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Series フォト&エッセイ
遠いパラダイス 藤原 章生
06/01/15

第18回 信仰と霊のラテンアメリカ

冷戦が終わり、諍いも隔たりもない世界が広がる。そう考えたのもつかの間、人々は以前よりも内向きに、自らの殻、国家や民族、人種に閉じこもり始めた。人々が鎧を剥ぎ取り、自分自身になれる時代はやってくるのか。ジャーナリスト藤原章生氏が、世界各地の現場から、さまざまな人間との出会い、対話を通して考察する。

ガルシア・マルケスの故郷にて
03年10月、コロンビア北部アラカタカ

 ラテン性とは何だろうか。楽天家、祭り好き、怠け者、マチスモ(男尊女卑)、愛こそすべての恋愛至上主義と、いろいろステレオタイプのイメージがあるが、当たらずとも遠からずといったところだろう。ラテンアメリカは北米、いわばアングロアメリカと比べ、なぜ、さほどの経済発展を遂げなかったのだろう。そんな疑問が語られる際、よくこうしたイメージが取りざたされる。人々の気質が足かせになっていると。その根には、マックス・ウェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で触れたように、北米に入ってきたプロテスタントたちの勤勉性や個人主義が、中南米に根づいたカトリック信者たちに欠けていたという面もあるだろう。
 ただ、時代の違いもある。スペイン、ポルトガルのカトリック信者の男たちが独身で中南米に入植し始めた15世紀末以降と、主に英国人の清教徒が家族を伴い北米で開拓を始めた17世紀では、はじまりが違う。スペイン、ポルトガルの男たちは先住民を虐殺しながらも、彼らを奴隷、二級市民として酷使し、混血を繰り返した。一方、後者はやはり先住民を虐殺しながらも、彼らを居留地に囲い込み、さして混血することはなかった。もちろん例外は幾らでもあるが、ラテンアメリカのように日々の生活の隅々にまで先住民をはべらせたりすることはなかった。

 メキシコの日系2世で企業家のカルロス・カスガ氏はよく日系人の若者をこんな風に鼓舞する。
「我々ラテンアメリカの日系人は歯医者でも農家でも弁護士でも、大体みんな成功する。しかも、少しでも日本で学んだ人や、日本の習慣を維持している人ほどうまくいく。それは何も日系人や日本人が生まれながら優れているわけではない。家庭での習慣が違うからです。ここのスペイン系の金持ちは代々、自分は遊んで、使用人に何でもやらせる。でも、我々は自分の身の回りのことはとりあえず自分でするという習慣がある。彼らには、先住民を奴隷にして、自分たちは日がな酒盛りをしているという入植時代の慣習がいまだに抜けないのです。だから皆さんも、日系1世のおじいさん、おばあさんや日本の身内を見習って、身の回りの掃除など自分のことは自分でして、空いている時間は勉学、労働に励むという風な生き方をしてください」
 メキシコ生まれのカスガ氏にも、やはり冒頭に挙げたラテンアメリカ観が根強くあるようだ。つまり、彼らの中にある悪しきラテン性を押し殺して、勤勉さや他人をおもんばかる細やかな気遣いなど、日本の良い部分を取り入れれば、うまくいくという考えだ。そして、カスガ氏はこう締めくくる。
「みなさんは、50%のラテンアメリカ人と50%の日本人ではなく、それぞれいい面を60%ずつ兼ね備えた120%の人間になってください」
 これはもっともな意見である。ただ、ラテンと日本はそれほど対極の位置にあるのかというと、やや疑問も残る。なぜなら、アングロアメリカの世界から見た場合、ラテン世界と日本には一点、共通したところがあるようにも思えるからだ。
 その一つは人々がかなりのお化け好きという点だ。ここで言う「お化け」とは、霊や奇跡、超常現象、夢占いなどが日々の生活に深く広く浸透しているということだ。これは、聖母の再現など奇跡を崇めるカトリックの慣習もあるが、やはりスペイン人が共に暮らした先住民の信仰が大きく影響しているように思えてならない。

