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Series 世界
人間を傷つけるな! 土井 香苗
10/08/26

第15回 "人権の促進国"アメリカの人権問題

戦争や虐殺など世界各地で今日もなおつづく人権蹂躙の実情に対して監視の目を光らせる国際NGOヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)。2009年春開設したHRW東京オフィスの土井香苗ディレクターが問題の実態を語る。

HRWが最も"ウォッチ"しているのはアメリカ
ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)はアメリカに本部を持つNGO団体ですが、アメリカ政府による人権侵害についても、調査やアドボカシー(広報宣伝活動)はしているのですか。
土井
 はい、HRWの「Watch」活動、つまり監視活動は、世界90ヵ国に及びますが、その中で最も多く調査の対象となっているのは実はアメリカです。HRWのWEBサイトを見ていただくと、ホームページには、世界各国、各地域の調査報告のページにたどれる見出しがありますが、アメリカ以外の国は、アジア、アフリカ、ヨーロッパ、中央アジアなど、地域ごとにくくられています。しかしアメリカだけは、単独で見出しとなっています。
実際に、HRWが出す報告書やプレスリリースも、アメリカの人権侵害を調査したものや、アメリカ政府に対する要求が多いのですか。
土井
 そうです。2010年に発表された報告書の一覧を見ても、2010年8月1日現在で7冊、つまり、1ヵ月におよそ1冊の割合で報告書を出しており、このような数の報告書が出される国は、HRWが常時監視している90ヵ国の中にもありません。
そうすると、アメリカを調査するチームも大人数なのですか。
土井
 HRWのなかでも、他国に比べてアメリカの人権侵害を調査するチームが最も多くの人を抱えています。前ブッシュ大統領の時代には、テロ対策のなかでのアメリカ政府による人権侵害も増えたことから、このチームの忙しさは特別でした。
 HRWは、アメリカに対する「ウォッチ」(監視)に特に力を入れている団体と言えるのではないでしょうか。これは、HRWが30年前、アメリカで生まれた団体であることと無関係ではありません。今でも本部はアメリカ・ニューヨークにありますし、支援者もアメリカ人が一番多いのです。アメリカ人にとっては、自国のなかで人権が侵害されていないか、アメリカ政府が人権侵害をしていないか、アメリカにおける人権侵害をとめるためにどのような政策が必要か、そこが一番興味があるのだと思います。
HRWの支援者の中ではアメリカ人の数が一番多いということから、HRWはアメリカ政府の傘下にあるのだろうと言っている人も多いようですね。
土井
 それは全くの誤解です。日本のNGOはほとんど日本人が支援していますが、だからといって政府の傘下にあるとは誰も思いませんよね。HRWは、すべての政府や組織から独立したNGOで、それを担保するために、いかなる政府からも間接にも直接にも資金を受け取っていません。ですから、米国政府からも資金を受け取りませんし、政府の集合体である国連からも資金は受け取りません。それでも、HRWは「アメリカ政府の傘下」と決め付け、攻撃してくる人もいます。そうした人は、HRWはアメリカ政府に甘いなどと勘違いをしているので、HRWは、実はアメリカ政府を最も厳しく調査しているのだということを知らしめる必要があります。

 HRWがある政府の人権政策についての調査報告を出すと、その政府がアメリカ政府と緊張関係にある場合などはしばしば、「HRWはアメリカ政府の手先だから、その内容はアメリカの都合によってバイアスがかかっている。そもそも、HRWはアメリカについての調査報告書なんか出していないではないか!」と反論してくることがあります。こうしたとき、HRWが書いたアメリカ政府による人権侵害に関する調査報告をずらっと見せると、その政府関係者がグッと黙ってしまうといった場面はよくあります。ですから、HRWがアメリカに対する監視をもっとも多く行っているということは、私たちの世界的なアドボカシーにも役立っているのです。
世界第一位の経済大国、そして「自由の国」アメリカは、人権問題とは無縁ではないかというイメージを持っている人も多くいますが、アメリカでも人権問題はあるのでしょうか。
土井
 豊かで自由、民主主義の旗手ともいえるアメリカですが、多くの人権問題を抱えています。特に、ブッシュ政権下で行われた対テロ戦争では、安全保障の名のもとで、テロ容疑者らへの尋問・拘束などが、人権を無視しているとの非難が世界各地からあがりました。また、国内でも、死刑をはじめとした刑事司法制度や、多国籍国家ならではの移民の人権問題などを多く抱えています。
グアンタナモ基地におけるアメリカの無法ぶり
「9.11」以後の対テロ政策の中で、具体的にどのような人権問題が指摘されているのでしょうか。
土井
「9.11」以後、当時のブッシュ政権がとった対テロ対策は、グアンタナモ収容所などにおける被収容者の虐待問題、テロ容疑者の拷問問題、CIAの秘密収容所問題、拷問が行われる危険のある国へのテロ容疑者の移送(レンディション)問題などをはじめ、多数の人権侵害を含むものでした。また、アフガニスタン戦争やイラク戦争では、空爆や夜襲の多用などの結果、多くの民間人死傷者を生み、戦争法(戦時国際法、国際人道法)違反とみられる戦略や作戦も見られました。

