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[知ることの価値と楽しさを求める人のために 連想出版がつくるWEB マガジン
SERIES 01 遠いパラダイス
藤原 章生
第2回 バグダッド - 男の欲望 女の視線

 冷戦が終わり、諍いも隔たりもない世界が広がる。そんな風に考えたのもつかの間、人々は以前よりも内向きに、自らの殻、国家や民族に閉じこもり始めた。これは一時的な反動なのだろうか。それとも、こうした息苦しさはこれからも続くのか。人々が国家や民族、人種という鎧を剥ぎ取り、自分自身になれる時代はやってくるのか。ジャーナリスト藤原章生氏が、世界各地の現場から、さまざまな人間との出会い、対話を通して考察する。

 ほんの些細なことが人生を明るくする、などとと言うと大げさだが、数日前、バグダッドのホテルで思わずひとりほくそ笑んでしまった。「この国も面白そうじゃないか」と。話はその数時間前にさかのぼる。親しくしているバグダッドの男、アリが私の部屋に訪ねきて、雑談が終わったところで「インターネットを使わせてくれないか」と申し出た。「もちろん」と彼にコンピューターを貸してやると、しばらくアリは没頭していた。
 この男がインターネットを使うところなど見たこともなかったので「やはり珍しいのだろう。フセイン政権の時代は不自由だったしなあ」などと微かに同情したりもしていた。
 10分ほどして彼の方に行くと、
「これ、どうやったら閉じられるんだ」
 と聞いてくる。そのとき画面をのぞくと白い裸が目に飛び込んできた。黒髪の美人がバスルームから出てきて髪を拭いている写真だ。
「何だ、こんなの見てるのか」
 私は彼がポルノ画像を流すサイトを見ているのかと思い、男の肩を小突きながら、
「せっかくインターネット使っても、こんなのしか見てないんだからなあ、まったく」と冗談を言った。彼の方も苦笑いしながら、
「そんなことないよ。たまたまだよ」などと答える。
「まったく新生イラクになって、通信が自由になって、イラク人はみんなこんなものばかり見ている。嘆かわしいね」
 と私が軽口を叩くのも、似たような新聞記事を見たからかも知れない。

イラク南部ナジャフで

 戦争終結宣言の後、ポルノビデオやインターネットのサイトにイラク人が殺到しているといった話を何度か目にした。それに、よく行くインターネットカフェでコンピューターのブックマーク、つまり「お気に入り」のホームページのリストを開くとポルノサイトがずらっと並んでいたこともあり、私の偏見、先入観も定着した感があった。
 偏見とは「戒律の厳しいイスラム、あるいはアラブの男たちは性に飢えている」というものだ。もう随分前だが、タイの風俗業界に詳しい男が体を売る女性について「一番の上客は日本人で一番最悪なのがアラブ人」と言っていた。そのココロは「日本人は払いが良くしつこくない。でも、アラブ人はその逆」ということだった。本当だろうか?と思いつつも、当時、アラブ人を直接知らなかった私は、髭もじゃ、胸毛の脂ぎった腹の出た男がか弱いアジアの女性にしつこくすがりつく図を想像してみた。そして、戒律の厳しい世界で自由がない分、外で思う存分性を堪能しその本領を発揮する、といった勝手な解釈を加えたりもした。

