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[知ることの価値と楽しさを求める人のために 連想出版がつくるWEB マガジン
Series フォト&エッセイ
遠いパラダイス 藤原 章生
05/09/15

第14回 イデンティダとアイデンティティー

冷戦が終わり、諍いも隔たりもない世界が広がる。そう考えたのもつかの間、人々は以前よりも内向きに、自らの殻、国家や民族、人種に閉じこもり始めた。人々が鎧を剥ぎ取り、自分自身になれる時代はやってくるのか。ジャーナリスト藤原章生氏が、世界各地の現場から、さまざまな人間との出会い、対話を通して考察する。

露店のわきで通りを眺めていた女性
05年、オタバロ

 先日、知人とちょっとしたことで議論になった。それは「アイデンティティー」という言葉をめぐってのことだった。南米の赤道直下、エクアドルの首都、キトの昼下がり、我々は定食屋で鶏とバナナの揚げ物を食べていた。
「要するにあのインディア(先住民女性)にはイデンティダ(アイデンティティー)がないんだ」
 知人のハビエルは一昨夜、我々に起きたちょっとした事件を蒸し返し、その渦中にいた先住民女性を非難している。
 私たちはバスでコロンビアの南部街道を抜け、エクアドルに入った。事件が起きたのは、エクアドル北部にあるオタバロという高地に着いた晩だった。この辺りはアンデス高地の先住民が多く、ポンチョに山高帽が目立った。遅い夕食を済ませホテルの部屋に戻ったとき、受付に呼ばれたハビエルが
「ここのホテルはだめだ。場所を変えよう」
 と少し緊張した顔で帰ってきた。
「いやあ、ホテルの女性がめんどうなことを言っている」
 と、ハビエルは要領を得ない。
「はっきりとした理由もなく出て行けというのか」
 私はすぐに受付まで降りていった。そこには従業員2、3人とチェックインしたときには見なかった民族衣装の女性がいた。彼女は申し訳なさそうに
「すみません。アメリカの団体客が、あなた方が出て行かなければ自分たちが出て行くと言うものですから。お金はこの通り…」
 とドルのキャッシュを私に渡そうとする。
 事情を聞くと、我々がホテルにチェックインしたころ、10人ほどの団体客の14歳の少女が見知らぬ男性に声をかけられ、部屋まで追いかけられそうになったというのだ。その時間帯、ホテルには団体客と我々しかいなかった。声をかけたのは我々ではないかと彼女は言う。
「そんなこと、したのか」
 ハビエルに聞くと、かぶりを振る。
「大体、我々は外で食事をしていた。別の人じゃないんですか」
「でもそのとき従業員はみな受付にいましたから」
「だからって我々のどちらかがその少女を追いかけたと、何で言えるんです?」
「いや、それは…。でも団体の人はショックを受け、もうこんなホテルにいられないって言うもんですから」
「じゃあ、彼らが出て行けばいいじゃないですか」
 そういうと女性は切なそうな顔をして
「いえ、アメリカの団体が来るなんて初めてのことで、我々はもう何ヵ月も前から準備してきたんです。彼らはまだ3日間もここにいますから、出て行かれたら困るんです」  と言う。私はもう一度ハビエルに聞いた。
「本当に声をかけていないんだな」
 すると、ハビエルは
「いや声はかけたけど、挨拶しただけだ」
 と言い始めた。聞いてみると、相手はわからないが、中庭で目にした米国人か北欧人らしき女性に「グッド・ナイト」と声をかけたらしい。ただ無視されたので、そのまま私の後を追い部屋に入ったという。ただ、それだけの話だ。
 全くの潔白だと思っていたので、私は少したじろいだ。部屋まで追いかけることはないにしても、彼なら、
「何で答えてくれないの、どうしましたか。お嬢さん、ハウ・アー・ユー」
 などとしつこく声をかけそうな気がしたからだ。
「本当にそれだけなんだな」
 と聞くとハビエルは真剣なまなざしで何度も首を縦に振る。

「こう言ってます。我々に落ち度はない、出て行けと言われる理由はない」
「じゃあ、どうしたら…」
「その団体客に我々の潔白を示すことですよ。我々が出て行く必要はないと」
「でも、あの人たちはそう言ってますし、すごい剣幕ですから」
「じゃあ、ここに呼んだらいいじゃないですか」

