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[知ることの価値と楽しさを求める人のために 連想出版がつくるWEB マガジン
SERIES 06 世界10大気持ちいい
横井 弘海
第6回 モンゴルの草原

 世界の観光スポットや娯楽についての情報は、いまやさまざまなかたちで手に入れることができる。しかし、それでもまだまだ知られざる「楽しみ」がある。場所、季節、食べ物、人間、そして旅の技術・・・。世界約50ヵ国を旅してきた横井弘海氏が「気持ちいい」をキーワードに、女性の視点からとっておきのやすらぎのポイントを紹介する。

 ひょんなことからモンゴルに行くことになったのは2000年夏のこと。首都ウランバートルで開かれる、ある関取の結婚式に出席するためだった。ということで、たいした予備知識もないままに、北京経由でウランバートルに向かった。

スフバートル広場

 40度はありそうなホコリっぽい熱気にさらされた北京を観光した後、飛行機で北西に約3時間。到着したウランバートルの緯度は、北海道の稚内に近い47度55分、標高は1351メートル。当時は国際空港とはいえ、日本の小さな地方空港のようだったが、飛行機から降り立った瞬間、天然のクーラーに入ったような涼しさに包まれた。湿気のまったくない、別天地を思わせる空気は爽やかな草の香りがして、空港の施設の貧弱さなどまったく気にならない。
 空港を一歩外へ出ると、前方には緑の草原が広がっていた。このだだっ広い平原の真ん中にアスファルトを流しただけのような道路があり、そこを通り町の中心地まで車で走ること約30分。途中、工場やビルがだんだん増えてはきたが、信号は町まで一つ。東西15分も車で走れば建物らしい建物がなくなってしまう小さな首都の中心に、「スフバートル広場」と呼ばれる広場があった。道路から広場をはさんだ突き当たりの政府宮殿まで200メートルはありそうだ。とにかく大きい。その広場を官庁、オペラ劇場、文化宮殿、いずれも洋風のクラシックな建物が取り囲む。

独立の英雄スフバートル

 1991年に市場経済が導入されるまでは、国の権威を示す威圧的な場所だったのだろう。今は、中央に立つ独立の英雄スフバートルの像をバックに、観光客ばかりでなく、結婚式のカップルが記念撮影する人気のポイントで、その日も平和で甘い光景が広がっていた。花嫁は皆純白のウェディングドレス、男性の出席者は「デール」という長袖で足元まで丈のあるガウンのような民族衣装に帽子といういでたち。現代のモンゴルが少し見えた気がした。

騎馬民族、遊牧民の末裔たち

競馬の若き騎手たち

 国の迎賓館で行われた披露宴は、モンゴルの著名人が一堂に会する豪華なものだったが、結婚を祝って式前日に行われた競馬を見て、モンゴルという国は実はすごい国なのかもしれないと気がついた。百人くらいはゆうにいただろう騎手は全員が6歳から12歳のごく普通の子供たち。モンゴル競馬のジョッキーは子供なのである。レースは馬の年齢や何10キロ走るかによって、いろいろな種類があるらしいが、その日は、前日、空港から町に向かうときに通った道の横に広がる草原が会場だった。モンゴルの馬は、サラブレッドなどに比べるとずっと小型で、足も少し太い。それでも子供には十分すぎる大きさだし、草原は決して平坦に整備されているわけではない。色とりどりの「デール」を着て、豪華に刺繍された帽子のような布を頭に巻いた子供たちは、まだ幼く、あどけなさが残っている。が、いったん馬に乗ってしまえば、表情を引き締め、馬を巧みに操り、ゴールを目指す。

草原を駆け抜ける子供たち

 車で併走させてもらったが、けっこうなスピードを出しても、トップにはなかなか追いつけなかった。「やはり、この人たちの祖先は騎馬民族だ・・・」と、人馬が疾走する姿に見とれてしまう。何しろ「早くて、美しい!」のである。
 モンゴル人の先祖は遊牧民でもある。その夜、関取の別荘の庭に「ゲル」という遊牧民の移動式住居があったのを見つけて、「これが本物のゲルか」と思った。だが、どうして家の庭にゲルが置いてあるのか。いまや定住化が進み、土地の所有も2002年から認められるようになっている。「それでもゲルで眠ると落ち着くんです」と関取の一言。国がいくら近代化しても、人々のなかには脈々と受け継がれる遊牧民の血が流れているようだ。「これまた、すごい」と感心した。

