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レポート 街・国・人
01 もう一つのパキスタン

1947年の独立以来、クーデターや政変により体制が不安定だったパキスタン。9・11直後は、アフガニスタンへの対応をめぐりアメリカと協調路線をとったことでイスラム国家として揺れた。しかし、その一方で近年、経済は活況を呈している。今年2月、カラチで開かれた「パキスタン・エキスポ2005」に出席したジャーナリストの田嶌徳弘氏が報告する。

「パキスタンは今や、目が覚めた」

「本日のメーンイベント!」とでもいうようなバリトンの声が、小学校の校庭ほどもある巨大テントの催場に響きわたった。パキスタン政府が全力をあげて開催に持ち込んだ「パキスタン・エキスポ2005」の開会式は、ようやく盛り上がってきた。シルベスター・スタローン主演の映画『ロッキー』のテーマが流れていると思ってほしい。ペルベズ・ムシャラフ大統領の登場である。スピーカーの声はますます大きくなる。「国をよみがえらせた男」「岩のように固い意志を持つ男」――大統領を形容する言葉は、格闘技世界一を決定する舞台に出場する選手を紹介するリング・アナウンサーとしか思えない。紺のスーツの大統領が舞台に立つと、まさに割れんばかりの拍手が響いた。

 2月2日、パキスタン最大の都市カラチで開かれた巨大物産展「パキスタン・エキスポ2005」の開会式には、世界各地から招待された1000人以上のゲストをはじめ、国内の有力政治家、財界・ビジネス関係者らが参列した。
 ムシャラフ大統領は英語で語った。「パキスタンは今や、目が覚めた。起き上がったのだ。世界は、パキスタンでは過激派が爆破事件を起こしていると思っている。外国の投資家のみなさんに言いたい。どこにテロがあるのか。投資すれば必ず何倍にもなって返ってくることを保証する」。

 テントの外では、近くのモスク(イスラム礼拝堂)が拡声器で、日没時の礼拝を呼びかけた。このアザーンと呼ばれる声がかなり大きく、一時はスピーチが聞き取れないほどボリュームが上がった。大統領は「アザーンですから」と言い、演説を中断した。大統領でもイスラムの礼拝を止めることはできない。

 再開されたスピーチの途中、パーンという音が響いた。午後8時を少し回ったところだった。会場に一瞬、緊張が走った。ステージを照らしているライトの一つが破裂したのだ。だが、大統領は落ち着いた声で「今のは銃撃ではありません」と右手を上げ、会場の笑いを誘った後、スピーチを続けた。演出なのか、単なる不手際なのか。わからなかった。

「9・11」後、経済成長?

 パキスタンが日本でも「危ない国」と思われているのは事実だ。政府から招待されたので行ってくる、と話すと、たいていこう言われた。「テロとかないの? 大丈夫? 気をつけてね」。確かに2、3年前なら、米国人ビジネスマンが射殺されたとかいうニュースがあった。だが、今は経済成長真っ盛りなのだ。昨年(2003年7月-2004年6月)の成長率は6.4%だったが、今年は7%、来年は8%以上と政府は予測している。アジアの開発途上国の中で、パキスタンが急激に成長した原因は、2001年9月11日の米同時多発テロにある。

 陸軍参謀長だったムシャラフ大統領がクーデターで政権を奪ったのは1999年10月。ムシャラフ大統領は、当時米シティバンクの副社長だったシャウカット・アジズ氏を説得し、財務・経済相に迎えた。翌11月から経済再生の5ヵ年計画をスタートさせた。だが、政情不安な状況では、そう簡単には計画は進まない。

