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Series コラム
名著との再会 岩本 宣明
05/09/30

第2回 『共産党宣言』

一冊の本との出会い…。同じ本でも、いつ、どこで、どのような状況で読むかによって、受け取るものは違ってくる。時を経て、再びその書物を手にしたとき、今度はまったく別のものを見いだすこともある。岩本宣明氏が、かつて読み、心に残った名著との再会を通じてその魅力を紹介する。

『共産党宣言』
 マルクス、エンゲルス著
 大内兵衛、向坂逸郎訳
 岩波文庫

 共産主義者は、自分の見解や意図を秘密にすることを軽べつする。共産主義者は、これまでのいっさいの社会秩序を強力的に転覆することによってのみ自己の目的が達成されることを公然と宣言する。支配階級よ、共産主義革命のまえにおののくがいい。プロレタリアは、革命においてくさりのほか失うべきものをもたない。かれらが獲得するものは世界である。

  万国のプロレタリア団結せよ!

 私は1961年生まれで、70年安保の時には、ヘルメットにゲバ棒の人々を極悪人だと教えられていた「遅れてきた青年」なので、これまで、学生時代に軽い気持ちでデモに参加して機動隊にこっぴどく殴られた以外には、一切、政治的活動に身を投じたことがないのだが、実は、空想的な共産主義者である。空想的な共産主義者というのは、『共産党宣言』で、マルクスとエンゲルスに馬鹿にされているサン・シモン、オーウェンら空想的社会主義および共産主義者の思想を支持するということでは全然ない。それに、選挙となれば日本共産党を断固支持するということでもない。共産党の政策には賛成するところも多いのだけど、労働者の政党の癖に委員長が太りすぎている(冗談です)のと、誰に聞いても同じことしか言わず、しかも話し方までそっくりなところが、どうも好きになれないし、信用できない。
 というわけで、ただ、私は、ときどきぼんやりと、共産主義の世の中になったらいいのになぁ、と空想しているに過ぎない。理由を書くと長くなるので割愛するが、「能力によって働き、必要によって分配する」という共産主義の理想(理想通りにはいかないのが世の常ですが)は、文句なく素晴らしいアイディアだと思う。

『共産党宣言』が名著であるかどうかは、翻訳も含め、疑問が残るところではあるが、若き日々に読んだ本の中でも、強い影響を受けた書のひとつと言わなくてはいけない。とくに、「プロレタリアは、革命においてくさりのほか失うべきものをもたない。かれらが獲得するものは世界である。万国のプロレタリア団結せよ!」というアジテーションには、一目惚れの女に頭がボーッとするみたいに、痺れたのであった。ま、多分に漏れず、『資本論』を買って、途中で挫折したのではあった。
 青春時代に『共産党宣言』を紐解いた私は、それを批判的に読むということは知らないでいた。なにせ、マルクスとエンゲルスが書いた命懸けの宣言なのだから、そのブランドに目が眩み、そこには、事実が書かれており、それが理解できないとすれば、それは、彼らにではなく自分の教養や能力に問題があるのであり、彼らが予測したことは、ちょっと違うようにも思うけど、その通りになるはずだと、そういう風に多分、疑いを挟むことなく読んだのだと思う。それを読んだのは、1980年代の前半なのだから、異性関係の方面はともかく、思想的に私は相当の晩生だったと告白せねばならない。
 そういう、まるでキリスト教徒が聖書でも読むような読み方をしていたので、私は『共産党宣言』には、共産主義の理想が格調高い言葉で綴られているのだと記憶していたのだけれど、読み返してみると、そんなことは全然なかった。紙幅の大部分は共産主義に対する言われなき批判への反論であり、反対勢力への攻撃であり、革命以外の方法で社会主義の実現を模索する動きへの憎悪に近いような強い批判である。格調高いのは、最後だけと言ってもいい。ま、共産主義者というだけで、国から追放されてしまう時代の、これから闘うぞ、という宣言なのだから、闘争心に満ちているのは当然のことだ。
 もちろん、160年もの歴史を経た今日、『共産党宣言』を読み返して、全然予想がはずれてるじゃんとか、ブルジョアってそんなに悪いことばかりしてきた訳でもなかったじゃん(悪いこともたくさんしたと思います)と批判することに意味はない。
 ただ、事実は、マルクスとエンゲルスが希望したり予測したりしたようには、歴史は動いてこなかったということだけである。共産主義革命は、マルクスが予想だにしなかった、最もブルジョア資本主義の成熟が遅れていたロシアと中国で起こり、そして、情けないほどの失敗に終わったのであった。
 子供の2人に1人が大学に進学し、大学を卒業してもニートとか言って遊んで暮らせる今の日本には、どこを見渡しても、プロレタリアなど存在しない。だから、団結のしようもなければ、革命など起こるはずもない。
 でも、160年の歴史を経て、なにも「これまでのいっさいの社会秩序を強力的に転覆することによってのみ自己の目的が達成」しなくても、(それは、私が初めて『共産党宣言』を読んだときもそうだったのですが)民主主義的な選挙によって、共産主義の社会を建設することはできる社会にはなった。
 が、そうならないのは、大多数の人がさまざまな理由でそれを望んでいないからに過ぎない。
 もちろん、それは、誰もが賛成できる共産主義の理想を実現する上手い方法が見つからないからなのではあるが、それは何も、共産主義の理想がいけないのではなくて、人より得したいとか、人よりいい暮らしがしたいとか、努力は報われるべきだとか、そういう、私も含めて、欲深い人間がいけないのである。

