風
 
 
 
 
 
 
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Series コラム
明日吹く風は 
NEW 10/09/15

第8回 なんとかなんないか、「~させていただく」

風のように毎日が過ぎてゆく、あしたはどんな風が吹くだろうか。

 すでに、本誌の別のコラムで何度か触れたが、あまりにも目に余るというか、耳に触るといった方がいいのか、気になることがあるので改めて問題にしたい。なにかといえば、「~させていただく」である。テレビのアナウンサーもタレントも政治家も学者も、やたらと「~させていただく」という言葉を使うが、これがどうもおかしい。
 本来は、相手に対して尊敬の気持ちをもって、許可を得る場合にこう言い表す。たとえば、知人宅に泊まり、知人から「どうぞお風呂に入ってください」と言われたとき、「それでは、お言葉に甘えて先に入らせていただきます」などと言う。あるいは、結婚するカップルが披露宴の打ち合わせで、司会者については式場に任せますと言ったときに、式場の担当者が「では、司会者についてはこちらで手配させていただきます」といった具合に使われる。
 それぞれ状況に応じて、明らかに話し手が先方に敬意を表して、自分の行為について許可を得ている。こうしたコミュニケーションのなかで状況に合わせて無理なく使われる「~させていただく」は、自然に聞き流せるし、敬語としても適当だ。
 しかしだ、昨今の「~させていただく」は、常軌を逸しているといっていい。結論から言えば、とにかく「~させていただきます」と言っておけば、ていねいになる、あるいはそう言わないと無礼にあたると思っているのだろうか、なんでもかんでもこれをつける。
 先日、あるフォーラムに出席した。文系の研究者などの集まりなのだが、そこで発表する人たちがあまりに「~させていただく」を使うのでそちらの方が気になってメモしてしまった。きわめつけは、一人の学者が、ある問題についてはここでは触れないという趣旨で「ここでは触れさせていただかないことにしたい」と言ったのだ。なんだろ、この言い方。明らかに「~させていただく」をどうしても使わなくてはいけないという気持ちがあるからこんな妙な言い回しになってしまったのだ。
 鳩山前首相が、「友愛政治を高らかに宣言させていただく」と、もってまわった妙な言い方をしたのは首相就任演説のときである。堂々と「宣言します」といってなんら問題がないところである。次の首相の菅氏も、この「~させていただく」をよく使う。以前、代表選に関して「私が再選させていただければ~」というようなことを言っていた。もちろん本人は、「自分がみなさんのおかげで再選されれば~」と言いたかったはずだ。
 しかし、「再選する」とは、同じ人をつづけて選ぶことであり、代表選について言えば、菅氏は選ばれる側で、選ぶのは菅氏以外の周りの人である。であれば、「再選させていただき」は、菅氏が推す誰か別の人を(菅氏が)再選させてもらったということになる。もちろん誰もそんな誤解はしないが、変な言い方には違いない。これも無理に「~させていただく」を使うからこういうことになる。
 民主党の代表に再選されたあとでも、菅氏は「周りの意見を聞かせていただく」など「~させていただく」を何度か使っていた。意味としておかしくはないが「意見をうかがう」といったように言い方はいくらでもあるし、「みなさんの意見を聞いて」と表現全体としてていねいな感じを表せばまったく問題ない。
 また、一国のリーダーが、このさせていただくを多用するのは、自信のなさともとられ歯がゆい感じがし、また、権力者が発する言葉だけに慇懃無礼ととられることもある。菅氏の場合、首相になる前あるいは野党時代には、視線も物言いもまっすぐだったのと比べ、権力の座についたとたんに周囲の顔色をうかがうような言動をテレビや新聞を通じて見ているからなおさらそう思う。

