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Series Around the World
世界10大気持ちいい 横井 弘海
05/12/31

第13回 米国・バージニアの「温泉」

世界の観光スポットや娯楽についての情報は、いまやさまざまなかたちで手に入れることができる。しかし、それでもまだまだ知られざる「楽しみ」がある。 場所、季節、食べ物、人間、そして旅の技術・・・。世界約50ヵ国を旅してきた横井弘海氏が「気持ちいい」をキーワードに、女性の視点からとっておきのやすらぎのポイントを紹介する。

米国の温泉はゴージャス!?

「米国にも温泉があるのよ。行ってみない?」
 と、ある日、ワシントンD.C.在住の友人から電話がかかってきた。
「アメリカの温泉? イメージがあまり浮かばない」
「あのビル・クリントン元大統領の出身地もアーカンソー州のHot Springs(ホットスプリングス)よ」
 なるほど、日本語に訳せばまさに「温泉」で、実際、その町は温泉が出るらしい。
 友人の勧める場所はアーカンソーではなくて、D.C.の隣のバージニア州にある「温泉(Hot Springs)」。地図で場所を確かめると、バージニアとウェストバージニアを隔てるアルゲニー山脈の北に“Hot Springs”の文字があった。“Warm Springs Valley”“Healing Springs”など、“Springs”のつく地名が周囲にいくつもある。温泉や鉱泉がコンコンと湧き出る土地なのだろうか。しかも、このあたりは「Bath County(郡)」に入るという。「Bath? お風呂?」と想像しているうちに、だんだん興味が湧いてきた。さらに、そもそもインディアンが聖地として大切にしていた場所と聞き、友人の誘いに乗ることにした。

「ザ・ホームステッド」遠景
(ザ・ホームステッド提供)

 日本から東海岸のワシントンD.C.までは空路で約12時間。まずは友人宅に腰を落ち着けてから、予約してくれたホテルのホームページを見て、ちょっと驚いた。それは、私が想像していた鄙びた温泉とは全然違っていて、歴代の米国大統領が22人もやってきたという由緒正しきリゾートだったからだ。「ザ・ホームステッド」といって、米国ではすごく有名なのだとか。行き方の案内には、「自家用ジェットのお客様はBath County Airportから・・・」という記述まである。
 写真を見ると、深い森と山を背負うように、りっぱな赤レンガ造りの館が建っていた。その名も「タワー」という塔を中心にして、白い窓枠が規則正しく並ぶ5階建ての建物が左右に広がる。ヨーロッパの建造物のように長い歴史を感じさせるほどの古めかしさはないが、成金趣味のけばけばしさもない。落ち着いていて、しかもゴージャスな印象だ。ホームページには、リゾートの歴史が年表形式でうやうやしく書いてあったり、優れたリゾート地やスパに与えられる賞の受賞履歴がずらりと並んでいたりして、「スゴーイ、こんなところに行くの?」と期待が高まった。米国まで温泉に入りに来たのだから、せっかくならこのくらい格のある方が出かける甲斐があるというものだ。
「昼間はゴルフをしたり、温泉やスパに行ったり、ハイキングをしたり、気ままに過ごせばいいけれど、夜になると、宿泊客は皆正装して、夕食後はダンスを踊るらしい。きれいな格好をしていかないと、レストランのウェイターが客としてきちんと扱ってくれないそうよ」
 と、友人はうれしそうにドレスをバッグに詰めている。“お風呂セット”だけ持っていけばと気楽に考えていたので、急遽、D.C.のデパートに出かけてドレスを探した。米国の洋服店には、パーティーのための可愛いドレスが沢山ある。露出が大きすぎたり、私の体型に合わなかったり、実際に着られそうなものは限られていたが、それでも選ぶのが楽しい。「これを着て一体、誰とダンスを踊るのだろうか・・・」「日本ではいくら高級リゾートでも、夜、正装して食事やダンスをするところなんて聞いたこともない。こんな機会はないだろうから、思いっきり派手にしよう」「いや、帰っても着られるものにしようか」など、いろいろ考えながら、最終的に日本ではまず着ないような背中の大きく開いたドレスを買ってしまった。

