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Series コラム
鏡の言葉 川井 龍介
09/07/31

第8回 生身の人間と話したい

言葉は人の心を映す鏡であり、社会を映す鏡でもある。気になる言葉、問題な言葉、悲しい言葉など、いまの世の中で人の心や社会を映すような言葉の周辺を探ってみる。

聞きたいことが聞けない

 こんな経験はだれにもあるだろう。例えば、手持ちのクレジット・カードの会社に問い合わせをしたいことがあって、カードの裏に記載された番号に電話する。すると、まずなにがしかの前置きがあって、「○○の方は1を押してください」といったように音声案内がはじまる。そしてプッシュボタンを押して先に進むと、さらに「○○は2を~」、「○○は3を~」といった具合に案内がつづく。
 これに従っていくつかボタンを押してようやく生身の人間の声が聞こえる。しかし、用件を話すと「お尋ねの用件は、こちらではなくて別のところで・・・」という答えが返ってくる。こんな場合もある。自分が尋ねたいことに該当する番号がなかなかなく、「どれかな」と電話の向こうの音声を聞きつづけ、最後に「それ以外の方は~」と、直接オペレーターと話す機会があるだろうと思っていると、「もう一度聞きたい方は~」と、もとにもどったりする。いままで使った時間はなんだったんだろうと不条理を感じるのだ。
 聞きたいことになかなかたどり着けないことがある。これは、電話だけでなくウェブサイト上でも同じだ。なにかサービスを提供しているサイトで、それを管理する主体(企業など)に連絡をとろうとしてもかなり手間がかかる。まず、第一に昨今は電話番号を掲載していないのがほとんど。さらにEメールアドレスすら載せていない(悪用されることを防ぐためらしい)。
 その代わりなのだろう、「よくある質問」というのがある。質問を受け付けにくくして、この「よくある質問」という想定問答集をどういうふうに作成しているのかがよくわからないが、とにかくこの類が多い。これはFAQ(Frequently Asked Questions:頻繁に尋ねられる質問)というのだが、頻繁に尋ねられる質問というのはかなり一般的であり、初歩的な質問なのであまり役に立たない。
 ほんとうに聞きたいことは、こうしたところに出ていないから聞きたいのであるが、これを尋ねることは難しいというのが実情だ。先日、こうした電話での質問とウェブサイトでの質問の双方がかかわることで、とんでもなく無駄な時間を費やしてしまった。
 ある外資系の銀行のクレジット・カードを使っているのだが、この利用明細で確認したいことがあった。内容は、インターネットのプロバイダーの「○○ジャパン」の利用料のことなのだが、なにぶん契約はずいぶん昔のことで内容をよく覚えていなかった。
 まず、「○○ジャパン」のほうは、ウェブサイトを見てももちろん電話番号など記載はなく、問い合わせのフォームも見つけたが、ただのご意見箱のようで返事はもらえない。そこでカード会社に電話をすると、○○ジャパンへの問い合わせのEメールアドレスを教えられた。しかし、宛先不明で戻ってきてしまった。
 もう一度問い合わせ、電話での問い合わせ先はないのかと聞くと「こちらでは○○ジャパンから問い合わせの電話番号は知らされていないので、○○ジャパンのサイトから問い合わせてください」という。そこで、それは難しいし、第一カード会社がどうして加盟店の問い合わせ先を知らないのかと問いただすと、カード会社と○○ジャパンは契約関係にはないなどと妙なことを言う。カードでの支払いは確かに使用者である私と利用先との契約だが、カード会社と加盟店がなんらかの契約がないわけがないのに平気でこう言う。さらにEメール による○○ジャパンの問い合わせアドレスは現在変更中でわからないという。
 こういう人は相手にしても仕方ないと思ったので、改めて別の人に尋ねアドレスがわかったら連絡をしてほしいと伝えたのだが、何日しても連絡はない。結局、カードの利用明細の1項目を確認したいだけなのにできないまま数日が経った。その後あるときインターネットで解約の方法を検索していて見つけた関連会社の電話番号に問い合わせて、ようやく自分がどんな契約を残したままでいるのかがわかった。
 この電話の窓口の女性は、事情を話すと同情してくれて、「○○ジャパンではこうした電話の窓口を設けていないので、お困りかと思います」と言う。あえて問い合わせをしにくくするため、あるいは解約させにくくするため電話番号を掲載しなくても、結局、電話で教えてもらうことになったわけである。
 そして電話で教えてもらったように、解約のための手順を踏もうとしたが、その前にアンケートに答えろだとか、なんだとか、こまごましたステップがある。金を払うときは簡単だが払わなくするのは難しいという点では、いかがわしい商法に近い。
 この場合、カード会社は利用者の側に立って対応していないのはもちろんのことなのだが、○○ジャパンも同様にユーザーからの問い合わせのアクセスを極端にシステマティックにして、結果として応用が効かないようになっている。私が救われたのは、最後に電話で対応をしてくれた女性がきわめて誠実でわかりやすい表現をするといったコミュニケーション能力に優れていたからである。

