風
 
 
 
 
 
 
[知ることの価値と楽しさを求める人のために 連想出版がつくるWEB マガジン
Series 世界
人間を傷つけるな! 土井 香苗
10/04/30

第12回 民主化成功の裏で人権問題が続くインドネシアとフィリピン

戦争や虐殺など世界各地で今日もなおつづく人権蹂躙の実情に対して監視の目を光らせる国際NGOヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)。2009年春開設したHRW東京オフィスの土井香苗ディレクターが問題の実態を語る。

インドネシアは民主化のモデル!?
インドネシアもフィリピンも、表面的には民主化が成功し、政治・経済・社会が安定しているように見られていますが、実際はどうなのでしょうか。まずインドネシアですが、長い間、独裁政権が続き、東ティモールなどでの独立運動が盛んでしたね。
土井
 インドネシアは、軍人であるスハルト氏が大統領に就任した1968年以来30年間、独裁政治が続きました。彼は、東ティモールやアチェなどの独立運動に対する弾圧、民主活動家の拉致・拷問、体制に批判的なジャーナリストを逮捕するなど、様々な人権侵害に手を染めました。
 しかし、アジア通貨危機などをきっかけに、スハルトに対する国民の不満が頂点に達したので、1998年、当時副大統領だったハビビ氏に職を譲り、スハルト独裁政治は終わりを告げました。それ以降、民主化が進み、インドネシアはアジアの中の民主化のモデルとして扱われることが多くなりました。また、世界最多のイスラム教徒を抱えながら、原理主義が力を持っていない点なども、米国をはじめとする様々な政府から評価されています。
確かに、例えば、ASEAN諸国のなかで比較すれば、インドネシアは、民主主義や人権を尊重する国だといえますね。ということは、人権問題も解決されているわけですか。
土井
 いいえ。残念ながらそうではありません。民主化という側面が強調されるインドネシアですが、現実には、インドネシア軍による重大な人権侵害、人権侵害を犯した人たちが裁かれずに放置されている「不処罰」の問題や、宗教差別などが根深く続いています。また、インドネシアには力強いメディアセクターがありますが、政府高官や金持ちのビジネスマンなどが、自らを批判したジャーナリストたちを名誉毀損での訴追や民事訴訟で黙らせようとする事件も相次いでいます。
 2009年に圧倒的な支持を集めて再選を果たしたユドヨノ大統領ですが、磐石な権力基盤を固めたにもかかわらず、インドネシアの人権問題に対して、行動を取っているとは言えません。
東ティモールは2002年に独立しました。現在のインドネシアでは、独立運動は落ち着いたと言えるのですか。
土井
 いいえ、独立運動を続けている地域はまだあります。そして残念なことに、独立運動への鎮圧を理由とした弾圧や人権侵害も続いています。特にそれが激しいのが、パプアや西パプアなどです。以前は「イリアンジャヤ」とよばれていたパプアと西パプアでは、小規模な武装独立運動が行われています。自由パプア運動(OPM 、Free Papua Movement) による独立運動が有名ですが、こうした小さな独立運動に対しインドネシア軍は、大多数の兵を動員しているのです。武器を持たず丸腰で政権を批判する人々に対しても、実力行使をしています。特に、精鋭特殊部隊コパスス(Kopassus:Komando Pasukan Khusus)による人権侵害は深刻です。コパススは、過去に様々な人権侵害に手を染めており、その被害はインドネシア全域に及んでいます。1970年代以降でいえば、東ティモール、アチェ、パプア、ジャワで深刻です。さらに、残虐行為を行った者の責任を追及せずに放置し続けています。その結果、コパススは、自分たちが何をやっても罪に問われないと考えているうえに、指揮命令系統もしっかり機能しておらず、パプアでは、コパススが法的権限もなしにむやみに民間人を逮捕・拷問する事件が多発しています。
「俺が何をした?」
2008年9月にパプアの街頭でコパスス兵士たちの乗ったバンに押し込まれて、暴行されたというアントニウス(21歳)は、HRWのリサーチャーに、次のように語りました。
土井
 「俺は交差点、水路までたどり着いたけど、倒れてしまったんだ。奴ら(武装した男達)が来て、俺をつかみ、バンのスライドドアから引っ張り込んだ。それから(コパススの)兵舎に連れてかれて、暴行された。俺を部屋に入れると、後ろ手に手錠を掛け、床にひざまずくよう言った。顔を殴られて、俺は倒れた。頭をかばえなかったんで、床で頭をうった。顔を何度も殴られて、顔から血が流れ、目も腫れた。ある兵隊が胸ぐらをつかみ、もう1人が腹を蹴った。それで俺は聞いたんだ。"俺が何をした?"ってね」

