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Series コラム
鏡の言葉 川井 龍介
09/02/28

第3回 朝から、お疲れ?

言葉は人の心を映す鏡であり、社会を映す鏡でもある。気になる言葉、問題な言葉、悲しい言葉など、いまの世の中で人の心や社会を映すような言葉の周辺を探ってみる。

「あいさつをしよう!」 小学校では昔からこう教えられている。朝なら、「おはよう」「おはようございます」、日中なら「こんにちは」、そして暗くなったら「こんばんは」。しっかりと挨拶ができる子供になろうという教育は理屈抜きに受けいれられている。
「ありがとう」という言葉も同じように、しっかり言いましょう、と学校では諭される。その理由は当たり前のことだが、人に感謝の気持ちを伝えることが礼儀であり思いやりにつながるからだ。これに対して挨拶にどんな意味があるかと言われれば、まあ、人と人の気持ちをほぐすし、なにより明るく「こんにちは!」と言われれば、気持ちがいいからだろう。
 高校野球の取材をしているときに、グラウンドに行くとたいてい「こんにちはー」と、どこの生徒も大きな声で挨拶をしてくる。監督の教えをただ忠実に守っているともいえるが、帽子をとって大きな声で迎えられると悪い気はしない。少年サッカーチームの子供たちが「おはようございまーす」と声をかけてくるのも気持ちがいいものだ。
 職場でもにこっと笑って「おはようございまーす」と、言われれば気持ちがほぐれるのはいうまでもない。よく、むっつりとしてなにも言わずに、オフィスに現れる人がいる。だれかが何かを言うまで黙っていて、言われて初めてぼそりと返事をしたりする。これは大人としていただけない。

メールでいきなり、お疲れ様

「おはよう」でなくても「やあ、元気?」とか、「どうも、どうも」でも、なにかひと言あれば黙っているよりましだ。しかしだ。ここからが本題なのだが、近年どうも気になる挨拶の言葉がある。「お疲れさまでーす」というやつだ。

 今日、マスコミや音楽関係の職場ではかなり頻繁に使われている挨拶だ。私がちょくちょく顔を出すこの種の会社のオフィスでも頻繁に使われている。まだ午前中でも、私の顔を見たとたんにデスクにいる女性が「お疲れさまでーす」と、顔を向ける。にこやかに言ってくれるのはいいのだが、「よし、今日は忙しいぞ」と、意気込んだ矢先に「お疲れさまでーす」とくる。「おい、ちょっとまだ疲れていないんだけれど」と、こちらは首を傾げたくなる。
 メールでもよく見かける。ビジネス的なメールの書き出しの文句のなかで、「お世話になっています」とか、「ご無沙汰しています」などとあわせて、近ごろ登場するのが「お疲れさまです」だ。
 例えば、こんな具合である。
「お疲れさまです。先日、お尋ねのあった件について、ご連絡します。~」
 メールの送り主は、一日の終わりだから、そして送り先の相手がほんとうにその日は忙しくて大変だったということを知っていて、こう書いているのではない。
「お疲れさまです」が、無理なく使われるのは、例えば、住宅建築の現場で朝から日が暮れるまで働いた職人が帰るとき親方や施主が職人に対して、あるいは外回りをして夕方オフィスに帰ってきた営業マンに対して仲間や上司が、大変だったろうと慰め、感謝する気持ちを表すときだ。本来は、心から素直に出てくるとてもいい言葉である。それだけに、声に出すにせよ、書き言葉にせよ、本来の意味とは関係なく安っぽく使われることにどうも違和感を覚える。

ねぎらうつもりが気落ちさせ

 心がこもっていないだけでなく文化の差異も介在すると、さらに意味がねじれておかしなことになる。20年以上も前のことだが、アメリカから来て日本の学校で英語を教えていた知人の男性が、職場でのある経験を嘆いていた。彼は当時、地方自治体が国などの協力を得て、英語圏から青年を招いて日本の学校で英語を教えてもらおうというJETプログラムで招かれ、地方に派遣されていた。
 若かった彼は日本の子供たちに英語を教えることに情熱をもっていた。それが毎朝、職員室へ入ると、教頭から決まって“You must be tired”と声をかけられた。受験英語的に直訳すれば「あなたは疲れたにちがいない」となる。言った本人は「お疲れでしょうに・・・」と、ねぎらいの気持ちを日本的に表したかったのか、あるいは単に「お疲れさまです」を挨拶代わりに英語に直訳したのかはわからない。こうした英語教師に対して日本の学校は地方では特に、お客様扱いするところもあるので、低姿勢に対応していることの表れだともいえる。
 しかし、前向きなことが評価される文化をもつアメリカ人の彼からすると、この言葉はとてもネガティブに聞こえた。「これから、さあやるぞーって思っているときにどうして、そういうこと言うんだろう」と、彼は少々苛ついていた。文化の違いもあるが、ねぎらうのなら、「よくやっているね」という意味で、“You did good job!”とか、“You are a hard worker! ”などと、励ましの表現の方が英語ではふさわしいことになる。
 教頭にはお客様である外国人教師への配慮はあったかもしれないが、単に「お疲れでしょう」というのを英語に直訳してしまったがために、かえって相手のやる気をそぐ結果になってしまった。安易に「お疲れさまです」ということの問題を示している笑い話のような例である。
 では、「お疲れさまです」という意味に相当する英語はないのだろうか。「疲れる」という言葉をそのまま使って、“You look tired”などといったらやはりネガティブに聞こえてしまう。在米20数年の知人に聞いたが、よくやってくれたことを慰労して感謝する端的な言葉はなく、やはり「よくやったね」といったほうがいいようだ。

いまに真意が伝わらなくなる?

