風
 
 
 
 
 
 
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Series コラム
明日吹く風は 
NEW 10/10/31

第11回 いまだからこそ奄美を

風のように毎日が過ぎてゆく、あしたはどんな風が吹くだろうか。

加計呂麻島から海を挟んで奄美大島を眺める

 奄美大島が大水害に遭った様子をニュースで何度も目にして、ふだんあまりメディアに登場することがない地方が、たまにクローズアップされると、災害との関連だったりするのかと、やるせない気持ちがした。
 奄美諸島やトカラ列島は、昨年夏に皆既日食をみられる絶好の場所として取り上げられ少し話題になったが、そのほかは、奄美諸島の一つである徳之島が沖縄の普天間基地の移転先候補に挙げられ、島が揺れているといった話が出てくるくらいで、明るい話題は多くはない。しかし、何度か足を運んだ者として、決して派手ではないがしっとりとした味わいという奄美の魅力を、こんな時だからこそもっと知ってもらいたい。
 沖縄が太陽なら奄美は月のようなところがある。広い青空とビーチをイメージした大型のリゾートホテルが点在し、にぎやかな歌と踊りがわき起こる、その一方で基地の存在が独特の文化や風俗を生み出す沖縄。これに対して奄美は、島全体の緑が濃く、山が海に迫っていて光の中にも陰が多い。地味と言えば地味かも知れないが、その分穏やかで落ち着いた空気に包まれている。

 多くの唄者たちを生んだ美しく静かな島々

 規模からしても沖縄と比べればずいぶん小さく、観光地も比較的静かだ。また、奄美の島唄は、沖縄と似て非なるもので陰を帯びてもの悲しいところがある。労働の喜びをうたったもの、切ない別れや許されぬ仲をうたったものなど、そのテーマはさまざまだが、その一つにサトウキビを収穫する際の、辛い労働をうたったものがある。
 サトウキビが一大産業だった奄美は、長年薩摩藩の支配下にあって、搾り取るだけ搾り取るといった苛斂誅求によって苦しめられた。そのサトウキビによって得た収入が、薩摩藩の主財源となって、幕府に対抗するこの藩の力となった。このあたりのことは、『明治維新のカギは奄美の砂糖にあり 薩摩藩 隠された金脈』(大江 修造 著、アスキー新書)に詳しい。
 こうした奄美の島唄について教えてくれたのは、朝崎郁恵さんだった。朝崎さんは、奄美大島に接し、ほとんど同島と一体となっている加計呂麻島の出身で、70歳を超えたいまでも東京を中心に全国各地でコンサート活動をつづけている。
 奄美の島唄にあるグインと呼ばれる独特の"コブシ"をきかせ、かつ揺らぎのあるやさしい唄は、島唄ファンだけでなく、細野晴臣氏など個性的な音楽家の間からも多くの支持を得ている。音楽活動の幅も広く、津軽三味線やアイヌ音楽といった同じ伝統音楽をはじめ、ポップスやジャズ、ワールドミュージックの担い手たちとの共演も多い。
 加計呂麻島は、奄美大島の古仁屋から船で約15分、大島海峡の向こうののんびりとした島で、自然がつくる音以外にはあまり余計な音がしない。戦時中、作家の島尾敏雄氏が震洋という小さな船をつかった特攻隊の隊長として赴任していた島でもある。ここでの体験は、彼のいわば原点ともいえるもので、「出発は遂に訪れず」という作品などに反映されている。また、加計呂麻島や奄美大島については、同氏が多くのエッセイやノンフィクションで著している。
 この島の形状について同氏が「虫に食われた枯葉」といった表現をしていたと記憶しているが、島の周囲は細かく小さな入り江がいくつもあり、そこに集落が張りついている。かつては、集落間の移動は陸路より船での行き来が容易だったろうと想像できる。

加計呂麻島の徳浜

 こうした集落の一つにある徳浜という浜で、静かにひたひたと波が打ち寄せる渚に録音マイクを立てて、朝崎さんはかつてレコーディングをしたことがある。その現場に私は居合わせたのだが、潮騒の音がほどよく聞こえ、砂浜の後ろで近所の犬が散歩をしていたりと、なんとものどかな光景のなかで、朝崎さんは海に向かって歌ったものだった。
 加計呂麻島も奄美大島も、朝崎さんをはじめ多くの唄者や歌手を生んでいる。島唄の歌い方をもとにしながらポップスで一躍有名になった、元ちとせさんは代表格だろう。また、最近では日本だけでなくアジアで人気を博している歌手に中孝介さんがいる。
 端正な顔立ちと、やはり島唄の発声をベースにした突き抜けるような声の清々しさが印象的な彼は、まだメジャーになる前に、朝崎さんのコンサートで三味線を弾いていたのを覚えている。その後、ルックスと歌唱力を買われて、歌手として独立してCDをリリースするが、彼の後押しをしたのが、地元で音楽やラジオを通して地域興しを熱心に手がける麓(ふもと)健吾さんである。

 やさしい自然と音楽に満たされながら

 麓さんは、奄美大島の中心になる奄美市名瀬でASIVI(アシビ)というライブハウスを1998年から経営している。そこで私が朝崎さんや沖縄から来ていた大工哲弘さんらのステージを見たのは、数年前のことだが、広く見渡せるステージと落ち着いた店内は、バーとしてもリラックスできる空気がある。
 ここでは、島唄をはじめポップスなどさまざまなショウが繰り広げられる。同じ奄美諸島の与論島には、田畑哲彦さんが率いる、「かりゆしバンド」の本拠地である民謡酒場かりゆしという、地元のライブハウスがあるが、こうした地方独自の音楽ライブにひたり、酒と料理を楽しめる店は、旅情を深めるにはもってこいでありがたい限りだ。
 私が麓さんに出会ったころ、彼は地域興しのさらなる一環としてNPOを立ち上げ、FMラジオ局を計画していると語っていた。それが実現して、音楽を通じて地域の活性化につながるだけでなく、まさかの時の力になったことは今回の災害で奇しくも広く知られるようになった。
 このラジオは、コミュニティーラジオ放送局「あまみエフエム ディ!ウェイヴ」といい、災害で島内の交通が遮断され、電話がまったく通じないなかで、島民の情報源として活躍し、また、励ましの言葉を伝えることで被災者の心を慰めた。ラジオを通じて、家族が安否を確認できたり、リスナーから寄せられた災害情報を多くの人に伝えることができたという。
 阪神・淡路大震災時もそうだったが、災害時に地元のラジオのもつ役割は大きい。あのとき、Kiss-FM KOBEという兵庫県のFM局が、心身ともに消耗し尽くした被災者に情報を伝え、傷んだ心を慰める音楽を流しつづけた。リスナーから寄せられた便りをまとめた"文集"を読んだことがあるが、いかにラジオで救われたかといった声は多かった。
 奄美の話に戻れば、マングローブが茂る濃く潤いある緑と加計呂麻島にあるような穏やかな海は、肩の力が抜けるようなやさしさがある。また、酒好きにはサトウキビからつくる黒糖焼酎も捨てがたいだろう。地元のサトウキビをつかったラム酒も今では登場している。
 塩のきいた島らっきょうをつまみ、月でも眺めながら杯を傾ける。もちろん島唄もきける。サーフィンをするならいいスポットが島に広がる。災害を機に観光客のキャンセルが相次いだと聞いたが、逆にこういう時だからこそ、応援の意味も込めて奄美の魅力を掘り下げてみてはいかがだろうか。
(編集部 川井 龍介)

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