 アントニウスのようなひどい目にあったパプアの若者は多数います。また、インドネシア軍だけでなく、警察も、広範な弾圧を行い、単に平和的な手段で、独立を支持しただけの人びとを、反逆罪(Rebellion)などで逮捕・立件しています。2009年3月には、パプアの地方裁判所で、3名の男性が、パプア独立の旗を揚げただけの理由で反逆罪を言い渡されました。パプアの人びとは、コパススや警察に対する憎悪と恐怖を募らせているのです。
 こうした事態のなかで、赤十字国際委員会(ICRC)は、パプアのアベプラにある、拷問で悪名高い刑務所の受刑者への面接などを行ってきました。しかし、2009年3月、インドネシアの外務省は、ICRCに対し、パプアのジャヤプラとアチェのバンダアチェの事務所を閉鎖するように命じたのです。パプアなどにおける人権侵害は、国際社会の目からどんどんと隠されてしまっています。また、外国人のジャーナリストや人権活動家の立ち入りが制限されてることなどから、実態はほとんど報じられていません。
インドネシアにおける独立運動として東ティモールと同様に、頻繁に取り上げられるスマトラ島の北西端・アチェの状況はどうでしょうか?
土井
 アチェの独立を求める自由アチェ運動(GAM)とインドネシア軍との間で、30年間にわたる内戦状態にありましたが、2004年12月26日におきたスマトラ島沖地震で壊滅的な被害を受けたあと復興活動が行われたことなどがきっかけとなり、2005年8月、とうとう和平協定が結ばれました。画期的なことです。
 しかし、30年の内戦の間、暗殺や拉致・強制失踪など、深刻な人権侵害が多数行われました。また、その真実は今も闇の中で、責任者の処罰はされていません。2006年アチェ統治法では、こうした2005年和平協定以前に犯された犯罪を捜査する真実・和解法廷を2007年8月までに開始すると規定されていますが、インドネシア中央政府は、こうした法廷を設置するための真剣な努力をしていません。
 こうした不処罰が続くなか、アチェでも暴力が続いています。例えば、自由アチェ運動の政治部門アチェ党の政治家たちが、暴力の犠牲となる事件が後を絶ちません。また、原理的なイスラム法施行の向きも見られます。2009年9月には、アチェ州の議会は、イスラム教徒が配偶者以外と性交渉した姦通罪で有罪判決を受けた場合、石打ちによる死刑を適用する法案を全会一致で可決しました。アチェでは、宗教警察の取締りが厳しくなっています。
国軍が企業を保有してビジネスをしている
インドネシア国軍による人権侵害が続いているということですが、なぜここまで、軍は広範に人権侵害に手を染めるのでしょうか?
土井
 理由のひとつは、インドネシア国軍が国民を守るのではなく、暴力と脅しで自らの経済権益を拡大する「ビジネス主体」となっている現実があります。インドネシア政府は、軍の財布のひもを握ることができず、軍を実効的にコントロールできないのです。
 HRWは、この実態について、2年以上にわたり調査を行い、2006年『高すぎる代償 -インドネシア国軍による経済活動の人権コスト』という報告書を発表しました。インドネシア国軍の予算は、創設以来ほとんどずっと、政府の会計からは約半分しか支出されておらず、その残りのほとんどは、軍が自らビジネスを行い、独立採算でやってきた実態をこの報告書は明らかにしています。そして、独立採算のため、兵士たちは、天然資源の豊かなアチェやパプアなどで、財物の強要、資産の強奪などの人権侵害を引き起こしています。
 そのため、インドネシア国軍は、自ら保有する企業の営利活動や、軍がサービス提供している民間企業との非公式の連携、そしてマフィアのような違法な犯罪活動・汚職などに手を染めています。先住民が所有権を主張している森林に対し、東カリマンタンの軍保有企業が特別な使用権を与えられ、森林を過剰伐採した上で木材をマレーシアに違法輸出していた事例や、麻薬密輸などの例がHRWの報告書に挙げられています。また2002年には、軍の違法ビジネスが北スマトラで流血事件に発展し、数百人の兵士たちが警察署を襲い、数人の民間人が殺害される事件もおきました。19人の兵士が解雇され禁固刑に処されたものの、処罰されずに放置された兵士たちがもっとたくさんいました。