巨大リゾート「ザ・ホームステッド」

バージニアの山並み

 ホームステッドのあるバージニア州の面積は10万5586平方キロ、日本の約4分の1もある。友人宅の目と鼻の先にあるアーリントンはアーリントン墓地で有名な町で、ここもバージニアだがまったくの都会だ。これから行く場所と同じ州にあるとは思えない。「アメリカは広いなぁ」と感じながら、ドライブの道程をチェックした。目指す温泉は、ワシントンD.C.からさらに車で北西に4時間走った山の中にある。
 車社会、米国の道路は表示がわかりやすく、その場所を知らなくても、行き方の順序に沿ったルート番号さえ控えて、その指示に従えば、まず間違えることなく目的地に運んでくれる。例えばホームステッドまでの道順は“I-66 west to I-81, I-81 south to Exit 240・・・”というように記してある。これは「I-66の道路を西へ走り、I-81に入ったら南へ走って240番出口で降りる・・・」という意味になる。“I”とはInterstate Highwayの略で、どこも最低片側2車線はある立派な州間高速自動車道だ。
 ハイウェイは車線が広く、ドライブは快適だ。周りには木々が多くて、自然の豊かさを感じる。一般道に出ると、小奇麗な家並みがところどころに見えてくる。映画に出てくるような、公道と敷地の間に門や塀などの区切りがない家もたくさんある。道路の脇からいきなり庭が広がり、奥の玄関の前にはブランコが置かれていたりする。米国は犯罪の多い国といわれるが、地方に行けば、なんとものんびりした平和な眺めを目にすることもできる。
 4時間はあっという間に過ぎ、私たちは周りをなだらかな山並みに囲まれた「温泉」に到着した。

美しく整備されたゴルフコース
(ザ・ホームステッド提供)

「ザ・ホームステッド」のあるホットスプリングスは山の中の小さな町だ。最初に「ザ・ホームステッド」がオープンし、少しずつ店なども増えていったのだろう。ホームページの写真では規模まではわからなかったが、このリゾートは本当に巨大だ。ゴルフ場が3つ、プール、テニスコートをはじめとするさまざまなスポーツ・リクリエーション施設に加えて、スパ、劇場、ショッピングセンター、1000人を収容できるホール。冬にはスケートリンクやスキー場もオープンする。ガイドさんが連れて行ってくれる2時間程度の散歩道もこのリゾートの所有地内にあるという。わざわざ町に出て行かなくても、観光客はリゾートの中で、たいていの用事を済ますことができる。

 ホテルの車寄せに着くと、ベルボーイがにこやかな笑顔を浮かべながら、さっと寄ってきて、荷物を専用のカートに載せてくれた。
 ロビーは天井が高く、宿泊客全員が座れるのではないかと思うほど、ソファのセットがずらりと置かれていた。建物の中に入って、あらためてその大きさと広さに圧倒され、しばし呆然としてしまった。
 フロントデスクには「フロント」「キャッシャー」のような表示はなく、まだ20代かと思える若い男女のスタッフが次から次にチェックインする宿泊客にキビキビと対応している。毎年来ているような感じの家族連れやカップルは笑顔で冗談を交えながら、スタッフと会話を弾ませている。客はほとんど欧米人でアジア系の顔は見かけない。リゾート用の軽装をしているが、こぎれいで、たいていの人は小麦色に焼けた肌が印象的だ。
「いかにもアメリカのお金持ち専用のリゾートって感じ。英語ができないと緊張しそう・・・」
 と、まだ雰囲気に溶け込めていない私が友人にポツリと漏らすと、
「そんなことないわよ。私たちは客なのだから、好きなように振舞って、エンジョイすればいいの」
 と、米国に住んでいる彼女は全然意に返していない様子だった。
 確かに、スタッフは皆フレンドリーで、下手な英語でも一生懸命聞いて、感じよく答えてくれる。バージニアを含む“米国南部”では「サザン・ホスピタリティ」という表現がよく使われるけれど、客へのスタッフの対応には、こちらの気分を和ませてくれる温かさがあった。だんだんに私の緊張もほぐれ、「考えてみれば私は外国人なのだし、わからないことはわからないと言って、後は普段どおりにしていればいいのかなぁ」と思えるようになってきた。

ドレスアップしてメインダイニングへ

シックなメインダイニング
(ザ・ホームステッド提供)

