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Series 日系アメリカ人と日本人
二つの国の視点から 須藤 達也
10/01/31

第9回 ジャニス・ミリキタニ~言葉の力を信じて、奉仕活動を続ける詩人

海外に住む日系人は約300万人、そのうち在米日系人は約100万人といわれる。19世紀後半からはじまった在米日系人はその歴史のなかで、あるときは二国間の関係に翻弄されながらも二つの文化を通して、日系という独自の視点をもつようになった。そうした日本とアメリカの狭間で生きてきた彼らから私たちはなにを学ぶことができるだろうか。彼らが持つ二つの国の視点によって見えてくる、新たな世界観を探る。

ジャニス・ミリキタニ
『We, the Dangerous』
ジャニス・ミリキタニ
『We, the Dangerous』

 日系アメリカ人には、珍しい苗字の人が結構いる。先祖を辿ると、広島、和歌山、熊本、沖縄などの地方出身者が多いためだろう。以前、このコラムでとりあげたゴタンダもそうだが、ミリキタニも、私は今まで日本でその苗字の人に出会ったことがない。
 2006年に東京映画祭で、日系2世画家、ジミー・ミリキタニの人生を描いたドキュメンタリー映画「ミリキタニの猫」が上映され、「日本映画・ある視点」部門で最優秀作品賞を受賞した。その後、あちこちで上映されたので、この苗字がいくらか日本に浸透したかもしれない。漢字で書くと「三力谷」であることを、私はこの映画で知った。
 この映画のタイトルを見たとき、まず私の脳裏に浮かんだのが、日系3世の詩人、ジャニス・ミリキタニのことだった。ジミーと彼女の間には血縁関係があるのではないか、と。

ジミー・ミリキタニ
「ミリキタニの猫」DVD
ジミー・ミリキタニ
「ミリキタニの猫」DVD

 その疑問は映画を見て直ちに解消した。この映画は、アメリカ人の監督、リンダ・ハッテンドーフが、ニューヨークで路上生活をしていたジミー・ミリキタニに声をかけるところから始まる。2001年9月11日にアメリカで発生した同時多発テロ事件の影響で、夜の路上には人がいなくなり、ジミーが一人取り残された。それをみて、監督は自分の家にジミーを住まわせることにした。
 作品のなかで監督は、ジミーとの共同生活をとおして、ジミーが戦争中に強制収容所に入れられていたことなど、少しずつ彼の過去を知っていく。その後、ニューヨークタイムズ紙にジャニス・ミリキタニが、自分が幼少のころ日系アメリカ人強制収容所で生活したこと、そして、テロ事件の後、アラブ系アメリカ人が第2次大戦中の日系人と同じ扱いを受けないか心配だと話しているという記事が掲載され、リンダはこの珍しい苗字を見て、ジミーとジャニスが縁戚関係にあるのではと直感した。ジミーに聞くと、ジャニスのことは知らないが、ミリキタニ・ファミリーはすべてつながっているという。そこでリンダは、サンフランシスコに住むジャニスに手紙を書き、ジャニスは返信に自分の詩集を添えてそれに応えた。
 ジャニスからの返信で、彼女の父、テッド・ミリキタニはジミーの従兄弟であることがわかった。早い機会に一度ジミーに会いたい、とも書かれていた。リンダは、同封されていた詩集に、収容所の詩があることを見つけ、その詩を朗読してジミーに聞かせている。『We, the Dangerous(我らは危険な人物)』という作品集に収められている「CRY」という詩で、戦時中、ツーリレーク収容所で埋葬された10人の子供たちと、彼らの記憶を留めるために石碑を建立した、西北アジア系アメリカ人社会の芸術家と活動家に捧げられた作品である。長編の詩なので、以下、冒頭の部分のみ。 

叫び

ベビーベッドにナイフがある
砂漠の風の刃が
母の子宮のへその緒を切り裂く
のどの回りの砂ぼこり
松原さんの赤ちゃん、テツノ・キヨノさん
山本さんの赤ちゃん
石碑が語ることを
私たちは決して忘れない

