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13年目にして認められた過労死― 仕事の犠牲になった息子のために母は闘い続けた (3)
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9.初回に先制、ねばりの投球が続く
10.痛恨の大飛球で、逆転はされたが・・・
11.悔しさと満足のドラマチック深浦劇場
12.試練のなかで、また来年の夏を目指して
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初回に先制、ねばりの投球が続く
 プレーボールは午前9時57分。スタンドは深浦の方がだいぶにぎやかだ。その深浦が先に攻める。八戸北の先発は背番号1の御厩敷ではなく10番の若宮。まず深浦、先頭打者の佐藤は、伸びのあるストレートにバットがあわずに三振、続く長尾もピッチャーゴロに倒れる。しかし、三番のキャプテン須藤は、高めのボールをよく見極め四球を選んだ。若宮のスピードに圧倒されるほどではなかった。  ここで4番の二年生大川が打席に立った。昨年よりも体つきが逞しくなり打球も鋭くなった彼がフルカウントから振り抜くと、打球は三遊間を抜けた。2死1、2塁とチャンスを広げ、ここでもっともボールをバットの芯でとらえるのを得意とする兼平に回ってきた。初戦でも2安打を放っている。
先制の三塁打を放つ5番兼平
 左打席に入った兼平は2ボールからの3球目を見事にとらえて、右中間を破る飛球を放った。これが3塁打となり、二人の走者が一気に返って、先制の2点をたたき出した。なんとか食らいついていくことが戦前の深浦側の目標だったことからすれば、いきなりの2得点は予想を上回る最高のスタートだった。三塁側スタンドは歓声の渦が巻いた。
 こんなはずではないと思った八戸北は動揺しただろう。その裏、深浦の先発は、肩の痛みがある兼平に代わって、昨年夏と同じくサイドスローの増富。2点をもらって決して球は速くない彼がどこまで抑えられるかをスタンドは注目した。すると先頭打者に対してなかなかストライクが入らず四球で歩かせてしまった。
 しかし、続く打者をセカンドゴロに打ち取ってこれがきれいに併殺となり2死に。ところが3番打者に死球を与え、二盗も許してピンチに。迎えるのは4番打者だったが、増富は内野フライに打ち取り、これを二塁手の須藤がジャンプして好捕、初回を0点に抑えた。八戸北は2回の先頭打者が二塁打を放ったが後が続かず、3回は三者凡退。ようやく4回になって長短打に深浦のエラーも絡んで1点を返した。
 深浦も3回に、初回同様、二死から4番、5番が連続安打したが、走者がけん制でさされ得点にはいたらなかった。7回には小山、増富が安打したが、バントで送ることができなかったこともあり、結果として走者を迎え入れることはできなかった。8回には八戸北の代わった投手御厩敷から、またしても二死後大川、兼平の4、5番が連打。さらに6番田畑直樹がセンター前に安打して二死満塁とした。しかし、続く小山は高めのストライクを見逃し三振、追加点のチャンスを逃した。
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痛恨の大飛球で、逆転はされたが・・・
 8回が終わって得点は2-1。八戸北ベンチは打てそうで打ち崩せない深浦・増富を前に考え込んでいただろう。一方、深浦側には、なんとかこのままいかないものかという願いが多くの人の胸をかすめたろう。しかし、その願いは砕かれた。八戸北は8回裏制球が甘くなってきた増富から一死後、安打と二つの四球で満塁とした。このあとの6番打者は三振に倒れ2死となったが、ここでこれまで安打のなかった7番釜石が増富の2球目を強振、すると打球はセンター方向へ。そして、追いかけようとしたセンター兼平のはるか頭上を越えていった。これが走者一掃の3塁打となって、一気に3得点、4-2と逆転した。
 ここで平山監督は投手を増富から大川に交代させた。大川は次の打者を内野ゴロに打ち取り、さらなる失点は食い止めた。スタンドからは「まだ、終わってない! ここからだー」と、女性の声がかかった。初めて追う立場になった深浦。最終回の攻撃は代打山本からだ。「禎(サダムー)」と、山本の名前を叫ぶ、女子生徒の悲痛とも聞こえる声援がかかる。若い女性教諭が、「何とかして」とばかりの面持ちでバッターボックスを見つめる。
 しかし山本、そして続く代打の神馬は三振に倒れ早くも二死となる。だが、ここから最後の粘りを見せた。1番に回って佐藤のサードゴロを三塁手が悪送球し2死1塁。八戸北もやや焦ったのか、つづく長尾の内野ゴロを今度はショートがエラーし2死1、2塁。ここで3番須藤は冷静に四球を選び、とうとう二死満塁とした。
負けて応援席に挨拶する選手たち
