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Report 街・国・人
第9回 タンザニア"ポレポレ"フォトレポート
(下)タンザニア人が立ち向かうHIV/AIDSとの闘い
09/06/30

写真家 山森先人

アフリカ大陸の東側に位置するタンザニアは、アフリカ大陸最高峰のキリマンジャロや多くの野生動物が生息する国立公園を抱えた自然豊かな国だ。20世紀半ばまでドイツやイギリスの植民地であったこの国はいま、外国資本の参入や国際機関の援助によって発展途上国から脱却しようとしている。しかし一方で、経済格差は広がっている。現地に赴任した妻とともに、タンザニア最大の都市ダルエスサラームに住むことになった写真家・山森先人。夫として父親として、一家を支え奮闘する彼が、写真と文でこの国のいまを報告する。

 前回はタンザニアに暮らし始めて10ヵ月の間で、我が家が直面した「住む場所がない!」という困難な状況から見えてきたこの国の人たちの様子を、かなりの独断と強引な考え方でご報告した。この国の気候や歴史的な出来事が、「ポレポレ」という独自の時間の流れを生み、その他に様々な問題を生んでいるのではないかと…。
 しかし、人間の生活とはうまく回って行くもので、そんな中でも素敵なタンザニア人との出会いもあった。今回は、こちらで知り合ったタンザニア人との出会いを通じて感じたこの国の「光」を、ご報告したい。

独特のリズム感

日本人はかなわない?独特のリズム感
 アフリカの全ての国の人たちが、みんな音楽や踊りが好きなのかどうかは分からないが、少なくともタンザニアの人たちは、DNAの中に優れたリズム感の遺伝子が組み込まれているのではないか?と思うくらい、多くの人たちにとって音楽と踊りは身近な娯楽となっているようだ。大人も子どもも、日本人の私には教えてもらってもなかなかうまくできない、複雑なステップを踏む。タンザニアには「ンゴマ」という伝統的な太鼓があり、手や撥を使って演奏する。この太鼓が生み出すリズムを聞いていると、自然に体の一部が動き出してしまうような、日本では感じたことのなかった、人間が生来持っている衝動を突き動かされる感じがする。言葉で表現するのはなかなか難しいのだが、正常に刻まれていたビートが、いつの間にかそのビートの裏のリズムを刻み始めたり、細かいリズムが、突然激しく大きなリズムになったり、自在に変化していく…。

音楽と踊りを使ってのHIV/AIDS啓蒙活動

 タンザニアには、音楽と踊りを使って、さまざまな問題に対する啓蒙活動を行っている団体がいくつもある。最初に紹介するのはそのような団体の中で、ダルエスサラーム市内のはずれ、テメケ地区のムトンガーニという地域で活動する、タンザニア人の若者が運営するNGO(Non Governmental Organization)のメンバーたち。ダルエスサラームの中心部から30分も車を走らせれば、水道も整備されず、マラリアなどの感染症の問題が深刻な地域が広がる。ムトンガーニもそうした地域の一つで、経済的には決して豊かではない。友人である日本人の青年に誘われて彼らに出会ったのは、2008年9月中旬だった。

「両鼻演奏」を披露する、「ムエラ・シアター」のリーダー、フィキリ氏
 10代後半から20代の若者たちを中心に構成されるそのNGOの名称は「ムエラ・シアター」。音楽の演奏を通して、ダルエスサラーム市内や近郊の若者たちに、グッドガバナンス(良い地域)をつくる重要性や、女性たちの地位向上、HIV/AIDSの知識の重要性などを訴えている。25歳と若いリーダーのフィキリ・ムブガロ氏は、ギター、サックス、笛などを演奏するとともに、独特のユニークな踊りで、場を盛り上げる。彼の得意技は、両方の鼻の穴に二本の笛を突っ込んで演奏することで、どこでも大爆笑を誘う。踊りのステップも独特で、「いつもアホなことやってるな」と思ってしまう。しかし、活動の話になると表情は真剣そのもの、「良い地域が出来れば、教育の問題やエイズの問題なども全て解決する」と、熱い信念を語る。私は彼らの活動を写真で記録するとともに、なかなか上達せず笑われながらも、ンゴマの演奏を教えてもらっている。