『エレンディラ』の舞台となった
コロンビア北部グアヒラ半島で、03年11月

 マッサージ業を始めたメキシコの知人ペドロがこんなことを言っていた。
「いやあ、始めたのは良かったんだけど、もう軌道に乗ったから人に任せることにしたんだ。なぜって、結構疲れるからねえ。僕の場合、こう、人の体を触ると、ときどき悪い霊が入ってくるから」
「霊、何それ?」
 私の反応に知人は
「あ、そういうの信じない?」
 と少し警戒した表情になった。
「いや、信じないってわけじゃないけど」
 と居住まいを正すと、知人は今度は少し優越感を込めた顔で話し始めた。
「こうさあ、体触るとね。入ってくるんだよね。人によってはいろいろ悪い霊が取りついているじゃない。まあ、マッサージっていっても、要はそれを取り除いてやるという場合も大きいわけじゃない。そうすると、こっちの体がもうもたない。手から入ってきて、こっち、この肩の辺りにたまっちゃうからね。まあそれを、自分で取り除くのが大事なんだけど、中途半端にやると残っちゃうからね、こっちの方に」
「何が」
「何がって、悪い霊が」
「ああ、そう」
「ブラジルの有名なマッサージ師なんか、リオデジャネイロの海岸で、こう、全身震わせながら客をマッサージしては、自分の両肩にくっついた霊を派手にこう、『ウイヤァー!』なんて言って振り払いながらやるんで話題になったりしてさあ。まあ、僕もそこまでやってもいいんだけど、やっぱり自分の体も大事じゃない。何が入ってくるかわからないからね」
 そんなものなのかと、取りあえず納得した振りをして別れたが、私が面白いと思ったのは、そんな霊の話を、さして親しくもない私に何の前触れもなく彼がさらりと語ることだ。彼は特段、超常現象に通じているわけでもなさそうなのに、人に触れると、そこからばい菌とは違う何かが乗り移るということを、ごく日常のこととしてとらえている。その感覚が、私には珍しかった。

浸水した道を自転車を押して歩く女性
03年1月、コロンビア北部グアヒラ地方

 コロンビアの作家、ガルシア・マルケスの短編『無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語』(鼓直訳)にも、不注意から家を全焼させてしまった孫娘に、その次の日から春をひさがせる祖母が、客の一人を追い返す場面がある。

< 陰気な感じのする一人の兵隊に順番が回ってきた。祖母は彼を入れようとしないばかりか、その金に触ることも避けた。
「金を山と積まれても、入れるわけにゃいかないね」
「どういうことだ、それは?」
「お前さんに触ると、悪霊が乗り移るんだよ・・・顔を見りゃわかる」>

 この祖母もペドロと同じく、相手に触れると霊が乗り移ると当たり前のように信じている。孫娘のエレンディラが逃げ込んだカトリック伝道所に寄りつかないのも、彼女が霊的なものを怖れているからだ。その祖母は毎晩みる夢を予兆と考えており、それをより霊感の強い孫娘に語って聞かせ、解釈を求める。

<「ゆうべ、手紙を待ってる夢をみたよ」
「何曜日の夢だった?」
「木曜日さ」
「だったら悪い報せよ」
 とエレンディラは答えた。
「でも、その手紙は絶対に来ないわ」>

霊的指導者、ホセ・ニエベス氏
03年10月、コロンビア・リオアチャ州

 フランスの作家、ル・クレジオが『メキシコの夢』などの作品で先住民世界の夢信仰を描き出したように、 『エレンディラ』の舞台、コロンビアのリオアチャ州グアヒラ地方のワユ族にも、夢を語りそれを解釈する人々が結構いた。
 そんな一人、リオアチャ近郊に暮らすホセ・ニエベス氏の診療所を訪ねると、そこには相談に来た女性ばかりの長い列ができていた。試しに話を聞いてみると、職人のおじさん風情のニエベス氏は水の入った瓶と私を見比べながら、つらつらっとこう助言した。
「あなたの守護霊は老いた男と若い女ですね。朝の夢で彼らはあなたに言葉を投げ、それを反射したものが毎朝9時に現れています。でも、あなたには、まだそれが見えません。それが見えるようになるには、一日3回、太陽に向かって祈りを捧げなさい。あなたにも、霊の導きがわかるようになります」

「土着信仰だ」などと突き放してみてもいいのだが、ときどき都市に暮らす人までがこういう話をさりげなくすることに「これも一つのラテン性なのでは」と感じざるを得ない。
 1997年、リマで日本大使公邸占拠事件を取材していたとき、大使公邸で長い間人質に囚われていた警察官の妻をよく訪ねるようになった。彼女とその娘、息子らと食事をするようになったころ、その妻がこんなことを言った。
「けさ、あなたの夢をみたわ。浜辺で大きな波が押し寄せてきたかと思うと、その上にあなたがいて。波が去った後、浜にかけつけるとあなたはもう溺れてしまって、死にそうになっているの。私たち3人で抱き寄せると、あなたの体は子供みたいに小さくなっていて、もう死にそうなの。きっと何か悪い予兆よ。あなた、リマから離れて家に帰った方がいい。何か悪いことが起きるのよ」
 馬鹿らしいと思ったが、相手はかなり真剣で、しばらく同じ主張を続けた。私が興味を持ったのは、「まあ夢だし」と割り切らないばかりか、何の臆面もなく、そんな話を語るその態度だった。
「こんなこと話したら馬鹿だって思われるかも知れないけれど」
 といった前置きもなく、ごく普通の朝の挨拶のように語る。