 こうしたアメリカ政府による国際的な人権基準へのあからさまな挑戦を利用し、世界各国の政府のなかには「アメリカも人権基準を破っているのだから、なぜわれわれが守らなくてはならないのだ」という政府が出てきました。また、アメリカが「人権の促進国」であるというイメージ、道徳的権威は大きく傷つけられ、私たちグローバルな人権保護・人権促進のムーブメントにとっても大きな痛手となりました。
「グアンタナモ基地」における拷問や人権侵害は世界的なニュースになりました。「グアンタナモ基地」がこれほど注目された背景はなんでしょうか。
土井
「グアンタナモ基地」は実はキューバにあります。この基地は、アメリカが19世紀末、米西戦争に勝利した際に占領しました。その後、スペインから独立したキューバに永久租借を認めさせて現在にいたるものです。アメリカは、この基地の地理的特性を「利用」して、アメリカの法律による規制から逃れようとしました。つまり、グアンタナモ基地は、キューバ国内法も合衆国法も適用されず、軍法のみが支配する治外法権区域であるとし、テロの容疑者を犯罪者として拘束する場合、法に基づく人権保護の義務から逃れられるとしました。
 一方、戦争捕虜として拘束すれば、当然、アメリカも批准しているジュネーブ諸条約に基づいて捕虜としての権利が保障されます。もちろん、国家間紛争も内戦もカバーされます。しかしながら、ブッシュ政権は、アルカイダとの「戦争」を、国家間の紛争でも、内戦でもないという詭弁を弄して、ジュネーブ条約の適用はされないという見解を示しました。
 したがって、容疑者に対しては何の権利保障もなくてもいいのだと強弁し、安全保障の名のもとに軍法のみに基づいて裁くことが可能、と主張したのです。国内法、国際法の両方のグレーゾーンを強引につくり、裁判もないなど適正手続もないままに無期限に被収容者を拘束していきました。
具体的にはどのような人権侵害が行われたのでしょうか。
土井
 たとえば、有名なケースとして、アフガニスタンでオサマ・ビンラディンの運転手だったとされるサリム・アフメド・ハムダン受刑者の例が挙げられます。米国によるアフガン侵攻の際に現地で捕らえられたハムダン容疑者は、テロに関与した容疑で、ブッシュ政権が2001年に設立したグアンタナモ特別軍事法廷の軍事委員会(ミリタリー・コミッション)にかけられました。米連邦法廷と異なり、軍事委員会では拷問といった非人道的な尋問により得た自白や伝聞証拠も許容されます。
 ハムダン弁護団の異議申立てに基づき、米連邦最高裁は2006年に、同軍事委員会は米国議会からの権限を受けていないことから違憲との判決を下しました。しかし、4ヵ月後の同年9月に米国議会は軍事委員会法を成立させて、この判決に対抗しました。ちなみに、ハムダン受刑者は2008年にテロ共謀罪で軍事委員会より5年半の懲役を科されましたが、その後祖国のイエメンに送還され、同国政府により2009年1月に釈放されています。
 こうして、公正な裁判も受けられず、無期限に拘禁された容疑者が多くいるグアンタナモ収容所は、米国政府による人権侵害のシンボル的存在となりました。しかし、こうした人権侵害が起こっていたのは、グアンタナモ収容所だけではありません。そのほかにも、法による人権の保護が行き届かない秘密収容所の存在がいくつも報告され、国際法に抵触するこうしたCIAの活動も問題になりました。
テロ容疑者に対しての拷問は問題ない!?
テロの容疑者が実際に受けているとされる拷問のような過激な尋問の手法も問題となりました。そうした尋問手法を肯定するかのようなドラマ24 TWENTY FOURも、全米で大ヒットしました。
土井
 米国は、「300万人の市民の命がテロの危険から救うために、1人の重要参考人を拷問することは許されるか否か」といった問題がまじめに議論される国です。必要な尋問であれば拷問でもいいではないかという意見も強く、安全保障と容疑者の人権のバランスが不安定です。
 ブッシュ政権下においては、議会や最高裁の反対を受けつつも虐待的尋問は、証言獲得の手段の一つとして使用され続けました。代表的なものに、水責めの一種である「ウォーターボーディング」が挙げられます。これは容疑者を板などに固定し、袋などをかぶせたうえで、その上から気管に直接水を流し込むなどする尋問方法です。容疑者に溺死を疑似体験させることで、自白させます。
 溺死の感覚は正確には痛覚ではないので水責めは身体を損傷しないとして、ブッシュ大統領政権時の法律顧問たちやチェイニー副大統領などはジュネーブ諸条約に抵触しないという見解を示しました。オバマ政権下の2009年に公開されたCIA監察官の報告書(作成は04年)は、米国国内法及び国際法で拷問と規定されるさまざまな虐待行為をCIAがしてきたことを詳述しています。同報告書は、CIA要員らがこの水責め以外にも、秘密拘禁した囚人を処刑すると錯覚させる虐待(擬似処刑)や、銃や電気ドリルをつきつけて脅したり、拘禁されている別の人の子どもを殺すと脅迫するなど、さまざまな拷問が行われたことを明らかにしています。