HIV/AIDSの陽性患者たちが啓蒙活動に参加

中央でンゴマ(太鼓)を叩く「ムエラ・シアター」のポトポト君が私の先生
 そしてもう一つは、「ヌール・クラブ」というHIV/AIDSに関する啓蒙活動を行うCBO(Community Based Organization)の団体。「ムエラ・シアター」のメンバーの紹介で知り合ったこの団体は、やはりテメケ地区のヨンボ・ビトゥカという地域に本拠を構えている。ここもムトンガーニと同じく、豊かな地域ではない。雨が降っていなくても、汚水がよどんでいるような場所がある。訪れるたびに、マラリアなど感染症の心配が頭をよぎるような場所だ。20人のメンバーの内13人は女性で、その全員がHIV/AIDSの陽性患者という事実が、まず私を驚かせた。彼女たちは、ARV(抗レトロウィルス薬)を摂取して、病気の発症を抑えながら活動している。
「ヌール・クラブ」のメンバーたちと、リーダーのエリザベスさん(左端)
 2007年の国連合同エイズ計画(UNAIDS)の資料によると、タンザニアのHIV/AIDSの成人感染率は6.2%。近隣にはスワジランドやボツワナ、レソトなどのように20%以上を記録している国もあるが、世界的に見ればまだまだ高い感染率だ。自らも陽性であるリーダーのエリザベス・ビンセント・サングさん(42)が一番危惧しているのは、女性や子どもなど、社会的に弱い立場の人たちへの感染である。「配偶者などから感染させられる女性や、母子感染で感染してしまう子どもなど、ある意味では犠牲者である人たちの助けに少しでもなりたい」と、ダルエスサラーム市内や市外近郊の町や村などで、検査の重要性、コンドーム使用の有効性を訴え、伝統的な音楽や踊りを通じて啓蒙活動を行っている。また、自らの経験も踏まえ、陽性者へのカウンセリングなど、精神的なケアも行っている。
 彼女はタンザニア国内で初めてARVを使用した人としても有名で、使用し始めてから既に10年が経っている。彼女の夫もHIV/AIDSの陽性患者だが、幸い3人の子どもたちには母子感染はしなかった。しかし、彼女の元医師の姉は陽性。私が08年10月に出会った頃は、脳に障害が出始めており、立つこともままならず、こちらの言うことは理解できるものの、発語は困難な状況だった。その後、別の親戚の住む町に移ったということで、それ以来、私自身会ってはいないが、病状は落ち着いているとのことだ。

