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人間を傷つけるな! 土井 香苗
10/02/28

第11回 経済発展の陰で様々な差別が残るインド

戦争や虐殺など世界各地で今日もなおつづく人権蹂躙の実情に対して監視の目を光らせる国際NGOヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)。2009年春開設したHRW東京オフィスの土井香苗ディレクターが問題の実態を語る。

紛争に巻き込まれるのは最貧困層の人々
インドはいま、経済的に好調で、とくにIT分野における躍進はめざましいものがあります。しかし、アカデミー賞などを受賞した映画「スラムドッグ $ ミリオネア」にも描かれていたスラムでの子どもの権利の侵害など、様々な問題もあるのではないでしょうか?
土井
 インドの現政権は、コングレス党が率いる連立政権です。2004年からコングレス党が連立与党第一党となり、2009年に第2次マンモハン・シン政権が成立しています。コングレス党政権のもと、インド経済は目覚しい発展を遂げていますが、残念ながら、人権面の前進はまだまだ小さいというのが現実です。
 経済発展の陰で、最低限の保健・教育・食料すら手にすることができない多くの人びとがおり、ダリット(「アンタッチャブル」(不可触賤民)とも呼ばれる)に対するカースト差別や部族に対する差別、ヒンズー教以外の宗教に対する差別、女性や子どもの権利の侵害なども横行しています。
テロ攻撃も頻繁に起きているニュースを見ます。そうしたテロ行為の背景には、どんな問題があるのでしょうか。
土井
 頻発するテロ事件のなかで、多くの民間人を巻き添えにする無差別攻撃も起きています。皆さんの記憶に新しいのは、少なくとも171人が犠牲となり、300人以上が負傷した2008年11月のムンバイでのテロ攻撃ではないでしょうか。インドではこうした無差別攻撃が、何度も起きていまるのです。ムンバイ攻撃は、パキスタンを根拠とする過激派組織ラシュカルエタイバによっておこなわれたといわれていますが、それ以前におきた多くのテロ攻撃は、イスラム教過激派組織やヒンズー教原理主義組織により行なわれたといわれています。
 最近では特に、毛沢東主義派ゲリラによる人権侵害や、政府による毛派掃討作戦による民間人の犠牲が、大きな人権問題のひとつといっていいでしょう。
つい先日(2月15日)、インド東部の西ベンガル州ミドナポールで、左翼過激派「インド共産党毛沢東主義派」が警察部隊のキャンプを襲撃し、警官24人を殺害したというニュースがありました(読売新聞)。その他にも、ごくまれに日本の新聞の紙面にも、「インドの毛沢東主義派」のことが載っていることがあります。
土井
 毛沢東主義派と言えば、1996年から2006年まで政府軍とネパールの内戦を繰り広げたネパールの毛派(マオイスト)が有名です。ネパールの毛派は、2006年に停戦して議会内活動に転じ、2008年4月の政権議会選挙で第一党になりました。
 実は、インドでも毛沢東主義派の勢力は小さくなく、「ナクサライト」(Naxalites)とも呼ばれています。インドの最貧困層、とりわけダリット(最も差別される人々。「不可蝕選民」と訳される)、土地を持てない小作人たちの権利のための闘争を掲げています。インドの「赤の回廊」と呼ばれる東部から中部、南部にかけての貧困地帯に構成員が多く、インドにある600の地域のうち200地域近くで活動しています。これらの地域の中には、鉱山開発などの巨大プロジェクトが行なわれているところも多いのです。
 インド政府は、毛派を国内治安に対する「国内最大の脅威」だとしています。ナクサライトは、軍事戦闘要員も持ち、治安機関や政治家などを標的に、一般市民を巻き添えにする攻撃を繰り返しているからです。政府側はこれに対して、サルヴァ・ジュドム(Salwa Judum)という民兵組織とともに、毛派への攻撃を進めており、この紛争は「ナクサライト紛争」と呼ばれています。