 止むことのない非難の声に応えるかたちで、米国防総省は2006年に水責めや強制的に裸にするといった各種の虐待的尋問を、ジュネーブ第三条約(捕虜条約)に沿って禁止する指示を出しました。また2008年に議会は、CIAにもこれを適用する法案が可決しましたが、これはブッシュ大統領が拒否権を発動しました。
2009年に誕生したオバマ政権は、ブッシュ政権の外交姿勢、特に対テロにおける路線を変更したと言われます。ブッシュ政権時代に問題視されていた人権問題は、実際にどう変わったのでしょうか。
土井
 オバマ政権は、早くからグアンタナモ収容所の現状を問題視し、閉鎖を主張してきました。そして、就任の2日後には、グアンタナモ収容所の閉鎖を宣言しました。しかしながら、2009年11月には閉鎖を主導していたとされるオバマ政権の法律担当顧問グレッグ・クレイグ氏が辞職するなどその雲行きは怪しくなります。結局、2009年末の時点で、オバマ大統領就任時の242人の被拘束者の内、別の場所に移されたり解放されたのは20人のみにとどまり、就任後1年で閉鎖するとされていたグアンタナモ収容所は、予定内には閉鎖されませんでした。閉鎖は今なお延期されている状況で、裁判無しでの拘束はいまだ続いています。
 グアンタナモ収容所の閉鎖の時期より大きな問題なのは、オバマ政権が、裁判なしでの無期限拘禁の政策を続けることにするかもしれない点です。HRWは、テロ容疑者を軍事委員会で裁くのはやめて、連邦裁判所で公正な裁判を行うよう長年求めてきました。
 そして、実際に、オバマ政権は、2人のテロ容疑者を連邦裁判所に訴追したのです。私たちはこれを歓迎しました。しかしその喜びも長くは続かず、今年5月には、オバマ大統領は再び「軍事委員会」の制度を復活させたのです。オバマ大統領は、「軍事委員会」の下でも、強制された自白の証拠としての使用を禁止するなど、ブッシュ大統領の時代よりも、容疑者に対しより充実した法的保護を与えるとしていますが、軍事委員会による裁判は、なお、公正な裁判の基準には達しません
根深い黒人に対する差別
今まで対テロ対策における国際的な人権問題を見てきましたが、そのほかにも、アメリカ国内における問題はあるのでしょうか?
土井
 代表的なもののひとつに刑事司法制度が挙げられるでしょう。まずは、先進国の中で死刑を存置している国は、アメリカと日本だけということで、日本も世界的にしばしば槍玉にあがる死刑問題ですが、アメリカ全土で、2008年の37人から増加し、2009年は11月の時点で45人の死刑が執行されました。一方で、1973年から現在までに、一旦死刑宣告を受けた囚人が、その後無罪の証拠を得て釈放されるケースは100人以上にも上ります。えん罪によって死刑を言い渡された人が多いということは、アメリカでは常識です。ちなみに、アメリカすべての州に死刑があるわけではなく、15州では死刑を科していません。
 また、未成年時に犯した犯罪に対する仮釈放なしの終身刑も大きな問題となっています。2009年5月現在、アメリカ全土で、2574人もの囚人が、18歳未満のときに犯した罪によって仮釈放なしの終身刑を宣告されており、更生の機会を与えられていません。子ども時代に犯した罪で仮釈放なしの終身刑を受刑中の人は、知られている限り、世界でアメリカ以外に存在しません。
 またアメリカは、囚人の数においても、その人口に対する割合においても世界最高であり、その数は年々増え続けています。収容人数の2倍を数えることもあると言う、過密な刑務所での環境は、囚人に対し、安全面や健康面で多大な危険をもたらしているとの指摘もあります。刑務所内での性的暴力から囚人を守る仕組みも確立されておらず、毎年数万人の囚人がレイプの被害を受けているといわれています。