ウランバートル近郊の保養地「テレルジ」へ

テレルジのツーリストキャンプ

 俄然、モンゴルに興味がわいてきたので、結婚式の翌日、ウランバートルから北東に約70キロにある保養地テレルジに行ってみた。北西にヘンティ山を望むこの地域は、森や湖があり、約3000平方キロメートルにもわたる。1993年に国家特別保護地域に指定された自然豊かな場所だ。

市場の果物屋

 今はタクシーやバスでも行けるらしいが、2000年当時は女性の通訳と若い男性の運転手と3人で行った。「ゲルに泊まって、馬に乗り、遊牧民のところに遊びに行く。目的はこの3つ」と伝えると、まず町の市場に連れて行ってくれた。遊牧民のところに果物をお土産にもって行くと喜ばれるというのだ。確かに、果物はモンゴルでは貴重品で、店に並んでいたほとんどのものが輸入品だった。 
 遠来の客を最高にもてなすといわれる遊牧民。「ゲルにも泊めてもらえるかな?」と通訳に聞くと、「泊めてくれるけれど、寝袋をもっていかないと。家族の誰かがその分、寝る場所がなくなるから」という返事。客を大切にする伝統は、遊牧民のおおらかさとともに、はるか昔、客人は遠隔地に住む遊牧民の貴重な情報をもってきてくれる人物だったことに関係しているらしい。

山羊使いの遊牧民

 テレルジに向かう間はなだらかな草原が続き、モンゴルで「五畜」といわれる大切な家畜の馬、牛、羊、山羊、ラクダがあちらこちらに見えた。どれものんびり草を食んでいる。人口251万人、1平方キロあたり1.6人と、世界一人口密度の低いモンゴルだが、馬は310万頭、牛は205万頭、羊は1200万頭いるといわれる。どう見ても人間より家畜のほうが目立ってしまうのが面白い。

道のあちこちに見られるオボー

 途中、道端に石や岩を積み上げて青い布を巻いた「オボー」と呼ばれる人間の身長より高い石塚が何ヵ所かにあった。遊牧民が一族の繁栄や家畜の繁殖を願う民間信仰のシンボルである。運転手に言われるまま、石のまわりを3回時計回りに回って、道中の安全を祈った。
 草原の中に、ボコンボコンと低めの山だか岩だかが見えてくると、そこがテレルジだった。「亀石」という亀の形をした高さ15メートルもある巨大な岩のほかは、緑の草原と森と空の青さと空気のすがすがしさがあるだけだ。しかし、「保養地」とはよく言ったもので、辞書によれば「保養」とは、「心身を休ませて、健康を保ち、活力を養うこと」とある。テレルジはその意味では最高の保養地である。

巨大な亀石

 舗装された道路の左右は、一面緑の草原で、そこに白いゲルが見えてくる。予約などしなくても、空きがあれば泊めてくれるらしい。長屋のようにいくつものゲルが並んでいたり、点々としていたりと、いろいろなツーリスト・キャンプがあったが、ある山の一番道路から離れたひっそりしたゲルに行ってみた。目の前に見えているのに、ゲルに着くまで15分、道なき道、草っぱらを車で登った。通訳に交渉してもらい、3人で一つのゲルを借りた。ゲルにトイレはない。乾燥した気候ではあまり気にならないのだが、シャワーもなかった。1泊3食付、さらに2日間、3頭の馬を好きなだけ乗るという約束で、値段は60USドルだった。

遊牧民たちのもてなし

ゲルの内部

 後で遊牧民のゲルを訪ねてわかったことだが、ゲルはどれも柳の木枠を覆う白いフエルト製のドーム状テントで、中の構造も基本は同じだ。ゲルの中央に4人ぐらいがらくらく座れるテーブルがあって、わきに薪ストーブがあり、テントの上にその煙突が伸びている。夏でも朝夕の必需品ストーブは、暖房であるとともに、料理を作る炊事用の道具でもある。木製の玄関の正面にはチベット仏教のお守りを祭るための祭壇があり、その左右にシングルサイズのベッド。入り口付近には食器や身の回りのものを置くスペースがあり、床にはフエルトが敷かれている。冬は床暖房の代わりに家畜の糞を下に敷き詰めるらしいが、敷いてあったのかなかったのか、変なにおいはしなかった。シンプルな住まいを見ていると、あまりモノに執着がないのかとも思うが、祭壇脇には家族の写真が何枚も飾ってあるし、絨毯も床に敷くだけでなく、壁面に飾って、大切にしている。また最近は自家発電でアンテナを立てて衛星放送を楽しんでいる遊牧民もいる。

