風
 
 
 
 
 
 
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Series コラム
明日吹く風は 
11/01/15

第16回 タイガーマスクと児童養護施設

風のように毎日が過ぎてゆく、あしたはどんな風が吹くだろうか。

 昨年のクリスマスの日にはじまった「タイガーマスク運動」ともいえる現象は、年が明けていっそうの広がりを見せてきた。全国各地で児童養護施設や児童相談所などにランドセルや玩具、そして現金が届けられるようになった。
 最初の送り主が、漫画「タイガーマスク」の主人公・伊達直人を名乗り、その後も別の伊達直人が各地に登場したのだが、これとは別に矢吹丈など漫画のヒーローに名を借りた送り主も出てきた。さらに、学習塾が同様の寄付行為をするなど善意の形も様々に変化してきた。
 これらに共通するのは、送り先が児童福祉施設など子どもの福祉に関係する団体への寄付だということである。それはタイガーマスクとは何かを知れば当然のことだとわかる。タイガーマスクは、1968年に月刊の少年漫画雑誌「ぼくら」で連載が開始され、「週刊ぼくらマガジン」を経て最後は「少年マガジン」に連載された。
 私はたしか小学6年生でこの漫画をリアルタイムで読み始め、かなりのめり込んだ思い出がある。「ぼくら」は、週刊の少年マガジンや少年サンデーに比べればマイナーだったのが、「タイガーマスク」で、注目度が上がったと記憶している。いま、私が覚えているタイガーマスクのストーリーは断片的なもので、孤児院出身で虎の穴という悪のプロレスラー養成機関に属していた伊達直人が、そこから抜けだし正統派レスラーをめざし、かつ自分が育った孤児院の子どもたちのために匿名で寄付を続ける、というものだった。
 やくざが組から抜け出し、堅気になろうとするのがなかなか許されないように、虎の穴から抜け出そうとするタイガーが裏切り者とされ、虎の穴から送り込まれる強敵レスラーと戦い抜くというスリル、そしてそれと同時に、ひとたびリングを離れマスクをとれば優しい男だというところにおもしろみを感じたのかもしれない。つまり主人公のもつ強さと優しさに惹かれたのだろう。
 このタイガーマスク運動について、多くの人がいろいろなことを思い、感じたのではないか。「まだまだ、日本人も捨てたもんじゃない」、「日本には寄付文化はないとよくいわれるがそんなことはない」などの、感動・共感する意見がある一方で、「本来なら国がやることだ」、「最初の人はいいが、それに続く人はもう少しもらう側が必要なものを考えたらいいのに・・・」と言った、条件つき賛同といった声も聞いた。
 少なくとも、いろいろ意見が出て議論になることはいいことだろう。だが、さらにもう一歩進んで、児童福祉のことがもっと取り上げられればと期待したい。とくに、今回メディアで何度も登場した「児童養護施設」について、その実情を知り支援が広がればと思う。

 胸にせまる女性職員のことば

 15年ほど前、私は全国のさまざまな福祉関連施設などで働く人たちの職場を訪ね、話を聞いたことがある。介護保険導入を前に高齢者福祉が急速に話題になったころで、老人福祉施設をはじめ、障害者福祉施設、そして児童福祉施設などをまわった。どれもこれも印象的で、福祉の現場で働く人たちのやりがいと苦労をひしひしと感じたものだったが、なかでも特に印象に残った一つが児童養護施設とそこで働く人の言葉だった。
 私が訪れたのは山形県内の歴史ある施設で、当時は、単に養護施設と呼ばれていたが、98年の法改正によって児童養護施設となった。かつては孤児院と呼ばれたこの種の施設には、ひと言でいえば、親がいなかったり、親はいても養育する能力がない親をもつ子どもたちが入所している。しかし、その理由はさまざまで、家庭の貧困をはじめ子ども自身の情緒障害的な問題や非行もあれば、離婚などによって育児放棄ともいえる例も少なくない。当然、受け入れる側の施設が求められるのは、単なる家庭の代替機能だけではなくなっている。また、児童と言ってもなかには高校生もおり、問題を抱えたこの年代の子どもたちと正面から向かい合うには、職員として相当の覚悟と忍耐が必要となる。
 それほど精神的にも肉体的にもきつい仕事である。しかし、彼らにどんな重圧がかかろうとその根本的な原因は、少なくとも子どもたちにはない。親がいないのも、親に育てる能力も責任感もないのも、また障害を負っているとしてもそれは本来子どもたちが負う責任ではない。その意味からすれば、もっとも手厚く養護されてしかるべきなのが入所している子どもであり、普通の家庭の子どもたちと同等あるいはそれ以上の待遇であっていいはずだが、養護施設の実態は理想とかけ離れている。少なくとも当時はそうであった。
 国の基準や予算の制約から、子どもたちにしてあげたくてもできないことが施設には山積していた。私が取材した施設では、高校へ入学するときの支度金も世間の相場から見れば4分の1でしかなかった。住環境でいえば、中学生以上は二段ベッドを一部屋に三つ入れて暮らしていて、ベッド周りが唯一のプライベートな空間だった。
 こうした事実を含めて、いまこの原稿を書くため、当時話を聞かせてくれた女性職員の言葉を読み返してみると、胸が詰まってしまった。おそらくいまの施設でもそう変化はないだろう。いや、家庭の崩壊や虐待といった子どもをめぐる環境が決して優しくない社会のなかにあって、児童養護施設の役割は高まりこそすれ低下することはないのではないか。事実、当時減少すると予想された施設の数はここ増加傾向にある。
 以下、95年当時、12年間この施設で働いていたという彼女の話の一部を拙著「福祉のしごと」のなかから紹介したい。子どもたちの置かれた状況の本質がわかるのでそのまま引用する。
             ※     ※     ※
 以前は、養護施設っていうのは親のいない子がほとんどだったんですね。今は、両親がいても離婚して、親自身が自分の幸せを選んで子どもを施設に入れたり、この子がいるから再婚できないって預けたり、離婚したあと子どもがいると働けないからとか、多額の借金を抱えているから返済のため子どもをっていうのが、ほとんどです。
 自分が幸せになれば、子どもは邪魔だみたいな感じで入れるケースが多くなっています。それでも、定期的に面会に来てくれたり外出とかしてくれる親がいる子どもはどこかで親が自分のことを忘れずに思ってくれるっていう心の支えがあるので、そういう子の方が安定しているんです。
 親がいてもまったく子どもに会いに来ない場合もありますし、帰る場所のない子もいます。夏休みとか長期の休みの時に帰れる子はみんな帰るんです。お正月に残るのは五人ぐらいです。そういう子にどうして楽しい思いをさせてやろうか、どっかに連れていこうかとか、お年玉もらえないからあげようかと考えます。そういう時、卒園生がこの施設を家だと思って帰省してくるんですけれど、残された子どもの気持ちが分かるから、お年玉をあげたりしてくれるんです。やっぱり自分たちが帰れなかったという寂しい思い出があるからですね。
             ※     ※     ※
 子どもたちが親の身勝手、大人の身勝手によって、不条理な境遇や生活を余儀なくされていることがわかる。こうしたなかで素直に一生懸命生きようというのは大変なことだと誰もが想像できるはずである。しかし、そうした厳しい境遇にあっても、この言葉の最後にあるように、自分が出た施設を家だと思い、後輩たちに優しい心づかいをする"伊達直人"がいたわけである。
 今回の一連の寄付行為のなかにも、こうした辛い経験をしたからこそ優しい心をもつ、そんなタイガーマスクがいたのではないだろうか。

(編集部 川井 龍介)

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