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Series ノンフィクション
ある家族の肖像 渥美 京子
05/12/31

第16回 限定された「自由」のもとで

仕事熱心な若者が、ある日突然この世を去った。最愛の息子を亡くした母は、なぜ息子は命を落とさなければならなかったのかと問い、裁判をはじめる。互いを思いやる家族の絆は、彼の死によって途切れてしまうのか。

導入が進む裁量労働制

 自らの裁量で自由に働き、自由を担保される代わりに責任も負う。そんな「自由と自己責任」が表裏一体になった社風の中で石井偉(いさむ)は働いていた。働く場における「自己責任」とはいったい何なのか。

 リスクを受け入れよ、というメッセージとともに、「自己責任時代」ということが声だかに叫ばれている。「自由と自己責任」が盛んに言われ始めたのは1990年代半ば以降のことだ。それは金融や医療の自由化など、政府と財界が進める規制緩和の流れと機を一にしている。
 たとえば97年、財界の総本山である経団連(当時、現在は日本経団連)の副会長であった樋口廣太郎は機関誌『月刊keidanren』10月号の巻頭言でこう述べている。

〈変革の時代にあって、ますます「自己」という観点が重要になってきた。「自己責任」「自己開示」「自己点検」の三つである。
 まず「自己責任」であるが、国を挙げて推進している六大改革の流れは、否応なく企業、個人を“自己責任原則”の荒海の中に放り出してしまうということを自覚するべきである。規制が撤廃・緩和されれば、それだけ自由になるが、一方、それだけリスクも増大する。みんなで渡れば怖くないといった横並び主義や、誰かが何とかしてくれるだろうといった甘えは、もはや許されないのである〉

 働く場においてもさまざまな法規制が弾力化された。それを象徴するものとして、98年の労働基準法改正によって、企画業務型裁量労働制が導入されたことがあげられる。裁量労働制とは、みなし労働時間性とも呼ばれ、「働いた時間が短くても長くても、一定時間働いたとみなして賃金が支払われる制度」をいう。
 仕事の性質上、勤務時間をきっちり決めることが難しく、仕事の進捗状況に応じて勤務時間が変化するような職種が対象となる。裁量労働制についてはそれ以前から取材・編集や研究開発など専門職について認められていたが、それを経営・企画業務などの企画職にも広げたのである。さらに2003年には導入にあたっての要件も緩和されている。

 偉がいた『週刊B-ing』編集部でも94年以降、フレックスタイム制に加え、裁量労働制が導入されている。一般に、編集職は打ち合わせや取材などで外に出ることが多く、仕事の進め方についても上司から必ずしも具体的な指示を受けるわけではなく、自らの裁量に任せられる部分は多い。偉の場合は、出社や退社時間は本人の裁量に任せられ、タイムカードによる労働時間の管理はない。深夜勤務のみ申告する出勤簿によって労働時間管理が行われている。なお、裁量労働制であっても、深夜勤務や休日出勤については割増賃金が支払われなければならない。
 一見すると、裁量労働は「自由な働き方」の象徴のように見える。だが、現実には、どちらかというと使用者に有利に作用しかねない危険性をはらんでいる。
 東京労働局の実態調査では、(そもそも出退社時刻を定められない者が対象となるにもかかわらず)「遅刻・早退をした場合に賃金をカットしている」「所定労働時間の出勤を義務付けている」といった違法なケースが報告されている。また、「深夜や休日労働を把握していない」「年次有給休暇の取得率が低い」といった実態も明らかになっている。《「裁量労働制の導入状況と運用の実態について」(2004年12月)》
 偉の場合を見ると、裁量労働制のもとで働いていた期間はタイムカードがないため、実際のところ何時間働いていたかは定かではない。裁判での証言から見る限り、裁量労働下においては、出退勤の時間について上司の指示を受けることはなかったと思われる。
 いずれにしても、「自由にやっていい。ただし、責任は自分でとれ」というリクルートの社風のもとでは、裁量労働になったからといって、偉の働き方や仕事量に、大きな変化はなかったものと思われる。ただし、「自由度が増したのだから、責任を持って成果を出す」というように、社員の意識をより高める効果はあったのではないかと推測される。
「リクルートにいた頃、上司から『明日までにやれ』と言われたことはない。でも、言い出しっぺが仕事を最後までやるのが当たり前だったから、何も言われなくても自己責任だと思って働いていた。裁量労働っていうけれど、よく考えてみれば締め切りがあり、成果もあげなくてはいけない。達成目標があった上で『あとは自由にやれ』ってこと。仕事量が個人の裁量に任されているわけじゃない」
 元リクルート社員で、『週刊B-ing』編集部で偉と共に働いたことがある編集者の増田結香はこう振り返る。

