風
 
 
 
 
 
 
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Series コラム
明日吹く風は 
10/09/03

第7回 猛暑のなかの自画像

風のように毎日が過ぎてゆく、あしたはどんな風が吹くだろうか。

 9月に入ってもうんざりする暑さがつづくが、これに輪をかけるように政治をめぐる連日の報道には、顔をしかめたくなるし気分も萎えてくる。民主党の代表選は事実上、日本の総理を決めることになるわけだから、ビッグイベントであり、注目しなくてはいけない。しかし、ここに至る過程につきあってきた国民としては、なんだかできの悪いシナリオのサスペンスドラマを見ているような気分にならないか。
 小沢一郎前幹事長が出馬を表明したその日、日経平均株価は年初来の安値を更新した。若者をはじめとする就職難は恒常化しつつある一方で、働く現場では生き残りのために労働関係の法や人権が無視され、人々の生活は不安定になっている。社会問題に目を移せば、所在不明の高齢者や相変わらず子供の虐待がつづく。政権当初からの課題である、八ッ場ダムの建設も普天間基地の移設も未解決で、拉致問題は膠着状態のままだ。関係者にとってみれば、またここで足踏みかと歯がゆくてしかたないだろう。

 いったい誰のための政権交代だったのか?

 振り返れば、1年前の総選挙で圧勝した民主党だったが、政権を担った鳩山由紀夫首相は、政権の後半からは、普天間基地の移設問題で「退陣」の気配が漂い、結局、同様に政治と金の問題を抱える小沢幹事長とともに職を退き、菅直人氏を首相とする新内閣が誕生した。
 これで支持率を急回復したものの、民主党は参院選では国民の支持を得られなかった。消費税の引き上げを表明したことが、安易な決定ととられたことが敗因だとされた。しかし、それ以前の鳩山政権の迷走ぶりに、有権者はすでに民主党に対する当初の期待を裏切られたという思いがあったからに違いない。
 その証拠に、消費税の引き上げについては、その是非はともかくとして、消極的ながら容認する雰囲気が参院選前後から世論に少なからずあった。むしろ、菅首相が自民党案の尻馬に乗って、周囲の反応を窺うような形で増税をもちだしたところに有権者は反発したのではないか。加えて党内宥和や野党対策についての統治能力の低さも見えてしまった。
 そこで、本来なら党を挙げて政権基盤の強化を図るところを、選挙での敗北を機にここぞとばかりに小沢派が反撃を始め、代表選と重なって党内が割れる。寄り合い所帯である民主党の組織としての脆さが露呈してしまった。するとどうしたことか、いったんは政界からの引退を表明した鳩山前首相が、小沢氏支持を基本としながら"トロイカ体制"による挙党一致を提唱し、対決を回避しようと動いた。しかし、それも失敗、結局代表選が行われることになった。
 この間、鳩山氏は小沢氏について「自分を総理にしてくれた恩があるので恩返しをしたい」と発言。首相という"公職中の公職"に就いていた人間が国の行く末を左右する事態に、個人的な恩義を優先して対処する姿勢を平然と示す。開いた口がふさがらないとはこのことで、こうした発言をする人を過去に国のリーダーとして担いだことに恥ずかしさを覚えるほどだった。

 この鳩山氏の言動は、当然各方面から顰蹙を買ったが、不思議なのは民主党内からこれに対して健全な批判がほとんど出てこないことである。また、世論調査を見てもわかるように、国民は小沢氏に対して総じて批判的である。政治資金の問題が未解決のままだからである。しかし、民主党内には相当数の小沢氏支持があるというのだから世論とはずいぶん乖離しているものだ。
 世論がどうであろうと、政治理念などより議席を守ることを優先するのか、派閥やグループの力学に従って動くように見える現在の民主党内の政治家の動きは、かつての自民党政治を思い出させるばかりだ。昨秋、国民が政権交代を実現させた主因は、なにもマニフェスト(選挙公約)を比較して民主党を選んだからではない。それは高速道路の無料化や子供手当の是非についてのその後の世論の反応を見ればわかる。長期にわたり与党の座にあり制度疲労をおこしていた自民党の政治にうんざりしたからにほかならない。だから、民主党政権が多少ごたごたしても簡単には自民党支持に回帰しないのだ。

 民主党の姿と重なるメディアの無責任

 冷静に考えれば、鳩山氏も小沢氏も、政党をつくったり強化した実績はあったものの、政策面で具体的な成果を政治家として上げてきたのか。小沢氏についていえば、本人の言葉が少なく曖昧である一方で、「いま小沢さんはきっとこう考えているだろう」などと、彼の心中を斟酌したり想像をたくましくしてつくられた物語があれこれメディアによって報じられてきた。
 もう、こうしたとらえ方や報道はいい加減やめたらどうだろう。政治家は言葉と実績で判断すればいいではないか。権力者の動向を微に入り細に入り報告する代わりに、社会保障にしても経済にしても、現場でいま何が起きて、何が必要とされているかを報告し事実を突きつけ、国民に何が問題かを提示して、それにどう政治家が応えるべきかを促すのもメディアの役割だろう。メディアが人々に何かを押しつけてはいけないが、少なからず「啓蒙」という重要な役割があるはずだ。
 インターネットだ、ツィッターだと、報道する「方法」ばかりの目新しさが話題になる一方で、「なぜ」あるいは「どういう姿勢で」報道するかという哲学や姿勢が見失われてはいないか。それは権力奪取が先行して、ビジョンが見えてこないいまの政治と表裏一体となって見えてくる。
 こうしたことが一つの原因なのか、これだけ連日政治の動向がメディアで語られ、人々の関心も集まっているように見えても、その実態は、約58%という先の参院選の投票率に表れている。どの政党が勝っても大差ないと思っているのか無関心なのか、半数近くが投票しないのだ。
 将来有権者になるいまの子供たちや青少年は、一連の混乱した政治ニュースをどうとらえ、どんな印象をもってしまうのかと思うと少々心配になる。現実の政治のドロドロした実態だけでなく、あるべき政治や政治家の姿を若い人たちに教えないと、日本社会の劣化は止まらないのではないかと危惧する。
 時の政治や政権は、戦後の自民党政権時代がそうであったように、良くも悪くも国民の自画像である。いま、混乱してとりとめがなくなっているわれわれの自画像を一日も早くすっきりとした形にしたいものだ。
(編集部 川井 龍介)

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