風
 
 
 
 
 
 
[知ることの価値と楽しさを求める人のために 連想出版がつくるWEB マガジン
Report 街・国・人
第10回 行ってきましたオアフ島、ハワイ
10/02/28

編集部 川井 龍介

日本人の海外旅行の代名詞とも言えるハワイ。古くは「憧れのハワイ航路」とも歌われたこの地に波乗りをするために初めて訪れた。俗な地だと先入観はあったものの、ビーチは快適、波は力強い。アメリカに併合されたハワイ王朝の歴史を知り、パール・ハーバーの史跡も訪ね、さらにウクレレの音に身を委ねれば、奥深いハワイの魅力の一端を垣間見た気がした。

サーファーや、家族連れでにぎわうワイキキ・ビーチ
 ホノルルの空港はずいぶんとこぢんまりして古いなというのが、最初の印象だった。2月上旬、夜に寒い東京を発って一眠りすると6時間余で朝のハワイ。飛行機を降りると、もやっとしたやわらかい温かさに包まれる。沖縄やフロリダのようだ。
 一緒に行動する仲間の“おじさん”たちのなかにはすでにアロハシャツに着替えている人も。その人たちはもう何度となくハワイを訪れている、ベテランサーファーたちだ。今回私がハワイを訪れたのは、中年以上のおじさんサーファーのツアーの一人としてだった。湘南の老舗サーフショップが主催するツアーには十数人が参加、そのほとんどがサーフィンをする。ロングボードでハワイの波に乗ってみようという企画である。
 私はハワイも初めてならツアーの一員として旅をするのも初めて。ハワイの情報は溢れるほどきいてきてわかったつもりになっていても、初めてのところは興味津々である。
 入国審査を受けるために列に並んでいると、なにかがアメリカ本土と違う。係官がアジア系かポリネシア系と思われる人がほとんどで、白人と黒人をあまり見かけない。なんとなく、ケイン・コスギやジェイク・シマブクロのような人が目につく。やはり移民の地だ、ここは。

ノーテンキな憧れの地?

 「え、ハワイに行ったことがないの?」。ハワイに行くことになって、知人をはじめいろいろな人に「実はハワイは初めてなんだ」というと、意外だとばかりにこう返してくる。アメリカ合衆国には頻繁に出かけている。まだまだ全州を訪れたとはいわないが、半分くらいは足を踏み入れていると思う。しかし、なぜかハワイはいつも飛び越えてしまっていた。仕事で行く用はなかったし、遊びで行くにはそれほど興味がわかなかった。正月休みに芸能人が大挙してハワイに出かけたりしているのを見るとちょっと腰が引けた。
 今回も、日本から“逃避”した元横綱、朝青龍が滞在している期間と重なっており、こういう話ばかりが耳に入るハワイは新鮮な印象がこれまでなかった。だが、考えてみれば、純粋に遊びで海外へ行くことが少なかったからハワイには縁がなかっただけで、普通に観光で行くには、ハワイはなかなかおもしろいところに思えてきた。
 また、日本人にとって、ハワイは特別なのだろう。「憧れのハワイ航路」という歌がそれを象徴している。「晴れた空 そよぐ風」ではじまり、最後は「ああ、憧れのハワイ航路」で終わる岡晴夫によるこの歌が登場したのは1948(昭和23)年。まだ終戦から3年しか経っていないのに、かつての敵国であり真珠湾攻撃の現地でもあるハワイをこれほどノーテンキに賛美しているのも考えてみればすごいことだ。
 とにかく、ハワイは貧しかった日本人が憧れた海外旅行の代名詞だったのだろう。