社員と経営者の責任が混同されていく

偉の裁判の主任弁護士、玉木一成氏

 自由な選択の下で、引き受けたことには責任が伴い、その結果、生じたリスクは自己責任である、という論調は一見、わかりやすい。だが、自己責任を社会の原則のように位置づけてしまうことへの疑問の声は多い。
 裁判の主任弁護士を務めた玉木一成は、働く場における自由と自己責任論をこう批判する。
「自由というが、それはほんとうの自由なのか。責任を負う者に利益が帰属するのか。それを問うことなしに自己責任論は成立しない」
 自営業者も含めて経営者であれば、仕事を選ぶ自由、断る自由がある。選択した結果は自分に跳ね返る。失敗すれば責任をとり、成功すれば利益を得ることができる。だが、企業に雇用され、指揮命令下にある労働者に許される自由の範囲は狭い。
「時間的余裕がないので、今回の仕事はお引き受けできません」「私の趣旨に合わないので仕事から降ろさせてもらいます」と断る自由はない。自分の企画した商品が大ヒットしても、それに見合う利益がもたらされるわけでもない。
 亡くなる直前まで所属していた『デジタルB-ing』編集部において、偉はアクセス数を増やすためにさまざまな工夫をしている。ニュースコーナーを新設し、特集記事を充実させ、見やすい画面デザインにもこだわった。これらアクセス数の増加を実現させるための手段や方法は、偉の「自由」だったといえるかもしれない。
 しかし、それは、あくまでも一定額以上の利益をあげるという目標が設定された中での自由にすぎない。『デジタルB-ing』の商品は他の求人情報誌と同じく、求人広告である。サイトが充実し、アクセス数が増えて注目を浴びれば、『デジタルB-ing』に求人広告を出す企業が増え、それがリクルート社に利益をもたらす。
 偉をはじめ、社員に認められているのは「売上目標を達成するために創意工夫する裁量権を持つという範囲での自由でしかない。労働者にとっての自由とは、指揮命令下における自由にすぎないのです。だからこそ、会社は法律を守り、社員が働きすぎて病気になったり、ケガをしたりすることがないように安全に配慮する義務がある」と玉木は言う。

 労働組合の組織率が低下するに従い、経営者と労働者のおかれた立場の違いが現場で意識されることは少なくなっている。
「リクルートでは入社するとまず、社員皆経営者という意識をたたきこまれる。経営者と労働者ということを意識したことは一度もない」
 と増田は語るが、リクルートに限らず、労働者という自覚を持たない層は広がっている。
 結果として、〈その会社を選んだのは自己責任、仕事をがんばるのも、残業をするのも、やらされているのではなく、自分がやりたくてやっているのだから自己責任〉といった意識が生み出される。その中で、自分の負うべき責任と、そもそも経営的立場の者が負うべき責任とが混同し、安全配慮義務をはじめ、経営者がとるべき責任が棚上げされてしまうことが少なくない。

 こうした意識が作られる背景について、
「昭和30年代以降、企業が力を入れてきた労務政策の延長線にある。それは、『洗脳の歴史』ということができる」
 と玉木は語る。玉木は過労死弁護団全国連絡会議事務局長も務め、労働実態と過労死の因果関係に詳しい。それによると、各企業は昭和30年代、会社に従順な労働者を作るための社員教育に力を入れたという。
「会社に尽くして、人間として向上し、社会に役立ってこそ意味があると教育し、労働者の向上心や競争心をかきたてる。『金のためだけに働くのではない』という意識を植え付け、残業代を請求することに罪悪感を抱かせる。また、他人に迷惑をかけてはいけないという気持ちをうまく利用して、年休がとれないことにもサービス残業にも文句を言わせない、という仕組みを作りあげたのです。それが過労死の温床になっています」

