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SERIES 05 ドイツとドイツサッカー
明石 真和
第2回 ドイツ代表新監督と新シーズン開幕

 2006年にワールドカップが開かれるドイツ。過去に3回の優勝を誇るドイツサッカーの本質とは何か。ドイツに詳しい、自他共に“サッカーマニア”と認める明石真和氏が現地での体験をまじえ、ドイツとドイツサッカーについて連載する。

 2004年8月1日。ドイツの新しい代表監督にユルゲン・クリンスマンが就任した。クリンスマンは、1990年第14回W杯イタリア大会でのドイツ(当時西ドイツ)優勝に大きく貢献したゴールゲッターで、その後代表チーム主将も務めたほどの名選手であり、明るくスマートなイメージで多くのファンをもつ人物である。
 今回、ユーロ2004での1次リーグ敗退によりルディ・フェラー監督が辞意を表明した後、次の監督をめぐる後任探しはおおいに難航した。ドイツ・サッカー連盟(DFB)は、先ずフェラーの翻意をうながしたもののうまくいかず、続いてオットマール・ヒッツフェルト(前FCバイエルン監督)、オットー・レーハーゲル(現ギリシャ代表監督)、アーセン・ヴェンゲル(現ロンドン・アーセナル監督)・・・という具合に、次々に大物監督達と交渉をもったようだが、いずれも最終的には断わられてしまった。
 地元開催の2006ドイツ・ワールドカップ(W杯)まで2年を切ったこの段階で、チームを根本から立て直さなくてはならず、しかも、今のドイツ代表には、これといった中心となるべき大物選手が育っていないため人材不足は否めない。誰が監督になっても、多難な前途が予想され、なかなか引き受け手の見つからなかったことも容易に理解できる。ましてや、サッカーシーズン開幕直前のこの時期では、めぼしい大物監督は、すでにどこかのチームと契約を交わしてしまっていることが多い。
 ドイツ代表監督に適当な候補者が見当たらない・・・前代未聞ともいえるこの異常事態に、DFBは急遽「後任探しの特別委員会」を設置して事にあたった。ドイツ代表の監督交代に関しては、これまでの場合、DFB会長が強いイニシアチブを発揮し、前任者が去る時点で、後任が決定していることがほとんどであった。それが今回は、特別委員会を作らなくてはならないところまで追い込まれていたといえよう。
 DFB会長ゲアハルト・マイヤー・フォアフェルダーや2006年W杯組織委員長フランツ・ベッケンバウアーを含む4名から成るこの委員会は、マスメディアからの攻撃にも決してあせらず、ドイツ人らしく地に足をつけ、落ち着いて候補者との折衝を続け、最終的には、現役引退後アメリカのカリフォルニアに暮らしていた元代表主将ユルゲン・クリンスマンをかつぎ出すことに成功した。
 クリンスマン新監督の就任記者会見は7月29日に行われ、複数のテレビ局により生中継された模様で、この件に関するドイツのサッカーファンの注目度の高さを物語っている。新監督の契約も地元開催のW杯ドイツ大会を見越して2006年までとのことであり、クリンスマンは次のような抱負を語った。
「2006年地元開催のワールドカップでドイツが優勝することをファンの皆さんは願い、それを望んでいると思います。私の目標もW杯での優勝です」

新ポスト「代表チームマネージャー」

 クリンスマンの監督就任と並んで、同時に「代表チームマネージャー」として、これも元代表選手のオリヴァー・ビアホフが就任した。ビアホフは、1996年イングランドで行われたヨーロッパ選手権の祭、チェコを相手に延長にもつれこんだ決勝戦で「ゴールデンゴール」を決めたストライカーであり、奇しくもその時、エリザベス女王から優勝杯を受けとったのが当時主将のクリンスマンであった。
 この「代表チームマネージャー」という新しい役職は、DFBとしても初めての試みである。組織の在り方も含め、ますますプロ化、ビジネス化の進むサッカー界において、時代の流れを見ながら個々の問題により柔軟に対処するためにDFBがとった処置といえよう。これによりビアホフは、「競技に関するあらゆる事に対応するマネージャー」となり、具体的には「監督、代表チーム、各クラブ、スポンサー、メディアをつなぐパイプ役」として活動するゼネラル・マネージャー(GM)的な役割を受け持つようである。現役引退後、テレビのサッカーコメンテーターとしても活躍していたビアホフは、人当たりもよく、適任であるとの声が高い。どちらかといえば保守的で慎重派のDFBがこのような人事を発表したことは、単に「異例」という表現で片付けられない問題を含んでいるといえよう。       
 またクリンスマン監督を現場で支える助手として、昨年度まで隣国オーストリアのプロチームの1つであるオーストリア・ウィーンの指揮をとっていたヨアヒム・レーヴが起用された。当初、このポストには、1990年W杯優勝時にベッケンバウアー監督の助手を務めていたホルガー・オーズィェク(元浦和レッズ監督)が有力視されていたが、けっきょくはレーヴに落ち着いた。