ハワイ王朝を偲んで

『ハワイ王朝最後の女王』

 朝早くホノルル空港に着き、バスでワイキキ・ビーチの近くの、シェラトン・プリンセス・カイウラニというホテルへ向かう。あとで分かったのだが、この名称はカイウラニ王女という若くして亡くなった美貌と才能を兼ね備えたハワイ王朝の女王から由来した。
 ホテルのすぐ近く、観光客でにぎわうカラカウア通りは、これもハワイ王朝のカラカウア国王(1836~1891)の名前にちなんだものだ。彼は、世界を歴訪し日本にとっては初めて訪れた外国の国家元首であり、カイウラニ女王と日本の皇室との政略結婚をもくろんだ人物でもある。
 彼はまた、ハワイ併合を望むアメリカ系の移民からアメリカへの併合の道筋をつける憲法を武力で強要され、仕方なくこれを飲まされたことでも知られる。こうしたハワイ王朝の歴史については、猿谷要氏の『ハワイ王朝最後の女王』(文春新書)に詳しい。

ダイヤモンドヘッドを眺めながら

 ホテルにはまだチェックインできなかったが、着替えだけを済まして、まずはレンタルのボードを借りに行く。現地をよく知る人の交渉で4日間で50ドルという安い料金で好きなボードを選んで、さっそくワイキキ・ビーチへ。正直にいうと、目の前のビーチは予想していたほどは広くないという感じで、それほどの華やかさはない。
 しかし、逆に思ったほどの人混みでもなく、(ふだん日本の海に慣れすぎているからか?)沖合に向かってパドリングをして出る。浅瀬はところどころサンゴ?が砂から顔を出し、へたをすると足を傷つける。サーフィンをするポイントは、沖合でいくつか分かれているのだが、どうやら乗りやすい波が立つところはローカルのサーファーたちが集まっていて、一緒にいたベテランの人たちは、ちょっとやりにくそうな顔をしている。
 彼らの中にまじって、何人かの若い女性がビキニ姿で実に颯爽と波に乗っている。パドリングも実にスムーズだ。彼女たちを尻目に、こちらはまずは必死で沖に出る。緑白色の水と白いビーチのコントラストが日射しのもとに映え、遠くダイヤモンドヘッドの丘を眺めながらプカプカと浮いているだけでも爽快だ。
 しかし、波に乗るポイントがかなり沖合にもあるので、ベテランの人にそこまで誘われて延々とパドルをしていったときは、いったいどうなることかと思った。進むも地獄、戻るも地獄、とは少し大げさかもしれないが、大変な思いをしてようやく到着。それでも、沖合で砕ける波に押されて乗れたときは、初めて味わうスピード感と日本では味わえない長時間のライディングに苦労が報われた気がした。

ハワイの英雄に思いをはせて

 翌朝、グループのメンバーは、ビーチ沿いのレストラン、デュークス・ワイキキに集合。ここは、ハワイ出身で初めてオリンピックの水泳で金メダル(1912年のストックホルム・オリンピック100m自由形)をとった英雄、デューク・カナハモクにちなんだ店らしく、彼の写真が随所に掲げられている。身長の倍もあるような巨大なサーフボードの前に立った彼やその当時の仲間のモノクロの写真が、サーフィンの草創期の模様を物語っている。
 デューク・カナハモクの像はワイキキ・ビーチの目立つところに建っているが、そこから歩くこと数分の公園で、昼はバーベキューを囲んだ。左にダイヤモンドヘッド、右にホテル群を見通す木陰にいると、ほどよい風が通り抜ける。午後はまとまって海に入り、それぞれレベルに応じて波乗りを楽しんだ。