 これを軌道に乗せたきっかけが、実は「9・11」だった。話は、20数年前に遡るが、ソ連がアフガニスタンに侵攻した1979年、米国はこれに対抗するため、隣国パキスタンを通じて、アフガニスタンのイスラム教徒ムジャヒディン(戦士)を支援した。さらに経済・軍事援助をパキスタンに与え、パキスタンはその後、アフガニスタンを支配したタリバン政権を支援したのだ。
 しかし、「9・11」のあと、同時多発テロに対する報復をはじめた米国の要請を受けて、今度は逆にアフガン攻撃を支持する。この方針転換によって、パキスタン国内では 反政府デモなどが起きることになるが、一方で国際通貨基金(IMF)から約13億ドルの融資を受け、さらに約125億ドルに上る公的債務の繰り延べがパリクラブで合意された。多くの国が「テロと戦う」姿勢を評価したのである。
 世界のサッカーボールの3分の2をつくるパキスタンは、好調な製造業に支えられて、5.3%だった当初の目標を上回る6.4%の経済成長を達成した。
 大統領はこうも言った。「我々は過激主義、テロ主義と戦う。そして経済が発達すれば、仕事が増え、貧困がなくなり、過激主義が減少する」。要するに、豊かになれば誰もテロなんかやらなくなる、ということだ。しかし、大統領の言葉通り、本当に経済は成長しているのか。テントを出て、街に出よう。

バザールは秋葉原なみのにぎわい

 カラチ中心部のサッダル地区には各種の市場、バザールが密集している。食料品は野菜、果物、香辛料、乾物、肉、魚、茶ごとに区画に分かれ、朝から買い物客でにぎわう。どの店も天秤秤。鉄の分銅なんて、もう日本では見られない。 野菜はほとんど泥がついたまま。鶏肉は天日にむき出しで並ぶ。昭和30年代の日本の市場のようだ。

 サッダル地区中心の交差点は、車の戦場だ。信号がないため、交差点をまっすぐ抜けるには、決して右や左から来る車に割り込まれてはならない。バスは前のバスとほとんど衝突直前まで接近して走ってくるので、車両を連結した電車のように見える。その車の間を歩行者がひょいひょいと抜けていく。走る車がまたすごい。バスは、日本のトラック野郎が公用車に見えるほど、装飾がド派手だ。リキシャーというのはバイクを改造したオート三輪。これが、ねずみのように走り回る。そこに普通の車やタクシー、バイク、さらにはロバの馬車がまぎれて排ガスだらけの交差点を演出する。

 以前カイロに住んでいたことがあるし、バンコク、ニューデリーの渋滞も知っている。開発途上国の大都市は似たような風景なのだが、カラチは群を抜いている。日本のトヨタ、ホンダ、スズキが乗用車の現地生産を行っているので、乗用車は意外と古い型が少ない。新車は人気が高い。ざっと日本の10分の1の給料で、日本と同じ値段の車を買わなくてはならないのに、半年は順番を待たなくてはならないという。

 サッダル地区の西側は、「カラチの秋葉原」といえる電気街が広がる。ここにはデジタルカメラやパソコンなどあらゆるIT製品が並ぶ。パキスタンは電気事情がまだ悪く、停電などもあるのだが、この電気街だけは煌々と明かりがついていて、夜も人通りが絶えない。

 中心から東よりのターリク・ロードは、新興の商店街。おしゃれな店が並び、ショッピングセンターはどこも人だかりだ。サッダル地区が東京の上野・浅草とすれば、こちらは表参道といったところだ。まだ多くのビルが建設中で、開発が進んでいることがよくわかる。

 カラチの南はアラビア海。クリフトン海岸と呼ばれる遠浅の砂浜は、リゾート地に変わりつつある。浜辺に並ぶベンチで若いカップルが何組も寄り添っている。カメラを向けると、さすがに女性は顔を隠す。だが、同行した、イスラム教徒に改宗してカラチに30年住む日本人男性(60)は「驚きましたね」と話す。「2、3年前までは、こんなこと考えられんですよ。親に見つかったら終わりですから。イスラムの教えが緩んでいるのか、時代が変わったのか・・・、時代が変わったんでしょうね」。

 ただ、海で泳ぐ人は一人もいない。2月とはいえ、日本の初夏の気候なのに。その男性は言う。「パキスタンでは、ほとんどの人が泳げません。学校で水泳を教えていないんです。プールもないし」。水泳だけでなく、教育までは、経済成長率に追いついていないようだ。街中の交差点で車が停車すれば、物乞いの子供たちがやってくるのは、他の開発途上国と同じ光景である。

