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[知ることの価値と楽しさを求める人のために 連想出版がつくるWEB マガジン
SERIES 06 世界10大気持ちいい
横井 弘海
第1回 ケープ・ブレトン

 世界の観光スポットや娯楽についての情報は、いまやさまざまなかたちで手に入れることができる。しかし、それでもまだまだ知られざる「楽しみ」がある。場所、季節、食べ物、人間、そして旅の技術・・・。世界約50ヵ国を旅してきた横井弘海氏が「気持ちいい」をキーワードに、女性の視点からとっておきのやすらぎのポイントを紹介する。第1回は美しい自然の中を“ジェットコースター”のようにドライブできるカナダの島、ケープ・ブレトン。

『赤毛のアン』の次はケープ・ブレトンへ

アンの家

「アトランティック・カナダ」と呼ばれる場所がある。カナダでも大西洋岸の地域のことを指すが、名前からすると、日本からはとても遠いところのように感じられる。もう少し細かくいうと、大西洋側の北東に位置する、プリンス・エドワード・アイランド州、ノバ・スコシア州、ニュー・ブランズウィック州、ニュー・ファンドランド州の4州が「アトランティック・カナダ」だ。
 このうち、プリンス・エドワード島(PEI)は、作家L・M・モンゴメリーが書いた有名な『赤毛のアン』の舞台となる地で、写真集や旅行パンフレットではよく紹介されている。抜けるような青空の下の牧歌的な風景・・・。こうした写真を見るたびにいつか行ってみたいと思っていたところ、2004年の夏の終わりにそれが実現した。
 カナダのトロントから空路で2時間、プリンス・エドワード島のほぼ中央にある空港に到着する。島は愛媛県ほどの面積で、州都シャーロット・タウンは、この時期、昼間でも長袖のシャツでちょうどいいくらいのさわやかさ。空は青く、周りの海はさらに青く、木々の緑と赤い土、そして実った麦の黄金色など、絵の具ではっきり塗り分けられたように風景は色鮮やかで、10代のころに感動した『赤毛のアン』の世界が蘇ってきた

アンの部屋

 レンタカーを借りて、まずはアンの聖地、キャベンディッシュを目指す。そよ風が絶えず吹き抜ける、ただただ平坦な島を北へ40分ドライブすると、『赤毛のアン』の原題Anne of Green Gables になっているグリーン・ゲーブルズが本当に建っていた。
 白い壁と緑の切り妻屋根の2階建ての家で、中に入ると、花柄の壁紙に囲まれ、狭い階段を上がると2階にアンの部屋があり、彼女の洋服がさっきまでアンが着ていたかのようにベッドの木枠にかかっていたりする。色とりどりの花が咲き乱れる庭があり、裏には納屋や牛舎が建てられ、「お化けの森」があり、深い緑に囲まれた「恋人たちの小道」も散策できる。少し車で走ると、「輝く湖水」が湖面を輝かせている。

PEIのホテルのブランコ

 それらがアン人気にあやかって後世に作られたものでも、モンゴメリー女史が着想を得た原風景でも、どちらでもいい気分になるほど、キャベンディッシュにはアンの本に出ていた懐かしい景色がちりばめられていた。日暮れに顔を優しくなでる涼風に吹かれながら、ホテルの庭のブランコで揺られてみた。乙女心が蘇ってくるようだ。
 ゆったりとした自然に囲まれ、これだけでも十分気分がいい。しかし、「どうせここまで来たのなら、ケープ・ブレトンに行ったら」と、出会った何人ものカナダ人が口裏を合わせたかのように言う。PEIよりさらに東にあるノバ・スコシア州(NS)の島、ケープ・ブレトン(CB)のほうが、もっと豊かな自然に出合えるというのだ。

