風
 
 
 
 
 
 
[知ることの価値と楽しさを求める人のために 連想出版がつくるWEB マガジン
SERIES 02 解体・新書
岩本 宣明
第5回 はやりすたり

 学問というのは、真理や真実、事実(それぞれ、使う人によって微妙に意味が異なりますが)というようなものの追窮だと、考えられていることが多いようだが、実は違うのではないかと、私は思う。学問とは、多分、世界の(、より矛盾が少なく、できれば分かりやすい、)説明の追窮であると言ったほうが、より正確な表現なのではなかろうか。
 科学の「進歩」は止めることができない、というとき、その理由は、人間には「知りたい」という欲求があるからだと説明されるけれども、実は、「知りたい」より「分かりたい(説明したい)」ことのほうが、より強い欲求であるように、私には思われる。つまり、大切なことは真理を知ることよりも、納得できることだ。もちろん、学問をしている人々は、真理こそが一番納得できる説明だと信じているのである。

 とにかく、学問の歴史は、そのジャンルのやり方で、世界を記述(説明)しようとして積み重ねてきた努力の歴史である。その時代において、間違いないと信じるに足る、あるいは、少なくとも、他のやり方や考え方よりは間違いが少なかろうと予想される方法で、学問は世界を記述してきたのである。それは、数式を使って世界を記述しようとする数学であれ、自然科学であれ、哲学であれ、社会科学であれ同じである。学問とは違うけれども、芸術でさえ、説明したいという欲求が、根底にあるのではないか、ひょっとしたら、と、私は思ったりもする。
 でも、もちろん、その時代の最先端の学問とはいえ、その時点では、世界には説明しきれないことの方が実ははるかに多く残されているわけだし(今も、多分今後も)、新たに発見された事実や分かったことによって、それまでの説明は間違っていることが判明したりするわけだから、学問は何も、真理や事実を正確に説明してきたわけではない。その時代時代で、真理と多くの人が思い込めるような最も上手な説明をしてきたに過ぎない――というようなことを、例えば、この30年ぐらいの新書のラインナップを見てみるだけで、感じてしまうのである。つまり、学問には「はやりすたり」というものがあるらしい。

 例えば、恋愛とか、同性愛とか、ロリコンとか、そういう感情がなぜ起きるのか、つまり心の謎というようなことについての説明は、20年(いい加減な感覚です)前ぐらいまでは、精神分析の独壇場であった。人間のちょっと困った心根について興味のある若者であれば、フロイトとユングの名前は誰もが知っていた。それを大衆に教えてくれたのは、おもに新書であって、その書き手は、宮城音弥、福島章、小此木啓吾といった人たちだった。私の本棚には、背表紙が日に焼けた宮城の『精神分析入門』『性格』『天才』(いずれも岩波新書)、福島の『愛の幻想』(中公新書)、小此木の『対象喪失/悲しむということ』(中公新書)、『秘密の真理』(講談社現代新書)などなど、名著の数々が並んでいる。しかも、開いてみると、恥ずかしいことに、赤線や青線(別に変な意味ではないです)がたくさん引いてあったり、鉛筆書きの書き込みがあったりして、青春の軌跡が残されている。人間の、いや、自分の困った(自分でも付き合い難いというぐらいの意味です)心は、なぜそう苦しんでいるのか、ということを知りたい、説明して欲しいと深刻に願っていた当時の若者は、宮城や小此木の、つまり、 フロイトやユングの説明を聞いて、安心したり絶望したりしていたのであった。
 現代の悩める若者がどんな本に勇気づけられているのかを、私はよく知らないが、今日では、精神分析は、(そんな言葉はあまり使いたくないのですが)、かなり落ち目である。つまり、精神分析は、現代を生き、様々な問題に苦しんでいる人々に、その苦しみの訳を十二分に説明できる説得力を失っている。精神分析の理論が科学的に根拠を持つかどうか、精神疾患の治療方法として有効かどうかは別として(私にはそれを判断する能力はありません)、精神分析が、それが、新書をはじめとする出版シーンでもてはやされていた時代ほどの輝きを失っているのは事実である。なので、新書でも、かつての名著の復刻版や、精神分析を、現代の視点から振り返って歴史的に位置づけてみるといった本や、あるいは、人間関係を円滑にするために役立ちそうな精神分析的人間観を提示したものといったものはあっても、これぞ、精神分析だ、悩める若者よわが門に来たれ、といった感じの堂々としたものは見当たらない。

 それに変わって登場したのが、生物学である。その中でも、意欲的に人間の心の謎に迫ろうとしているのが、遺伝子やたんぱく質を研究する分子生物学と、生物進化のシステムを解明しようとする進化生物学である。まだまだ数は少ないが、新書にもそれらの研究の成果を面白く紹介しているものがある。
 記憶というシステムの起源をキーワードに心の形成に迫った『心の起源/生物学からの挑戦』(木下清一郎著、中公新書)、ホモやレズなどの性指向性と遺伝子の関係を解き明かそうとする『遺伝子の神秘男の脳・女の脳』(山元大輔著、講談社+α新書)、“人間性(人間の心)の進化”の研究の最前線を紹介する『進化論という考えかた』(佐倉統著、講談社現代新書)などが、その代表例である。
 『進化論という考えかた』は、人間が他の動物から進化してきたことから、「人間性」も、同じようなシステムで進化してきたと考えられるのかどうかという問題に取り組んだ刺激的な著書である。ダーウィン進化論からスタートし、メンデルの遺伝法則に補完され集団遺伝学へ、さらには形態だけではなく行動も進化することを突き止めた動物行動学、そして集団の社会行動の進化をみつけた社会生物学、さらにワトソンとクリックによりDNAの構造解明に端を発した分子生物学へという、20世紀の進化研究の歴史を解説した上で、人間の心の進化の研究の最先端で、何が語られているかを紹介している。例えば、女性の顔や乳房には男性の好みに差があるが、ウエストとヒップは7対10の比率が普遍的に好まれている。この比率は女性の繁殖力の高さを示していて、自然選択によって男の好みは固定された、というような話である。

 精神分析も現代生物学の最先端も人間の心の謎を解明しようとするところは同じなのだけれど、精神分析が「心の病気」や「異常」への関心が出発点にあるのに対し、生物学では心のメカニズム、生物学的成立過程、システムに関心が向けられているところが顕著に違う。生物学には、例えば、性指向性について「異常」だとか「病気」だという視点はほとんどない。それが、なんだか、とってもニュートラルな態度に見えて、私などは、安心して世界の説明に耳を傾けることができるのである。それもまた、時代の産物であるには違いないと思う。

BACK NUMBER
PROFILE

岩本 宣明

1961年生まれ。毎日新聞社会部記者などを経て93年文筆家として独立。同年、現代劇戯曲『新聞記者』で菊池寛ドラマ賞受賞。

主な著作:

新宿・リトルバンコク

『心の起源』

『心の起源』
木下清一郎著
中公新書

『進化論という考えかた』

『進化論という考えかた』
佐倉統著
講談社現代新書

PAGE TOP
Copyright(C) Association Press. All Rights Reserved.
著作権及びリンクについて