国が変わればコトバも変わる

 今回のドイツ代表首脳人事に限らず、外国のサッカー関係の本や雑誌を読んで興味深く思うのは、チームスタッフを表すことばが、国によって様々であり、その意味するところが異なる場合があることだ。ちなみに英語、ドイツ語、日本語でのちがいは下記のようになる。

 また、主要な役職の構成も若干異なり、同様の役職でも資格や権限に差があるようだ。
「監督」に当たる単語は、英語では「マネージャー」、「ヘッド・コーチ」。ドイツ語では「トレーナー」。普通にドイツ語で「マネージャー」という時には、チーム全体を把握し、組織としての運営に係わるゼネラルマネージャーを指す。
 ドイツ代表新スタッフを例にとってみると、「監督」のクリンスマンは「トレーナー(代表監督の場合は特にブンデストレーナーと呼ばれることもある)」、「GM」のビアホフは「マネージャー」、「助手」のレーヴは「アシスタント・トレーナー」ということになり、いずれも英語風の表現をそのまま取り入れていることが分る。
 ドイツ代表監督の前任者ルディ・フェラーやかつてのベッケンバウアーの場合、彼らはケルン体育大学でのライセンスを取得していなかったために「チームシェフ」という役職名で、ライセンスをもっている人物が「助手」として補佐していた。
 クリンスマン新監督も、当初「チームシェフ」という呼び方になるという噂があったのだが、実のところ彼はライセンスを持っているので「(ブンデス)トレーナー」という呼称に落ち着いた。このあたり原則にこだわるドイツ人気質がうかがえる。
 さらに同じ英語表現でも、外国と日本では意味するものに大きな隔たりのあることがわかる。当然のこととして、例えばクリンスマンは「トレーナー」ではあっても、選手の足をマッサージするわけではない(もちろん、彼が選手の足を揉んだってかまわないのだが・・・)。

1996年のヨーロッパ選手権で
優勝したドイツチーム

 世界の一流チームでは、国の代表であれクラブチームであれ、その役職名はともかくとして、主要な構成要員に関しては、どこでもほとんど差はない。
 チーム全体を統括するゼネラルマネージャーが組織運営上大切な役割を担い、そのもとに、監督・コーチ・選手・医師・理学療法士・マッサージ師・用具係・世話役としてのマネージャー等が控えている。また人気チームでは広報担当の任務も重要である。いずれも、選手が現場で最大限の能力を発揮できるように、スタッフ一丸となっての組織作り、体制作りが望まれることになる。

12月に日本代表と初対戦

 かくして、2006年地元開催W杯に向けトロイカ体制で再スタートを切ったドイツだが、早速8月18日にウィーンでの親善試合でオーストリアと対戦し、3対1の勝利をおさめた。その勢いで9月8日には2006W杯決勝の舞台が予定されているベルリン・オリンピックスタジアムに現世界チャンピオンブラジルを迎え、力のこもった熱戦の末、1対1で引き分けた。
 W杯開催国として予選免除というメリットはあっても、逆の見方をすれば2006年の本番まで真剣勝負の場を体験する機会がほとんどないというデメリットも抱えていることになる。このあたりを新監督がどう舵取りしていくのか。クリンスマンの腕の見せ所であろう。
 ドイツ代表の今後の試合日程は、11月にはライプチヒで対カメルーン。12月にはクリスマス前の休暇期間を利用してアジア遠征を行い、日本、韓国、タイを歴訪し、12月16日横浜で、初めての日本代表との対戦が組まれている。
 クリンスマン新監督を迎えて心機一転のドイツに、W杯予選突破を目指すジーコ監督の日本代表が挑む。親善試合ではあるが、日本のファンにとっても格好のクリスマスプレゼントになるだろう。おまけを言えば、今回就任した3名のドイツ首脳陣は、いずれも40歳前後で、それなりの魅力を備えた中年の「イケメン3人組」だ。というわけで、そういう方面に興味のある女性ファンにも是非おすすめしたい一戦ではある・・・。