問い合わせてほしくない企業の思惑

 このような経験の一つや二つ、たいていの方ならもっているだろう。買った商品の使い方がわからないとか、契約の変更をしたいとか、解約をしたいとか、世の中のビジネスが多様化し、商品の内容も複雑になっていると、どうしても問い合わせをする必要が出てくるものだ。
 しかし、企業などそれを受ける側からすれば、できるだけこうした応対はしたくないのは言うまでもない。それぞれの質問にいちいち生身の人間をはりつけていたら、人件費だけで大変である。おまけに、わけのわからない質問や抗議、はたまた理不尽ないいがかりをぶつけてくる“クレーマー”の存在を考えれば、なんとかこれらを門前で排除したいと思うのは人情だろう。
 ものごとは、どちらからみるかで大違いである。問い合わせや文句の一つ二つある人にとっては、なぜ質問や意見が簡単にできないのかというフラストレーションが募る。一方で、働くものとして顧客の応対にあたった人なら、わけのわからない問い合わせにあって不快な思いをしたことは少なからずあるはずだ。
 ではどうしてこうなったかというと、前例はアメリカであろう。マニュアル化されるものやシステマティックなビジネスの方法論はたいていアメリカから来る。先日、アメリカにいる知人にこうした日本の現状を話したら、アメリカでは、電話で直接音声を認識させるのが増えてきたという。日本にも登場してきたが、電話のボタンを押すのではなく、受話器の向こうの機械に向かって話すのである。しかし、これがなかなか問題らしい。移民の多いアメリカでは、正しい英語の発音ができない人は多々いるが、へんな英語の発音だと機械が認知してくれないという。言い方を変えれば、変な発音の人はそこではじかれるのである。
 この点、日本はいいのかもしれないが、地方のご老人などが方言やなまりで、電話では通用しなくなるといったことも出てくるかもしれない。

お金になる質問なら大歓迎?

 金にならないから、できるだけ問い合わせは効率という名の下に排除しようという考えは、逆に金になるものはどんどん迎えようということでもある。何かを買いたい、サービスを利用したい、会員になりたい、そんな質問であればどうだろう。電話でもインターネットでも、おもしろいようにどんどん簡単につながる。金を借りるのも、使うのも実に簡単にできる。
 そして、金が使われる、あるいは使われることにつながるような電話の対応は、一転して、慇懃無礼ともおもわれるほど丁寧というか、過剰だ。例えば、車の保険など各種保険の見積もりや契約についてなどのやりとりでは、もう少し簡単にできないかと思えることがよくある。
 これもマニュアルができていて、それに則って対応しているのだろうから、現場の方には罪はないのだが、個人情報の確認からはじまって、こちらが伝えたことをいちいちオウム返しに言ってくるのには辟易する。普通の大人の常識ある会話ならまずありえない。「これは、○○ですか」と尋ねると、「はい、××様、これは○○です」と返してくる。
 間違えてはいけないからいちいち確認をとるのだろうが、それにしてもくどいのだ。ある時、すべてにわたって、いちいちあたりまえのことを繰り返されるので、「申し訳ないが、簡単なことは繰り返していただかなくて結構ですから」と思わず言ってしまったことがあった。

正しい言葉で伝えればコストは下がる

 こうした昨今の問い合わせの際のやりとりを数多く経験してみると、どうもコミュニケーションの形が歪んでいると思わざるを得ない。過剰とも思えるくらいに非効率な問い合わせを排除して、対応はできるだけ機械的にし、想定の問答のなかにあてはめようとする。難しい質問は、問いができないような仕組みを作る。
 一方で、ビジネス的に排除することが不利益になると思われる問答では、間違えて後にクレームなどをもちかけられないような方法と言い方で対応する。こうなると問い合わせをする方もますますフラストレーションが募る。その結果、敵意とシステム化された対応のなかでのコミュニケーションともよべないようなやりとりが増す。
 理想かもしれないが、私は正しい言葉を正しい言い方で伝えれば、かなりの人に理解されると思う。これは書き言葉も同じで、相手の身になってわかりやすく丁寧に(敬語を使うという意味ではなく)で、論理的に表現すれば、たいていのことは理解される。
 しかし、世間では、例えばウェブサイトでのさまざまなサービスの案内や商品の取り扱い説明書などをみてもわかるように、適切な日本語表現ができていない。正しく表現するにはかなりの能力がいるのだが、こうした点に労力(コスト)を割いていないのだろう。これを改善するだけでも不必要な問い合わせは減り、結果としてコストを削減できると思うのだが。
 言葉の使い方、表現の仕方を吟味せず、コミュニケーションの仕方を機械的にして、効率化を図ろうとする方法はやがて行き詰まるだろう。生身の人間と人間が自然にコミュニケーションできる関係をなんとか復活させたいものだ。 

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川井 龍介

 
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