 初日のメインイベントは、わざわざワシントンD.C.で買ったドレスを着て夕食に行くことだった。レストランの数は多く、カジュアルなものもフォーマルなものも様々あったが、夕食時には男性はジャケットとタイを着用しなければならないというメインダイニングに予約を入れた。準備にゆっくり時間をかけられるように少し遅めの夕食にした。
 カップルで来たわけでも新たな出逢いを望んでいるわけでもないが、これから未知のレストランに出かけるというだけでワクワクするのは、女性だけだろうか。そこに行くためだけに、一生懸命化粧をしたり、新しいドレスに身を包んだり、その姿を鏡に映したりするということがものすごく楽しかった。
 大きな窓が印象的なメインダイニングは、ここもまた何百人も座れそうな広さで、中央にはダンスを踊るための板張りの四角いスペースがあり、その奥でブラックタイに黒のジャケットといういでたちの男性ばかりで構成された生バンドが、静かな音楽を奏でていた。ダンスフロアを取り囲むように、幾重にもテーブルが並べられ、さらに窓際にも席が用意されている。テーブルの上でゆらゆらとローソクの火が揺らめいているのがロマンチックだった。
「ご案内致します」と、体格のよいウェイターが連れてきてくれた席は、ダンスフロアからは少し離れた場所だった。よく見ると、比較的カジュアルな装いの客、数は少ないが女性どうしの客は後ろの方に案内されている。あまり若い年齢の客はいなかったが、カップルでバッチリ決めた人たちは上席に座っているように見えた。前々から予約をしていたのかもしれないし、あるいは、レストランの顔なじみなのかもしれない。別にどこに腰掛けてもいいのだけれど、なんとなくうらやましかった。「いい席に案内してもらうには、きれいな格好だけでは足りないのね。次はかっこいい男の人と来ないとね」と笑った。
 料理は盛り付けも洗練されていた。私はメインディッシュにラム肉の炭火焼きを頼んだ。目の前に運ばれてきた肉は厚みがあり、かなりのボリュームだったが、ミディアムレアの焼き加減も絶妙で、ぺろりと平らげてしまった。美味しい料理に赤ワインも進む。ゆっくり食事を続けるうちに、ダンスタイムが自然発生的に始まった。皆、カップルで体を揺らす程度に踊っている。おしゃれをした60〜70歳くらいのカップルが手に手を取って仲むつまじく踊っている姿はいいなぁと思った。
 結局、私たちは踊りはしなかったが、お酒も入り、ゴージャスな気分に浸って、部屋への帰り道に館内を散歩してみた。その途中、有名人や政治家がここに来たときに撮影した写真が所狭しと飾ってある一角を見つけた。歴代大統領が来ているとホームページに書いてあったが、クリントンやレーガン元大統領の顔も見つけた。ほとんど西洋人ばかりだった中にただ一人、重光葵元外務大臣の姿があった。戦中から1955年まで何度か外務大臣を務め、45年8月に成立した東久邇宮内閣のときは、戦艦ミズーリで首席全権として降伏文書に署名したことで知られている人物である。訪問がいつのことだったのか見落としてしまったが、亡くなったのが57年だから少なくとも50年以上前だ。まだ米国と日本の生活水準が天と地ほどあった頃、重光さんはこのリゾートに来てどんな印象を抱いたのだろうか。外国暮らしが長かったので、案外、心置きなく楽しめたのだろうか。

心からくつろげた「ジェファーソン・プール」

遊歩道は深い森の中にある

 ゴルフをしたり、ガイドに連れられて周辺の散歩をしたり、土産物を見ながらショッピングモールをぶらぶらしたり、ホームステッドで楽しめることはたくさんある。しかも、施設がただ揃っているだけでなく、すべて手抜きがないのには感心した。例えば、ゴルフコースは公式競技会を開催することのできる、いわゆる“チャンピオンシップコース”だ。下手な私は手入れされた美しいコースにみとれるばかりだが、上級者をうならせるくらいコースセッティングが難しくできているそうだ。遊歩道はといえば、滝がいくつも流れる深い森にあり、すがすがしい空気を満喫できる。土産物店もなかなかセンスがいい。宿泊客の中には、長いバカンスをずっとここで過ごす超お金持ちもいるようなので、その人々を飽きさせないようにいろいろと考えられているのだろう。

ゴルフコース内のクラブハウスにて
中央は筆者

 もっとも、これほど充実したリクリエーション施設がなくても、ここにいる人たちは誰か一人でも話し相手がいれば、会話を楽しむだけで何時間も過ごせるのではないかと思う。もともとこういうリゾートは一種の社交場を兼ねているのか、知らない者同士でも皆、気軽に会話を交わす。ゴルフを2人で申し込めば、たいてい次に申し込んだ2人と一緒に4人で回ることになる。自己紹介するのは当たり前だとしても、その後もたわいのない話をしながらラウンドする。私が「下手なので一緒に回る人に迷惑をかけるから、他の人と組ませないでね」とキャディマスターにお願いしておいても、後にプレーしている人が「一緒にやってもいい?」と声をかけてくることもしばしばあった。散歩のときも、昔からの友達なのかと思うほど、皆よく喋りながら歩いている。
 こういう風に誰でも気軽に話し、笑いあえるというのはとても楽しく、オープンなアメリカらしさを感じる。ただ、いつもは日本語で話している人間が、ネイティブ・スピーカーに気の利いた返事の一つでもしようとすると、ゴルフのプレーや景色の美しさを楽しむ余裕はなくなる。元気のよいときは何とも思わないが、「どう言おうか」と考えたり、彼らの発する言葉に全身を耳にして集中することが続くと、少々肩が凝った。