一流選手は年間50~60試合

 6月から7月にかけてポルトガルで開催されたサッカーヨーロッパ選手権(ユーロ2004)や、8月のアテネオリンピックといった大きなイベントの陰にかくれて、話題としては地味ながら、ヨーロッパ各国のサッカーリーグも、新しいシーズンを迎えた。
 ブンデスリーガと呼ばれるドイツのプロリーグも8月上旬に2004~05シーズンがスタートし、熱戦が繰り広げられている。毎週土曜日の午後を中心に、1部リーグ18チームがホーム&アウェイ方式でゲームを行い、各チーム年間34試合を戦う。ホーム&アウェイというのは、地元の本拠地スタジアムでの試合(ホーム)と敵地での試合(アウェイ)を交互に消化していくシステムで、ドイツに限らずヨーロッパでは普通に行われているやり方である。たとえば、南ドイツを代表するFCバイエルンと北部ルール工業地帯の古豪FCシャルケ04のカードは、1シーズン中にFCバイエルンの地元ミュンヘンで1回、シャルケの地元ゲルゼンキルヘン市で1回の計2回が組まれることになる。こうしてすべてのチームと総当たり戦を行いながら、8月にスタートしたシーズンが翌年の5月まで続いていく。
 ドイツでは降雪の多いクリスマス前から1月下旬までを中休み期間としているため、8月から12月中旬の前期終了時までに、各チームがそれぞれ1回ずつ当たっての計17試合を消化するよう日程が組まれており、2月初旬からの後期は、まったく同じ組み合わせながら、ホームとアウェイが入れ変わる日程となっている。
 以前は、18チームの全9試合が土曜日の午後15時半に同時にキックオフされるのが普通であったが、最近では主に水曜日に行われるヨーロッパカップ戦との日程調整やテレビ放映の影響もあり、9試合中の2、3試合が前日の金曜日か翌日の日曜日に回されることも珍しくなくなった。大幅な収益増が見込まれるテレビ放映やヨーロッパカップ戦は、今後さらにビジネス化していくであろうサッカー界においては、チーム経営上ますます大事な収入源となっていくことが予想される。
 ところで、ヨーロッパの一流チーム、一流選手は、シーズン中どのくらいの試合数をこなすのであろうか。欧州の主要サッカー国では、リーグ戦と並んで勝ち抜き方式のトーナメント戦(=カップ戦)が同時進行で行われる。1年間の試合数が決まっているリーグ戦と異なり、カップ戦では勝ち進めばそれだけ試合数が増えることになり、選手の負担はいやがうえにも増していく。
 さらに、各国リーグの前年度優勝チームと上位チームは、他国の上位チームと覇を競うチャンピオンズリーグやUEFAカップ(=欧州サッカー連盟杯)といったヨーロッパカップ戦にも参戦することになる。こちらも熱のこもった試合がヨーロッパ規模のホーム&アウェイで消化されるので、抽選の組み合わせによっては、西はポルトガルのリスボンから、東はロシアのモスクワという具合に、移動だけでも大変なエネルギーを使うことになる。
 以上はあくまでも各選手の所属するクラブレベルでの話であり、一国の代表に選ばれるような名選手は、ここにさらに年間10試合前後の代表ゲームが加わることになる。

DFBジャーナルと応援キャップ
左からカーン、クリンスマン、ビアホフ

 ドイツの名門FCバイエルンの中心でドイツ代表でもあるオリヴァー・カーン選手やミヒャエル・バラック選手を例にとってみよう。レギュラーの彼らは、先ずブンデスリーガ34試合で、負傷等のよほどのことがない限りフル出場が期待されている。そこに、どこまで勝ち進むかによっても変わってくるが、毎年上位進出の見込まれるドイツカップやヨーロッパカップ戦が合わせて15試合前後加わってくる。さらに代表ゲームが10試合ほどとなれば、トータルで50~60試合はこなす勘定になる。もちろん、ここには調整目的の練習試合、不定期に組まれる記念試合やチャリティ試合は含まれていないし、そのうえ当然のことながら毎日のようにトレーニングがある。
 栄光や収入に直接つながる道とはいえ、このような真剣勝負のゲームとそれに向けての合宿や練習が続くと、体力的にも精神的にも消耗度はかなりのものになることが想像できる。いくらふだんから鍛えているプロ選手とはいえ、決して楽な職業ではないことがわかる。サッカーに限らず一流のスポーツ選手は、誰でもこのような激務をこなしているのであろうが、才能はもとより、よほどそのスポーツを好きでなくてはできないことだと、いつもながらに感心してしまう。

(敬称略、つづく)

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PROFILE

明石 真和

1957年千葉県銚子市生まれ。南山大学、ルール大学、学習院大学大学院でドイツ語ドイツ文学専攻。関東学院大学、法政大学、亜細亜大学等の講師を経て90年より駿河台大学勤務。現在同大学教授、サッカー部部長。2003年度ミュンヘン大学客員研究員としてドイツ滞在。
シャルケ04(ドイツ)&トッテナム・ホットスパー(イングランド)の会員、ドイツ代表ファンクラブメンバー。
高校時代サッカー部に所属、現役時代のポジション左ウィング。
好きなサッカー選手 ウルリヒ・ビトヒャー(元シャルケ)、ラルフ・クリングマン(現ミュンヘン1860アマチュア)、ゲルト・ミュラー(元FCバイエルン、現バイエルン・アマチュアチームコーチ)

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