緊張するパール・ハーバー見学

いまも海上に船体の一部をのぞかせる戦艦アリゾナ

 3日目は、まとまった行動はなかったので、当初から行ってみたいと思っていたパール・ハーバー(真珠湾)に行くことにした。グループ内の二人とともに三人でレンタカーを借りる。驚いたのはハワイでは日本の免許証で車が運転できるのだ。ワイキキから30分ほどして到着したアメリカ海軍の太平洋地区の重要軍事基地であるパール・ハーバーは、軍港であると同時に、国立の史跡でもある。
 言うまでもなく、1941年に旧日本軍によって奇襲攻撃を受けた軍港内には、爆撃で沈没した戦艦アリゾナが今も沈んだまま残され、その上が記念館になって戦死者を偲ぶようになっている。また、日本が降伏したその調印の式場となった戦艦ミズーリも、アリゾナから離れて博物館として一般に公開されている。
 時間の関係でアリゾナ記念館だけしか見学することができなかったが、戦後65年がたつとはいえ、当地での戦争被害者のことを思うと日本人としては緊張感が走る。見学は、まず映画館で太平洋戦争がはじまる前の旧日本軍の勢力拡大から真珠湾攻撃、そして日米の戦闘から終戦までの実録を映像で見せられた。

真珠湾攻撃と宣戦布告を報じる当時の新聞
 この後で、見学者一行は、ボートに乗ってアリゾナ記念館へ移動。周りを見れば日本人はあまり見かけない。ワイキキ・ビーチやカラカウア通りにはあれだけの日本人がいるのだが・・・。錆びた船体の一部を海面に現し、撃沈された他の船が沈んだ場所の海上にもモニュメントが顔を出している。白亜の記念館のなかの壁には、戦死者名がずらりと刻まれていた。
 見学を終えてふたたびボートで戻り、太平洋戦争に関する展示をひととおり見て売店をのぞくと、そこには、写真集や本や記念の土産物にまじって、真珠湾攻撃直後のホノルルの新聞、「Honolulu Star-Bulletin」と、すぐさま日本に対してアメリカが宣戦布告したことを報ずる「ST.LOUIS STAR-TIMES」のコピーが売られていた。

生死をもかけるノースショアの波

ノースショアの大波に挑む数少ないサーファー

 パール・ハーバーで、日本の戦争を相手国からの視点で見た後は、車を一気に島の北に走らせて、ノースショアを目ざした。冬にはとてつもない波が訪れると聞いていた、有名なサーフ・ポイントの波を見るためだ。
 丘を越えてパイナップル畑のなかを進むと、緩やかな下り坂になり、遠くに砕ける波頭の白い線が引かれているのがわかる。海外線に出てレストランや土産物屋のあるローカルな道を抜け、いよいよノースショアの海にでて車を止める。
 予想通り、人の背丈の三倍はあるような波が崩れ、あたりにしぶきが霧のように舞っている。よく見れば、そこで一人がボードに乗っているではないか。200ミリの望遠レンズでようやくその姿が確認できるほどの距離だが、なんともサーファーが波に比べてちっぽけだ。別の場所に移ると、今度はこれまたどでかい、巻き込むような波に腹ばいになったボディボーダーの姿が、いくつか波の間に見え隠れしている。一人、二人サーファーらしき動きも見える。
 すさまじい勢いで砕ける波とともに、その姿が消えてゆくと、どうしたかと思うが、その一方で立った姿が一瞬でも見られると、「よし、行け」と声をかけたくなる。見ているだけで体に力が入る。「普通じゃないよ、彼らは」と、われわれ三人はあきれながらも尊敬の気持ちでしばし砂浜に立ち尽くした。