今日のパキスタンは、昨日とは違う

 それにしてもサッダル地区は歴史のおもちゃ箱のようだ。100年以上前の古いビルやモスクの建て込む路地裏を、人々は走り、声を上げ、重さをはかり、現金を数える。野外の散髪屋さんもあるし、歯医者さんもある。人前で歯を抜かれるのは、あまり気持ちのいいものではないが、料金が安いので人気という。歩道橋の上で、インコ占い師に会った。20枚ほどの並んだ白い紙を、インコに選ばせる。占い師はインコがくわえた紙をひっくり返して、ウルドゥー語の文字を読んでくれた。「あなたの願いはすべてかなう」。本当?

 そういえば、アジズ首相は「会見に応じる」と言っていたのに、土壇場でキャンセルした。占いなんて信じてはいけない。カラチから空路3時間、北部にある首都イスラマバードに飛んだ。イスラマバードは人工の都市。整然とした町並みは確かに美しいが、物足りない。カラチでは一度も降らなかった雨が街を包み、この時期の日本並みの寒さだった。

 アジズ首相は首都の首相官邸で待っていた。笑みを浮かべながら「パキスタンは南アジア、西アジア、東アジアの交差点に位置する。各国と貿易、交流を続けることで、発展は続く。日本も自動車会社はパキスタンに投資して、きちんと利益を上げている。今日のパキスタンは、昨日のパキスタンではない。ぜひ協力をお願いしたい」と話した。
 インコ占いを信じてもいい気分だった。

嘆くカラチの古書店主

 カラチ・サッダル地区の商店街の中に、1軒だけ、場違いな店がある。「トーマス&トーマス」という古書店。1948年に開店した、カラチで一番古い本屋だ。文学書なら新刊本の書店より多い蔵書量が自慢だ。店主のモハンマド・ユヌスさん(64)は、近年のパキスタンの発展を喜びながらも、こう嘆く。
「とにかく、みんな、本を読まなくなってしまった。インターネットやケーブルテレビが家庭に広まって、みんなテレビを見るんだ。それも90%はインドの映画やドラマ。全く嘆かわしいことだ」。確かにインドはアジアで有数の映画大国。パキスタンは元々はインドと一体だったから、言語が違っても、ほとんど理解できるという。「特に、インドのメロドラマが人気なんだ。テレビもいいけど、たまにはシェイクスピアでも読んでほしいね」と話す。これでは韓流ドラマに群がる日本と同じようだ。

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PROFILE

田嶌 徳弘

1954年東京都生まれ。埼玉大学理工学部数学科卒。80年毎日新聞入社。大阪社会部、外信部、カイロ特派員、毎日インタラクティブ編集長、英文毎日編集部長、毎日ウィークリー編集長などを経て、2005年4月より同社生活家庭部記者。

主な著作:
『砂漠のりんご』(ローカス)

砂漠のりんご

パキスタンとは

パキスタンはインドの西側のインダス川流域に広がる。面積は日本の2倍の79万平方キロ、人口は約1億5000万人(2002年)。国名はウルドゥー語で「清浄な国」を意味する。
1947年、英国領のインドから、イスラム教徒の多い地域がパキスタンとして独立。インドをはさんで、西パキスタン、東パキスタンという地理的に二つに分かれた国となった。しかし、東パキスタンは自治を要求して内戦になり、71年にバングラデシュとして独立。西パキスタンがパキスタンとなった。パキスタンの国教はイスラム教で97%を占める。
隣国インドとは北部のカシミール地域の帰属をめぐって対立し、何度も衝突を繰り返している。インドはパキスタンのことを「弟」と思っているが、パキスタンは同等と考えており、元々が同じ英領だったこともあって、ライバル意識が強い。インドが核を持てば、国際社会が何と言おうと、パキスタンも核を持つ。インドと仲の悪い中国は伝統的にパキスタンと友好関係にある。敵の敵は味方、というわけだ。 現在の経済成長も「インドに負けるな」という面も否定できない。インドはIT産業が進み、高い成長率を維持しており、このライバル関係が、いい方に働けば、アジア経済の底上げにつながることは間違いない。

参考文献

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