ドライブは、自然が作るジェットコースター

ケープ・ブレトンの景色

 ケープ・ブレトンの名を知ったのはつい最近のこと。この島で育った作家アリステア・マクラウドが故郷を舞台に書いた『冬の犬』という短編小説集を読んだときだった。『赤毛のアン』が少女をとりこにするならば、『冬の犬』は多分男性の心をつかむ話である。荒々しい大西洋に囲まれた島で、山々や深い森、厳しい冬の寒さ、変化に富んだ自然と対峙しながら黙々と生きる人間たちが次々に登場する渋い小説だ。
 島の歴史も『冬の犬』も「気持ちいい」を求める旅としては少し重い。でも、どうせ車の気ままな旅だし、人々がおまじないのようにいうのならばと、車ごとフェリーに乗せて、ケープ・ブレトン島に向かうことを決めた。

ケープ・ブレトンの街並

 シャーロット・タウンから南に60キロ行ったウッド・アイランドの港からまずフェリーに乗って同じノバ・スコシアのカリブーに着く。22キロ、約1時間15分の静かな船旅だが、フェリーにほぼ満杯に納まったいくつもの車を見渡すと、その多くがカヌー、カヤック、サイクリング車を積んでいる。
 このカリブーから北東の約140キロ離れたところにCBがある。まず、ハイウェイ、ルート4をひたすら走る。「モーターホーム」と呼ばれる全長が10メートルもありそうな大型のキャンピングカーがそこに小型車をつけて、脇を猛スピードで走っていく。
 2時間以上走って、ようやくケープ・ブレトン島への入り口となるカンソー海峡に到着、「ようこそケープ・ブレトンへ」と書かれた緑色の短い橋を渡れば目的地に入る。
 島の入り口は、期待していたのとはちがって殺風景だ。コンクリートで固められた岸壁やら、工場らしき建物が目の前に広がるばかり。だが、海岸沿いを北上すれば、一転して景色が変わる。道は起伏が激しく、上がったり下がったり。

カボットトレイルからの風景
©Nova Scotia Tourism,
Culture and Heritage

 CBには「トレイル」と呼ばれる風光明媚なドライブ・ウェイが4本あるが、島の北部をまわる「カボット・トレイル」を目指した。北米一美しいと評判の高い1周300キロのドライブ・コースである。面積が950平方キロもあるケープ・ブレトン・ハイランド国立公園に沿って、島の東から西へ抜け、海岸線を走る。公園内には4つの山があり、トレイルにも標高差500メートルのアップダウンができている。

秋のケープ・ブレトンのドライブ・ウェイ
©Nova Scotia Tourism,
Culture and Heritage

 走っているだけで恐ろしく距離の長いジェットコースターに乗ったようだ。外下界を見下ろしながら、ゆっくりと最高地点まで上がって行く。一瞬、視界に空しか入らない時間があって、次の瞬間、まっ逆さまに落ちながら、再び足下の景色が大きくなったり、小さくなったりする感覚。

ムースに出合い、クジラを眺める

車を止めて風景を眺める
©Nova Scotia Tourism,
Culture and Heritage

 青空はとにかく大きく、その下に広がる大海原は群青色で、深く澄んでいることが高いところから見てもわかる。羽を広げてフワリと飛んでいるのは白頭鷲なのか、他の大きな鳥なのか、あまりに空高くにいるのでわからないが、気持ちよさそうに漂っている。国立公園は一面さまざまな木々に覆われており、そんな山々を見下ろし、逆に見上げ、展望台から切り立った海岸の断崖を覗き、緑に光が遮られた森をくぐる。
 見晴らしのいいところに立つと、いくつもの山の頂を数えることができ、その向こうには海が広がっている。ドライブをつづけても、対向車はたまにすれ違う程度である。しばしば車を止めては風景に見とれた。自然と深呼吸をしたくなる。
 暗くなる前に町に着きたいのに、ぼんやり空の色を茜色に染めながら大西洋に落ちていく夕日に、時を忘れる。そうこうしていると、道の脇に、2頭のムースがたたずんでいるのが見えた。きっと彼らにとっては、ここはいつもの生活の場なのだろう。
 ムースといえば、大きな角をつけた鹿を想像していたが、たまたま見た2頭はともにメスで、むしろ後方から見れば牛のように巨大で、角のない顔は太った馬のようにみえた。木の実でも食べていたのかもしれない。