 昨今の「お疲れさまでーす」の話に戻ろう。芸能界やテレビの世界では、挨拶の言葉は昼でも夜でも「おはようございます」だとよく言われる。昼も夜も区別のない仕事だから、どこからはじまっても「おはようございまーす」だというのはわかる。それに、この言い方はあくまで業界内に使われる“スラング”だ。普通の職場なら午後になってまで「おはようございまーす」とは言わない。

 ところが、ときに場違いな言葉であるにもかかわらず「お疲れさまです」の方は、当たり前の挨拶言葉のように蔓延している。都会の朝の出勤は、満員電車に揺られて到着するという点では、確かにひと仕事ともいえるが、朝から「お疲れさまでーす」と言う側は、出勤をねぎらってそう言っているのではあるまい。
 10年ほど前に、ウェブサイトの制作会社に勤めた知人の女性によれば、このときすでに社内では暗黙のルールのように、メールの最初に「お疲れさまです」をだれもが書いていたという。「お疲れ!」なんて言い方は、テレビや広告業界でよく使われるようだから、これも前回とりあげた「~させていただく」表現と同じで、業界用語が一般的に使われるようになったとも考えられる。
 この「お疲れさま現象」を見聞きして、私は竹中直人の昔の芸を思い出した。表情は笑いながら、怒りの言葉を発するという、できそうで簡単にはできない不思議なパフォーマンスだ。「お疲れさまでーす」も、心ではそう思っていなくても、また、実際に疲れていようがいまいが、まったく関係なく発せられているという点でこの芸に似ている。
 コンビニなどで店員が「よろしかったでしょうか」と、現在のことを過去形で言うことに以前触れたが、先日も、社会保険庁の依頼を受けたという機関の女性が年金の納付についてわが家に電話をかけてきておかしなことを言う。私ではなく家族に用があったのだが当人がいなかったので、後日電話をほしいと言いながら最後にこう言った。「当センターの受付は、午前×時から午後○時になってました」。
 なってましただと? 気持ちが悪いので、敢えて尋ね返した。「なっていました、といわれましたが、それは過去のことで現在は違うのですか、いまは何時なのですか」と。すると「いえ、すいません、いまも○時までです」と、言い直した。電話を切った後で「いやなオヤジだ」と思われたかもしれないが仕方ない。
 しかし、どうしてこんなことまでわざわざ過去形でいうのか。流行だろうか。こんないい方ばかりしていると、「今晩にでも、お宅にうかがうようにしました」とか、「お疲れさまでーす、今朝はすごく顔色がいいですね」といった、事実も気持ちも反映しない、気味の悪いへんてこな日本語が登場してこないとも限らない。
 さらに「お疲れさまでした」、「大変だったね」と、ほんとうに思っているわけではないのにこの種の言葉を使っていると、ほんとうにその気持ちを表したいときに使っても、真意が伝わらないのではないだろうか。言葉と気持ちは一体になっていることが美しい。オオカミ少年の話とまではいかないが、いつも、気持ちとは裏腹の“嘘の言葉”をつかっていると、「ほんとうなんだ」と主張しても信用されなくなるおそれがある。

機械に言われたくない

  昨今の日本語のおかしな使われ方についてまとめ話題を呼んだ本に「問題な日本語」(北原保雄編著、大修館書店)がある。シリーズ化され「その3」まで出版され、その内容は「ニンテンドーDS」でソフトにもなっている。このなかにも「お疲れ様・御苦労様」について触れている。御苦労様という言葉が、本来は目上の人から目下の人に向かって使われるといったように、人間の上下関係と、この二つの言葉の使い方とは関係があることを解説してある。
 その上で、「ただ、すでに元の意味から離れて挨拶言葉になっているのですから、それほど骨折りをしていない場合にも、特に疲れていない場合にも使うことがあります。その辺が使い分けを難しくしているわけです」と、言っている。もはや単なる挨拶言葉だから、意味など気にするなという意見も多いだろう。でも、やはり朝オフィスに入るなり、若い女性から「お疲れさまでーす」と言われるのは居心地が悪い。
 これも実際の話だが、夕方5時になってエレベーターに乗ると、一階で降りるときに「本日はご苦労様でした」とアナウンスをするオフィスビルがある。機械から、それも目上の位置から一日の仕事の労をねぎらってもらうのも居心地が悪いし、まして5時を過ぎてビル内にはまだまだ働いている人はたくさんいるのに、それこそ機械的で味も素っ気もない。
 まさかとは思うが、将来どこかのオフィスビルで、朝出勤してエレベーターに乗ったとき、「お疲れさまでーす」(「でーす」と延びるわけはないにしても)なんて声が聞こえる日が来たら・・・、いやだなあ。

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