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Series 世界
人間を傷つけるな! 土井 香苗
09/08/31

第6回 あらゆる人権が侵害されている北朝鮮

戦争や虐殺など世界各地で今日もなおつづく人権蹂躙の実情に対して監視の目を光らせる国際NGOヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)。2009年春開設したHRW東京オフィスの土井香苗ディレクターが問題の実態を語る。

北朝鮮の実情を伝える情報は日本語と韓国語だけ
北朝鮮に人権問題があることについては、拉致問題を出すまでもなくよく知られていますが、世界的にどの程度、関心があることなのでしょうか。
土井
 確かに日本では、北朝鮮の人権状況が悪いことは広く知られています。しかし北朝鮮の人権問題は、実は、日本や韓国に限られて知られているのです。世界的には、北朝鮮にいる人たちがどのようなむごいめにあっているかということはあまり知られていない。世界の関心は核問題が中心です。そのため、人権状況がひどいにもかかわらず、国際社会からは、北朝鮮政府に対して人権侵害をやめよというプレッシャーがかかっていないのです。こうしたプレッシャーは、残念ながら日本一国では作り出せません。どうやって世界を巻き込んでいくかが、HRWにとっても課題です。
 自国の安全保障は重要な問題ですから、核問題に関心が集中するのはわかります。だからといって、北朝鮮国内で苦しんでいる2000万人以上の人びとのことを忘れてもよいということにはならないはずです。被害者の肉声などは、日本語や韓国語ではたくさん出版されていたり、インターネットで発信されていますが、英語やスペイン語、フランス語、中国語などになると極端に少ない。世界各国の人権状況についての情報はふつう、日本語よりも英語の方がたくさんあるのですが、北朝鮮に限って言えば逆の現象です。
やはり日本では拉致問題の存在が大きいですね。
土井
 日本政府は、こうした国際社会の中にあって、北朝鮮の核問題だけではなく、人びとの人権について、どの国よりも提起、発言しています。それは歓迎するのですが、その焦点はいつも、拉致問題、とくに「日本人」の拉致問題ばかりにあたっていることは残念です。
 日本人が拉致された問題は、確かに邦人保護の観点や主権侵害の問題でもあり、日本政府がこれを真剣に取り上げるのは当然です。しかし、日本政府が「人権問題は、内政干渉の例外であり、世界の関心事である」と世界にアピールし、世界各国からも拉致問題解決のための助力を得たいと考えているならば、より普遍的に世界各国の拉致被害者、ひいては北朝鮮政府による人権侵害の被害者全体の人権の保護を真剣に訴えて行動をとらなければいけないと思います。そうでなければ、「人権」という普遍的な言葉を使って日本人の拉致被害者救済への助力を依頼しても、実は邦人保護などの日本の利益を実現したいだけと見え透いてしまうと思います。日本政府が、世界中の人権の被害者のために手を差し伸べる国になってこそ、他の国も日本人の人権侵害の被害者に手を差し伸べたいと思ってくれるのではないでしょうか。日本政府が積極的に人権を保護する国になることは、日本人拉致被害者のためにもなると思います。
 先日(2009年8月22日)、「拉致問題を考えるよこはまシンポジウム(主催:横浜市、共催:横浜地方法務局・横浜人権擁護委員協議会、パシフィコ横浜にて)」に、国際人権法を専門とする中央大学の横田洋三教授や、横田滋・早紀江さん夫妻などと一緒にパネリストとして参加し、同趣旨のことを述べました。
脱北者の子どもは学校にも行けない
そもそも北朝鮮の国民には人権というものがまったくないように思えますが、HRWとして具体的にどのような人権問題を重要視していますか。
土井
