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Series コラム
鏡の言葉 川井 龍介
09/04/30

第5回 なんでも「~させていただく」社会の裏にあるもの

言葉は人の心を映す鏡であり、社会を映す鏡でもある。気になる言葉、問題な言葉、悲しい言葉など、いまの世の中で人の心や社会を映すような言葉の周辺を探ってみる。

「がんこオヤジの苦言」に反響多数!

 これまで過去4回、なにか違和感のある日本語の言葉づかいについて考察してきた。といえば聞こえはいいが、人によっては「そんな細かいこといいじゃないか、がんこオヤジの苦言だ」と、顔をしかめる友人もいる。
 しかし、そうした彼らでもこの種の気になる日本語について、私があれこれ言い続けるものだから、「職場でも、あの『~よろしかったでしょうか』とか誰かが電話口で言ってるのを聞くと気になって仕方がない」などと感想を漏らすようになった。やはり、多くの人が潜在的にはおかしいと感じていたのだろう。
 ということで、この連載についてこれまでのところいろいろ感想をいただき、私もさらなるおかしな例を体験したので、今回のテーマの前にぜひ記しておきたい。まずは、「~って、~もらっていいでしょうか」という、なんでもものを頼むときにつかわれるちょっと“乱暴な”言い回しについて。
 これは私の経験だが、健康診断のために都心の診療所に行ったときのことだ。いかにも事務的で、型どおりの検診をこなしているといった千代田区のこの診療所で、血圧、身長、体重を計った後で中年の看護師の女性がメジャーを持ち出し「おへそッ、出してもらって、いいですか」ときいてくる。
 彼女は、メタボ検診のため私のウエストを計ろうとしていたのだ。私は決してぼーっとした大人子供のような振る舞いをしていたわけではない。立派とは言えないまでもいい年のオヤジである。それに対して見たところ立派な女性が「おへそッ、出してもらって~」はないだろう。「お腹が出るようにシャツを上げていただけますか」ぐらい言えないだろうか。

 つづいて、「よろしかったでしょうか」に代表されるおかしな「過去形」について報告したい。先月、羽田空港内の出発ロビーにいたところ、奇妙なアナウンスが流れた。女性の声で「日本航空9時○分発×行きで出発の予定でした○○様、~」と、搭乗客に呼びかけている。内容は、もうすぐ飛行機が出るからゲートに急いで来てくださいだったと記憶している。しかし、その時、壁の時計を見れば、まだ9時にもなっていない。アナウンスはこれからのこと(未来)について言及していたのだ。なのに「予定でした」というのだ。どういうことか、これも「~よろしかったでしょうか」の悪影響なのか。
 例えば「明日、旅行に出発する予定でした鈴木さん」と言えば、普通に解釈すれば予定はあったが、何かの都合で鈴木さんは旅行を取りやめたのだ。予定が変わらないのなら「明日、旅行に出発する予定の鈴木さん」と言うのが普通だと思う。几帳面で誤った日本語など使わないだろうと思われている空港内でこれである。

表面上だけでも“丁寧に”

