風
 
 
 
 
 
 
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Series コラム
明日吹く風は 
NEW 10/06/03

第2回 首相に終わりはあっても基地に終わりはない

風のように毎日が過ぎてゆく、あしたはどんな風が吹くだろうか。

「戦争のときもそうだったし、沖縄はまたトカゲのしっぽ切りのように扱われる」
 鳩山首相が辞任を表明したあと、ある沖縄の人が政府に対する不信感をこう言い表した。抑止力のために沖縄に半永久的に負担を強いる。その抑止力に大きな価値があると思っているのは、日本であり沖縄ではない、ということをこの言葉は意味している。日本のためにまず捨て石になる、「トカゲのしっぽ切り」とはその比喩である。
 6月2日の両院議員総会での辞任表明で、鳩山首相は、話が普天間と沖縄に及んだとき、目を赤くし涙を浮かべた。それほどこの問題は辞任を決める大きな要因だったのだろう。歴史的な政権交代を実現させて、官僚任せではなく、国民が主役の政治へ、という理想を掲げて政権をになってきたこと、その理念が子供手当の支給や農家への所得補償などといった成果で示せたことを誇らしげに語った。
 しかし、政治とカネの問題、そして普天間飛行場の移設問題の二点で、国民の理解を得られず、これが主因で辞任に至ったことを正直に話し、自らの不徳のいたすところと述べた。そして自分が職を辞すと同時に、小沢幹事長にも辞めてもらうことにしたと、クリーンな政治を目指す決意を示した。
 テレビに映し出された辞任表明について、ニュース番組に登場する識者からは、これまでの鳩山首相の発言、演説のなかでは最高のものだった、あるいは感動したというコメントが目立った。たしかに言葉だけを聞けば、首相の姿勢には、理想を目指したが挫折し泣く泣く職を辞すという潔さも感じられる。
 しかし、情に流されてはいけない。一般のまちの人の反応の方が冷静だ。街頭の言葉には、「しょうがないんじゃない」といったクールな反応が目立った。また、沖縄の人たちの反応はクールどころかかなり厳しい。このまま普天間の辺野古への移設を固定化してしまうようなことになったらどうするのか。なにも解決していないではないか、といった不満や、やるせなさが聞こえてきた。
 冷静にみれば、首相が辞めても沖縄の基地問題については、現地の人にとってはなんの展望も開けていない。それどころか、沖縄県民の多くが心配するように、これで一件落着という印象を全国的に与えかねない。

 鳩山首相の発言を振り返れば、その要旨は、「沖縄の基地をできるだけ沖縄外に移す努力をしてきた。しかし、北朝鮮による韓国の哨戒艦撃沈などによる北東アジアの安全保障を考えると、日米の信頼関係を保つことが不可欠である。そのためには残念ながら沖縄に負担をかけざるを得ない」である。
 これは自民党政権がとってきた姿勢となんら変わりはない。まさか、県外移設への努力だけは認めてほしいということではなかろう。また、努力というのなら、これほど重要な決定を自ら期限を区切ったなかで、どれだけの議論をアメリカとしてきたというのか。国民の前には見えてこなかった。具体的にいえば、沖縄だけに基地がこれだけ集中することと抑止力との関係はどうなっているのか、他の場所に移すとどれだけどう違うのか、グァムやテニアンにはどうして移設できないのかなど、ははっきりと説明されていない。
 そして、なにより普天間飛行場移設問題の根幹にある日米安保体制との関係を首相はどうしたいのか、といった点がはっきりしなかった。発言のなかで首相は、日本の平和は米国に依存し続けずに、日本人自身で作り上げて行かなくてはいけないという希望も語っている。だとすればなおさら、まず安全保障のビジョンを構築し、国民に説明した上で普天間の問題も計画すべきだった。
「十数年前に沖縄に来たとき、鳩山さんは、(米軍の)駐留なき安保論ということを言っていた。そのときは、あーこういう考えもあるな、と思いました。やはり、基地問題にケリをつけるには日米安保の問題までいかないとだめです」
 首相の発言を聞いて、元沖縄市平和文化振興課課長の今郁義さんは、冷静に見る。長年、基地の町と知られる沖縄市で、基地対策などに関わってきた今さんは、普天間飛行場の移設をめぐる一連の出来事が、沖縄の基地問題を全国的な課題にしたことについては、「ようやく本土の人も自分の問題として考えてくれたか」という気持ちがあった。
 それもつかの間、いまさらながら「抑止力」を持ち出しての鳩山首相の最終決定には納得がいかない。しかしその一方で、これで終わりにはならずもう一度、基地を県外へ移すことへの期待を抱いている。
「アメリカの圧力はすごく大きいんだなあって思いました」。そう語るのは、那覇市で島唄カフェを営むかたわら沖縄民謡を研究する小浜司さんだ。第二次大戦では唯一日本で地上戦を繰り広げた沖縄だが、このとき本土防衛の防波堤になったことから、冒頭で紹介したように「また沖縄はトカゲのしっぽ切りのように扱われる」と、小浜さんは日本の国への不信感を表した。
 繰り返しになるが、抑止力のために沖縄に半永久的に負担を強いる。その抑止力をもっとも価値あるものだと思っているのは、日本であり、沖縄ではないということを小浜さんは言っている。こうした状況から、小浜さんは「沖縄の独立の機運は高まった」とまで言う。
 かつて琉球独立を提唱した人のなかに、ルポライターの竹中労氏(故人)がいたが、小浜さんはかつて竹中氏の仕事をサポートしていたことがある。 

               ※     ※     ※

 沖縄の基地には、イラクやアフガニスタンで任務に就くアメリカ兵もいる。彼らの仕事は生死をかけたものであり、当然精神的にも緊張と不安のなか沖縄で過ごすことになる。その不安を軽減しようと、ときには基地外へ出て酒を飲めば女性とも遊ぶ。基地があるということは、兵器との共存だけでなくそういった緊張した生身の人間と背中合わせで暮らすことでもある。
 一昨年、私はロサンゼルスのリトル東京にある日本人が経営するバーで、アフガニスタンとイラクを経験した日系人のアメリカ兵士と話す機会があったが、彼はイラクの市街での勤務がいかに怖かったかを話してくれた。そうした人たちにとっては、基地問題などに考えが及ばなくても仕方ないだろう。
 今回の首相辞任で思い出すのは、国民の大きな期待のなかで1993年に連立内閣を組んだものの、1年足らずであっさり退陣した細川護煕元首相だ。その後、陶芸などを嗜み、趣味人としての隠遁生活をされているようだが、首相を辞め議員を辞めてももちろん生活には困らず自由に生きられるのは、細川氏も鳩山首相も同じだろう。理想を掲げて、挫折し去るのもいいだろう。が、沖縄の基地と、その周辺の暮らしは沖縄の人にとってはこれからも続く。
 辺野古へ新たな飛行場をつくるということは、また海を埋め立て、少なくとも数十年は固定するということである。沖縄県民はこれとまた共存しなくてはいけない。「抑止力のため」「外国からの脅威から守るため」という名目で、国は何十年と沖縄に負担を強いてきた。それで沖縄以外の日本人は安心してきたのかも知れない。だが、沖縄の人は不安と息苦しさのなかに身を置いてきた。
 ダム問題でも同じだ。都市の利水、治水のために水源は泣いてくれといわんばかりにダム行政は長い間つづいた。こうした図式は明らかに不公正ではないか。基地の問題に戻れば、仮に沖縄を盾にして平和や安全を得られたとしても、同胞を泣かせた上で得られる平和や安全など恥ずかしく、居心地が悪いだけだ。
(編集部 川井 龍介)

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