ケープ・ブレトンの海岸

 海岸沿いをドライブしていると、「ホエール・ウオッチング」の看板をいくつも見かけた。ものはついでと、さっそく船に乗ってみた。肝心の鯨は尻尾らしきものがチラリと見えた程度だったが、イルカが船と並んで何頭も泳ぎにきたり、島の岸にアザラシがゴロンと寝そべっていたりするのが見えた。こちらも同様に人間に対する警戒心などないようだ。
 この島では多くの動植物がひっそりと暮らしている。一方、人間の大きさに比べて、自然を構成するものがここではすべて大きく、景色は全体としてとてつもない雄大さをもって迫ってくる。500年以上も前のこと、この島に初めて足を踏み入れた探険家のジョン・カボットにちなんで「カボット・トレイル」の名前がつけられたが、おおらかな自然は昔のままなのではないだろうか。

絶品、マック・ロブスター

ロブスター

 ところで、この大自然をドライブしていて、どんなレストランで食べてもはずれがないのは、意外な喜びだった。外見はなんということのない店でも、出てくるロブスター、ムール貝、帆立貝などシーフードは絶品である。
 ロブスターは5月から6月、8月から10月に水揚げされる。食べ方は、極めてシンプルで、塩茹でしたものにバターソースをつけるだけ。しかし、新鮮だからこの食べ方でこそ味が伝わってくる。とにかく身がプリプリしていて、細い足のところまで身が詰まって、そこもジューシーで、思わずチューチュー吸ってしまう。

マック・ロブスター

 ノバ・スコシアのマクドナルドにも「マック・ロブスター」なるロブスター・サンドウィチのメニューがあり、これもなかなかいけるのだ。
 ムール貝は日本で食べておいしいと思ったことがなかったので、まったく期待していなかったが、これまた別の食べ物のようだ。小ぶりでしまった身を食べ出すと止まらない。たいてい直径20センチくらいのボウルに山盛り出てくるが、1人で毎回全部平らげてしまった。
 こうなると、お酒がほしいところ。ワインもいいが、ノバ・スコシアは美味しい地ビールがあり、この魚介類との相性は抜群である。

ケルティック・ロッジ

 リゾートホテルも快適だ。東海岸でもとりわけ景色の美しいインゴニッシュ。大西洋を見下ろす絶壁に立つホテル「ケルティック・ロッジ」に泊まった。どこでもカジュアルなカナダにあって、このホテルのなかにはおしゃれをして行きたくなるレストランがあったり、グラスを傾けたいラウンジがあったりして落ち着いている。特にレストラン「Purple Thistle Dining Room」は、窓から、片や大西洋、片やバラが咲き乱れる芝生と遊歩道が見え、ロマンチックだった。ここのシェフは何かの賞を取ったという有名な人らしく、地の魚介類とカナダの食材を生かした料理を楽しみにやってくる人もいるらしい。そのせいか、ホテルに泊まっている人が全員来たのかと思うくらい混んでいたのは今ひとつだったが、サービスも心地よく、愛想のいいウェイトレスが、テーブルとテーブルの間を笑顔で行きかっていた。