 北朝鮮では、あらゆる人権が侵害されている状況で悲惨ですね。政府に反対意見を述べる政治組織、独立した労働組合、報道の自由はほぼ存在すらしませんし、恣意的な逮捕・勾留や法の適正手続きの欠如も深刻です。
 HRWが特に重大なものとしてとらえている問題は、いろいろありますが、具体的にあげると(1)食糧への権利の侵害、(2)脱北者の権利の侵害、(3)拉致問題、(4)拘束されている人々の状況、つまり強制収容所につかまっている人たちの問題という4点です。
まず、「食糧への権利の侵害」とは何でしょうか。
土井
 1990年代、北朝鮮は全国的な飢饉状態にありました。そして、人口の5%にあたる100万人くらいが餓死したものと考えられています。北朝鮮の飢餓は、単なる天災ではありません。北朝鮮政府の食糧政策(配給を維持して、自由な市場を原則として禁止していることなど)、不平等な食糧分配、国際食糧支援にモニタリングを許さないなどの、北朝鮮政府の誤った政策が原因となった飢餓でした。
 近年、90年代の状態にまで逆戻りしているとはいえないものの、北朝鮮の食糧不足はつ続いていて、餓えに苦しんでいる人が大勢います。配給制度は、特権階級の人びと、つまり労働党高官と軍の治安や情報に携わる極めて一部の人間だけにしか機能していません。特権階級以外の人たちは、本来は原則禁止であるはずの、市場で食料や生活必需品を購入して暮らしています。
 北朝鮮における食糧の物価は、2007年ほど急激ではないものの、2008年も上昇を続けました。もっとも、食糧不足がどの程度深刻かについては、北朝鮮の農産業についての専門家が実にさまざまな評価をしており、一概には言えませんが、物価の上昇は市場で生活をたてざるをえない市民の食糧事情を直撃します。
つぎに「脱北者の権利の侵害」について、解説してください。
土井
 数十万人の北朝鮮人が、90年代、中国へ逃れました。その多くは北朝鮮国境近くの吉林省東部にある延辺朝鮮族自治州に潜伏しています。中国は51年難民条約の締約国で、中国政府には難民保護の義務があります。しかし、中国政府は、こうした北朝鮮人をまとめて違法な経済移民とみなし、頻繁に北朝鮮に強制送還しているのが実態です。政府の許可なく出国した者は反逆者とみなされることが多く、帰国した際には長期におよんで投獄されます。死刑にされることさえあります。
 北朝鮮女性の中には、中国人と同居して、事実上の婚姻関係にある人も多くいます。こうした北朝鮮女性たちは、長年、中国で生活し、中国人男性との間に子どもが生まれたような場合であっても、中国の在留が許可されていません。つまり、中国人の妻、中国人の母でありながらも、いまだに、北朝鮮への逮捕・送還の危険にさらされ続けているのです。北朝鮮の女性、なかには年端も行かない少女もいますが、彼女たちのなかには、誘拐され、あるいは騙されて、中国で結婚させられたり、売春させられている人びともたくさんいます。
 2008年の北京五輪の直前およびその開催期間中、中国はとくに、北朝鮮難民や移民に対する逮捕と北朝鮮への送還を強化しました。中国警察当局は、延辺に住む多くの北朝鮮人を逮捕して送還しました。公式な統計はないのですが、付近住民によると、村に住んでいた北朝鮮人はほとんど残らず強制送還されてしまった、というような村もあるようです。中国の北朝鮮国境地域ではこのように逮捕・送還されてしまうことも多いので、最終的な目的地である韓国を目指して中国の延辺を無理に去っていく人たちもいます。
脱北者の子どもはどのような状況に置かれていますか。
土井
 中国の延辺地域に住んでいる北朝鮮人の子どもたちは、身分証明をもらえず、小学校へ通うことができません。脱北者には戸籍登録証(戸口簿)をもつ権利がないためです。多くの小学校が、入学の際に戸口簿の提出を求めます。中国人の父親を持つ子どもについては、北朝鮮人の母親の存在を隠すために、戸籍登録が行われないことも多く、そうすると、やはり戸口簿がないことになってしまいます。そうすると小学校にいかれないことが多いのです。
