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Series コラム
名著との再会 岩本 宣明
06/04/30

第9回 『人生論ノート』

一冊の本との出会い…。同じ本でも、いつ、どこで、どのような状況で読むかによって、受け取るものは違ってくる。時を経て、再びその書物を手にしたとき、今度はまったく別のものを見いだすこともある。岩本宣明氏が、かつて読み、心に残った名著との再会を通じてその魅力を紹介する。

『人生論ノート』
 三木清著
 新潮文庫

成功と幸福とを、不成功と不幸とを同一視するようになって以来、人間は真の幸福が何であるかを理解し得なくなった。自分の不幸を不成功として考えている人間こそ、まことに憐れむべきである。
「成功について」より

 三木清の『人生論ノート』は、文学徒であった私が、縋るような悲壮な思いで紐解いた思い出の著書の一つである。
 その頃は生きることが辛く、必死で真面目にもがいていたことは確かなのだから、今自嘲的に回顧すればということではあるが、「悩み苦しむのが唯一の趣味」といった趣のひ弱な青年だった私は、死への憧れと恐怖、他者への嫉妬と憎しみ、自己への不安と怒り、肥大化する虚栄心と自尊心というような様々な苦しみをもてあましていたから、書店で『人生論ノート』を見つけ、その目次を目をしたときには、ここに何かしらの解答や救いがあるのではないかと、思ったのである。
 もちろん、一冊の本ですべてが解消されるほど、青春の苦悩が浅薄なものであるはずもなく、『人生論ノート』によって私の人生が解放されるということはなかった。だが、様々な問題について、いろいろな示唆を受けたことは確かだと思う。読み返してみて、そういう思いを強くした。
 残念なことに、当時、三木清のどのような言葉に感銘を受け、影響を受けたのかを具体的に思い出すことはできない。が、『人生論ノート』には、現在の私が読んで、強く共感できる記述が多かった。それは、つまり、私が三木清に学んだ考えを、長い年月の中で自分なりに、咀嚼し消化しつつ、身につけてきたからなのだと思う。

 三木清は、昭和の初期の文壇に光彩を放った哲学者、社会評論家であった。『人生論ノート』には、「現代の」とか「今日の」とかいった言葉で、同時代を批評する文章が多く見られる。例えば、「彼等(古代人や中世的人間)のモラルの中心は幸福であったのに反して、現代人のそれは成功といってよいであろう」というような記述である。三木は、成功と幸福を、不成功と不幸を同一視するようになって、(現代の)人間は幸福を見失った、と警句を発している。それは、そのまま、21世紀の初頭を生きる私たちの姿に対する警句でもあろう。
 幸福と成功の違いは何か、怒りと憎しみの違いは何か、名誉心と虚栄心がどのように違うか。三木清の人生論は、現代を生きる私たちにとっても示唆に富んでいる。

 若い頃には、多くの人生の先輩から、歳をとらなければ分からないことがあるのだ、とよく説諭された。そのたびに、私は強い反発を感じていた。私は今が苦しいのであって、歳をとれば分かるというような悠長なことでは間に合わない。それは、溺れかけて藁をもつかまんとしている者に対して、明日になったらロープを持ってきてやる、と言っているようなものではないか。そんなものは何の役にも立たない。
 今でも、同じように思う。今を苦しんでいる人にとって、明日分かることなど、犬の糞ほどの価値もなかろう。しかし、歳をとると分かることがあるのもまた、事実である。もちろん、歳をとって昔分からなかったことが分かったからといって、偉いわけではない。経験を経て何かが分かるのは当然かつ凡庸なことであり、本当は、経験のないことでも想像力を働かせて理解できるほうが、よほど偉いのである。
『人生論ノート』には、そのような、つまり、昔はよく理解できなかったであろう記述もまた見られた。例えば、「死について」の項には、歳をとって(といっても、その頃の三木清は40代と思われるが)、死ぬことがあまり怖くなくなった、というような記述である。青年時代には予想もできなかったことだが、そうした記述を読んで、40代半ばの私は、我が意を得たりと思う。死後の世界は不可知であるゆえ、死ぬのが怖くないということは全然ないが、私は死ぬのはそんなに嫌ではない。嫌なのは、自分が死ぬことよりも、むしろ、親しい人々や、私以外の人が死ぬことのほうである。半世紀近くも生きていると、誰だって大切な人を失う経験をする。それは、ほかのどんなことより辛い経験であろう。そんなことがこれから先、ずっと続いていくと思うと、自分が先に死んだほうがよほどましと思うのである。

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PROFILE

岩本 宣明

1961年生まれ。毎日新聞社会部記者などを経て93年文筆家として独立。同年、現代劇戯曲『新聞記者』で菊池寛ドラマ賞受賞。

主な著作:

新宿・リトルバンコク

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モオツァルト・無常という事

『人生論ノート』
三木清著
新潮文庫

三木 清 みき きよし
(1897年 ‐ 1945年)

哲学者、社会評論家、文学者
兵庫県生まれ。京都帝国大学文学部哲学科卒業。西田幾多郎に師事、田辺元らの薫陶を受ける。卒業後、ドイツ、フランスに留学し、ハイデッガーに師事した。帰国後、『パスカルに於ける人間の研究』(1926年)、『唯物史観と現代の意識』(1928年)を発表。1928年羽仁五郎らと共同で雑誌「新興科学の旗の下に」を創刊し、党派的な教条にとどまらないマルクス主義の創造的な展開を目指したが、1930年、日本共産党への資金提供容疑で逮捕され、転向を余儀なくされた。その後、ファシズムに支配された社会にあって、哲学的ヒューマニズムの立場から多数の著書や論文を発表し、良識的知識人のオピニオンリーダーとして脚光を浴びた。戦時下には、近衛文麿の「昭和研究会」に参加するなど、体制に身をおきつつ時代の方向を修正する努力をしたが果たせず、当局からは敵視された。1945年、治安維持法違反の被疑者を匿った廉で投獄され、敗戦直後の9月、獄中で病死しているのを発見された。。

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