時間の長さである。厚労省の認定基準では次のように示されているが、裁判所もこれに沿った形で検討を重ねている。

(厚労省の認定基準要旨)
(1) 発症前1ヵ月ないし6ヵ月にわたって、1ヵ月おおむね45時間以内では業務との関係性が弱いが、おおむね45時間を超えて時間外労働時間が長くなるほど、業務との関連性が強まる。
(2) 発症前1ヵ月におおむね100時間、または発症前2ヵ月ないし6ヵ月にわたって1ヵ月あたりおおむね80時間を超えるときは業務との関連性が強い。

 裁判所が認定したところによれば、偉が96年8月に亡くなる前、4月から8月までの時間外労働時間は次のようになっている。なお、時間外労働時間とは1日8時間、週40時間を超えた時間のことを言う。

   4月:45時間
   5月:43.7時間
   6月:73.5時間
   7月:67.4時間
   8月:24時間

 ただし、和解案でも指摘されているが、会社の意向を受けて、タイムカードの改ざん(労働基準法の月間上限ぎりぎりになるような月は、月末に労働時間を過少に申告する)をさせられていた可能性があることや、深夜残業や休日出勤をしているのに、タイムカードに記載がない日があることなどから、これらの数字が事実を反映しているかどうかは疑問が残る。
 偉の時間外労働時間が、認定基準が示した「発症前1ヵ月で100時間もしくは、6ヵ月の平均が80時間」を超えているわけではない。また、96年3月以前は裁量労働下にあったためにタイムカードがなく、実際の労働時間を算定できないなど、原告には不利な状況であった。
 だが、裁判所は6月の73.5時間と7月の67.4時間という長さについて「『通常人の健康を害する程度』には過重なものであったと評価する」という判断を示した。裁判所の見解は、遺族が過労死訴訟を起こすに至った悲痛な気持ちを汲んだ形であり、遺族に対しての一定の理解を示したものだと読み取れる。

争点は死因をめぐる解釈

 一方、過労死認定をめぐる第二のポイントである「業務と死亡との相当因果関係」について裁判所は、微妙な見解を示した。
 偉はくも膜下出血により、帰らぬ人となった。その原因は脳動脈瘤破裂であるが、争点となったのは、脳動脈瘤破裂に業務が関係しているのか、それとも自然的経過によるものかである。
 定期健康診断のデータを見ると、偉には軽い高血圧の症状が認められる他には、目立った異常値は見当たらない。偉が身体の不調を自覚し始めたのは亡くなる半年前と思われる。当時、担当していた『週刊B-ing』の編集後記に「血尿があった」旨を書いている。そして、96年4月には自分の意志で総合病院を訪れ、そこで遺伝性の疾患である常染色体優性多発性曩胞腎(ADPKD)に罹患していると診断された。ただし、腎機能は正常で、3ヵ月ないし4ヵ月ごとの定期検査が指示されたのみであった。
 会社側は法廷において、多くの医学的文献を根拠に、脳動脈瘤破裂の原因は持病であるADPKDであるとして、業務との関係性を強く否定した。さらに、偉がADPKDに罹患している事実を会社は知らなかったと主張し、それゆえに安全配慮義務違反にはならないと反論した。
 一方、原告側の証人を務めた新宮正医師は、『デジタルB-ing』に異動してからの労働について「慢性的な長時間労働であり、労働時間に占める深夜労働時間の比率が高い」こと、「(曜日によって労働時間の長さが違うなど)不規則であること」さらに、「精神的緊張を伴うものであった」ことを指摘。深夜を含む長時間の不規則労働が「良質かつ十分な睡眠を取ることができない生活上の影響と相まって」、血圧に変調をもたらし、脳動脈瘤破裂を招いた可能性が高いと証言している。
 これについて裁判所は、脳動脈瘤が破裂したのは6〜7月の過重労働によると認めるとしながらも、高血圧やADPKDといった素因を持っていなければ、「かかる短期間で脳動脈瘤破裂に至らなかったと判断するのが合理的である」とした。
 厚労省の認定基準では過去6ヵ月の労働時間の長さで判断されるが、過去の判例では必ずしも過去6ヵ月に区切ってはいない。それ以前の労働時間が加味されるケースも多い。もし、『デジタルB-ing』に異動になる前の労働時間が把握できれば、より原告に有利な判断が示された可能性もゼロとは言えない。だが、3月までは裁量労働であったために、タイムカードを含め、労働実態を明らかにする証拠がない。主任弁護士の玉木一成が一番残念がるのもこの点であった。

 (記事で引用した「裁判所和解案」は、筆者が和解成立以前に入手した同文書の一部を参照したもので、和解成立後に原告から提示、交付されたものではないことを追記しておく)

(敬称略、つづく)

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PROFILE

渥美 京子

1958年静岡県生まれ。電子部品メーカー勤務ののち労働問題の専門出版社で編集記者を経て91年からフリー。社会問題・老人介護・医療・食など幅広い分野でルポを発表。2003年、血友病をかかえながら、パン業界に革命を起こした銀嶺食品・大橋雄二氏を描いた『パンを耕した男』(コモンズ刊)を出版。共著に『大失業時代』(集英社文庫、1994年)、『看護婦の世界』(宝島文庫、1999年)、『介護のしごと』(旬報社、2000年)など。

世界はいまどう動いているか

『パンを耕した男』
(コモンズ)

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(注)
平成13年12月12日付け基発第1063号「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く)の認定基準について」

電通過労自殺裁判について
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