遊牧民たちが作る乳製品

 荷物を下ろし、お土産の果物を持って、馬で近所の遊牧民のゲルに遊びに行った。訪ねるあてがあるわけではなく、ただゲルを見つけては、「サェンバェノー(こんにちは)」と声をかける。3世代くらい一緒に住んでいそうな家族もあれば、小さな赤ちゃんがベッドで寝かされて、お母さんとお父さんが外で馬の世話をしているような家族もあった。顔は全然似ていないが兄弟のように仲良く遊んでいる子供が5、6人いる家もあった。
 通訳と運転手は一言何か言って、次の瞬間にはもうゲルに入って椅子に座っている。それに驚きつつ彼らについていくと、準備していたかのように、さっそく家人が馬乳酒だの、チーズのようなお菓子など、いろいろと振舞ってくれる。

ヤクと遊牧民

 モンゴルの夏の味覚、馬乳酒は、あの「カルピス」のアイディアの素になったと言われる発酵させた馬の乳で、遊牧民のゲルでは必ず振舞われる。アルコールは2~3%で、甘みのない酸っぱいヨーグルトに多少のアルコールが入った味で、正直、そんなに美味しいものとは思えない。しかも、夏の初めに飲んだときは、「馬乳酒がないと夏が来た気がしない」というモンゴル人でもお腹が下るらしい。「それでお腹を掃除して、夏を乗り切るのです」と知り合いが言っていたが、運転手は、丼くらいの器に入って出された馬乳酒を、ごくごくと美味しそうに飲んでいた。お菓子は馬や羊の乳から作る自家製の乳製品。遊牧民の栄養源で、いわゆるチーズ、ヨーグルト、素朴なクッキーのようなものもあり、全てが美味しかった。彼らは見ず知らずの外国人の私に、「ヤクという真っ黒い長い毛をした牛に乗って写真を撮りなさい」とか、「馬の乳を搾らせてあげる」とか、久しぶりに会った旧友のように、色々と気遣ってくれた。

遊牧民一家

 果物を差し上げるととてもうれしそうだった。また、部屋に飾ってあったことからもわかるように、皆さん写真がお好きなようで、「写真、撮りませんか」と誘うと、たいてい家族皆がゲルの前に勢揃いしてニッコリ笑ってくれた。
「できた写真はどこに送ったらいいの?」 「今度来たとき、渡しますから」と、住所表示などどこにもない草原では現実味のない話だと思いながら、通訳と話した。でも、それはまんざらウソでもないらしく、遊牧民の人たちが移動する場所はたいてい決まっているので、「本気」で探せば、郵便物でも届くらしい。
 適当なところで失礼し、馬に乗っては、次の遊牧民のゲルを訪ねて、一日が終わった。通訳も運転手も曲乗りできるくらい上手に馬を乗りこなす。私は落ちないようにただ乗っているだけだが、それでもとても気分がよかった。見晴らしは最高だし、草原には草しか生えていないと思っていたのに、馬の足元にはたくさんの小さな花が咲いていて、まるでアロマテラピーのように、いい香りが立ちのぼってくる。チベットに伝えられる漢方療法に使う薬草も、モンゴルの草原のあちこちに自生しているらしい。

ツーリスト・キャンプの夜

毎晩、行われる伝統音楽のショー

 モンゴルの食事は羊の肉が中心。いかにも力がつきそうな夕食をいただいた後は、何もやることがない。大きなキャンプでは、毎晩、伝統音楽のショーがあり、馬頭琴やホーミーを聞かせてくれるが、私が泊まったのは、よく言えば「大人の隠れ家」?みたいなゲルで、必要なこと以外は客のプライバシーを重視するというか、食事の時間を知らせてくれる以外、愛想も何もないところだった。日がかげると本当に寒くなるので、何度となくストーブに薪をくべて、時間が過ぎていった。

ゲルの天井

 ゲルの天井は円錐形なので、壁についたベッドに横たわると、頭の上はそれほど高くないことに気が付く。でも、威圧感はない。夜も9時を過ぎると、外はすっかり暗くなって、煙突の周りに開いている穴から星空が見える。そのせいだろうか。薪がパチンと爆ぜる音と私たちのおしゃべりの声以外は静寂の世界だった。
 運転手は近所のキャンプに泊まっている友人のところに遊びに行ってしまい、通訳と2人だけで眠ることになった。夜中、ゲルから100メートルは離れている真っ暗なトイレに行くのは少し怖い気もした。だが、勇敢に1人でトイレから帰ってきた通訳は、「草原はどこでもトイレですから」と言って笑った。妙に納得した後、私も1人で外に出てみた。空には満天の星。日本でも天の川が見えたら嬉しくなるが、モンゴルでは天の川のまわりの星があまりにくっきり見えすぎるので、星座を見分けるのが難しいほど、星がきらめいていた。ゲルにダウンジャケットを取りに戻り、これまで見たことのないほどたくさんの星を見上げて、「ホーッ」とため息をついた。
 ウランバートルに住む、ある日本人の夫人は「モンゴルでは何もないことを楽しんでいる」と話してくれた。確かに草原と馬しか目につかないし、今でこそ、街には美味しいレストランもあるが、当時はあまり見あたらなかった。でも、私には、見るものすべて、日本には絶対にないものが感じられた。ただただ快さを味あわせてくれる爽やかな気候、見晴らしのよい大自然、自然と伝統を当たり前のように守りつつ生活している遊牧民の人々、思わず歓声をあげたくなる星空。 すっかりモンゴルに一目ぼれをしてしまい、「また必ず来よう」と、ゲルの中で心に決めた。なぜかわからないが、ゲルでは最高に熟睡できた。「関取の言っていたのはこの気持ちなのか」と思った。