アメリカというと人種差別とそれに反対する運動が印象的ですが、HRWは人種差別については調査を行っていますか?
土井
はい、実にさまざまな調査をしています。HRWが国連の人種差別禁止委員会に提出したアメリカの同条約違反の現状についてまとめたペーパーに網羅的にまとめられていますが、ハイチ難民の差別、さきほど述べた未成年に対する仮釈放なしの終身刑の言い渡しにみられる人種差別、学校での体罰における人種差別、HIVエイズへの対応における人種差別、そのほか外国人の強制送還における条約違反なども指摘しています。
 たとえば、刑事司法制度のなかにも人種問題があります。黒人男性は、白人男性に比べて人口あたり約6.6倍の高い割合で投獄されているといわれています。また、薬物に関しては、違法薬物使用率に黒人と白人間の違いがほとんどないのに対して、黒人のほうが2.8倍から5.5倍と、圧倒的に逮捕率が高いというデータなどがあり、司法機関の差別があるといえます。
 HRWがアメリカの人種差別に関して発表した報告書は多数ありますが、その一覧はこちらです
今なお移民が増え続ける多民族国家アメリカですが、非アメリカ国民に対する権利の問題や、移民の人権問題などはあるのでしょうか?
土井
 現在、約3800万人の非アメリカ国民がアメリカに在住しており、そのうち約1200万人が適正な在留資格を有していないいわゆる「不法移民」であると言われています。これらの人々の多くは社会に溶け込み、アメリカ経済に不可欠な要員として生活を送っていますが、最低賃金ギリギリで働かされて生活もままならず、また不法移民であるために適正な法的人権保護が受けられないことも多々あります。
 一生のほとんどをアメリカで過ごしてきた人びとが、強制退去させられる事例も多いのですが、そのなかには、人権侵害といえる事例も多数あり、HRWもこれについて多数の報告書を出しています。アメリカでは、1996年に厳しい移民法が議会を通過しました。そのため、多くの非アメリカ国民が、アメリカ人の配偶者や親であるといった法的地位などに関係なく、軽犯罪であっても例外なく国外に追放されてしまうことなど、問題視されています。たとえば、2009年には、10万人に及ぶ非アメリカ国民が受刑後、国外に追放されましたが、その多くは、大麻所持などの暴力性のない軽犯罪を問われてのもので、合法移民だった人も多く含まれてます。この問題についてHRWは、昨年Forced Apartという報告書を発表しましたが、それ以外にも、不公正な審理や無期限拘束の問題を扱った報告書や、グリーンカードの申請をしなかったがという理由で拘束されるという問題をとりあげた報告書や、遠方の収容所に移送する問題をとりあげた報告書など、さまざまな報告書があります。一覧はこちらです
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PROFILE

土井 香苗

1975年神奈川県生まれ。1994年東京大学入学。大学3年生で司法試験に合格し、4年生のときNGOピースボートのボランティアとして、アフリカで一番新しい独立国・エリトリアに赴き、1年間エリトリア法務省で法律作りに従事する。2000年から弁護士活動をする傍ら、日本にいる難民の法的支援や難民認定法改正のためのロビーイングやキャンペーンにかかわる。06年から研究員として国際NGOヒューマン・ライツ・ウォッチのニューヨーク本部に在籍。07年から同NGO日本駐在員。08年9月から同東京ディレクター(日本代表)。
ヒューマン・ライツ・ウォッチのHP:
http://www.hrw.org/
 

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