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[知ることの価値と楽しさを求める人のために 連想出版がつくるWEB マガジン
SERIES 02 解体・新書
岩本 宣明
第1回 極めれば1冊 ― 「黄金」の薀蓄を語る

 私は尾籠な話が好きである。私をよく知る人は、そんな私のことを、いつまでたっても子供だと、あきれる。私だって不惑を超えて、「うんこ」と「うんち」はどっちが固いだの、黄色いだの言って、口元を綻ばしている自分を情けなく思うことがないわけではない。が、それでも、なかなかうんこから卒業できないし、私のことを軽蔑するその人だって、うんこを連発する私を見て、結構なボリュームで笑ったりしているのだ。
 それは私に特別なことであろうか、と思っていたら、やはり、そんなことはなかった。少なからぬ人々が、隠してはいるが尾籠な話を好きであることは、以前からうすうす気がついてはいたが、尾籠な話こそ、万葉の昔から伝統的に日本人に好まれる話題であった、とまでは知らなかった。

 そのことを教えてくれたのは、『古今黄金譚/古典の中の糞尿物語』 (林望著、平凡社新書)という、書物である。
 私はまったく興味がないが、SMプレイではうんこのことを「黄金」と呼ぶ。それはどうでもいいのだが、うんこを黄金と呼ぶのはスカトロの専売特許ではもちろんない。では、なぜ、うんこは黄金なのか。うんこが汚穢でありかつ神聖であるとされた、日本人のうんこ観から、古今黄金譚は語り始める。今ではすっかり忘れているが、農耕民族たる日本人にとって、うんこは大切な資源だったのである。私が子供の頃、友達の友達が肥溜めに落ちた話は、笑い話の定番だった。それが、日本という社会だったのである。

 そういう日本だから、古典にはうんこの話が満載だ。万葉集にも、ほら、こんなにうんこの歌が――と、『古今黄金譚』 は教えてくれる。
 それが、中国から洒落た文化が入ってきて、文化が上流階級の人々に独占されるようになると、さすがにうんこの話だけに憚れるような空気が醸成されてきて、古今集以降の歌集にはうんこを歌った歌はないのだそうだ。が、うんこは不滅である。歌にはなくとも、歌人には屎子とかなんとかいって、うんこを表す名前の人がでてくるそうである。しかも、昭和の始めまで日本では、子供の名前や幼名に屎だの糞だの名づけることが珍しくなかった。つまり、麗子とか美子とかの名前をつけると、本人の美醜にかかわらず、言葉に幻惑されて悪霊なんかが誘拐にやってくるなどということがあってはならないから、わざと、うんこちゃん、などと呼んで、悪魔祓いをしていたらしい。

 さて、歌集から物語に目を移すと、竹取物語にはじまり、今昔物語、宇治拾遺物語、紫式部日記、時代は下がって井原西鶴まで、日本の古典は、うんこのオンパレードである。極めつけは、落窪物語なのだそうだ。落窪とは、そもそも、厠のことではないか、というのがフリーランスの日本文学者である、著者林望先生の独創的解釈である。深いし、論理的だ。落窪物語を私は読んだことはないけれど、林先生の解釈を気にかけながら、いつか是非読んでみたいと思う。
 だいたい、日本の高等学校の古典教育も、たとえば、うんこの話だけで教科書を作ったりしちゃったりして、それで、掛詞や強調表現、単語や助動詞の活用などといったことを教えれば、関心が高まることは疑いをえない。それができないところが、教育の限界というものであろう。したがって、本当に面白いことは、林望先生を見習って自ら学ぶしかないのである。極めれば一冊、新書が書ける。

 こういう本が作れてしまうのが、現代の新書の魅力ではなかろうか。新書はもはや教養書ではなくなってしまったと嘆く人もいるが、これだって、哲学や経済学の本ではないが、立派な教養書だ。しかも、あまり役には立たず、かつ、日常の時間を豊かにしてくれるところがいい。ハードカバーでずっしり重い本で「黄金」は気が引けるが、新書ならひょいと手が伸びる。
 その手の新書はそう珍しくはない。『江戸の性風俗/笑いと情死のエロス』(氏家幹人著、講談社現代新書)などもそんな一冊だ。地方勤務になった旗本が、母親に書き送った下ネタ満載の手紙から「江戸時代の性意識」に迫ってしまっている。いまよりもっと開けっぴろげだったのよ、と言ってしまえばそれまでなのだけれども、へーと思えることばかりだし、私の頭の中で、なかなかうまく結びつけられなかった、ちょん髷とセックスに、すんなりと橋を架けてくれた。『トイレットのなぜ?/日本の常識は世界の非常識』(平田純一著、講談社ブルーバックス)も、同じ系譜と言えなくもない。トイレを作っている会社に長く勤めた著者が、トイレを作って売る、という視点から、人間工学、心理学、民俗学、風俗までを語ってしまう。極めれば、一冊。それが現代新書の一つのありかたなのだ。  『古今黄金譚』 は、本当にお勧めの本である。これを読んで、伝統に立ち返り、どうどうと人前で、うんこの話ができる日本人になろう。彼の乃木大将もおならの歌を歌っている、そうである。

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PROFILE

岩本 宣明

1961年生まれ。毎日新聞社会部記者などを経て93年文筆家として独立。同年、現代劇戯曲『新聞記者』で菊池寛ドラマ賞受賞。

主な著作:

新宿・リトルバンコク

古今黄金譚/古典の中の糞尿物語

『古今黄金譚』
林望著
平凡社新書

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