朝、カトリックの教会に入る尼僧
05年、オタバロ

 降りてきたのは、グリーン系のポロシャツにカーキ色のズボンの「環境派NGO」という印象の白人男性だった。2人の30代の金髪女性が恐る恐る、隠れるように控えている。3人ともスペイン語が片言の上、先住民女性はおろおろするばかりなので、結局、私が仲裁役を負わされることになった。
 こちらの言い分を説明すると、男性は
「でも、少女はショックで泣いているんです。怖い思いをしたからですよ」
「だからって、我々が“犯人”とは言えないじゃないですか」
「でも、私の同僚、ほら、彼女がその声をかけた男性があなた方の部屋に入るところを見ているんです」
 私は少し自信がなくなってきた。
「で、何をしたというのです」
 すると、後ろに控えていた女性が二人で唱和するように言った。
「少女はその男性に『グッド・ナイト』と言われ、無視していると『ユー・アー・ビューティフル』と言われ、あわてて部屋に逃げ込んだんです」
「追いかけてきた」というのは誇張だった。私は「被告」のハビエルに向き直った。
「『ユー・アー・ビューティフル』なんて言ったのか」
「言ったかもしれないけど、挨拶じゃないか。あなたはきれいですねって、それ位、言うでしょう、普通」

 聞いてみると団体はその午後、米国のノースカロライナ州から着いたばかりで、中南米は初めてだという。
「偏見というか先入観じゃないですか。この辺りでは女の人にすれ違いざま、『きれいですね』なんて言うのは日常ですよ。それに過剰反応したんじゃないんですか」
 そう言うと、女性の一人が、
「そうかもしれない」
 とずいぶんあっさり認めた。間髪をいれず
「だからね。こういう一見人相の悪いラティーノの中年男にね、『君、きれいだね』なんて言われて、その女の子はびっくりしたんでしょ。だけどね。この人、泥棒みたいな顔してるけど、いい人なんですよ。全然悪くない。危なそうでしょ。だけど、全然…」
 と言うと、女性2人は笑いはじめ、生真面目そうな男の方も、頬を引きつらせた笑みを浮かべた。
 男性はこもった音のスペイン語で、先住民女性に、
「では、私たち、問題ありません。この人たち、ここ泊まる、OKです」
 と部屋に引き上げ、とりあえず片がついた。

 だけどおかしな話だ。なんで我々が、勘違いして騒いでいる別の客に釈明しなくてはならないのか。
「団体だって我々だって同じ客でしょ。なんで彼らの言い分だけ聞くんです。あなた、ホテルを仕切るのが仕事なら、やってることおかしいですよ」
 そう言うと、先住民女性は
「その通りです。私が間違ってました。いい勉強になりました」
 とひたすら謝るので、我々も部屋に引き上げた。

エクアドルの首都キトの市街地で、05年

 そんなことをすっかり忘れていた2日後、ハビエルがこの話を蒸し返した。
「大体あの先住民女性にはアイデンティティーがないんだ」
「何のことだ」
「アイデンティティーがあれば、米国人を前にあんなに低姿勢になることもないんだ。エクアドルの先住民なんて、米国人を目にすると何も言えなくなるんだ。神さまみたいなもんなんだ」
「そんなことで一々、アイデンティティーなんて言うなよ。あのとき、すぐに『ホテルを出よう』って言ったのは、お前じゃないか。じゃあ、お前にもアイデンティティーはないのか」
 少し虫の居所の悪かった私はそう言い返した。すると、彼の何かがはじけたようだ。
「おれは、お前をトラブルに巻き込ませたくないから、出て行こうと言ったんだ。最初から向こうの言い分はおかしいってわかってたんだ。あの女性にはアイデンティティーがない。だから、こういう問題が起きるんだ」
 理論派を自称する経済修士、ハビエルは両手を振り上げ主張する。この感情の表れはどんな場面でも同じで、すれ違った女性に、やはり神に祈るように両手を上げ、
「おお、なんという美しさ。神に感謝。これほどの美しさに出会えるとは」
 などと言うので、そのつど他人のふりをしなくてはならないが、安心なのは、激論になっても、日本人のようにいきなり怒鳴ったりしないことだ。