 そんな「ザ・ホームステッド」で、何も考えずにのんびり過ごしたのが、そもそも私たちの目的であった温泉だった。豪華なスパもメインビルの中にあるが、5マイル離れたところにある「ジェファーソン・プール」こそ、誰にも気兼ねせず、心からくつろげる場所だった。車で数分走って見つけたのは、ホームステッドの豪華さとは一線を画す、白いペンキが塗られた八角形の木造平屋で、かなりシンプルな建物だった。
 ホームステッドの創業は1766年。しかし、このジェファーソン・プールの歴史はさらに古く、1761年にオープンしたという。温泉より少し温度の低い鉱泉で、まわりを囲むようにして、この八角形の建物が建てられたそうだ。円形のプールで円周は120フィートあり、水量は4万ガロンだという。「ジェファーソン・プール」という名前は、1818年、当時75歳だった第3代米国大統領トーマス・ジェファーソンがやってきたことにちなんでいる。リュウマチをわずらっていた彼は1日数回入浴し、数週間滞在したところ、その評判が広がり、「ジェファーソン・プール」と名付けられたらしい。

歴史ある鉱泉「ジェファーソン・プール」
(ザ・ホームステッド提供)

 外見だけでなく、中も本当にそっけないほどシンプルで、プールと更衣室だけしかなく、美しい装飾とは無縁だ。男湯と女湯は別になっていて、基本的には18才以上でないと利用できない。客は、両手を広げたくらいの長さがある棒状の浮きとタオルを入り口でもらって、プールを取り囲むようにしていくつにも区切られた更衣室で服を脱ぐ。水着を着て入ってもいいし、裸でも構わない。水泳用のプールのような大きさに、少し恥ずかしい気がしたが、結局、「温泉だから」と裸になって更衣室を出た。
 プールには縦横に何本か仕切りのロープが渡してあり、それをつたって、自分の好みの場所に行く。けっこう深さがあって、足を伸ばして、ようやく底に指がつくくらいだ。最初、細長い浮きは一体何に使うのかと思ったが、実はとても便利で、浮きの中央あたりに後頭部を乗せ、両脇のあまったところに両腕を掛けると、身体がいい感じにプカプカと浮くのである。時には泳ぎたくなるが遊泳は禁止だ。お湯の温度は多分、36度前後で、熱くもなく、冷たくもなく、長く浸かっているにはちょうどいい。天井が高く、何も考えずに浮きにつかまって水藻みたいに漂っているとリラックスできる。私たちの他には、きれいな中年の婦人と20代前半とおぼしき女の子が浸かっていた。
 時間はゆったりと心地よく過ぎた。湯は色もなく、においもなくサラッとしていたが、やはり成分が水とは違うのか、あったまるにつれて気分も爽快になってくる。結局、私たちは1時間くらいただ浮いていた。
「ハー、気持ちいい!」 
 めったに味わえないゴージャスな気分を堪能させてくれた「ザ・ホームステッド」だったが、やはり日本人の私には、のんびりと湯に浸かり、ボーっとしているのが一番気持ちがいいとしみじみ思った。

米国・バージニアとの時差:-14時間

宿泊案内:
The Homestead
1766 Homestead Drive
P.O.Box 2000
Hot Springs, VA 24445

問合せ:
Tel:+1 540 839 1766
Fax:+1 540 839 7670
フリーダイヤル:800 838 1766(米国内のみ)
URL:http://www.thehomestead.com/index2.asp

宿泊施設:
409室、スイート・ルーム78室
(料金、その他要確認)

アクセス:
航空会社各社あり
ワシントンD.C.まで、約12時間

ワシントンD.C. — ホットスプリングス(210 miles) 車で約4時間
I-66 west to I-81
I-81 south to Exit 240 (Bridgewater exit)
Route 257 west to Route 42
Route 42 south to Route 39
Route 39 west to U.S. 220
U.S. 220 south to Hot Springs
*その他の地域からの詳細な道順は下記URLを参照
 http://www.thehomestead.com/transportation.asp

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PROFILE

横井 弘海

東京都台東区生まれ。
青山学院女子短期大学卒業。国際英語学校通訳ガイド科修了。ヨーロッパに半年間遊学。テレビ東京パーソナリティ室所属後フリーとなる。「世界週報」(時事通信社)で「大使の食卓拝見」を連載。エジプト大統領夫人、オーストラリア首相夫人、アイスランド首相をはじめ、世界中のセレブと会見しインタビューを行っている。

主な著作:
『大使夫人』
(朝日選書)

大使夫人

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