 自衛隊が駐屯するイラク南部のサマワで、日がな何もすることのないような男たちが役所の前でたむろしている。男たちから食い入るような視線を浴びていると、ある日本の報道関係者がこんなことを私につぶやいた。
「殺伐としてますよねえ。この人たち、何も楽しみがないんでしょうね」
 そしてメキシコから来ている私に「ラテンはいいですよね。女の子が開放的で愛嬌があるし、明るいしねえ」とつけ加えた。確かに同じ地球に住んでいるのに、2つの世界の人々はまったく違う生涯を送っているように見える。
「毎日、何が楽しくて生きてるんでしょうね」
 そう言う相手に、それでも私は、
「だから、宗教、強い信仰があるのかもね」などとわかった風なことを言った。
「神に少しでも近づきたい」という教徒たちの心理、その神とは何なのか、といったことに興味のある私は、彼らの人生が味気ない、まるで、彼らを取り巻く砂漠のように無味乾燥なものに過ぎない、と言い切る自信がないし、他人の人生を「つまらないもの」と断言してしまうことに抵抗を感じたからだ。
 でも多かれ少なかれ私もこの報道人に近い視点に立っている。なぜなら、彼らイラク人のようになりたいとはなかなか思えないからだ。土台、他人になり代わるなどということはあり得ないことだが、興味を持つ対象にはほんの一点でも、ほんの一瞬でもいいから何か惹かれるものがなければならない。憐れみだけでは興味は続かない。惹かれるからこそ、何かを学ぶことができるのだ。

 さて、ホームページを閉じようとすると、アリは妙なことを言った。
「これは、友達からのeメールなんだよ」
 友達?、そうか、この男は友人とこんな絵柄を交換し合っているのかと早合点していると、アリは何の衒いもなく驚くことを言った。
「いやあ、昔知り合った女友達の写真でね。友人が、懐かしいだろって送ってくれたんだ」
 よく見ると写真はメールに貼り付けられたものでカーソルを動かすと全部で4枚もあった。英語で「意地悪な兄弟アリへ。クールな写真を添付した。でも、マスターベーション(この部分だけアラビア語)に使わないって約束しろよ!。近況を教えてくれ」と短い伝言があり、その下に写真が現れる。
 確かによく見るとポルノ画像というより素人が自分の彼女を撮影したような絵柄だ。女性はいずれもそのポーズの大胆さとは裏腹にごく真面目な表情をしていて、ベッドで紅茶カップを手にしている姿や、ひざを立て真正面を向いているものもある。カメラを見据えた表情から、信頼する相手に撮影を懇願され、つき合っているという風に見える。
 よく聞くと、彼女はアリとその友人がバグダッドで知りあったイラクの元大学生で、いまはイエメン人と結婚しているという。アリは数年前、バグダッドで彼女とつきあい、その友人はその後、彼女とやはりしばらく関係を持ったという。つまり、30代半ば、独身のこの2人のイラク男は、共通の昔の彼女のヌード写真を交換し合っているのだ。しかも、すでに他人の妻になっている昔の恋人を。

バグダッドで

 同じようなことを趣味にする男は日本にもいくらでもいるし、自分の妻や恋人が陵辱されることを喜ぶ倒錯した感情が男の中にまったくないとは言えないだろう。だが、大事なのはアリが私を前にしても何ら悪びれず、そのメールを隠そうともしなかったことだ。
 こうしたことはバグダッドの男たちの間でごく日常だという。デジタル・カメラが普及する前はフィルムを知人に焼いてもらい、それをごく親しい友人に見せ、その彼女とのセックスをつぶさに語るのだそうだ。アリにとっては10年以上も前、学生のころは同級の女学生との体験や写真を親友同士で交換しあったという。
 このアリの職業はここでは明かせないが、女性と頻繁に出会いやすい職場だったということもあるだろう。アリは彼女たちとつき合うたびに、その話を親友と披露し合っていたそうだ。
 そんなことを相手の女性が知ったらどう思うのか。
「でも誰にでも話すわけじゃない。本当に親しい男同士でしか話さないし見せないから、まず問題ない。彼女が知ったら?、そりゃ怒るだろうが、でも女性にはやはり美しい姿を見られたいという思いもあるだろ」などと男の論理を展開する。
 アリが特別なのかと思い、別のイラク人にそれとなくこの話をすると、カメラがないので写真を披露することはないにしても、親友同士で恋人との性、特に共に知る女性の性的な反応をつぶさに語り合うということはよくあること、という答えが何人かから返ってきた。こうしたことは日本でもあるのだろうが、私個人に関していえば却って親しい男に、身近な性の話、特に相手が知る女性の話をつぶさにすることはない。多分、性を介することで、親しい男よりも女性への忠誠のようなものが強いせいもあるだろう。それに、変に自慢するようにも思え、衒いもある。

