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Series 世界
人間を傷つけるな! 土井 香苗
10/10/31

第16回(最終回)確かな手応え、さらに人権をうったえ続ける

戦争や虐殺など世界各地で今日もなおつづく人権蹂躙の実情に対して監視の目を光らせる国際NGOヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)。2009年春開設したHRW東京オフィスの土井香苗ディレクターが問題の実態を語る。

劉暁波氏のノーベル平和賞は内政干渉なのか
中国の劉暁波氏がノーベル平和賞を受賞しました。これについてはさまざまな反応があります。政治的な問題にもからむため、平和賞になじまないという意見も出てきましたが、ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)あるいは土井さんの感想をお聞かせ下さい。
土井
 劉暁波氏がノーベル平和賞を受賞したのは非常に喜ばしいことだと思います。今も、天安門事件関連で拘束されているひとが20人以上います。劉暁波氏は獄中にある人権活動家のなかで最も有名な知識人です。今回の受賞は彼だけでなく、非暴力による人権確立に向けて弾圧を受けながらも活動をしてきた人たちの受賞でもあります。中国の活動家のそういった取り組みが認められたのだと言えます。受賞をきっかけに法的根拠のない「軟禁」状態におかれた関係者たちが、私たちHRWが把握しているだけでも北京に30人以上います。それでも、国内の人権活動家たちはこの受賞のニュースに大喜びしています。
 HRWは毎年、世界中から4、5人に「人権賞」をおくっていますが、ノーベル平和賞受賞前に劉暁波氏に、その「人権賞」を授与していました。HRWは、2008年12月に劉暁波氏が当局に拘束され「失踪」状態におかれて以来ずっと彼の釈放を求めてきました。世界のノーベル賞受賞者を含む世界中の知識人の署名を集めて胡錦濤国家主席に送付するなどしましたが、これは非常に大きな反響がありました。
彼の受賞は混乱を引き起こすのではないかという声があります。今回のノーベル平和賞は政治問題に踏み込みすぎなのでしょうか。
土井
 ノーベル平和賞により彼を投獄した中国政府は苦境に立たされていますし、今後もその影響は長く受けるでしょうが、「混乱」がおきるという指摘は不正確です。ただし、中国政府内のタカ派が特に2006年以降力を持ってきたのに対し、改革派に力がシフトするきっかけになるという意味の政治的な影響はあるでしょう。劉暁波氏は、非暴力の段階的変化を求めてきた穏健な人権活動家です。08憲章も読んでいただければ一目瞭然ですが、穏当な文書です。これまでもアウン・サン・スー・チーさんやイラン人女性の人権弁護士であるシリン・エバディさんが平和賞を受賞しています。彼女たちの非暴力による人権確立の追求が平和にも貢献するということが認められたのです。党派的目的やイデオロギーをもって受賞しているものではないことは、ノーベル委員会も明らかにしています。

 こういった批判は、日本において人権に対する理解が足りないことから出るのだと思います。人権は最低限の、人間として生まれながらに持っている権利です。人権そのものに党派性もありませんし、いかなる政治的な立場にあっても最低限合意できるルールとして国際的にも普遍的な価値として認められているものです。言ってみれば、最低限のモラルの発露です。国家は人権を最低限のルールとして守ることに合意しています。それはどんな政治状況であっても、たとえ戦争をしている国同士であっても、お互いに人権侵害はしてはならないというルールです。また、人権は普遍的な価値であり、人権問題を提起することは内政干渉にあたりません。これは世界的に受け入れられたルールであり、日本政府も明確にしている立場です。
世界にはまだまだある人権侵害
これまで世界各地の人権問題について、お話をうかがってきました。今回で最後になりますが、これまでに取り上げられなかった国について少し触れていただけますか。
土井
 これまでに取り上げたのは問題の程度が大きい国や日本との関係の深い国で、もちろん、それ以外の国にも問題はあります。例えば、ほとんど取り上げられなかったアフリカ。もちろん多くの問題があります。資源の豊富なコンゴ民主共和国でおきている民間人の殺害やレイプなどの例は挙げるまでもないですが、コンゴと深い関係を持っている隣のルワンダでは開発が進み経済が発展していますが、一方で独裁傾向の強化も進んでいます。エチオピアも貧困削減が進んでいるといわれていますが独裁化が進んでいますし、資源が豊富ですが人権侵害の絶えない国として、赤道ギニア、アンゴラといった国も同様です。ナイジェリアもあります。さらにマグレブ諸国やリビアなどは閉鎖的な国です。
 また、中東諸国。たとえば、サウジアラビア。宗教上の少数者に対する差別や男性の後見人制度など女性に対する差別が大きな問題です。例を挙げていけばきりがありません。
ヨーロッパはどうでしょうか。たとえば移民やロマの問題などが思い浮かびます。
土井
 欧州での移民差別や不当な取り扱いの問題、入管での人権侵害など、多くの調査報告を行ってきました。フランスのロマの送還問題についても、取り上げています。もちろん、移民に対する差別はアメリカ合衆国でも見られますので多くの調査報告書を発表しています。この種の問題は言うまでもなく日本にもあります。