 映画の最後、クレジットが出始めてから、邂逅したジミーとジャニスが「ミリキタニ・パワー!」と叫ぶ。その場面がとても印象的だった。ホームレスの支援をしているジャニスにとって、路上生活をしていた親類に会うことは因縁めいたものがあるし、自分と同じく創造的な道を追求しているジミーは誇らしくもあっただろう。

『Shedding Silence』
『Shedding Silence』

 映像に映るジャニス・ミリキタニを見たのはこの映画で2度目だった。一度目は、もう10年以上前になるが、サンフランシスコにあるアジア系アメリカ・メディアセンター(CAAM)で、「Why is preparing fish a political act?(魚を用意することがなぜ政治的行為なのか?)」というドキュメンタリー映画を見せていただいたときのことである。1991年に製作されたこの記録映画は、ジャニス・ミリキタニを描いた作品で、タイトルは、彼女の同名の詩からとられている。このユニークな題の詩は、『Shedding Silence(沈黙を脱して)』という詩集に収められており、映画で彼女自身が朗読している。以下、抄訳。

魚を用意することがなぜ政治的行為なのか?

祖母の手が
魚を洗い 鱗を落としている
内臓、卵、頭
どの部分も使う
包丁は 柄のネジが錆び
彼女の皴になった指のように古い
鍋はへこみ 古くなり 黒ずんで 
汚れている (中略)
かつてある人が彼女にアルミ製の鍋を売ろうとした
微笑を過大に浮かべ 彼女を
ママサンと呼んだ
彼女の沈黙は
熱くなった醤油よりも濃く
魚の頭と一緒にゆでた筍よりも白い
魚を用意することは 政治的行為なのだ

 彼女の祖母をママサンと呼び、アルミ製の鍋を売ろうとしたのは白人であろう。それに対する沈黙、それ自体が抵抗であり、政治的行為だということなのだろう。
 ジャニスの祖母や母の世代は、差別に対して沈黙してきた世代である。だが、1980年代になって、沈黙していた2世たちがようやく、強制収容所のことを語りはじめる。これには、沈黙をよしとしない3世たちの働きかけがあったことは間違いない。1942年にカリフォルニア州で生まれた3世のジャニスは、ほどなくして収容所に入れられたが、幼少だったため、収容所の記憶はほとんどない。だが、彼女は詩という手段を用いて、1世、2世たちの補償・賠償運動を後押しした。

母が語った収容所体験を詩に

 1981年、ジャニスの母も40年の沈黙を破って、日系人の戦時収容について公聴会で証言した。その証言記録をもとに書かれたのが、ジャニスの「Breaking Silence(沈黙を破る)」という詩である。彼女の第2詩集『Shedding Silence』に収められて以来、後に続いた『We, the Dangerous』にも『Love Works』にも収録されている。それだけ、彼女にとって大切な作品なのだろう。母の声を発見することで、自分自身も発見できたと、ジャニスは『Love Works』の冒頭で述べている。以下、その一部を試訳。

沈黙を破る

軍の最高責任者よ、
私の時間はもうないから座って黙っていろとあなたに言われたら、 私は言う
誇りが私の唇に釘を刺し
私の怒りを封じ込めてきた
でも 自分の過去を白日の下にさらし
今回は主張する
私の青春はローワー収容所に埋められた
おばあちゃんの亡霊はアマチ収容所を訪れ
姪はツーリレイク収容所をさまよう
涙よりも言葉が上等
だから私は言葉を吐き出す
この、沈黙を 殺す…

『Love Works』
『Love Works』

 他にも、「Lullaby」「 Crazy Alice」「 We, the Dangerous」など、収容所を扱った詩がいくつかある。「We, the Dangerous」は、詩の題が彼女の第3詩集のタイトルにもなっているが、インターネット上の動画共有サービス、YouTubeを見ると、1999年にミリキタニがサンフランシスコ市からLifetime Achievement Awardという賞を受賞したときの映像がアップされており、そこで、Genevieve Leeという若いアジア系の女性がこの詩を朗読している。
 朗読の後で、ミリキタニが受賞スピーチをしており、演説の最後で、彼女は自分の娘に向けて、「沈黙を破り、自分の人生をうたいなさい」という強いメッセージを投げかけている。詩情豊かで説得力のある彼女のスピーチに私は感銘を受けた。是非、皆さんにもYouTubeで聞いていただきたい。