にぎやかな大会とローカル・ビーチ

いっせいに波に乗るスタンドアップ・パドルボード
 翌日、オアフ島滞在最後の日は、グループ全員で車に分乗、オアフ島の西側にあるマカハというポイントで開かれた、「バッファロー・ビッグボード・サーフィンクラッシック」という年に一度開かれる由緒ある大会を見学にでかけた。バッファロー・ケアウラナとして知られるハワイの偉大なサーファーから名付けられた大会である。
 ちょうど着いたときは、カナディアンカヌーで使うようなオールでサーフボードの上に立って波に乗るスタンドアップ・パドルボードの競技が行われていた。形のよい波が繰り返すなかで、いっせいに波に乗る光景は、絵になるほど整っている。
 こうした大会では、ピックアップ・トラックの荷台にボードを載せてやってくる参加者をはじめ、見学者も大勢集まり、ビーチ沿いに車を泊めてゆっくりと眺める。自分は競技をしなくてもこれがまた楽しい。
 このあと、車でバーバーズ・ポイント・ビーチという海軍の所有する浜に移動。一帯が公園化されていて、ローカル色が濃い静かなビーチだ。トイレやシャワーも完備されていて、砂浜から上は芝生になっていて、木陰もあって家族連れでも楽しめる。途中で買ってきた、ハワイならではの「ロコモコ」や「バーベキュー・チキン」などのボリュームたっぷり(レギュラーでは多すぎる)のランチボックスを食べてから、芝の上でボードにワックスをかける。
 そして、目の前に広がる淡い緑白色の海へ出る。サーフィンではスープと呼ぶ、くだけた白い波の塊を超えて沖へ出るのだが、力のないものにはこれが一苦労。まさに波状攻撃とはこのことで、やっと越えては引き戻されるの繰り返し。産卵後のウミガメの赤ん坊がなんとか海へ出て行こうとするよりもなお険しい。
 しかし、これもなんとか乗り越えると、手頃な波が待っている。うねりから乗る(波が崩れかかるタイミングで乗る)ことができなくても、崩れた(サーフィンの用語では「割れる」という)波の力に押されてボードは走り、砕ける波が揺らすボードの上でめいっぱい低姿勢で、陸地に視点をあわせて滑ると、実にスリリングだ。

路上のウクレレに惹かれて

 ホテルに戻るころには夕方になり、最後の夕食前にカラカウア通りを歩けば、肩が触れあうほど、観光客であふれかえっている。しばらくすると、ウクレレの音が聞こえてきた。サーフィンもフラダンスもそうだが、もうひとつ、ハワイといえばウクレレ。ホテルでもヴィンテージもののウクレレを制作者自らが販売していたし、観光客のなかにもケースに入れたウクレレを担いだ姿をちらほらみかけた。ここはウクレレファンの聖地なのだろうか。

カラカウア通りでウクレレを弾くトロイ・フェルナンデス
「路上で響いていたウクレレの音はというと、アンプにつないだ音色で、すでに打ち込んでいたリズムなどにあわせて、中年男性がポップなサウンドを弾きこなしていた。ミシガンから観光で訪れたという老夫婦が、演奏の合間に彼に話しかけた。そのやりとりを聞いてわかったのだが、どうやら彼は名の知られたウクレレ奏者だった。名前はTroy Fernandez(トロイ・フェルナンデス)。日本にも何度となく訪れ演奏しているという。清々しいサウンドに誘われて、旅の土産に彼のCD「Hawaiian Style Ukulele」を購入して帰った。
 このあと、メンバーはみんなそろってホテル近くのレトロな日本風ステーキハウスで旅の締めくくりをした。ほろ酔い加減でホテルに戻ると、今度はラウンジからエッジの効いたエレキギターとともに、クリストファー・クロス風の高い声が聞こえる。
 エレキの音が変わっているとおもったら、目の見えない声の主は、ギターをスチールギターのように膝の上に置いて、上から指でポジションを抑えて、弦を弾いている。そのためときおりカットするような強い音になっている。ブルースっぽく、カントリーポップス的でもあるサウンドは、少し酔いのまわった体に心地よく響いた。
 たった4日間、それもサーフィンが主体のツアーでは、ハワイで観ることができたものはわずかだったが、その空気は肌で感じることができた。ハワイ王朝をはじめ、ハワイにおける日系人の歴史や文化、またフラの世界やスラックキー・ギターなどの音楽、そして自然・・・。さまざまな点でハワイには興味をかき立てられるものがあることを改めて思う。お手軽なリゾート以外のハワイを、またいつの日か味わいに行きたいものだ。
BACK NUMBER
PROFILE

川井 龍介

新書マップ参考テーマ

PAGE TOP
Copyright(C) Association Press. All Rights Reserved.
著作権及びリンクについて