 中国の法律では、国籍にかかわらず、子どもには、9年間の教育を受ける権利があるとされています。よって、法律によれば北朝鮮人の子どもも、中国人と北朝鮮人の間の子どもも、戸口簿がなくとも、学校への入学が許されねばならないということになるはずです。しかし現実には、それがなければほとんどの学校が入学を許可しません。子どもたちを学校に通わせるために、賄賂や偽造を行う親や関係者も多数います。
 中国にいる脱北者のうち、幸運な一握りのひとたちは、モンゴルやタイなど近隣の第三国を経由して、韓国や日本、米国にたどり着きます。韓国は、憲法の定めにより、全ての北朝鮮人を国民として受け入れるとされています。08年時点で、韓国は約1万3000人、日本は100人超、米国は数十人の北朝鮮人を受け入れています。近年、カナダ、ドイツ、イギリスその他の欧米の国々で、合計数百人の北朝鮮人が難民として認められ、保護されているそうです。
政治犯収容所の囚人は“奴隷”
次に「拉致問題」についてですが、これは日本人に限った問題ではありませんね。
土井
 日本人がよく知っているとおり、北朝鮮に拉致されたとみられる外国人(大部分の拉致は70年代及び80年代に実行された)の問題はいまだに解決されていません。韓国政府は、北朝鮮の機関に拉致された496人の韓国国民が、いまだに、その意思に反して北朝鮮に抑留されたままだとしています。北朝鮮政府は、これらの韓国人は自分の自由意思で北朝鮮に留まっているだけだ、と主張しています。しかし韓国にいる親戚が、こうした在北朝鮮の韓国人と連絡を取ることを、北朝鮮政府は一切認めていません。
 他方、北朝鮮は、日本人については、02年、13人を拉致したことを認め、同年のうちに、5人については日本へ帰国することができました。しかし他の8人は既に死亡したとし、また、そのほかには拉致した日本人はいないと主張している状況です。
 拉致・強制失踪は、許されない人権侵害です。愛する者の所在さえわからない家族たちは、愛する家族の居場所をさがして、終わることのない苦しみにさいなまされ続けるのです。
拘束されている人びと、つまり強制収容所に入っている人たちは、どのような状況におかれているのでしょうか?
土井
  北朝鮮政府は巨大な収容所をつくって、女性や子どもも含め数十万人の人々を悲惨な奴隷状態においています。そのほか、国有財産を盗んだ、食料を秘密裏に貯蔵したなどの「反社会的な」罪を犯したとして、定期的に市民の公開処刑を実施しています。
 北朝鮮の「奴隷収容所」につかまっていた人たちの証言や、「奴隷収容所」の監視員だった人の証言などが、いくつか日本語に翻訳されています。例えば『収容所に生まれた僕は愛を知らない』(申東赫著、李洋秀翻訳、ベストセラーズ、2008年)などでずが、ぜひ一度手にとって読んでみてほしいと思います。
 北朝鮮の政治犯収容所で、囚人の子として生まれ、奴隷として生きた申東赫さんの23年間、そして、収容所からの奇跡の脱出を描いた衝撃の手記です。奴隷同然の過酷な労働、理不尽な虐待、家畜のようにかけあわされる結婚と出産。今なお北朝鮮で続く奴隷労働と被拘禁者の権利に対する侵害に、きっと言葉をなくしてしまうでしょう。北朝鮮の「奴隷収容所」の問題を考える上の必読書だと思います。
 さらに、北朝鮮の政治犯収容所の実態を知るには、『平壌の水槽/北朝鮮地獄の強制収容所』(姜哲煥著、ポプラ社、2003年)もお勧めです。人権についてのより専門的な見地から書かれた本を読みたい方は、24人の元収監者への聞き取りをもとに、政治犯収容所の実態を明らかにした報告書、『朝鮮 隠された強制収容所/亡命者・脱北者24人の証言』(北朝鮮人権アメリカ委員会著、デビッド・ホーク著、草思社 、2004年)も読んでみてください。著者のデビッド・ホーク氏は、カンボジア、ルワンダにおける集団殺害を調査・検証してきた国際人権の専門家で、北朝鮮の奴隷収容所の実態を知ることができる良書です。