 米国の鉱業会社「フリーポート・マクモラン」が、パプア駐留のインドネシア軍地元部隊に資金を提供し、操業のための警備を依頼していた事実には、特に大きな批判がおきています。また、2002年にグラスバーグ鉱山近くで起こった2人の米国人教師奇襲殺害事件についても、分離独立派とされる人物が犯人だとされて裁判にかけられてはいますが、フリーポート社からさらに資金を引き出そうとしてインドネシア軍が意図的に起こした事件なのではないかとの疑念があります。
 HRWは2009年には、2006年報告書のフォローアップとして新しい報告書を発表し、政府の「改革」が全く不十分である実態を明らかにしています。
暗殺しても処罰されない
次にフィリピンですが、こちらも、アジアのなかの民主主義国として安定していると見られていると思いますが、昨年11月、フィリピン南部のミンダナオ島マギンダナオ州で、翌年予定されていた州知事選絡みで、政治家一家とジャーナリストら少なくとも47人が射殺された事件がおき、世界に衝撃が走りました。
土井
 フィリピンは、多党制の民主主義の国ですし、市民社会もメディアも強い社会です。政府もしっかりしているのですが、残念ながら、その一部は説明責任・アカウンタビリティが欠如しています。具体的には、軍や警察の残虐行為があとをたたず、これが処罰されることもほとんどないという不処罰が蔓延しています。政治的な暗殺や地域の不良少年など軽犯罪者たちを暗殺する事件が、軍や地方政府の関係者たちが関与して広範に起こっています。昨年マギンダナオ州でおきた事件はその規模において他の事件の比較にはならないものの、このように多発している政治的暗殺事件のひとつでしかないのです。
 2001年以来、フィリピンでは、数百人にも及ぶ左翼系の政治家や、政治活動家、政権に批判的な言論を行った聖職者などが暗殺されています。こうした政治的暗殺について、HRWはもちろん、国連や、日本のNGOも批判の声をあげてきました。しかし、これだけ多くが殺されているにも拘わらず、2009年末までに処罰された加害者はたった11人です。フィリピンでは、不処罰が次の暴力を誘発しているのです。
 また、ミンダナオ島のダバオ市を中心として、警察や地方政府の高官たちが関与しているとみられる「暗殺部隊」も暗躍し、ストリートチルドレンやギャングなどの町の問題児たちを次々と暗殺しています。フィリピンのNGOは、1998年以来、少なくとも926人がこうした「暗殺部隊」の犠牲になっていると統計をとっています。
フィリピンには内戦もありますね? ミンダナオ紛争は、どんな状況なのでしょうか?
土井
 ミンダナオでは、イスラム教のモロ民族解放戦線とフィリピン政府の間で、長い間、内戦が続いています。2009年前半に特に激しくなりましたが、7月からは停戦状態となっています。この戦闘の結果、2009年、25万人もの人びとが国内避難民となって故郷をおわれる事態となりました。
 また、戦闘ではフィリピン国軍側も反政府勢力側も、戦争法に違反した残虐行為――たとえば、拉致、暗殺、拷問、多くの家屋の破壊など―――を民間人に対して行っている、とフィリピンの複数のNGOが報告しています。
 また、ミンダナオ島では、多くのテロ事件の裏にいるといわれるアブサヤフとフィリピン国軍との戦闘も続いています。
家庭内という密室で虐げられる女性たち
また、フィリピンからは、多くの女性たちが海外に出稼ぎに出ています。
土井
 日本にも多くのフィリピン女性たちが出稼ぎにきています。なかには、人身売買の被害者となり、だまされて水商売を強要されたり、債務を負わされて労働を強制される女性たちも多くいます。日本は長年、人身売買の目的地のひとつであると世界的に批判されてきました。日本政府の対応の改善も見られますが、人身売買の被害者たちの保護はまだまだ不十分です。
 また、フィリピンをはじめとしたアジア諸国から、「家政婦」として、中東をはじめ世界各地に出稼ぎにいく女性たちが、労働法の適用もない家庭のなかで、奴隷状態にされたり、性的虐待を受けたりして、多くの自殺者が出るまでの事態となっています。HRWはこの事実を明らかにする報告書を何冊も発表してきています。たとえば、レバノンでは、2007年1月から2008年8月までの間に95人もの出稼ぎ家庭内労働者たちが死亡しました。
 このなかには、雇い主から宝石を盗んだと責められたフィリピン人女性もいます。現地のフィリピン大使館によると、彼女は雇い主に殴られ、家に閉じ込められた挙句自殺した、といいます。
 出稼ぎ労働者や移住労働者が、出稼ぎ先あるいは移住先の国で、差別にさらされたり劣悪な環境で働かされる例が多くあります。なかでも家庭内の女性労働者たちは、個人の家の中で働くわけですから、社会の目が行き届かないうえ、労働法規制も及ばず、人権侵害に特にさらされやすくなっています。
 こうした女性の権利を確保するために、家庭内労働者にも労働法を適用していくことが必要不可欠です。また、そもそも、こうした女性たちが海外に出稼ぎにいかなくてもすむように、日本政府のODA(政府開発援助)ができることもあります。例えば、こうした貧しい女性たちを対象とした職業訓練を行うなどの方法で、日本政府も、女性の権利の保護に貢献してほしいと期待しています。
BACK NUMBER
PROFILE

土井 香苗

1975年神奈川県生まれ。1994年東京大学入学。大学3年生で司法試験に合格し、4年生のときNGOピースボートのボランティアとして、アフリカで一番新しい独立国・エリトリアに赴き、1年間エリトリア法務省で法律作りに従事する。2000年から弁護士活動をする傍ら、日本にいる難民の法的支援や難民認定法改正のためのロビーイングやキャンペーンにかかわる。06年から研究員として国際NGOヒューマン・ライツ・ウォッチのニューヨーク本部に在籍。07年から同NGO日本駐在員。08年9月から同東京ディレクター(日本代表)。
ヒューマン・ライツ・ウォッチのHP:
http://www.hrw.org/
 
PAGE TOP
Copyright(C) Association Press. All Rights Reserved.
著作権及びリンクについて