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SERIES 02 解体・新書
岩本 宣明
第11回 インサイダー

 惜しまれつつ帰天されたヨハネ・パウロⅡ世は、偉大な宗教指導者であったと思う。実はこんな悪いこともしていたといった類の話が今後暴露されることもあるかもしれないけれど、そうだとしても、祖国ポーランドをはじめとする東欧自由化の側面支援、ユダヤ教との歴史的和解、イスラム教との対話、アメリカのイラク攻撃への反対表明などなど、法王が現代史に残した足跡は大きかったと言わなければならない。
 世界に10億人と言われるカトリック教徒とキリスト教2000年の歴史を一身に背負う立場を考えると、普通の人ならば(普通の人は教皇になどならないのでしょうが)、まずは何もせず穏便に在位を全うしたいと思うものであろう。実際、そうだった教皇もたくさんいたのである。が、ヨハネ・パウロⅡ世はあらゆる問題の解決のため、歴代法王が知らぬふりをしてきた問題を含め、責任を持って積極果敢に行動したのであった。十字軍の蛮行への謝罪、ガリレオ糾弾の取り下げ、ナチスへの沈黙を自己批判するなど、何を今さらと思えるようなことに至るまで、カトリックの負の遺産というべきことを、頭を下げることで、ことごとく清算した。驚くべきことだ。それから、これはあまり強調されていないのだけれど、私が一番驚いたのは、コンドームの使用を解禁したことである。新聞の片隅に載ったその記事を読んだ時の驚きを、私は生涯忘れないと思う。

 でも、一体、ローマ法王って何なの?と疑問を持っておられる方には、『ローマ法王』(竹下節子著、ちくま新書)をお勧めしたい。著者はカトリック史を研究する比較文学の専門家で、信仰上はニュートラルな位置から、「法王」という存在を、法王の一日といった日常のことから、法王庁やヴァティカン市国の仕組み、法王の選出法、さらには初代教会時代の法王権の確立期、盛衰といった歴史、そしてヨハネ・パウロⅡ世の活躍まで、基本的な情報を余すことなく紹介している。
 法王の実態をさらに興味深く垣間見せてくれるのは『ローマ法王の権力と闘い』(小坂井澄著、講談社+α新書)だ。著者は元修道士の、いわば“インサイダー”である。暴露本と言ってもいい。カトリック教会を批判する立場をはっきり打ち出したうえで、19世紀末から現代に至る10人の法王を、その出自と選出の経緯から、功罪まで詳しく検証している。19世紀末にイタリア王国によりすべての領土を失ったカトリック教会にとって20世紀初頭は困難な時代にあった。そうした中で選択されたムッソリーニとの結託、ナチスの蛮行に対する沈黙などを、著者は指弾する。一方、法王の選出過程における権謀術数や暗殺説をめぐる暗闘など、聖所における人間臭いドラマや、歴代法王の人柄を示すエピソードなど、興味深い話にも溢れている。

 当事者ではない人が客観性を持って事象を観察したり検証したりすることは、物事を理解するうえで非常に大切な立場だけれど、欠点は面白みに欠けることである。一方、ある事柄に、当事者として関わった人による報告は、木を見て森を見ずといった感じで客観性を欠くという欠点はあるものの、一本の木はその詳細に至るまで観察できるのであるから、当事者でしか知りえない秘密の暴露や、当事者であるからこその愛憎、人間ドラマの機微など、客観的記述では了解不能なことの真相が、行間から自ずと滲み出てくる面白さに満ちている。新書にはそうした著者による作品も枚挙に暇がない。

『ハンディキャップ論』(佐藤幹夫著、新書y)は、脳性マヒの弟を持ち、養護学校教員として20年の実践を積んだインサイダーの著者による作品だ。家族としての体験に加え、養護学校での自らの体験、さらには脳性マヒの障害を持ち社会の壁と闘いながら養護学校から北大、東大大学院と進み政治評論家となった櫻田淳のこと、ダウン症の娘を持つ最首悟の著書『星子が居る』などを題材に、障害とは何か、障害者と関わることはどういうことか、といったことを粘り強く言葉を重ねて考察する。障害者が生きていくことには困難がつきまとい、何が障害者にとって本当によいことなのかということは、簡単に結論できる問題ではない。非障害者にとっては「あたりまえ」でも、障害者にはあたりまえではないことがある。どちらが正しいという問題ではなく、別の世界、別の見方がある、ということを言うために、さらに、「障害は個性」という美しい言葉に隠された、障害者に対するある種の役割の押し付けや「正論」の空々しさ、正論を語ることの難しさを伝えるため、著者は慎重に言葉を重ねている。

『昆虫採集の魅惑』(川村俊一著、光文社新書)も、虫の魅力に取り付かれ標本商になってしまったインサイダーによる痛快な一冊。その世界では名の知れたつわもの達との出会いを通して、昆虫採集少年が標本商になっていく姿が生き生きと描かれている。
 物事には、当事者でしか分からないことと、当事者になってしまっては見えなくなってしまうことの両面がある。なにごとかを深く理解しようと願うならば、その両面からアプローチした作品に学ぶ必要があろう。

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PROFILE

岩本 宣明

1961年生まれ。毎日新聞社会部記者などを経て93年文筆家として独立。同年、現代劇戯曲『新聞記者』で菊池寛ドラマ賞受賞。

主な著作:

新宿・リトルバンコク

ローマ法王

『ローマ法王』
竹下節子著
ちくま新書

ローマ法王の権力と闘い

『ローマ法王の権力と闘い』
小坂井澄著
講談社+α新書

ハンディキャップ論

『ハンディキャップ論』
佐藤幹夫著
新書y

昆虫採集の魅惑

『昆虫採集の魅惑』
川村俊一著
光文社

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