インドの貧困問題が背景にあるわけですね。ということは、このナクサライトに対しては貧困層からの支持があるのでしょうか。
土井
 政府軍も、毛沢東主義ゲリラ=ナクサライトも、口では「自分たちこそが、インドの最貧困層に置かれた人の味方だ」と主張しています。しかし、その主張とはうらはらに、両陣営ともインドの最貧困層に対し、残虐行為を続けています。このナクサライト紛争のなかで起きている、両陣営からの人権侵害に苦しみ翻弄される民間人の悲劇については、残念ながら日本ではほとんど報道されません。
 地元の最貧困層の民間人たちは、戦闘の真っ只中に取り残され、殺されたり、負傷したり、拉致されています。また、民間人たちは、いずれかの陣営から自分たちの側に付くようにと脅迫、強制されています。そしてどちらかに付くと、今度は、その相手方からの報復の危険にさらされているのです。
 そうしたなか、インド政府は、新しい政府反乱勢力鎮圧作戦「グリーンハント作戦」を決行しました。国の準軍事部隊を派遣し、州の警察部隊とともに、ナクサライトを鎮圧しようとしています。この「グリーンハント作戦」についての、2009年9月19日付け共同通信のニュースを見てください。「インド治安当局が、9月19日までに、今年に入り国内でテロを頻発させている極左武装組織インド共産党毛沢東主義派に対する大規模な掃討作戦を中部チャッティスガル州などで開始した」とあります。このニュースには、「治安当局は、特殊部隊約千人を動員し、18日にはチャッティスガル州の森林地帯で毛派メンバー約30人を殺害」ともあります。
 インド政府も、毛沢東主義ゲリラ=ナクサライトの勢力圏の地域で、開発や発展が必要不可欠と認めるものの、ナクサライトこそがインド政府の開発・発展のイニシアチブを妨害していると主張しています。しかし、この紛争の主な要因には、天然資源の支配権をめぐる戦いという側面が強いのです。特に、内戦に苦しむ州の多くには、膨大な地下資源が眠っているといわれ、これに対する支配権をめぐって、血で血を洗う闘いが行なわれ、その狭間で民間人が苦しんでいるんです。
ナクサライトが具体的にどのような人権に関する事件を起こしているのでしょうか。
土井
 ナクサライトは、戦闘のために、子どもを含む村民を徴用しています。そのため、政府部隊は、村民たちをナクサライト関係者と疑い、逮捕・拷問することが頻繁にあります。また、ナクサライトは、学校などの政府施設を攻撃したり、警察署や武器庫を襲撃しているほか、地雷や簡易爆破装置で攻撃を行なっているほか、旅客列車のハイジャック事件や、警察当局者の拉致事件、企業や鉱山会社の従業員を襲撃事件、警官と内通していたとして人の首をはねるなどの事件を起こしています。
 一方で、インド政府軍部隊も、対毛派ゲリラ掃討作戦の中で、恣意的逮捕・拷問・違法な暗殺など、広範な人権侵害を行っているほか、そうした人権侵害の責任者を処罰していません。また、チャッティスガル州政府は、大量殺人・レイプ・民間人数万人の強制追放に手を染めている自警団(民兵組織)サルヴァ・ジュドムの後ろ盾となっています。
カシミール問題が世界中のテロリストを生んでいる!
インド政府は、ヒューマンライツウォッチ(HRW)などが主張する、人権問題に対して、どのような態度を示しますか?
土井
 インド政府高官のなかには、貧困問題解決が不十分であることをはじめ、大規模経済開発のために人びとが強制立ち退かされてきた問題、カースト差別・民族差別など、政府の失策がナクサライト勢力を拡大させていることへの理解がだんだん進んできています。そして、批判に応えて、政府は、掃討作戦のなかでの人権侵害「ゼロ・トレランス」政策を発表しました。私たちもこれを歓迎するものですが、この政策が現実に実行に移されていると評価できない状況が続いています。