4世の娘へ伝えたいこと

 Sing the melody of your own life! (自分自身の人生のメロディをうたえ)という、ミリキタニのスピーチの締めくくりの言葉は、彼女が書いた「Letter to my daughter(娘への手紙)」という詩を思い起こさせる。以下、抄訳。

娘への手紙

怪我の痕は記憶されるにちがいない
物語に耳を傾けなさい
私たちは 自分たちが書く本の 自分たちが作曲する歌の
そして自分たちが主張する証言の主人公
それらは私たちの人生を救い、あなたに自負を与える
それらはあなたに公平な手を差し伸べる(中略)
娘よ、私はあなたに何を望む?
それらの手を結ぶ勇気
なぜならあなたの側の紐の端はもう一方と固く結ばれているから
苦しんでいる人々 飢えている人々 知られざる人々
そして勝利している人々と
ひとつの端からもうひとつの端へ 母、祖母、そしてあなた
彼女たちの闘いがあって 私たちは今生きながらえている
彼女たちの愛が あなたの可能性を生み出した
娘よ、私はあなたに何を望む?
結び続けること
ひとつの世代から次の世代へ これらの記憶の糸を
公正にお互いを結びつけること
愛で繕うこと
そしていつも
自分自身の声で
自分の歌をうたうこと

 日系社会は、1世、2世の沈黙の世代から、3世のものを言う世代に変わった。4世の娘には、これまでの日系人の歴史を踏まえて、自分の主張をしなさいと訴えている。記憶のバトンをつなぐのは自分たちの役割だ。自分たちの役割も大きい、とミリキタニは言っているように聞こえる。

弱きものへ手をさしのべ続けた45年間

 ミリキタニには、詩人のほかにもう一つ、社会活動家という重要な顔がある。サンフランシスコのテンダーロイン地区にあるグライドメモリアル教会というメソジスト系の教会での活動だ。彼女はこの教会の司祭であるセシル・ウィリアムズのパートナーで、貧しく社会的な地位が確立できていない人々や子供に対して、教育、学童保育、カウンセリング、職業訓練、HIV検査、麻薬・アルコール中毒回復プログラムなど、さまざまな活動を無償で提供している。食事の配給も行われており、その数は一日3000食、年間で100万食にのぼる。
 活動のプログラムは50を超え、そのディレクターをしているのがミリキタニである。彼女がこの教会で活動を始めたのが1965年だから、今年で45年。息の長い奉仕活動に頭が下がる。教会の年間予算が1100万ドル(約11億円)で、職員は230人、ボランティアは35000人を数える。
 私も数年前にこの教会を訪れたことがあるが、日曜日ともなると、大勢の人が集まる。オルガンでなくキーボードの演奏が流れ、聖歌隊がゴスペルを歌いながらステージに上がって礼拝が始まる。「死を思い起こさせる」という理由で十字架を置いていない珍しい教会だ。
 2001年9月11日の同時多発テロ事件以降、アラブ系の人が移民帰化局(INS)に逮捕、拘留されるケースが多発した。ミリキタニを含め、戦争を体験した多くの日系アメリカ人は、60年前に自分たちがアメリカ政府から強制収容された歴史を思い出した。2003年1月10日、INSに抗議するためにサンフランシスコのINSの前で抗議集会が開かれ、セシル・ウィリアムズとジャニス・ミリキタニ夫妻も参加している。
 グライド教会に救われた人は数限りない。なかでも、以前、ホームレスだったクリス・ガードナーが息子とともにグライド教会の支援を受けて自立し、ウォール街のプリンスと呼ばれるまでになった物語は、2006年、彼自身によって『The Pursuit of Happyness(邦題『幸せのちから』)』のタイトルで出版され、同年に映画化もされた。映画はウィル・スミス主演で、ミリキタニとウィリアムズも参加している。ちなみにHappynessという綴りは間違いではなく、ガードナーの息子の託児所の落書きにあったスペリングミスからとられている。同時にアメリカ独立宣言にあるThe pursuit of happiness(幸福の追求)のもじりでもあり、邦題では言い表せない、意味深長なタイトルとなっている。