貧困と教育の不足がHIV/AIDSを蔓延させる

半身を起こして撮影に応じてくれたエリザベスさんの姉(左)とエリザベスさん
 エリザベスさんたちは、私が実際に初めて出会ったHIV/AIDSの陽性患者だった。正直に言うと、初めはどのような言葉をかけてよいのか、途方にくれてしまった。しかし、彼女の「女性や子どもなど、社会的に弱い立場の犠牲者の助けに少しでもなりたい」という話と、私と同じ年齢で、しかも同じく3人の子どもを持つ親として強い共感を抱いた。そこでまずは、タンザニアをはじめとするアフリカ諸国が、HIV/AIDSの脅威になぜさらされているのかを知りたいと思った。
 これまでに、「ムエラ・シアター」と「ヌール・クラブ」以外の団体のいくつかにも足を運んだが、どこの団体に行っても、「どうしてHIV/AIDSの患者が、タンザニアには多いと思いますか?」という質問をした。すると決まって返ってくる答えは、「貧困、そして不十分な教育が一番大きな原因だと思う」というものだった。
HIV/AIDSに関するイベントで設置される臨時の無料検査所
 正確な数字は分からないが、タンザニア、特に私の住むダルエスサラームは、失業率がかなり高いのではないかと感じる。ただ単に、休んでいる人たちもいるのであろうが、昼間から、特にすることもなく街角や木陰などでたむろして座っている人たちを見かけることが多いのだ。見方を変えれば、「アフリカらしくのんびりしていていいね」となるが、ただでさえ物価の高いダルエスサラームでは、本人たちはそれどころではないと思う。「夫婦ともに働き口がなく、妻が身体を売って生活費を稼がざるを得ないケースもある」と、エリザベスさんは話す。
 また、コンドームやARVに関する誤った認識が多いという話も聞いた。「コンドームは白人が使うもの」といった噂のようなものから、現在も多くの人々の生活に密着する、いわゆるウィッチ・ドクター(呪術医)の治療を受け、「ARVは摂取しないように」と言われて亡くなってしまう場合などもあるそうだ。エリザベスさんの地元をたずねたある日、「ウィッチ・ドクターからARVをしばらく飲まないようにと言われていた近所の6歳の子どもが、昨日亡くなったわ」と聞いたこともあった。
 そして、男女間の付き合い方、セックス観なども、貧困や行き届かない教育に追い討ちをかけていると思う。「ある県でこの一年半の間に、284人の女学生が妊娠していた」という見出しが、09年5月のある日の新聞の社会面に載っていた。生き方や文化の違いの問題なのかもしれない。日本のセックス観も随分変わってきているのであろうが、それでも相手のことをよく知ってからセックスをするという意識が、日本などと比べても低いように思う。

子どもたちの瞳に託すこの国の未来

 彼らとは現在まで、約半年ほど付き合ってきた。私は週末も子どもたちの面倒をみなくてはならないこともあり、彼らの活動拠点に行く時間は限られている。しかし、何度も彼らの地元に足を運んでいるが、「○○をくれないか」という願いを一度も聞いたことがない。むしろ自分たちの問題は自分たちの責任で解決したい、という思いが感じられ、タンザニア人の頼もしいプライドさえ感じるのだ。

激しい雨の中、啓蒙活動のイベントで歌い踊るエリザベスさん
 フィキリ氏の今の希望は、「ムエラ・シアター」をもっと内外に知ってもらうこと。そのため、NGOの活動内容がよく分かるパンフレットやポスターを作りたいと思っている。またエリザベスさんたちは、VTC(Voluntary Testing Counseling)と呼ばれる、無料でHIV/AIDSの検査をやり、カウンセリングもする拠点を地元作りたいと思っている。
 私も「主夫」という生活をしながらではあるが、少しでも彼、彼女たちの助けになる様なことができればと考えている。
地面に数字を書いてお勉強?物がなくても工夫して遊ぶ子どもたち
 どちらの団体の活動拠点にもたくさんいる、子どもたちの瞳に、私は希望を感じる。通い始めたころは、「この子たちは、ここに生まれたばかりに様々な問題を抱え、この先も生きていくのだろうな」と、ある種、哀れみのような感情を抱くことも多かった。しかし、何度も両地域に住む子どもたちに会い、遊び、その子たちの濁りのない瞳を見ていると、「困難はあるかもしれないが、こんなにきれいな瞳を持っているんだ」と思うようになった。今は、その瞳が濁ることがありませんように、と祈ると同時に、子どもたちの瞳や笑顔から、この国の未来を担っていこうとするような力も感じることが出来る。我が家の子たちにも、この子たちのような瞳を持って欲しいとも思っている。