 HRWは、ナクサライト掃討作戦のなかでの民間人保護を呼びかけてきたほか、インド政府が残忍な民兵組織サルヴァ・ジュドムの後ろ盾になっている実態を明らかにした報告書「中立の民間人が最大の犠牲者:インド・チャッティースガル州での政府、民兵組織、ナクサライトの人権侵害」を発表したり、ナクサライトによる学校襲撃、そして、政府警察による学校占拠などのせいで、子どもたちが教育の機会を奪われている現状を明らかにした報告書「攻撃される学校教育:インドのビハール州とジャルカンド州 ナクサライトによる学校攻撃、警察による学校占拠」を発表するなどしてきました。学校教育への攻撃については、美しくも悲しい写真のスライドショーもあります。
そのほかインドには、宗教対立を背景にした紛争も多数起きています。例えば、カシミール紛争は、インド・パキスタンの間の長年の問題です。
土井
 パキスタンとインドの間にあるカシミール地域をめぐる紛争は深刻です。イスラム過激派「テロリスト」たちの問題が叫ばれるようになってから久しいですが、いわゆる「テロリスト」が「テロリスト」になる最大の原因は、このカシミール問題とパレスチナ問題であるという識者が多いのです。住民の大多数がイスラム教徒であるカシミール地域に対しては、パキスタンとインドが領有を主張し、これまで大小の軍事衝突(カシミール紛争と呼ばれます)を繰り返してきました。まず、1947年にインド、パキスタンが分離独立した際、パキスタンがカシミールに武力介入し、インド政府もここに派兵。第一次印パ戦争(印パ戦争)がおきました。以後、第二次印パ戦争、第三次印パ戦争、カルギル紛争などの戦争が起きました。現在は、ほぼ中間付近に停戦ラインが引かれています。
カシミール地域では具体的に、どのような人権問題が起きているのでしょうか。
土井
 カシミールのインド管理地域内では、インド政府軍や準軍組織がイスラム教の住民たちを拷問し、「拉致・強制失踪」させています。また、「武力衝突の中での死亡」に見せかけた暗殺も多発しています。一方で、民兵組織(多くの場合パキスタンが後ろ盾)も、民間人に対する爆弾攻撃や、イスラム教徒ではない宗教マイノリティに対する暗殺、拷問、襲撃などが行なわれています。詳しくは、HRWの報告書をご覧下さい。また一方で、パキスタン管理地域内のカシミールでも民主活動家やメディアへの弾圧などの人権侵害が続いており、その実態も報告書にまとめています。
 現在は停戦ラインが引かれていると言いましたが、両国はカシミール地方に、大規模な軍を配置して対立を続けています。国際社会では、パキスタン政府軍とタリバンの戦闘が注目を集めていますが、パキスタンにとっての最大の敵国は今も昔もインドのままで、パキスタン政府が、タリバン掃討作戦のためにさいている軍事的なリソースは限られたものとなっているのです。
映画「スラムドッグ $ ミリオネア」でも描かれていた、女性の人権侵害については、どうでしょうか。
土井
 女性差別は深刻です。インドでは、女児の胎児殺しが多いため、男女の人口比がアンバランスなのはよく知られた事実です。また、妊産婦の死亡率が非常に高く、妊娠期間中や出産時、あるいは出産後数週間以内に死亡するインド人女性や少女は数万人にものぼっています。HRWは、報告書「悲しみの果てに:インドにおける産科医療のアカウンタビリティ」(150ページ)を発表し、インド北部のウッタル・プラデーシュ州で、妊産婦への治療ミスが繰り返し発生しているのみならず、その原因を探り対処することを当局が怠っている現状をとりまとめました。この州は、インドの中で妊産婦死亡率が最も高い州の一つと言われているのに、死亡した女性の人数さえ記録されていません。こうした妊産婦医療の問題を抱える州は、ウッタル・プラデーシュ州のみではありません。この調査ミッションには、マグナムフォトも同行しました
借金のカタに働かせられる子どもたち
カースト制に起因する人権問題については、どうでしょうか。
土井
 債務児童労働という借金のカタとして子どもたちが働かせられている問題を分析すると、実は、カースト差別と深く関係していることがわかります。この問題については、『インドの債務児童労働:見えない鎖につながれて』(HRW著、明石書店)と『小さな変革』(HRW著、創成社)という本に詳しくまとめらています。