夕暮れのキトの広場で、
悲しそうな顔をしてマントに
くるまっていた母子、05年

 そのとき、私にはある発見をした嬉しさが沸いてきた。
「ところで、ハビエル。アイデンティティーってなんだ。お前が言うのはディグニダー(威厳)とかコンフィアンサ(自信)のことだろ。アイデンティティーって言えば、こう…」
 日本でも80年代ごろから、この言葉がよく使われるようになった。だが、カッコして(自己同一性)という意味不明の訳語がはさまるため、みすず書房の本でも読まないことには、おいそれと使えない難語だとあるころまで思っていた。そんな哲学用語的なとっつきにくさはここ最近ずいぶん薄らいだが、さほどなじみがあるわけではない。
「俺が言うアイデンティティーってのは要するに根がないってことだ。エクアドルのインディヘナ(先住民)は政界にも進出して、それなりの地位を得てるとは言っても、まだ劣等感を抱いて暮らしてるってことだ。あの町は先住民が築いた土地なのに、ああやってグリンゴ(米国人の蔑称)に何か言われると、途端に縮こまる。自分たちの伝統や文化、存在そのものに自信があれば、あんな風にはならない」
 というのが、ハビエルの言い分だ。だが、まる2日間もこだわったのはハビエルにも何か根の部分に自信のなさがあるからじゃないだろうか。そんな一面をあからさまに見せつけられたから、腹に据えかねたのだろう。米国男性が、
「わかりました、もう出て行かなくても結構です」
 と要求を撤回したとき、私は
「当然ですよ。我々は何も悪いことはしてないのだから」
 と応じたものの、ハビエルは
「サンキュー、サンキュー・ベリマッチ」
 と言いながら、男に握手まで求めていた。その姿を思い出させても逆上するだけなので、私は黙っていた。
 ただ、「これは発見」と思ったのは、アイデンティティーという言葉が英米圏ばかりでなく、ここ中南米でも日常語として抵抗なく使われていることだった。ペルーのクスコで2003年に開かれたアンデス先住民の会合で、何かと「アイデンティティーの回復」という言葉が使われ、ボリビアでのパンアメリカン日系人大会でも多用されていた。
 その言葉を聞いた当時、私は「日本人とは何か」「日本人のルーツとは」といった日本人特殊論のような容易に答えの出ない話を延々と議論するのかと思っていた。だが、今になって思うとそこには、自分たちのルーツを掘り下げるといった深い意味はなかったのだとようやく気づいた。それは、もう少し前向きな使われ方だった。つまり伝統文化に根ざした自分たちを社会の中でどう位置づけるか、というどちらかといえば「処世術」の方に重きが置かれていたように思える。最近日本語でもよく使われる「自分探し(soul searching)」とは逆の方向、つまり外へと向かっていたのだ。
 だとすれば、ハビエルの言う、「アイデンティティーがない」という言い回しも決して大げさなものではない。よそ者に対するときの自分自身といった意味と考えればいいのだ。

キトの街で、花屋に花を届ける男性
05年

 先日、こんなことがあった。カナダのバンクーバーで開かれたパンアメリカン日系人大会のパーティーで、年輩の女性たち5人ほどが民謡をバックに日本舞踊を披露しはじめた。それまで、女性の団体コーラスや尺八を神妙に聞いていた私は、たまたま近くにいたペルーの知人が「タバコ吸おうか」と声をかけてきたので、一緒に表に出た。玄関でしばらく発煙筒になっていると、大柄なカナダの警官2人が、
「あれ、なーに?」
 と私たちに聞いてきた。会場からは民謡のお囃子が漏れ出ていた。何という民謡かは知らないが、女性の甲高い声の「はいや、はいそれ」という音が耳に響く。
「あ、あれ? 日本の古いフォークソング」
 と答えると警官2人は、笑顔を見せ「へえー」と関心している。
 実は私は日本の民謡があまり好きになれない。どうしてだろうか。NHKが東北の風景をバックによく流していた「南部牛追い唄」は好きだったが、女性が妙なほど甲高い声で「あいさー、はいさー」と合いの手を入れる部分を聞くと、背中がかゆいような感じがするのだ。「タバコ吸おうか」と誘われ、何の躊躇もなく外に出たのも、「あ、民謡だからいいや」と咄嗟に思ったせいだ。