日本にも人権問題があることを忘れてはならない
最後に、日本の人権問題についてうかがいます。近年、日本に居住する外国人が増えています。そのなかには中国人や在日朝鮮・韓国人、また不法移民もいます。こうした人数の増加を背景に、在日外国人をめぐる人権問題も増加するのではないでしょうか。たとえ意図的ではなくとも、無意識のうちに差別を行うことも考えられますが、HRWや土井さん自身はこのことをどう考えていますか。
土井
 在日外国人に関する問題として、たとえば、日本の難民認定が、国際基準に達していないということが挙げられます。また、外国人や民族的少数者に対する差別の問題もあります。さらに問題なのは、日本にはそういった差別を禁止する法制度がほとんど存在していないという問題があります。国際的に比較しても差別禁止にむけた法制度の欠如はきわだっており、差別が野放しになっています。この状態のまま外国人を受け入れれば大きな禍根を残します。差別を法的に禁止することが必要です。そして被害者が裁判以外にも簡易な方法で被害申立てを行えば、救済をする人権委員会などの人権救済機関が必要となります。
人権委員会や人権救済機関というのは、具体的にはどういった組織、機関なのでしょうか。
土井
 国連のパリ原則に基づいた政府から独立した人権救済機関で、人権委員会、あるいはオンブズマンなどと呼ばれることが多いです。差別禁止や国家による人権侵害の個別救済や職権による調査を行える機関です。政府からは、財政や人事などの面で独立しています。こうした諸国の委員会は被害者からの申し立てを受けて、調停や、問題が重大な場合には裁判所に訴訟を持ち込むこともあります。また、この委員会が職権発動を行って勧告を行うこともあります。国連はパリ原則を採択し、各国に国家人権委員会の設置を促しています。そしてそのための技術支援も行っています。
 国連は、日本がこういった人権委員会を設置していないことに懸念を表明し、その設置を求めています。これに対して、民主党のマニフェストには、人権救済機関の設置が盛り込まれた人権擁護法が明記されていました。かつて自民党も法案作りをはじめましたが、安倍前首相などが反対して結局お蔵入りになったと報道されていました。
外国人労働者の問題で、外国人研修生に対する半ば奴隷のような扱いなどが事件となって報道されることがあります。こうした外国人の処遇は差別になると思いますが、どのようにお考えですか。
土井
 この問題は差別の問題でもありますし、最低限賃金を下回る給与や休息を与えないなど、基本的な労働権の侵害でもあります。こういった侵害は、外国人研修生は労働者ではないのだから労働権をもたないという理屈で行われますが、これは実質的な労働者からその基本的な人権を剥奪する行為です。他にも、世界で問題となっているのが外国人の出稼ぎ家事労働者の問題です。
日本の労働者にとっても厳しい状況が現在続き、弱い立場にある人はさらに不利益を被っています。日本では労働関係の法律はあるが、運用がしっかりとできていない、ということはないでしょうか。大企業を含めて脱法行為や違法行為が多くみられ、私たちの知っている他の罪よりも社会的な制裁が低いように思います。日本人自体が食べていくことが難しくなるなかで、例えば日系ブラジル人など外国人労働者の問題が差別といった形で出てくるのではないでしょうか。
土井
 欧米でも外国人嫌いは出てきますし、日本でもそういった問題が増えていく可能性はあります。さらに、日本でも民族的少数者に対する排外的行為で多数派が憂さ晴らしをするような場合も考えられます。これらに対してできることは、もちろん経済政策もありますが、やはり法律で差別を禁止することも重要です。差別は暴力を生む可能性もあり、日本社会の安全のためにも、差別をなくし、少なくとも機会の平等が保障される必要があります。
HRW日本事務所開設から1年
最初のインタビューではHRW日本事務所の開設に向けてうかがいしましたが、それから1年以上の月日が経ちました。これまでの活動を振り返り、そこでどういう壁にぶつかり、また、どういう成果がありましたか。
土井
 第1回のインタビューでもHRW日本事務所の三つの柱を述べました。一つは、日本政府が世界の人権問題を解決するための行動や発言をするように求めるアドボカシー活動です。私たちは外務省や国会議員に提言をしたりしています。二つ目は、アドボカシー活動の前提となるメディアへのアウトリーチです。このインタビューもその一環に位置付けられます。そして三つ目は、前の二つの活動をするためのスタッフが必要ですので、資金集めです。