カール・ハインリヒ・マルクス Karl Heinrich Marx
(1818年5月5日 − 1883年3月14日)
ドイツの社会主義者、革命家、経済学者、哲学者

初期の労働運動および19世紀後半から20世紀の共産主義運動に、圧倒的な影響を与えたマルクスは、旧フランス帝国領ライン州トリーアで生まれたユダヤ系ドイツ人で、父は弁護士だった。父はユダヤ教からキリスト教プロテスタントに改宗、マルクスも洗礼を受けたが、のちに無神論者を称した。
ボン、ベルリンの両大学で法律学、歴史学、哲学を学び、卒業後、イエーナ大学に論文を提出し学位を得た。大学での教職を希望したが果たせず、1842年ブルジョア急進主義の機関誌『ライン新聞』の主筆となったが翌年退職、パリに移住して『独仏年誌』を創刊した(一号で廃刊)。45年フランスを追放され、エンゲルスとともにベルギーに移住。46年、Communist Correspondence Committeeを設立。48年2月、エンゲルスと共同で執筆した『共産党宣言』を出版した。翌月、ベルギー追放。ケルンを経て、以後イギリス・ロンドンを拠点に活動。極度の貧困の中、『資本論』を書き上げた。
81年、『資本論』第一巻発行後、83年に死亡。自宅の肘掛け椅子に座ったまま息を引き取ったと伝えられている。

フリードリヒ・エンゲルス Friedrich Engels
(1820年11月28日 − 1895年8月5日)
ドイツ出身の経済学者、哲学者、革命家

カール・マルクスの協力者でマルクス主義創始者の一人であるエンゲルスは、現在のヴッパータールで、富裕な工場主の家に生まれた。中学卒業の1年前にブレーメンの商事会社に勤務。1841年、志願兵としてベルリン近衛砲兵連隊に入隊した。独学で、科学一般、宗教、ヘーゲル哲学などを修めた。42年、『ライン新聞』の協力者となったが、その後、イギリス・マンチェスターにあった父が経営する綿工場の事務員となった。45年、マルクスが創刊した『独仏年誌』に寄稿、マルクスと面会し以後親密な関係を続け、ベルギーに移住した。その後、マルクスを伴いイギリスに渡った。
48年2月『共産党宣言』出版。翌月、ベルギーを追放され、ケルン、ロンドンへとマルクスを伴い、マルクスの生活を支援するため、父親の経営する綿工場に戻った。
マルクスの死後は遺稿の編集、著作の翻訳に奔走。『資本論』第二巻、第三巻を世に残した。

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PROFILE

岩本 宣明

1961年生まれ。毎日新聞社会部記者などを経て93年文筆家として独立。同年、現代劇戯曲『新聞記者』で菊池寛ドラマ賞受賞。

主な著作:

新宿・リトルバンコク

共産党宣言

『共産党宣言』
マルクス、エンゲルス著
大内兵衛、向坂逸郎訳
岩波文庫

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