成果主義と労働時間

 過労死が社会問題となって久しい。過労死とは仕事による過労・ストレスを原因とする脳・心臓疾患・精神疾患などによる突然死をいう。脳梗塞やくも膜下出血などの脳血管疾患や心筋梗塞などの心疾患は、一般に長い時間的経過の中で悪化し、発症していくものだが、仕事が主な原因になって発症・死亡した場合は労災補償の対象となる。
 かつては中高年がほとんどだったが、このところ20〜30代の若者過労死も増えている。外国では過労死にあたる語句はなく、英語の辞書などには「KAROSHI」(訳・死ぬまで働き続けること)として掲載され、日本人の働きぶりを象徴する言葉として世界的に認知されている。
 厚生労働省によると、2004年度に脳・心臓疾患で過労死と認定されたのは150件で、5年前と比べ3倍以上に増えている。また、仕事のストレスからくるうつ病など精神障害も急増しており、130件が労災と認定され、そのうち未遂も含めた過労自殺が45件を占める。だが、仕事と病気の因果関係を立証するのは難しい上、会社の協力を得られず労災申請をあきらめる遺族も多く、この数は氷山の一角にすぎない。
「業務が原因で死亡したことを立証するためには、労働時間の長さが決め手となる。過労死と認められることが多いケースのひとつは、トラックやタクシーなど運送業務の運転士だが、これは運転日報やタコグラフなど、記録をとることが義務づけされているから。そこから労働時間を換算し、立証することができる。しかし、裁量労働下のもとで働いている労働者や、管理職については労働時間を示す記録さえなく、労災申請しても認定されないことが多い。石井偉さんのケースも裁量労働のために実際の労働時間をつかむことができず、立証が難しかった」
 と玉木は語る。

 現在、再び、労働法制を大きく変えようとする動きが急ピッチで進められている。小泉内閣は今年3月、「規制改革・民間開放推進3ヵ年計画」を閣議決定した。そのなかで、「自己の裁量の下で自由に働けることを可能にする」裁量労働制のさらなる拡大と、一定の要件を満たすホワイトカラーについて労働時間規制を適用除外(ホワイトカラー・エグゼンプション)とする方向性を示した。
 労働基準法は労働時間について1日8時間、1週40時間制と定め、それを超える場合は経営者に割増賃金の支払いを義務づけている。だがもし、ホワイトカラー・エグゼンプションが制度化されれば、一定の年収以上のホワイトカラーについては、それらの規制の適用除外(エグゼンプション)となる。わかりやすく言うとこういうことだ。
〈現状の法制度の下では、効率よく片付けて早く終わった者は定時で退社し、残業代は発生しない。ところが、効率が悪いために残業となった社員には残業代が支払われる。それは不公平だから、ホワイトカラーについては、働いた時間に対して賃金を払うのではなく、成果に対して支払うようにしたい。いくら残業しようが、休日出勤しようが、割増賃金は支払われない〉
 日本経団連は今年6月、その対象となるホワイトカラーの条件を「年収400万円以上」と提言している。
 これら内閣の閣議決定や財界の意向も踏まえながら、厚生労働省は現在「今後の労働時間制度に関する研究会」でホワイトカラー・エグゼンプションの検討を進めている。
 その報告は来年1月にまとめられる予定だ。

 過労死を招くのは、長期間の不規則勤務であることははっきりしている。労基法で定められた「1日8時間、週40時間労働制」や、国際公約である「年1800時間労働」が守られることで過労死を防ぐことはできる。厚生労働省もここ数年、過労死防止に力を入れ、違法なサービス残業については企業名を告発することも含めて世論の喚起に努めてきた。
 しかし、政府・財界をあげての「国際競争力を強化するための規制改革」という大合唱の下、長時間労働にかろうじて歯止めをかけている今の法体系に、「自由と自己責任」をキーワードとした「適用除外」という風穴がこじあけられようとしている。
〈一人一人の社員が経営者的な視点を持ち、創意工夫し、責任を持って働く〉ことは一概に否定されるべきではないだろう。だが、「断る自由」や「責任に応じた利益の配分」がない限り、社員は経営者と同列ではない。
「自己の裁量で自由に働ける」という歌い文句は耳にここちよい。だが、それはごく狭い意味での「自由」でしかなかったことを偉の死が証明しているのではないか。

(敬称略、つづく)

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PROFILE

渥美 京子

1958年静岡県生まれ。電子部品メーカー勤務ののち労働問題の専門出版社で編集記者を経て91年からフリー。社会問題・老人介護・医療・食など幅広い分野でルポを発表。2003年、血友病をかかえながら、パン業界に革命を起こした銀嶺食品・大橋雄二氏を描いた『パンを耕した男』(コモンズ刊)を出版。共著に『大失業時代』(集英社文庫、1994年)、『看護婦の世界』(宝島文庫、1999年)、『介護のしごと』(旬報社、2000年)など。

世界はいまどう動いているか

『パンを耕した男』
(コモンズ)

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