 迎える打者はこの日3安打の4番大川。この日のクライマックスといっていい。固唾をのむとはこのことだろう。三塁側スタンドからは祈るようなまなざしが右バッターボックスに立ち大きく構える大川に注がれる。そして4球目のカーブ。大川は思い切りよくバットを振った。しかし、当たりは芯をはずれていたのか、ライナー性の打球は失速して、三塁手の前に落ちた。しかしこれを捕球しようとした三塁手が前にはじく。急いでボールを拾ってすぐさま三塁ベースに駆け込む三塁手。その脇を三塁ベースにスライディングする深浦の長尾。タイミングは微妙だったが、審判の判定はアウト。3者を残し、ゲームは終了した。
 しばらくして、涙ながらの選手が応援席に向かって一列になり、頭を下げた。拍手で迎える、スタンドの深高生たちや職員や保護者たち。善戦したいい試合を見せてもらったことで、彼らを讃えてやりたい、そんな気持ちが強かったのだろう。スタンドにあまり涙はなかった。
 少ないながら声を張り上げていた応援団は、最後のひと仕事をはじめた。すでに席を立ちはじめた一塁側、八戸北の応援スタンドに向かって、エールをしっかり送ったのだ。誇らしげに負けたからこうした余裕があるのだろう。
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悔しさと満足のドラマチック深浦劇場
 球場から出てきた平山監督は、勝利まであと一歩という悔しい気持ちを抑えるようにして、「よく、やってくれた。1年生の夏に一回に19点とられたときを思うと、この子たちは成長した」と、選手たちを讃えた。そして、飄々としたところも持ち味の監督らしく「ドラマチック深浦劇場でした」と、胸を張った。
 また、静かに選手たちを見守ってきた竹内部長も試合結果を悔やみながらも、「この子たちみたいに、こちらが言ったことを実行する子には、この先会わないと思う。素直に吸収するところがあるから、誰が教えてもきっとうまくなるだろう」と、やはり選手たちをほめた。八戸北の工藤監督は「何で打てないのか、バントは失敗するし、どっかに甘いところがあったんだと思う」と、攻めあぐねた反省を語ったあとで、「内野手もいいし、エラーもほとんどないし、これは本来うちが得意とするとこでした」と、深浦ナインの健闘を讃えた。
試合後、監督の話をきく深浦ナイン
 当の深浦の選手たちはどうかと言えば、涙がおさまったあと試合の感想をきいてみると、相変わらずそれほど言葉数は多くないものの、総じて「よくやった」「満足した」という気持ちと、「悔しい」という二つの気持ちが入り交じっているようだった。それと予想以上に、試合に臨む闘志が強かったことがこの時になってわかった。だからこそ、思い切りやったことの充足感と、燃焼しきった虚脱感とが一体となって顔に表れていたのだろう。
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試練のなかで、また来年の夏を目指して
 この日は、学校のOBや町の野球ファン、そしてかつての学校関係者のなかにも個人で応援に駆けつけていた人がいた。そのなかの一人、尾崎充美氏は深浦が122対0の大敗を喫した2年後に深浦高校に教頭として赴任、弱小チームの成長を見ていた。そして最後は深浦校舎の本校となる木造高校の校長をつとめ現役を退いた。深高野球部ががどん底からはい上がるところから長い間見守っていた一人でもある。
 その尾崎氏はこの日の試合を一人、バックネット裏で観戦していた。帰り際に監督や選手たちのところへやってきた彼は「よくここまでやりましたね」と、笑顔で選手や指導者に敬意を表した。
 私は尾崎さんを見送り、そして燃焼しきって腹を空かせた深浦の野球部員と平山監督らに別れを告げて、弘前市営球場をあとにした。深浦を軸に分校の戦いを追った日々が終わった。3度も順延し、深浦、弘前、青森の間をレンタカーで走り回った8日間である。
 深浦が大会から去ったあと、勝った八戸北は弘前工業を7-2で下しベスト8に進出し、準々決勝で下北半島の大湊高校と対戦、2-1で惜しくも敗れた。大湊はさらに野辺地西を大差で下し決勝に進んだ。しかし甲子園出場の常連校である私立の青森山田に4-3と僅差で涙をのんだ。勝者、敗者の関係と点差だけを振り返ってみれば、深浦がいかに健闘したかがわかる。
 深浦の野球部はこの大会をあとに3年生が引退すると、残る1、2年生は合計7人。秋の大会は“助っ人”をなんとか他の部から頼んで出場するという。
 分校をめぐる現状はさらに厳しくなっている。しかし、まだ可能性は残っている。どんな結果に終わろうと、前向きに戦う姿勢さえあればきっといい夏が来る。満ち足りた環境のなかでは得られない成果がある。遠くからそうエールを送りながら、また来夏の青森を楽しみにしたい。
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