最後に

いつまでもこの瞳が濁ることがないように…
 2回に分けて、縁あって住むことになった東アフリカのタンザニア、ダルエスサラームの今の様子をご報告した。まだ約1年という短期間の滞在で、しかも「主夫」として修行中の身でもあり、かなり勝手なものの見方、考え方になっているかもしれない。間違った認識もあるかと思う。
 ゆっくりという意味の「ポレポレ」という言葉の持つ、ちょっと力が抜けたような響きに、実際肩の力が抜けることもある。が、いざ生活していると、「ポレポレじゃなくて、急いでよ」という場面も確かに多く、日本人の私にとって、正直言うと腹を立ててしまうことも多々ある。それでも人懐っこいタンザニア人の笑顔と広い空を見上げるたびに、その腹立たしさもふっと忘れてしまう。
 今後はダルエスサラーム以外の場所にも、もっともっと出て行きたいと思っている。そして、引き続きタンザニアの、そしてアフリカの様々な事象を見ていきたいと思っている。「主夫」業も疎かにせず、ポレポレで…。

(おわり)

主夫のひとりごと) 食材には苦労してますが…“創作”日本料理は楽しい!

一般的な主食の一つ、「ウガリ」を炭を使って調理する女性
 どこで暮らしていても同じだろうが、主夫業をしている上で、私の頭を一番悩ませているのは、食事。こちらの食事事情と、個人的な苦労話を少しご紹介したいと思う。
 こちらでは、主食として、さまざまなものがあるが、中でもトウモロコシやキャッサバという芋の粉を煮込んで作る「ウガリ」という料理が一般的だ。それを右手でこねて丸めて、肉や魚、野菜が入ったトマトベースのスープにつけながら食べる。まだ私は自分で作ったことはなく、タンザニアにいる日本人の方たちの中には、「味がしないのでちょっと…」という向きもあるが、総じて子どもたちには評判がいいようだ。他に主食とされているものには、お米や食用バナナなどがある。お米は食用油を引いて鍋で炊く。ウガリ粉よりは値段も高く、高級な主食だ。何かお祝い事などがあると、米をスパイスやジャガイモなどの野菜、肉などを入れて炊いて作るピラウという、「炊き込みご飯」が出される。これは、少々油っこい時もあるが、多くの日本人の口にも合うと思う。町の食堂で出される定食は、「ウガリと肉」あるいは「ご飯と肉」のような注文の仕方をする。肉は牛肉、羊肉、鶏肉の中から選ぶことができ、それを魚に変えることもできる。ご飯をピラウにすると少し値段も高くなる。いくつかの区切りに分かれたお皿にそれらが一緒に載ってきて、そこに「カチュンバリ」というサラダや「マハラゲ」という豆を煮込んだ付け合せが付く。食堂の場所などにもよるが、それが日本円で200円から600円くらい。
地元料理の食堂で出る定食。これは「ピラウ ナ ニャマ」 「炊き込みご飯と肉(牛肉)」
 しかし、いつもそのような定食ばかり食べていると、お金もかかるし、油っこい時もある。そして子どもたちもいるので、家では日本食(のようなもの?)を料理することが多い。お米は手に入るし、基本的な調味料も手に入る。しかし、日本食の味を出すのにはやはり苦労している。日本のだしなどの食材は、ほとんど手に入らない。醤油は中国産や東南アジア産は手に入るが、日本産はあまりない。たまに外国人向けのスーパーマーケットで「キッコーマン」の醤油が並ぶが、250ml入りの瓶が、日本円で1000円以上する。というわけで、手に入るなかでそれほど高くない調味料や食材を使って日本食を作っている。
麺は細めのパスタを使用したりと、こちらで買える材料で作った「自家製冷麺」
「細めのパスタで作る焼きソバ」、「いろいろなスパイスを使ってのチャーハン」、「パン粉を作ってから揚げるとんかつ」、「小麦粉から作る手作り餃子の皮」など…。頭を悩ませ、時間もかかるが、これも一つの醍醐味に最近はなっている。ちなみに我が家の子どもたちのお気に入りは、ウガリに醤油とごま油をつけて食べる「なんちゃって餅」だ。
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PROFILE

山森先人
(やまもり さきひと)

1966年生まれ。慶応大学文学部卒業後、新聞社に勤務。2007年よりフリーの写真家。現在は「主夫」と「写真家」の『二足の草鞋』を履く。タンザニアでの生活はブログ「ポレポレとうちゃん」で日々更新中。

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