 日本政府の外交は、世界の人々の人権の保護に向けて努力してきませんでした。ですから、日本の政府の外交政策を変えるというのは難しいこととわかってはいましたが、実際にやってみて、欧米やその他人権を重視する政府に対するアドボカシーを行っている担当者と比べて、とても苦労していると感じています。
 その理由として、まず日本政府がその外交政策のなかで人権を重視していないことが挙げられます。また、日本はアジアの一国ですが、アジアには人権を重視しないどころか、国際的な人権の保護そのものに反対する行動をとっている国も多いのが実態です。日本は、「周りの国の政策からとび出ない」政策をとる傾向にあります。こういった地理的な状況は欧米とは異なります。
 私は日本人として、日本に人権侵害を止める側でいてほしいと思います。また、人権が守られ、自由な報道があり、「法の支配」があって独立した機能する司法が存在するアジアは、日本の国益にとっても非常に重要だと思います。しかし、アドボカシーをしているほかのNGOには、欧米と比べて日本での活動は大変だから疲れたという人もいますが……。
 日本が人権を重視していないということは、その国を先導する政治家、そしてその政治家を選出する国民が、グローバルな人権に対する意識に乏しいからといえます。日本が、重大な人権侵害で自国民を虐待しているような政府に対しても条件なしに多額のODAを渡している状況をみて、被害者たちを含め世界中のさまざまな人たちから「日本は問題だ」という声を聞くことがたくさんあります。さらに、日本は長い目で見た外交戦略がない国のようにも思います。真の安定を実現したいのであれば地域内での人権保障を戦略的に進めていくことが必要です。
これまでのアプローチの結果では、日本政府を動かすのは難しいというのが実感ですか。
土井
 日本政府の政策を一気に変えられるとは思っていません。小さな変化を積み重ねていくしかありません。小さな変化はあります。
困難な運動の中でも、国会議員とか官僚、その他多くのサポーターができたと聞きます。そういう意味では啓蒙活動は成功しましたか。また、民主党政権は、自民党政権よりも前向きですか。
土井
 菅首相の政権で大きな変化がおきると考えるべき兆候は見当たりません。小さな変化はさておき、むしろ大きな変化――つまりこれから日本が人権を中心に置く国になるかは数十年のスパンで考える必要があります。変化を引き起こすのは国民です。それには、メディアの役割が大きいでしょう。この1年の活動で少しずつ人権に関する意識が浸透していっているのは前向きの変化だと言えます。
 大雑把に言えば、民主党の議員のなかでグローバルな人権保護に積極的な議員の数は、自民党よりも多いと感じています。しかし、問題は人数ではなく、政策が立案され実行されるか、です。すでに申しあげましたが、小さな変化はあります。世界の問題についてまじめに考える人がリーダーでいるときは変化が見えます。そうでなければ変わらないでしょう。
日本事務所を拡充しさらに積極的に活動したい!
今後も同じような活動方法をとっていくのでしょうか。特に強化したいことはありますか。
土井
 今後も継続して活動に取り組んで行きたいと思います。扱う問題が非常に広いので、アドボカシー活動をもっと強化したいと思います。欧米では電話一本で資金が集まりますが、日本ではまず外堀を埋めてから、内堀を埋めなければなりません。アドボカシーの時間もかかるのです。ただ、そのためにはまず人員強化が必要で、つまり資金集めが必要になります。現在の日本事務所は私を含めて2人のスタッフしかいませんが、早く3人に増やしたいと思います。しかし、そのような予算は誰かに要求したら出てくるものではなく、自分たちで資金を調達しなければなりません。
 寄付して下さっている方には、個人の方が多くいらっしゃいます。HRWの日本事務所の開設にあたって、日本には寄付文化がないから無理だろうといわれてきました。しかし、そういった寄付をして下さる方は実際にいますし、私たちも現にこうして活動を継続することができています。今後、日本における寄付文化の構造をもっとしっかりとさせていきたいと思います。この点も、寄付文化の根付いている米国とは状況が異なります。