再び、モンゴルへ

鷲の谷

 2002年夏、友人と再びモンゴルを訪れた。往復の飛行機とウランバートルのホテルだけ決めて、後は現地の人にお奨めを聞きながら行き先を決めた。モンゴルは草原の国といわれているが、国の西部には4000メートル級の山々が並ぶアルタイ山脈があり、南部の内蒙古との境界あたりは広大なゴビ砂漠が広がる。北部のロシアとの国境には美しい湖沼も多く、変化に富んだ地形の国なのである。

ゴビ砂漠のラクダ

 結局、前回も行ったテレルジへ。今回は遊牧民のゲルに泊めてもらい、ウランバートルから南に520キロメートル、飛行機で1時間半のゴビ砂漠ではラクダに乗ったり、「鷲の谷」という標高2200メートルの峡谷を訪ねた。いったん首都に戻った後は西へ約800キロメートル、飛行機で約2時間かけてフブスグル湖という驚くほど透明度の高い湖へも出かけてみた。

白い馬に乗る筆者

 地形も景色もまったく違うが、ゲルはどこも落ち着き、寝心地がよく、馬は遊びや移動の大切なパートナーになり、遊牧民が示してくれる素朴さや親切さは2年前と感じたのと同じで、それはうれしい驚きだった。ウランバートルだけは空港も含め、ずいぶん都会的に様変わりしていたが、星の美しさも夏の素晴らしい気候も、この国はずっとこのままなのだろう。そう思っただけで、また、この夏もモンゴルに行きたくなってしまう。

(敬称略、つづく)

日本での問合せ:
モンゴル政府観光局
〒103-0022 東京都中央区日本橋室町1-8-10 東興ビル10階
Tel:03-6202-1426
URL: http://www.mongoliatourism.net/

在日モンゴル大使館 
〒150-0047 東京都渋谷区神山町21-4
Tel:03-3469-2088
※ビザは、必ず日本で取得すること

アクセス:
ミアットモンゴル航空
成田空港-モンゴル・ウランバートル行(週3便運航)
関西空港-モンゴル・ウランバートル行(週1便運航)

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PROFILE

横井 弘海

東京都台東区生まれ。
青山学院女子短期大学卒業。国際英語学校通訳ガイド科修了。ヨーロッパに半年間遊学。テレビ東京パーソナリティ室所属後フリーとなる。「世界週報」(時事通信社)で「大使の食卓拝見」を連載。エジプト大統領夫人、オーストラリア首相夫人、アイスランド首相をはじめ、世界中のセレブと会見しインタビューを行っている。

主な著作:
『大使夫人』
(朝日選書)

大使夫人

モンゴルとは

13世紀、その勇猛さでヨーロッパにまで名を轟かせ、モンゴル高原を統一したチンギス・ハーンの国。彼とその軍隊は馬を巧みに操り、ユーラシア大陸を席巻したが、その後、帝国は分裂。明朝、清朝など中国に攻め込まれ、221年にわたり支配される。1911年辛亥革命で清朝が倒れたのを機に独立を宣言(正式には1946年独立)。ロシアとの関係を深め、社会主義国としての道を歩む。90年、一党独裁制を放棄、市場経済へ移行。畜産業が基幹産業。国土は日本の約4倍にあたる156万平方kmの内陸国。草原の国として知られる。

モンゴル旅行事情

モンゴル旅行は年々人気が高まり、日本から数多くのツアーが出ているが、現地での物価を考えてみると、やや割高ではないかと思う。時間があれば、航空券とウランバートルのホテルだけ予約して、そこからリーズナブルな現地発のツアーに参加するのも一つの方法だ。モンゴル・ジョールチン・トラベル(電話・ファックスとも976-11-462575)など、日本語を話すスタッフがいる会社も増えている。

参考文献

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