ケルト音楽を聴きながらウイスキーを

ケープ・ブレトンを訪れる観光客
©Nova Scotia Tourism,
Culture and Heritage

 席が空くのをラウンジで待つ間、島のシングルモルトウイスキー蒸留所で作られた「Glen Breton Rare」を飲みながら、若い男性がギター片手に歌っているのをボーッと聴いた。哀愁を誘う歌声に、この島の売り物は自然だけではないことがわかった。ノバ・スコシアはヨーロッパの人々がカナダで最初に入植を始めた土地で、ケープ・ブレトンには1629年にスコットランドからの移民がやってきた。以来スコットランド・ケルトの文化が根付いている。
 また、1700年代にはフランス系のアカディア人と呼ばれる人たちが移住している。英仏戦争に翻弄された厳しい歴史を経て、長年炭鉱で栄え、さらに世界各国からの移民が増えた時代もあった。先住民族のミクマック族、スコットランド人、アカディア人によって育まれてきた文化もある。
 最近はケルト・ミュージックの若いミュージシャンたちが、カナダ出身とかノバ・スコシア出身とは言わず、あえてケープ・ブレトン出身であることを前面に出してくる。まだ小学生のころにその実力を認められ、アメリカ発で世界デビューしたかわいらしい歌手、アゼリン・デビソンはいい例だ。
 ケルトの伝統曲を演奏し、ゲール語で歌う。ここは、素朴だが魂がこもったと評される注目のミュージシャンの宝庫なのだ。

ケープ・ブレトンのドライブ・ウェイ

 この島に「ケイリー・トレイル」とドライブ・ウェイがあるが、このケイリー(「Ceilidh」と書く)を正しく発音できる人はそういないだろう。ケイリーはゲール語で「パーティ」という意味だという。地元の人たちはフィドル(バイオリン)、ピアノ、ギターの生演奏に合わせて、自宅のキッチンで夜通しダンスにあけくれるほどの音楽好き。このキッチン・パーティをケイリーと呼び、ケイリー・トレイルが通る島の北部から、ケープ・ブレトンを代表するミュージシャンが多く生まれ育っているため、そんな名前がついたらしい。

紅葉のケープ・ブレトン
©Nova Scotia Tourism,
Culture and Heritage

 さて、秋も深まるとケープ・ブレトンは島中燃えるような紅葉に包まれる。トレイル沿いのマボウ湿原の樺やブナの黄色や赤い潅木、マルガリー・バレーの谷に光るメープル、プレザント・ベイの赤や金色の紅葉・・・。毎年10月中旬には、島全体で「 Celtic Colors International Festival」が開催される。スコットランド、アイルランド、アメリカなど世界各国から、ケルト文化を愛する音楽家やダンサー、詩人が数百人も集まり、コンサートやワーク・ショップでケルト文化の真髄を探るという。この年中行事を見るのも楽しそうだ。紅葉のカボット・トレイルで深呼吸しつつ、ケルト音楽を聞きながら島を巡ったら、さらなる「気持ちいい」に出合えるだろう。

(敬称略、つづく)

宿泊案内:
Keltic Lodge
Middle Head Peninsula, Ingonish Beach,
Nova Scotia, Canada B0C 1L0

問合せ:
Tel: (902) 285-2880 Toll Free (800) 565-0444
Fax: (902) 285-2859
Email: keltic@signatureresorts.com

宿泊施設:
部屋数:メイン・ロッジ32室ほか、Inn at Keltic40室とコテージあり

宿泊料金:

5/21-6/10, 2004$99.00よりルームチャージのみ
6/11-6/30, 2004$284.00より*夕・朝食込み
7/01-8/31, 2004$319.00より*夕・朝食込み
9/01-10/11, 2004 $301.00より*夕・朝食込み
10/12-17, 2004$129.00よりルームチャージのみ
*宿泊料金は2人分

アクセス:
シドニー ― ケープ・ブレトン 空路約1時間45分
ハリファックス ― ケープ・ブレトン 空路約4時間

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PROFILE

横井 弘海

東京都台東区生まれ。
青山学院女子短期大学卒業。国際英語学校通訳ガイド科修了。ヨーロッパに半年間遊学。テレビ東京パーソナリティ室所属後フリーとなる。「世界週報」(時事通信社)で「大使の食卓拝見」を連載。エジプト大統領夫人、オーストラリア首相夫人、アイスランド首相をはじめ、世界中のセレブと会見しインタビューを行っている。

主な著作:
『大使夫人』
(朝日選書)

大使夫人

ケープブレトンの位置

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