「朝4時に起き、絹糸の巻き取りをして働いた……(中略)……家に帰るのは週に一度だけ。あとは、2、3人の子といっしょに工場で寝起きして、自炊した。夜は機械の間で寝た。工場主から米を渡され、それを自分で炊いていた。代金は賃金から引かれた。休憩は1時間だけで、日に12時間働いた。糸を切るようなミスをしたら工場主から叩かれ、きたない言葉で罵られた。そしてもっと働かされた。(『インドの債務児童労働』本文より抜粋)」

 この2冊の本は、国際子ども権利センターのスタッフが翻訳してくれたので、日本語でも読むことができます。こういった人権に関する本は、専門知識がないと正確に訳せませんので、その方たちには深く感謝しています。HRW東京としても、外国語で出版されているこうした本を、どんどん翻訳して出版していきたいと考えています。
紹介した本は、HRWの著作となっていますが、具体的にその本を書いた人は、実際にインドの現場で、リサーチしている人なのでしょうか。
土井
 そうです。例えば『小さな変革』や、そのもととなった報告書「Small Change」は、ザマというHRWの中の「子どもの権利局」のリサーチャーが調査して執筆しました。彼女は、子どもの権利局のなかでもアジアを担当していました。今は、子どもの権利局の局長代理です。
ザマさんをはじめ、インドでのリサーチャーはどんな調査活動を行っているのでしょうか。
土井
 現在、HRWのインド担当者は、ムンバイに住んでいる元ジャーナリスト(ニューズウィークの記者)のインド人女性で、アジア局所属のメナクシ・ガングリーといいます。
 彼女は、反政府武装勢力やテロリストの掃討作戦のなかで行われる人権侵害などを中心に、調査と執筆を続けています。最近彼女が執筆した報告書には、たとえば、「These Fellows Must Be Eliminated」や「Being Neutral is Our Biggest Crime」などがあります。また、彼女はそのほかの部局の人がインドの調査をする際、ハブのような役割も果たしています。たとえば、子どもの権利局が調査した「Sabotaged Schooling」や「Dangerous Duty」、女性の権利局が調査した「No Tally of the Anguish」などはすべて、インドの専門家であるメナクシが、それぞれの専門家たちに協力して報告書を作成しています。
 いずれにしても、一般市民が紛争に巻き込まれる様子をレポートしたり、反政府武装勢力のシンパと政府軍に疑われた人々に対する人権侵害を暴くわけですから、インド内には政府軍を中心に反発も相当あります。
インドに関する人権問題について、HRWとして日本政府に対し主張したいことはなんでしょうか。
土井
 日本はインドを、巨額のODAで支援しています。インドに円借款をする際に、単にお金を低利で融資して巨大なインフラ作りを促進するだけでなく、インフラ作りの際に、住民を不合理に退去強制させないことや、地域の住民が利益となるようなプロジェクトとすること、格差の拡大を防ぐような開発を行うことなどを、助言したり注文をつけたりしてほしいと思います。
 また、少なくとも、虐殺などの人権侵害に関与したといわれる政治リーダーなどからは距離をとるようにしてほしいです。たとえば、悪名高い2002年の「グジャラート虐殺」。当時、グジャラートでは、州政府の暗黙の了解の下でヒンドゥー教徒が暴徒化し、数千人のイスラム教徒が虐殺されました。それでも、JETRO(日本貿易振興機構)がグジャラートで大規模な投資セミナーを開催したり、日本政府関係者と州政府高官と接触したとの報道もあります。宗教的マイノリティの虐殺に対する容認のサインとも取られる危険性があるもので、こうした行動は現に慎むべきです。
 さらに、日本の外交官には、各地のインド政府による「人権委員会」をみてまわってほしいです。インドには人権委員会をふくめすばらしい法律や制度はたくさんありますが、実際には、十分に機能していません。日本は、インド社会のエンパワメントプロジェクトを行う場合には、人権委員会をはじめ、地元の人権NGOなどにも支援を広げていってもらいたい。
 最後に、インドの外交にも注文があります。日本と同様、インドは、アジアの民主主義国で経済の牽引役です。スリランカやビルマなどへの影響力は大きい。しかし、その外交的影響力を人権のためにつかうことは極めてまれです。それどころか、対ビルマ外交などは、以前は、軍事政権に対し毅然とした姿勢をとっていましたが、最近は、天然資源獲得や地政学的理由からか、軍事政権に融和的な姿勢に転換しています。インドに対しては中国と同様、より人権を重視した外交を求めたいと思います。豊かな市民社会をもつインドであれば、それができるはずです。
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PROFILE

土井 香苗

1975年神奈川県生まれ。1994年東京大学入学。大学3年生で司法試験に合格し、4年生のときNGOピースボートのボランティアとして、アフリカで一番新しい独立国・エリトリアに赴き、1年間エリトリア法務省で法律作りに従事する。2000年から弁護士活動をする傍ら、日本にいる難民の法的支援や難民認定法改正のためのロビーイングやキャンペーンにかかわる。06年から研究員として国際NGOヒューマン・ライツ・ウォッチのニューヨーク本部に在籍。07年から同NGO日本駐在員。08年9月から同東京ディレクター(日本代表)。
ヒューマン・ライツ・ウォッチのHP:
http://www.hrw.org/
 
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