 最後はこの種の表現の横綱級である「~させていただきます」という表現について三つ。一つは、郊外のある住宅街でのこと。その一画にあるアパートで外壁の修復工事が始まることになった。工事に際してはなにやら大きな音がでるらしかった。そこで、工事責任者が近隣の家に了解と謝罪のために回ってきた。
 30歳前後の彼は、「すいませんが、工事で大きな音を出させていただくので~」と言う。確かに「~させていただく」は、「相手方の許しを求めて行動する意をこめ、相手への敬意を表す(「大辞泉」より)」という意味がある。しかし、つかわれる内容(行動)次第ではどうみても不適当になる。「工事で騒音が出る」という、明らかに良くないことをするのに許しと敬意を表すのは変だろう。
 極端な例を挙げれば、会社が突然、従業員を解雇したり、派遣社員を切るような場合、「解雇させていただく」とか「派遣切りさせていただく」などと言うのは明らかに不適当である。こんな使い方はさすがに出てこないと思うが、良くないことでも表面上は“丁寧に”表現する(誤用であっても)ことで深刻な事態を誤魔化そうという昨今の世の中の風潮を見ると、ひょっとすると聞かれるようになるかもしれない。
 次に、北朝鮮のロケット発射事件で、政府が「発射された」と誤報を流した問題について、その直後、浜田靖一防衛大臣(父親はハマコーで知られる浜田幸一氏)が、テレビで反省の弁を述べたとき、防衛省内での必要な指示を「~伝達させていただいた」などと言っていた。組織のトップとして極めて重要な指示を部下に出すのに「~させていただく」などと言っているのだ。ほかにも浜田大臣がこのようなことを言っているのではないかと思い、防衛省のホームページを見ると、誤報の後におこなわれた大臣の臨時会見の内容が掲載されていた。
 やはりであった。まず、発表事項として、誤って発射情報を流したことについて防衛省・自衛隊の情報伝達に誤りがあったことを認め、国民に謝罪した。そして最後に官房長官から情報伝達に関しての注意があったことを示し、「~私としてもそれを防衛省全体にしっかりと届くように、幹部の方から末端まで指示をさせていただいたところであります」と言っている。「指示をさせていただく」である。
 さらに、情報伝達のミスについての記者との質疑応答のなかで「~させていただく」を連発している。
「今日の時点でヒューマン・エラーなのかシステム上のエラーなのか、どのように考えられていますか」という質問に対して、大臣はこう答えた。長いがそのままをご紹介する。
「それも含めて確認をさせていただきたいと思います。基本的に我々としては『今、飛んでくるかも知れない』というときに、そういったことを確認するということはかなり難しいところもありまして、皆様方にお叱りを受けるかも知れませんけども発射のための情報収集などに対してもう少しお時間を頂きまして、集中させていただいた中で、その後に今回のミスを検証させていただきたいと思っているところであります」
「指示させていただく」とか「集中させていただく」、あるいは「検証させていただく」などと、悠長に構えている問題ではないだろう。「指示する」にも「集中する」にも、そして「検証する」にも、遠慮やへりくだりはいらない。必要なのは、迅速で確固たる意志だ。だから「集中し」、「検証し」と、ストレートに言うべきである。こんなへんてこなつかい方をしているといまに「北朝鮮に抗議させていただく」などというのではないかと疑われる。
 政治家は大衆の動きに敏感だから「~させていただく」と言った方が、いまの風潮にあっていると感じているのか、あるいは謝罪会見だから、なんでもとにかくへりくだっていた方がいいと思っているのか。浜田大臣を特に批判する意図はないが、もう少し言葉を大切にされたほうがいいのではないか。繰り返すが言葉は言葉だけの問題ではなく、思考、思想と密接に関係しているのである。
 三つ目はとうとう「~させていただく」もここまで来たかと唖然とさせられた事例である。あるIT関係の会社の会議で、若い社員による報告のなかでそれはつかわれた。その会社の事業の一つとして携帯サイトを通じて会員制ビジネスを構築しているのだが、その男性社員は現在の会員数を報告するとき、「会員数は1万2000人とさせていただいています」と言ったのだ。
 これには聞いている若い同僚も「うん?」と首を傾げた。その時点におけるただの会員数の報告である。先々月は9000人、先月は1万人、といった事実の報告である。それがどうして、させていただかなくちゃならないのか。こういう人は「5×4は20とさせていただきます」とか、「鎌倉幕府ができたのは1192年とさせていただきます」とか言うのかね。
 まさに、なんでも「~させていただく」世の中になってしまったようで、笑えるくらいだ。しかし、これが笑ってばかりもいられない。おかしなものも世に広まると、それが常識になってしまうから恐ろしい。

だれにも嫌われたくない心理

 この「~させていただく」について、いろいろな人に意見を聞いてみると、「おかしいと思っていても、『させていただく』をつかわないと、なんだか丁寧じゃないみたいに思われるんじゃないか気になって、ついつかってしまう」という不安を漏らす人が何人かいた。なるほど、みんながちょっとしたことで「~させていただきます」を連発していると、普通の「~します」という丁寧な表現では物足りなくなってしまうのかもしれない。
 確かに、「~させていただく」は、「話す相手に敬意を表し、許しを請う」表現であり、話す相手との上下関係の開きがはっきりとしている、つまり自分が相手よりずっと下であることを示しているという点では、「~します」はもとより「~いたします」などより低姿勢の、もっとも下手に出た表現だと言えるだろう。その意味で、どんな人にも好かれることを目的とする芸能人向きの表現であり、いわばへりくだりの最上級である。
 これがどうしてかくも人口に膾炙するかと想像するに、一つには相手に対して不快な気持ちにさせることを過剰に恐れる心理があるような気がする。若い人の間で他人とのコミュニケーションの取り方がうまくいかないというのは、近年話題になっていることである。新書をみても、ここ数年「コミュニケーション」をテーマにした本が目立っている。

 丁寧に下手に出ていれば、まず相手に嫌な思いをさせることはないという、嫌われたくない心理が、極端に丁寧な言い回しにつながっているとはいえないか。それに加えて、語彙が不足して場面に応じて敬語の使い分けができないのでとにかく、下手の最上級の「~させていただきます」を濫用してしまう。そうは考えられないだろうか。
 それともう一つこの濫用の理由として考えられるのはメディアの影響である。テレビのなかでの芸能人の発言やギョーカイ人のものの言い方に毒されているともいえる。なんだ、そんなことかと思うかもしれないが、これは意外に奥が深い。例えば、「○○という映画に出させていただきました」とか「○○に感動させていただきました」などというのをよく聞く。
「これらは、スポンサーやビジネス上の相手に対するヨイショや配慮ではないか」という人がいた。平たく言えば、商売上の言い回しということになる。そうだとすればなんともいやらしい感じがするが、同じように感じている人もかなりいるのではないだろうか。「よろしかったでしょうか」と同じように、「~させていただきます」もまた、ビジネスの世界と無縁ではないのかもしれない。
 社会そのものは決してより丁寧な方向へ進んでいるとは思えない。高齢者に対する福祉や医療をはじめ、格差の拡大や新たなる貧困の問題だけを見ても明らかである。その一方で言葉だけが必要以上に妙に丁寧になる。そしてその裏にはコミュニケーションの不全やお金の力が見え隠れする。「~させていただきます」の蔓延を単なる言葉の流行としてとらえられない理由はこんなところにある。

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