コロンビア南西部の村ハムンディで、04年

 誰もがそういうわけではないが、こうした経験は日本ではあまりしたことがなかった。強いて挙げればお盆のことくらいだろうか。
 小学校低学年のころ、私は夏になると両親の田舎の岡山県によく行った。祖父母が暮らす家は岡山市を流れる旭川のそばにあり、そこに預けられていた私は近所の子供たちとよく土手に行った。ところが、お盆も近づくと誰も土手に近寄らなくなる。そして、祖母は、私が玄関にいるのを見るとかなりきつい口調でこう言ったものだ。
「土手に行ったら、いけんよ、絶対に。怖いからな」
 あるとき、「なんでなの」と伯母に聞くと、彼女は、
「引っ張られるんよ。まだ、小さいじゃろ。だから引っ張られたら、川に入れられて戻れなくなるから。死んじゃうんよ」
 つまり、お盆の時期になると、川に霊が戻ってきて、子供を引っ張っていくというのだ。そして、
「シンちゃんのお兄さんは、それで何年も前にな。引っ張られて溺れて、死んだんよ」
 と、そんな話までつけ加えた。「それでシンちゃんはいつも寂しそうな顔をしているんだ」と、納得した私は、それからは土手に近づかないようにした。だが、今思い出してみると、伯母の口調には祖母ほどの真剣さはなかったように思える。
 そして、どこか、そんなことを主張することを少し気恥ずかしく思っている風でもあった。這って土手を上り、ほんのちょっと川を見て逃げ帰ってきた私がしつこく話の真偽を伯母に聞くと、
「昔から、そういう話じゃから、行っちゃいけんのよ」
 という又聞きのような言い方になった。そして、彼女の言い方に微かな疑いを持った私は時がたつにつれ、あれは迷信だったんだろうと思うようになった。
 もし自分が大人になってあの川のそばに住んでいたとしたら、子供たちに同じことを言っただろうか。そう考えてみると、いま一つ自信がない。明治生まれの祖母の時代から戦争をはさみ二代を経て、そんな日常の中にある霊信仰はどこか薄ぼんやりとしたものになったのではないだろうか。そして、祖母のようにきつい口調で、霊のことを言いつのる人も少なくなったように思う。

アフリカ系住民の村で
雨どいの下、髪を洗う少女
03年10月、コロンビア北部

 一言でカトリックと言っても、ラテンアメリカには土着宗教と融合したことで、霊的なものや、それに伴う奇跡を信じる雰囲気がかなり根強く残っている。
 それを信じようが信じまいが、それが社会の何かを大きく変える原動力になることはないだろう。だが「下らない迷信だ」と割り切るのと、臆することもなく霊を語る日常では、日々の暮らしに対する姿勢はやはり違ったものになる。
 ラテンアメリカはなぜアングロアメリカほどの発展を遂げなかったのか。それを考えてみると、人々の霊的な世界に対する態度も、その一つの要素として数えられるような気がする。日々そんなことにかまけていては経済発展は望めない、とまでは言えないものの、人々の暮らしぶりを左右することにもなると思うからだ。

(敬称略、つづく)

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PROFILE

藤原 章生

1961年、福島県常磐市(現いわき市)生まれ。
北海道大学工学部資源開発工学科卒業。住友金属鉱山で鉱山技師を経て89年に毎日新聞社入社。長野支局、大町駐在を経て92年より外信部。93から94年、メキシコ、グアダラハラ大学留学(メキシコ文化研究)、95年10月から01年3月までヨハネスブルク支局、アフリカ特派員、02年4月からメキシコ市支局、ラテンアメリカ特派員。03年から04年にかけ、米国、イラクにて、イラク情勢、米大統領選を取材。05年、第3回開高健ノンフィクション賞受賞。

主な著作:
『世界はいま どう動いているか』
(共著、岩波ジュニア新書)

『絵はがきにされた少年』
(集英社)

絵はがきにされた少年

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