バグダッドで

 アリの話には少なくとも2つのテーマがある。バグダッドにある意外に奔放で自由な性生活と、イラクの男たちの女性蔑視つまり女を性的な対象物、モノとして見る傾向だ。イラクに限ったテーマではない。だがイラク人の貧しい性生活というあらぬ偏見を抱いていた私には、第一のテーマが新鮮に思えた。アリが帰ったあと一人でそんなことを考えていた私は、何だか嬉しくなった。このイラクもなかなか面白い。アリのあの照れ笑い。あの反応を見る限り、自分よりもよほど性にリベラルではないか。
 結納金がなく結婚できない独身アラブ男などというイメージは吹き飛んだ。自分の積年の偏見が消えた直後のさわやかさ、心地よさ。まさに異文化を知る醍醐味だ。そんな一瞬の高揚が、世の中、人生を肯定しようという気持ちを沸き立たせる。

 数日後会ったアリがポツリと、とってつけたようなことを言った。
「やっぱり戦争が悪いというか、バグダッドで男たちは幾らでも彼女ができるからね」
 つまり80年から88年までのイラン-イラク戦争、91年の湾岸戦争。そしてその後の制裁で男たちの多くが亡命し、女性の人口比が多い時代が長く続いている。
「したくても結婚できない女性が多いし、戦争で夫を失った女も多いから」
 アリは、だから男が女性を好きなよう扱えるとでも言いたげだ。同じことを女性差別反対をうたう民間団体のクルド女性から聞いたことがある。
 初めてイラクを訪れた昨年9月、私は国内各地を回る中、女性たちの深い瞳に魅せられた。それはシャープという言葉の似合う、こちらを突き刺してくるような瞳だ。カメラを構えるとすぐに目を伏せてしまうことも多いが、そうでなければ、いつまでも見つめている。

バグダッドで

 なぜあんな風に見るのかとそのクルド女性に聞くと、彼女はアリと同じように戦時下の女性について話し、こう推測した。
「私はこんなひどい境遇にいる。イラクの男たちに差別されている。多分、あなたのような珍しい異国の人を目にして、好奇心と同時に、自分の存在を訴えたかったのでしょう。私はここにいる。あなたに話しかけることはできないけど、私はここにいる、と」
 どうも、それも政治的スローガンのようなこねくり回した説明という気がする。

イラク北部アルビル近郊で

 最近知り合ったバグダッドの27歳の画家、ビアン・スーラさんにこの話をしてみると、彼女は別の見方をした。
「イラクの女性は何千年も壁の中に隠され、影のように生きてきた。だからこそ彼女たちの中には体から発散される深い情念のようなものが備わっている。ベールに包まれたままでも、それがほとばしるように放たれることがある」
 だとすれば、あの瞳はもしかしたら、積年の女性たちの情念、私に向けられた熱い情念だったのかも知れない。まあ、そんなことはないか。

※おことわり:前号でラティーノの話の続きを書くと予告しましたが、ちょっと中断して、いまいるイラクの話にしました。

(敬称略、つづく)

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PROFILE

藤原 章生

1961年、福島県常磐市(現いわき市)生まれ。 北海道大学工学部資源開発工学科卒業。住友金属鉱山で鉱山技師を経て89年に毎日新聞社入社。長野支局、大町駐在を経て92年より外信部。93から94年、メキシコ、グアダラハラ大学留学(メキシコ文化研究)、95年10月から01年3月までヨハネスブルク支局、アフリカ特派員、02年4月からメキシコ市支局、ラテンアメリカ特派員。03年から04年にかけ、米国、イラクにて、イラク情勢、米大統領選を取材。

主な著作:
『世界はいま
どう動いているか』

(共著、岩波ジュニア新書)

世界はいまどう動いているか

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