早朝、キトの中心街を歩いていく
先住民の女性、05年

 幼稚園に入ったころのことだと思う。私の暮らした東京・板橋区の狭い家に岡山で琵琶の師匠をしていた祖母が来ていた。土曜日の昼時、祖母は母と正座して「民謡アワー」といった番組を見ていた。各地ののど自慢が民謡を披露し勝者を決めるという趣向だったと思う。私も脇に座って聞いていたが、曲の合間に祖母が
「ああ、ええ声じゃ。はりがあるわなあ」
「よう通るわ、声がなあ。よう、もげんもんじゃわ」
 と母に語りかける。
 もげるというのは音程が狂うという方言だと私は理解していたが、悦に入った顔の祖母の論評を聞くと、どうしてだか暗い気分になった。せっかくの週末の始まり、土曜日の午後という時間を台無しにされたような、一気に白黒の世界に迷い込んだ気分だった。
「アケミちゃんのところに行ってくる」
 逃げるような思いで、2丁ほど先の友達の家に行くと、そこでは職人たちが昼飯を食べていた。アケミちゃんの家は確か水道屋か何かをしていたのだろう。漫画に出てくる泥棒のような青い無精ひげをはやした父親を中心に玄関まで職人があふれ、全員で白黒テレビを見ていた。確か「伝助アワー」という、やはり私がどうしても好きになれない喜劇だった。4畳半の茶の間に笑いがあふれ、登場人物が何かいうたびに、
「伝助があ」
「こいつはもお…」
 と父親の合いの手が入り、職人たちがどっと笑う。アケミちゃんも笑っているが、私には何が面白いのかまったくわからなかった。神妙な顔でそばにいると、ひげの父親が 「うっへーへへー、伝助があ」
 と笑い、歯の間の卵や米粒をのぞかせながら、私の顔をのぞき頬を軽くつねるのだ。

 再び逃げるように家に帰ると、相変わらず着物姿の祖母が
「ああ、ええ声じゃ」
 と論評を繰り返している。母は「そうねえ」「ほんとねえ」と相槌を打っているが、私はこの反応を疑っていた。というのも、この母親は祖母が家にいないときは民謡番組を決して見ないからだ。ドラマも見ない。見るのは昼間もやっている洋画劇場か「3時のあなた」と相場が決まっていた。家には箱型の電蓄があったが、民謡は1枚もなく、耳にたこが出来るほど、ジョーン・バエズのアルバムを聴かされたものだ。
「ウィー・シャル・オーバーカーム」と歌うジョーン・バエズの高音を心地よく感じながら、民謡の女性の高音を受け入れられなかったのは、この昭和ヒトケタ生まれの母親のせいではないだろうか。

 そんなことを考えながら会場に戻ると、20歳くらいの日系カナダ人の女の子2人が、民謡に合わせてしきりに手を動かしていた。私が見つめると、少女2人は少しはにかんで笑い返したが、半ばまじめに踊りを見習っているようだった。席に着くと、ちょうど民謡が終わり、派手な浴衣を着た踊り手の女性たちが笠を手にいそいそと下がるところだった。その動きがおかしくて、私は思わず「あははー」と声を上げて笑ってしまった。すると脇にいた知り合いの女性弁護士が
「ねえ、何がおかしいのよ」
 と笑みをたたえながらも不服そうな顔をした。
「え、なんか、いまの動き、面白くなかった?」
 と答えても、彼女はまだ腑に落ちない顔をしていた。
 別の数人に聞くと、4世、5世と世代は下がっても、彼らはこうした民謡をかなり尊重しているということだった。まるで自分のルーツを確かめるかのように、それが始まれば、厳かな気分で耳を傾ける。「民謡だから」といって席を立ったりはしないのだ。
 60年代、日本の古いものを嫌い、米国産のものなら何でもありがたいと思って育った私など、彼らから見ると「アイデンティティーがない人間」の代表かもしれない。

キトの中心にある大聖堂、05年

 日本の首相が米国の大統領に擦り寄り、
「今回はあなたが(映画『真昼の決闘』の)ゲーリー・クーパーだ。保安官のゲーリー・クーパーは1人で悪と闘い、最後に新妻グレース・ケリーが助ける展開だった。しかし今回は全世界が米国とともにある」
 と言ってみたり、エルビス・プレスリーの曲を耳元でささやいたりする姿を私は新聞で知った。
 それを醜悪と感じるのは、何もその首相が自らの軽さを示すエピソードを増やしたということだけではないのだろう。むしろ、どこか自分の中にもあるアイデンティティーの一面を露骨に見せつけられた恥ずかしさからかもしれない。

(敬称略、一部仮名。つづく)

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PROFILE

藤原 章生

1961年、福島県常磐市(現いわき市)生まれ。
北海道大学工学部資源開発工学科卒業。住友金属鉱山で鉱山技師を経て89年に毎日新聞社入社。長野支局、大町駐在を経て92年より外信部。93から94年、メキシコ、グアダラハラ大学留学(メキシコ文化研究)、95年10月から01年3月までヨハネスブルク支局、アフリカ特派員、02年4月からメキシコ市支局、ラテンアメリカ特派員。03年から04年にかけ、米国、イラクにて、イラク情勢、米大統領選を取材。05年、第3回開高健ノンフィクション賞受賞。

主な著作:
『世界はいま どう動いているか』
(共著、岩波ジュニア新書)

世界はいまどう動いているか

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