 社会の歪みを反映

 ていねいにしようとしているのだからいいではないか、という意見もあるだろうが、そうはいかない。なぜなら、この「~させていだく」の多用は、昨今の社会の歪みを反映しているからである。
 それは、一つには日本語の語彙や表現力の乏しさである。二つ目は、過剰に相手に気を遣うといった不自然なコミュニケーションだ。これと関係して三つ目として、批判やクレームの蔓延とそれに対する商業主義がある。
 一つ目に関しては、先に挙げたように、「聞く」や「尋ねる」なら「うかがう」、「行く」なら「おじゃまする」といったように、ていねいな言葉で言い換えられるのにそれを使わないから、「聞かせていただく」とか「行かせていただく」といったようなことになる。
 同じような表現にここ数年やたらと使われる「大丈夫」がある。例えば、コンビニで細かいお金を持ち合わせていないときに、お客が「一万円で、大丈夫ですか」などと言う。コンビニの店員も袋が必要ですか、という意味で「ビニール袋は、大丈夫ですか」などきいてくる。また、先日、宿泊先のホテルで「この周辺の地図はありますか」ときいたら、フロントの女性が「これで、大丈夫ですか」と紙片を差し出した。
「一万円が使えますか」とか「袋はお使いになりますか」とか、「この地図でお役にたちますか」あるいはせめて「これでよろしいですか」という言い方もあるのだが・・・。
 過剰なへりくだりや気遣い、そして商業主義という点との関係では、よく例としてあげられるのが、芸能人がいう「映画に出させていただきました」とか、スポーツ選手の「賞を取らせていただきました」などがある。周りがみなそう言っているから使っているのだろうが、テレビに出る人の影響力は強いから、これを見た(聞いた)若い人にもこの表現が伝播してしまうのだろう。
 映画に出るのにも、賞を取るにも許可はいらない。タレントがスポンサーや関係者などへの配慮からこう言っているとしたら、それは商売っぽくていやらしい。さらに、先ほどの首相の例ともあわせて思うのだが、この言葉は主体性が欠如しているところも大いに気になる。
 ただ、「~させていただく」を使っている人ばかりを責める訳にはいかない。会社や学校で使うように言われていることもあるからだ。
 あるとき、自宅にいると若いセールスマンがやってきてこう言った。「いま、○○についてお話しさせていただこうと、こちらのあたりを回らせていただいているんですが・・・」。上から言われているのか、ふつうに歩くのにもこんな言い方をしなければいけないのかと、このときは、なんだか気の毒にすら思えてきた。

 結局、逆効果に

 この「させていただく」についての過剰な使用は、日本語の専門家なども再三にわたって指摘しているのだが、いっこうに収まる傾向にない。では、一般の人はどう思っているのだろうかというと、つい先日、朝日新聞で読者アンケートにもとづく「~させていただく」の是非論が大きく載っていた。
 これによると、「~させていただく」を「変だ」という人が19%で、「どちからといえば変だ」が36%。これに対して「どちらかといえば変じゃない」が29%で、「変じゃない」は16%という結果だった。
 先に記したように、使い方によって、変ではないこともあるし変なこともあるから、質問の仕方も難しいが、変じゃないという人が多いのは、やはり変だ。「変じゃない」理由として挙げられているのは、多い順にみると「ていねい」、「使い慣れている」、「言い換えようがない」、「誠実な感じがする」となっている。
  この記事の中では、具体的な読者の体験談も紹介されている。「変だ」という人のなかでは、ハウスメーカーのモデルハウスに見学に行った39歳の女性の体験談がおかしかった。彼女は住宅を購入しようと考えていたのだが、応対した40代の男性は「~させていただく」を連発する。そして、彼女が「このへんは朝渋滞しますか」と尋ねたところ、男性は「朝はかなり渋滞させていただきます」と答えた。これで、彼女はこのメーカーでは家を建てないと決めたという。「~させていただく」さえつければ敬語だと思っている安直さに気持ちが切れたそうだ。
 本人が、使い慣れているからといって、あるいはていねいだと思っていても、相手は誠実とは思わない。結局、逆効果ということである。推測するに、応対した男性は、渋滞するという、住宅の立地にとってはマイナスのポイントになるところをなんとかカバーしようとして、本人が思うところのていねいな表現にしたので、こんなへんてこなことになってしまったのだろう。
「朝はかなり渋滞するようです」と正直に言って、「しかし、買い物にはとても便利です」などとプラスのポイントを探してくる応用力がなかったのかもしれない。安易な言い方ではなく、ものの表現はトータルに考えて、あれこれ言い表す力があれば、この「させていただく」に頼る必要はないはずだ。
 言葉は生き物だし、時代とともに変化もする。文法的におかしくてもそれが慣用化されることはいくらでもある。若い人の流行語もそれはそれでいい。しかし、この「~させていただく」だけは、“社会の鏡”であるだけに見過ごせない。
 ウィルスのように蔓延するこの「させていただく」の乱用を、日本語のため、そして日本社会のためにも撲滅したいと願う今日この頃である。
(編集部 川井 龍介)

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