風
 
 
 
 
 
 
[知ることの価値と楽しさを求める人のために 連想出版がつくるWEB マガジン
Series コラム
名著との再会 岩本 宣明
06/02/28

第7回 『書を捨てよ、町へ出よう』

一冊の本との出会い…。同じ本でも、いつ、どこで、どのような状況で読むかによって、受け取るものは違ってくる。時を経て、再びその書物を手にしたとき、今度はまったく別のものを見いだすこともある。岩本宣明氏が、かつて読み、心に残った名著との再会を通じてその魅力を紹介する。

『書を捨てよ、町へ出よう』
 寺山修司著
 角川文庫

 背広もアパートも食事も、なべてバランス的に配分したら、ぼくらは忽ち「カメ」の一群にまきこまれてしまう。そこで、自分の実存の一点を注ぐにたる対象をえらび、そこにだけ集中的に経済力を集中するのである。背広派、美食主義者、スポーツ狂といった若ものをつかまえて、親父たちは不具だというが、こうした経験の拡張は、実はきわめて思想的な行為である。多岐に発達する情報社会は広く、バランスのとれた情報を配布することで、ますますぼくたちの存在の小ささを思い知らせようとする。停年までのサラリーの計算をしてしまって、それが森進一の一年分の遊興費に充たないと知ったあとも、なおコツコツと働かねばならぬ無名の戦争犯罪人の親父たちの二の舞をふまないためにも、ぼくたちには日常生活内での「冒険」が必要なのである。

 告白するのはとても恥ずかしいことだけれども、寺山修司は青春時代の私が、もっとも強い影響を受けた人物の一人である。言い訳するようだが、70年代後半から80年代前半に青春時代を過ごした、演劇少年や文学少年には、そういうバカは少なくなかったはずである。天井桟敷の芝居や人力飛行機舎の映画に夢中になり、寺山の短歌や評論を読み耽っていた私は、寺山修司の才能に羨望を抱きながら、寺山修司的生き方に憧れを抱いた。
『書を捨てよ、町へ出よう』は、寺山修司が書いた“物語”の中でも、もっとも有名な作品の一つである。書でありながら「書を捨てよ」というこの作品が、多くの青年に支持されたのは、その中味もさることながら、才能に満ち溢れていた寺山が発した「書を捨てよ、町へ出よう」というアジテーションが、「無限の可能性」しか持たない、未だ何者にもなっていない青年たちの心臓を素手でつかむかのように揺さぶったからに他ならない。
 芸術家に憧れを抱きながら、文学や芸術にはとても晩生な高校生だった私は、この本を読んで、強い衝撃を受けた。寺山の母は「新聞紙にくるまれて冬の田に捨てられてあった」捨て子であり、父はアルコール中毒の挙句、外地で亡くなった巡査で、寺山は恐山の和讃を子守唄に育ったというのである。芸術家になることを夢見ていた私は、両親が大学出であることに強い劣等感を抱き、芸術家としての出発点に大きなハンディキャップを負っていることを思い知らされ、肩を落とすほかなかった。
 私は、本当に、晩生でおバカな青年だったので、それでも頑張ってしまった。寺山のアジテーションに応え、芸術家以外の何者にもなることを拒絶して生涯を生きていこうと決意してしまったのである。我ながら、気の毒なことだった。なにせ、寺山が勧めているのは、一点豪華主義であり、自殺であり、心中であり、家出であり、親殺しであり、近親相姦であり、博打であり・・・と、破滅するほかないようなことばかりだったのだから。
 
 ところが、四半世紀の時を経て読み返した『書を捨てよ、町に出よう』は、当時とは全く違った光を放っていた。40歳を過ぎた大人が書いたものにしては幼稚すぎるし、若者に向けて書いたものであるから当然のこととはいえ、そこには、今の私の心に響くアジテーションは何一つなかった。
 しかし、そこには、若者に冒険を勧めるアジテーションとは対極にある、空想と憧れ、人間に対する愛情が溢れていた。
 私は、文学には本当に晩生だったので、青春時代にこの本を読んだときには、書いてあることは当然すべて事実だと思い、疑ってもみなかった。別に、寺山を嘘つきと批判しているのではなく、本当に、そう思い込んでいたのだ。しかし、事実は、違った。書いてあることは、すべて寺山の空想であると言っても過言ではない。捨て子だった母も、アルコール中毒の父も、ボクシング少年だった過去も、すべて嘘である。それは、寺山の憧れであった。だいたい、本気で死のうと思い詰めたり、心中せざるを得ないような状況に追い込まれた経験のあるものならば、若者に気軽に自殺や心中を勧めたりはすまい。自殺も心中も、それとは遠くの場所にいた寺山の憧れだったのである。冒頭で本書を“物語”と記したのは、そのような理由からである。因みに、70年代の青少年には刺激的なアジテーションだった表題は、寺山のオリジナルではなく、ジッドの『地の糧』からの借用である。
 しかし、その寺山の空想力は、親指師(パチンコのプロ)やストリッパー、風俗嬢といった都会の片隅で身をやつして生きる人々の人生に魅力と輝きを与えている。寺山がそうした人々と本当に親しかったかどうかはとても怪しいが、どちらにせよ、それは大きな問題ではない。寺山はそうした人々を描き「きみもヤクザになれる」と扇動したのであったが、今読んでみると、それは扇動とは程遠い、愛情溢れるものであるように思える。寺山の空想は、人から後ろ指を指されながら生きるしかないアウトサイダーの人生に、たとえ本の中だけであろうと、若者が憧れを抱くほどの物語と輝きを与えていたのであった。それは、自身の過去の捏造にもそのまま繋がっている。寺山は、その作品を生み出したというだけで私には十分に魅力的な存在だったが(模倣ばかりだとの批判もありますが)、自らの半生を虚飾に包み込むことで、寺山修司という人間や寺山修司という生き方に、さらなる神秘性と輝きを与えたのであった。それこそが、本書や他の寺山作品の魅力である、と今の私は思う。

 芸術をやるには、普通の暮らしをしていてはいけないのだ、ということを、私は、寺山が作り出した“物語”から学んでしまったお陰で(実際には、寺山修司だけに影響を受けた訳では全然ありませんが)、私は、ほんの一時期を除いて定職に着くこともなく、随分、悲惨な人生を送って来てしまった。が、不思議なことに、後悔は微塵もない。成功か失敗かは別として、冒険とは、日々、楽しいことなのである。

BACK NUMBER
PROFILE

岩本 宣明

1961年生まれ。毎日新聞社会部記者などを経て93年文筆家として独立。同年、現代劇戯曲『新聞記者』で菊池寛ドラマ賞受賞。

主な著作:

新宿・リトルバンコク

書を捨てよ、町へ出よう

『書を捨てよ、町へ出よう』
(2004年改版)
寺山修司著
角川文庫

寺山 修司 てらやま しゅうじ
(1935年 - 1983年)

青森県生まれ。
早稲田大学中退。67年、横尾忠則、九條映子らと演劇実験室「天井桟敷」を設立。敗血症により47歳で亡くなるまでの約17年間に、国内はもとより海外でも公演を行い、特にヨーロッパでは高い評価を受けた。演劇以外にも映画、短歌、詩、評論など幅広い分野で意欲的に活動。主な著書に『田園に死す』『書を捨てよ、町へ出よう』ほか多数。

新書マップ参考テーマ
PAGE TOP
Copyright(C) Association Press. All Rights Reserved.
著作権及びリンクについて