詩の美しさとその力を信じて

『Awake in the River』
『Awake in the River』

 ミリキタニは、これまでに、『Awake in the River』『Shedding Silence』『We, the Dangerous』『Love Works』と、4冊の詩集を出し、2000年にサンフランシスコ市から「桂冠詩人」の称号を得た。『Love Works』は、その時に行ったスピーチから始まっている。
「詩は我々を結び付け、我々を変える力を持っている」で始まるそのスピーチは、言葉が持つ力と美を繰り返し訴えている。女性、日系アメリカ人、虐待された子供たちなどに押し付けられた沈黙を、言葉で打ち破っていくことが彼女の最大の関心事だ。

『I Have Something to Say
About This Big Trouble』
『I Have Something to Say About This Big Trouble』

 1989年にミリキタニが夫君と編集した『I Have Something to Say About This Big Trouble(この大きな問題について言いたいことがある)』は、グライド教会の子供たちが麻薬や人種差別、戦争などについて語った文集である。とりわけ麻薬について書かれたものが多く、彼らの内なる声が聞こえてくる。
 現在、日本で詩が果たしている役割は非常に小さい。「詩のボクシング」なんていうイベントはあるが、娯楽性が高く、人を、あるいは社会を変革する力には至っていない。言葉が持つ力が減退しているのかもしれない。だが、ミリキタニのような社会的実践を兼ね備えた詩人が日本にいたら、詩は大きな力になる可能性を秘めているように思う。


(敬称略)

※本文中の詩の訳は筆者による。


   ミリキタニの詩集

  • Awake in the River, Isthmus Press, 1978
  • Shedding Silence, CELESTIAL ARTS, 1987
  • We, the Dangerous, CELESTIAL ARTS, 1995
  • Love Works, CITY LIGHTS FOUNDATION, 2001
  参考資料
  • 『ミリキタニの猫』 映画パンフレット 2007
  • I Have Something to Say About This Big Trouble: Children of the Tenderloin Speak Out, Cecil Williams and Janice Mirikitani, Glide World Press, 1989
  • A Japanese American Poet Who Sings Compassion, Mie Hihara, 『立命館言語文化研究』2巻, 1991
  • 「娘に送るメッセージ」『女たちの世界文学 ぬりかえられた女性像』桧原美恵 松香堂  1991
  • Four Generations of Japanese American Women in the work of Janice Mirikitani, Kyoko Nozaki, 『京都産業大学論集20』 1993
  • 「日系アメリカ人フェミニスト作家の挑戦」『学宛』687号 吉原令子 昭和女子大 1997
  • 「娘から母のフェミニズム」『学宛』698号 吉原令子 昭和女子大 1998
  • 「ジャニス・ミリキタニにみられる他者」『昭和女子大学女性文化研究所紀要』第23号 吉原令子 1999
  参考映像
  • Why is preparing fish a political act?, Russell Leong, Center for Asian American Media, 1991
  • 『ミリキタニの猫』リンダ・ハッテンドーフ監督 配給:パンドラ 74分 2006
  • 『幸せのちから』ガブリエレ・ムッチーノ監督 ソニー・ピクチャーズエンタテインメント 117分 2006
  参考ウエブサイト

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PROFILE

須藤達也

神田外語大学講師

1959年愛知県生まれ。 1981年、上智大学外国語学部卒業。1994年、テンプル大学大学院卒業。1981年より1984年まで国際協力サービスセンターに勤務。1984年から85年にかけてアメリカに滞在し、日系人の映画、演劇に興味を持つ。1985年より英語教育に携わり、現在神田外語大学講師。 1999年より、アジア系アメリカ人研究会を主宰し、年に数度、都内で研究会を行っている。趣味は落語とウクレレ。
 
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