 一方で、全世界には独裁国家もまだあり、すべての国のなかでランク付けをすれば日本はまあまあ良い方です。今後は欧米や日本だけでなく、世界全体で人権問題に対する底上げをしていく必要があります。そこで新興国へのアドボカシー活動を広めていくことが重要になりますし、世界でHRWの事務所を拡大していく必要があります。
やはり突き詰めれば国民の「人権意識」がまだ日本では低いということですね。政治も国民によって動きます。そうすると、啓蒙活動がやはり重要ということでしょうか。
土井
 他の先進国においても「人権はタテマエ」であり、理想と現実がいろいろなところで乖離して問題が生じます。しかし日本では、一方でタテマエ文化とも言われているものの、本当は大変な本音文化だとある有名な言論人がおっしゃっていたのですが、納得する部分がかなりあります。現に被害を受けている人が多くいるわけですし、日本の政治家や政策立案者にも、世界のあるべき姿とか、人権のあるべき姿などのタテマエも語る国に日本はなってほしいと思います。
「人権」という言葉はもともと外国からきたものだと思います。そもそも日本には「権利」という概念も希薄でした。また、「人権派弁護士」という言い方が、ほめ言葉ではないように使われてもいます。どうも一部の人には「人権」という言葉に対するアレルギーがあるような気がします。そういった人でも、困っている人を助けたいとか、弱い人には手を差し伸べようと思っているのでしょうが、それを「人権」という言葉で表されると拒絶してしまうところがありはしないでしょうか。
土井
「人権」という言葉を、例えば「人間中心」や「人間を大事にする」、「人間の尊厳を守る」などと言ってもよいのかもしれません。言葉は問題ではありません。実際に人権が尊重されているかが問題です。ただ、「人権」は法律用語なので、これを用いることによって国家の義務を語ることとなり、単なるモラルの問題ではなくなるという機能があります。日本人の理解はさておき、少なくとも、国際社会では人権を否定する国はほとんどないのですから(北朝鮮や中国も憲法で国家は人権を守るとしています)、それは人間を守るためのきわめて強力なツールです。
 国家に対する人々の権利という意味では、現代よりも明治のエリートの方が理解が深かったのではないかと感じることもあります。その後の軍国主義によって昭和時代には国家に対する人々の権利は大きく侵害されました。しかし残念ながら、戦後の世代も、人々の国家に対する権利を理解せず、語らずにきてしまいました。今後の世代も放っておくとそうりなりかねません。
啓蒙活動をもっと派手に、例えば音楽や芸術と結びつけて行うというといったことはしないのですか。
土井
 HRWは、専門家集団なので、イベントを行うことは中心にはしません。NGOも適材適所です。ただ、そういう文化や芸術を巻き込む動きが生まれてこそ、真の人権尊重社会が生まれるのではないでしょうか。日本がそのような形で人間を尊ぶようになってほしいとは思います。しかし、HRWにとって日本を変えること自体は目的ではなく、手段であって、最終的な目標はあくまでも被害者を生む人権侵害をなくすことです。私たちは人権を推進するNGOとして、まだまだフロンティアにいると感じます。この活動が今後の起爆剤になれればと思います。
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PROFILE

土井 香苗

1975年神奈川県生まれ。1994年東京大学入学。大学3年生で司法試験に合格し、4年生のときNGOピースボートのボランティアとして、アフリカで一番新しい独立国・エリトリアに赴き、1年間エリトリア法務省で法律作りに従事する。2000年から弁護士活動をする傍ら、日本にいる難民の法的支援や難民認定法改正のためのロビーイングやキャンペーンにかかわる。06年から研究員として国際NGOヒューマン・ライツ・ウォッチのニューヨーク本部に在籍。07年から同NGO日本駐在員。08年9月から同東京ディレクター(日本代表)。
ヒューマン・ライツ・ウォッチのHP:
http://www.hrw.org/
 
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