こうした収容所には戦後の帰国事業で北朝鮮にわたった日本人もかなりいるのでしょうか。
土井
  日本では、1959年から1984年まで、在日朝鮮人やその家族が北朝鮮へ“帰国”することを奨励する帰国事業が行なわれました。この数は総勢10万人近くにもおよび、このなかには1万人近い日本人妻も含まれています。今、こうした在日朝鮮人あるいは日本人の子孫たちは、数十万人になっているでしょう。こうした人びとが、政治犯収容所に特に入れられやすかったという証言や、実際に日本人の女性たちが収容され拷問されているところを見たというような証言もあります。日本人の邦人保護の観点からみても、帰国した人たちの安否の確認や、政治犯収容所=奴隷収容所を解体するよう求めることが日本国の責務であると思います。
民主党新政権は人権問題について世界をリードできるか
8月30日の総選挙の結果、政権交代が確定し、民主党が政権をとりますが、民主党に期待することはなんですか。
土井
 冒頭でも述べたことですが、民主党政権にはぜひ、北朝鮮の人権問題の解決にむけて、世界をリードしてもらいたいと思います。世界が注目している核問題にくわえて、国際的な交渉のなかに、人権問題の解決も組み入れていってほしいし、そのイニシアチブをとってほしい、と思います。そして、それが、北朝鮮以外の国で人権侵害に苦しんでいる被害者たち、たとえば、これまでに本誌で話をしてきたビルマ(ミャンマー)やスリランカ、中国、イランなどの国々で苦しむひとのためにも積極的に外交をしていく、きっかけになればと思います。
 民主党の中にも、北朝鮮で苦しむ人びとのために人権問題を解決したいと尽力されてきた国会議員が何人かいます。なかでも、中川正春衆議院議員は、思いをひとつにする各国の議員の方々にも呼びかけて、北朝鮮の人権問題を解決するための世界的なイニシアチブを取ってこられた方です。こうした議員の方の、これまでの努力に立脚した人権外交を、次期政権はとることができるのか。注目していきたいと思っています。
北朝鮮に限って言えば、まずはどの問題に取り組んでもらいたいと思いますか。
土井
 課題はいろいろとありますが、まずは脱北者に対する保護を広げてほしいと思います。今、延辺付近にある日本の領事館は、日本人あるいは在日、その子孫のみを保護するという方針です。しかしそうした人びとは、中国に潜伏せざるをえない脱北者のほんの一部にすぎません。在日や日本人かどうかにかかわらず、脱北者が強制送還されないように、一時的に領事館で保護することはできないのでしょうか。多くの脱北者は、日本ではなく韓国に行きたいと希望するでしょうから、韓国行きのために、韓国政府に引き渡せばいいのです。これは生死の問題なのです。多くの脱北者が毎日のように中国から北朝鮮に強制送還され、むごい仕打ちにあい、場合によっては死んでいっていることを考えれば、緊急の人道課題であり、かつ、大きな費用などを伴わずにできることなのですが……。すぐにでも始めてほしいと思います。
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PROFILE

土井 香苗

1975年神奈川県生まれ。1994年東京大学入学。大学3年生で司法試験に合格し、4年生のときNGOピースボートのボランティアとして、アフリカで一番新しい独立国・エリトリアに赴き、1年間エリトリア法務省で法律作りに従事する。2000年から弁護士活動をする傍ら、日本にいる難民の法的支援や難民認定法改正のためのロビーイングやキャンペーンにかかわる。06年から研究員として国際NGOヒューマン・ライツ・ウォッチのニューヨーク本部に在籍。07年から同NGO日本駐在員。08年9月から同東京ディレクター(日本代表)。
ヒューマン・ライツ・ウォッチのHP:
http://www.hrw.org/
 
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